40.小指の爪
一楽章弾き終えたところで弓を絃から離すと、計都は講師の指導を聞くために、楽器の構えを解いた。
今日は上手くリズムが取れたが、その分技巧だけの音になってしまった気がする、それを注意されるだろうと思っていた計都の耳に、講師の予期せぬ質問が飛び込んできた。
「・・・計都さん、あなた、爪は誰かに切ってもらっているの?」
「・・・・・・いえ、自分で・・・」
予期しなかったというのは間違いかもしれない。
ただ、演奏直後の第一声で問われるとは思っていなかっただけで。
――それだけ、目立ってきたということなのかもしれない。
「尖ってますか?」
返事が否というものである事は承知の上で尋ねれば、
「切っている爪は綺麗よ。でも左手の小指の爪だけ切り忘れているわ」
「・・・・・・」
心の中でやっぱり、と溜め息をつくが、表情には出さずに他の指で言われた所を探る。
確かに左手小指の爪だけ長い。
4、5mm位に感じられるから、他人から見れば大分長く見えるのだろう。
「自分では気付かなくても、爪の先が隣の絃に当たるのを無意識に避けているもんだから、指が変な形で絃を押えているの。高音の響きが弱くなっていたの、解る?」
「・・・はい・・・」
口先で誤魔化すことは出来ても、音は正直だ。
それは、目が見えない分他の感覚の鋭い自分が一番よく解っていた――
「・・・来週までに2mmは無理よね・・・」
周囲に人がいないのを知っているので、本音が口から洩れる。
なかなか踏ん切りがつかず、暫く伸びた爪を擦っていたが、やがて諦めたような溜め息をつき、爪切りを入れた。
「結構、時間掛かったんだけどなぁ・・・」
パチン
『左手小指の爪を7mm伸ばし、切る時に願い事をすると叶う』
そんな他愛もないおまじないが、女の子の間で流行って。
パチン
信じるものを持たない自分でも、そういった類の願掛けは嫌いではない。
――目が見えないので流れ星に願掛けすることは出来ないが。
パチン、という音のすぐ後に聞こえたカサリという音で、爪が切り落とされた事を知る。
「・・・・・・」
理想的な形に切られた爪に触れ、嘆息する計都。
爪と共に自分の『願い』も棄て去られた気分で、少し哀しい。
「――解ってるんだけどね・・・」
こんなことで叶う願いではない事くらい。
「でも・・・」
叶うのなら。
もう一度だけでも、逢いたい。
4年前、誰からも相手にされなかった自分と口を利いてくれた、たった一人の少年に――
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あとがき
パラレルで幼少時の計都と三蔵が出会った4年後の話。
計都は孤児院に入り、盲学校へ通っていますが、そこの音楽教師の紹介で特別レッスンを受けてる設定です。
香月がピアノを習っていた頃にこのおまじないが流行り、先生方を困らせておりました。
バイオリンはともかく、ピアノを弾く人間が爪を伸ばしちゃいけません(何を今更)。 |
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