「おっはよ〜」 「お早うございます、悟浄。でも世間ではお早うの時間帯はとっくに過ぎてますよ」 「いいじゃんかよ。余所は余所、うちはうち。 ――で、ソレ何?」 沙家の狭・・・もとい、ささやかな規模の台所で何やら奮闘中の同居人に尋ねる。 「それって、どれです?」 「・・・・・・色々あるんだけど、まずはお前さんの格好」 言われて八戒は、湖水の瞳に『?』を浮かべて答えた。 「知りません?これ、割烹着っていうんですけど」 「知ってるって。俺はどーしてお前さんがいつものエプロンじゃなくソレを着てんのかって聞きたいの」 本当はその割烹着を何処でどうやって手に入れたのか(元からこの家にあったわけではない事は確かだ)という事も尋ねたいが、その点は敢えて流しておく。 この青年相手に浮かんでくる質問全てをぶつけても疲労感が倍増するだけである事は、さして長くない同居生活ながら骨身に沁みているからだ。 「少し前にTVでおはぎの作り方を紹介してまして、その時の料理研究家の方が割烹着を着てたんです。ああ、こういうのを作る時にはぴったりだなあって思いまして」 「・・・・・・で、それを真似たと」 「雰囲気ですよ、雰囲気♪」 「・・・・・・・・・」 ツッコミの言葉は山ほど浮かぶが、1週間前――台風と前線の影響で長雨が続いた――の落ち込みようから一転して明るく振舞う八戒の様子に、悟浄は苦笑一つ洩らしてそれらを胸の内に仕舞った。 「――じゃあ、あの蒸し器の中身は・・・」 「ええ、もち米です。少量だと作りにくいので、たくさん作って後は三蔵と悟空にお裾分けしようかと」 「明らかに『お裾分け』する分の方が多いよな」 「・・・まあ確かに」 大人3人を遥かに上回る食欲の持ち主と、口にも表情にも出さないが実は無類の和甘党。 大量のおはぎを目にした時の2人の反応を思い浮かべ、どちらからともなく噴き出してしまった。 「んじゃ、手伝おっか?」 「助かります。蒸し器から中身を出して、このボールに入れて下さい――手を洗ってからですよ」 「へいへい」 「おー、もっちりつやつや・・・って、うわちちちちちっ!!」 「手を離さないでっ!多少の火傷は我慢です!」 「出来るかーっ!!」 「――でさあ、八戒」 「何です?」 「これって『ぼたもち』じゃねぇの?」 「何言ってるんですか。立派に『おはぎ』ですよ?」 「俺、あんこ付けるのが『ぼたもち』できな粉付けるのが『おはぎ』かと思ってたけど・・・」 「またどうしてそんなマイナーな勘違いの仕方なんですか・・・取り敢えず、あんこでもきな粉でもすり胡麻でもいいんです。『ぼたもち』と『おはぎ』というのは全く同じ食べ物を指します。ただ、作る時季で呼び方が代わるんですよ。 牡丹の咲く頃、すなわち春のお彼岸に作るのが『ぼたもち』。萩の咲く頃、すなわち秋のお彼岸に作るのが『おはぎ』」 「へー」 返事はしたものの、同じ物をわざわざ季節に応じて呼び方を変える必要がどこにあるのかと内心首を捻る。 古人の感じた風流など理解の範疇にない悟浄であった。 そんなこんなで作ったおはぎを重箱に入れ、行く先はもちろん慶雲院最高責任者の執務室。 「つい先程まで彼岸会に引っ張り出されていたところだ。有り難くいただこう」 「お茶淹れますね」 「んまそー♪」 「そういや猿、『ぼたもち』と『おはぎ』の違いって知ってるか?」 「知ってるよ!春の彼岸に食うのが『ぼたもち』で秋の彼岸に食うのが『おはぎ』だろ!」 「・・・・・・・・・(猿に負けた・・・)」 「もしかして悟浄知らなかったのか?」 「うっ・・・・・・(図星・・・orz)」 風流やら雅やらに興味も理解もねぇけれど。 『ぼたもち』と『おはぎ』の違いだけは絶対忘れるもんか!と固く心に誓う悟浄だった。 どっとはらい。 |
あとがき 『ぼたもち』『おはぎ』の説明について、八戒は『作る』、悟空は『食う』と言っているのがポイント♪世間では前者が粒あん、後者がこしあんと思っておられる方が多いようですが実際は上記の通りです。 また、夏と冬にも別称があり、夏には『夜船(搗き知らず:もち米を完全に搗かない→着き知らず:何時船着場に着いたか判らない)』、冬は『北窓(搗き知らず→月知らず:月が見えない窓)』と呼ばれるようです。風流を感じさせる言葉遊びですね。 |
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