25.のどあめ
鍋の上に屈みこむ人物。
邪魔にならないよう後ろでまとめられている髪は、蛍光灯の光を受けて真珠色に光る銀糸。
「・・・何やってんだ」
声を掛けられる事を承知していたのか、否、既に足音や気配で存在を察知していたのだろう、
さして驚いた様子もなく、羅昂は身を起こし、こちらを振り返る。
「これだ」
鍋の中には、茶褐色の液体が、熱湯とは明らかに異なる濃度でブツブツと泡立っている。
「後は鍋底を冷やして・・・と」
傍に置いてあった、氷水を張ったボウルに鍋を直接漬けると、先程から手にしていた木杓子で中身を丹念に掻き混ぜる。
その姿に、匂いに、既視感を覚えた。
――何だ?
一瞬脳裏を過ぎった過去の映像に目を眇めながら、質感を変えていく鍋の中身をじっと見つめる。
掻き混ぜながら氷水で冷やされた液体は、やがて粘度を増して木杓子に絡み付くようになった。
重くなった木杓子を、羅昂は尚も回し続ける。
「そろそろか・・・」
呟くと、傍らの瓶――恐らくは煮沸消毒済み――の蓋を開け、出来上がったらしい鍋の中身を注ぎ込んだ。
ゆ・・・っくりと流れる粘性の流動体からは、仄かに甘い匂いと様々な薬草の香りが漂ってくる。
木杓子で鍋肌にこびり付いた分まで瓶の中に掻き落とすと、瓶8分目くらいに納まった。
・・・コイツ、本当に眼ェ見えてないのかよ?
瓶の容量が鍋の中身のそれより大きいものでなければ、液体は溢れ出てしまう。
つまり、原料を揃えた時点で出来上がりの量を予測して、それに見合った大きさの容器を用意していたとしか考えられない。
羅昂の常人を超えた感覚の凄さを改めて認識する瞬間である。
そんな三蔵の様子を余所に、羅昂は移しきれなかった中身の残る鍋を三蔵に差し出すと、
「このまま洗い流すのは勿体ない。貴公も如何か?」
――あぁ・・・
『このまま洗い流しちゃうのは勿体ないですから、舐めませんか、江流?』
「――飴か」
「只の飴ではなく薬草を用いたのど飴だ。旅路の中で口の中を清められない時には役に立つ。
砂糖ではなく甘葛を使っているから固まることはないが、瓶から掬うのも一興であろう」
『今は砂糖を使った硬い飴玉が殆どですけど、私は甘葛を使ったものが好きでしてね。
ほら、こうして好きな量を掬えるでしょう?』
懐かしい香りと共に蘇る、懐かしい声。
水菓子以外に甘味を求めにくい寺育ちの口に広がった、しっとりとした甘さと生薬の風味。
この場にいるのが目の見えない羅昂だけだという事が、常に尖らせている神経を和らげたのだろう、
知らず、その口元に笑みが浮かんだ――
数年後――
「計都」
「玄奘様?少々お待ち下さいませね。今手が離せませんので・・・」
「いや、構わない・・・それは、のど飴か?」
「はい。風が冷たくなってまいりましたし、感冒の予防にと・・・」
「・・・・・・懐かしいな」
「ほほ・・・」
西行きの旅の途中、『羅昂』が作った粘質ののど飴。
今『計都』が作っているのは、それと同じ物だ。
「宜しければ、お味見なさいます?」
そう言って、鍋に残った僅かな飴を示す。
その仕草も、自分に施されるものも、全てはあの時のそれらと変わらない。
そう。
此処にある『今』の為に『羅昂』は存在したのだから――
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あとがき
最後の一段落、香月が桃源郷メインストーリーを進めていかないとやや解り辛いかも知れません。
一応、桃源郷メインストーリーは、最終的に三蔵と計都が結ばれる予定としております。
『羅昂』の存在理由は、結局のところこの2人が滞りなく一緒になれるようにするところにあったのです。 |
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