その女性は、ふわりとした笑みとふわりとした髪で――ふわりと宙に浮いていた。 「・・・・・・迷ってるってんなら、強制送還するぞ」 『あら、私の事見えるの?』 「見えてるから言ってんだろうが」 『驚いた。あの子には見えていないみたいなのに』 「『あの子』?」 『そう。私の双子の弟で、唯一人愛した男性で――ある意味、もう一人の私自身』 「『猪花喃』か・・・『猪悟能』の唯一の肉親だった」 目の前の人物(というか、霊)の正体に、遅ればせながら気付く。 「つーか、『いる』事に気付くことはあっても、『見えた』のはこれが初めてだ」 『そりゃまあ、何でもかんでも見えていたらさぞ大変でしょうよ。 どうもこういうのって波長みたいなのがあるみたいで、霊感のある人でもそれが合わないと見えないらしいのよ』 「・・・ラジオの周波数かよ」 というか、それが合ってしまった自分の不幸を呪いたくなるが、それは横に置いて。 「ったく、あんたが自害なんぞするから、奴は何度でも後を追おうとする。 俺は僧侶であって、救急救命士じゃねぇんだよ」 日毎夜毎繰り返される自傷行為。 最初の頃はその度に医者を呼んでいたが、呼び出しの頻度の高さに閉口した医者から応急処置の方法を伝えられて実行するうち、今では動脈の圧迫止血まで出来るようになった最高僧である。 『・・・仕方なかったのよ。だって私のお腹には・・・』 妖怪に手篭めにされ、植えつけられた呪わしい種。 彼女の信仰する教えでは、たとえどのような経緯があろうと、堕胎は許されない。 もし、あのまま愛する者の元へ戻ったとしたら、 『憎い妖怪の子が私の中で育っていく――それこそ、生きながらの地獄だわ。あの子にとっても、私にとっても』 「だから、自害したと・・・」 『女はね、短い期間であっても綺麗な思い出があればそれに縋っていられる。 でも男は違うわ。 たった一つの汚点が、インクの染みみたいに全てを黒くしてしまう。 私はあの子の中で、美しい思い出だけの存在で在り続けたかったの』 「・・・有り得ねぇ」 『何とでも言えばいいわ。理解してもらいたいとは思わないから。 ただ、やっぱりまだあのまま放っては逝けないのよね、あの子の事』 「見たのか」 どうやって、というのはこの世の理から解き放たれた存在に対しては愚問だろう。 目の前の美人が壁抜けする図を、無理矢理頭から追い払う。 『それにね、貴方も気付くのが遅いのよ。 気温と湿度と気圧の変化で、自傷したくなりそうな頃合が分かりそうなものでしょう?』 「分かるか!」 『それでもお坊さんなの?人の出生と死は気候や月の満ち欠けと関わり合ってるのよ』 「それだけで死ぬのを喰い止められるなら、人口は増える一方だろうが」 というか、何が悲しくて死んだ後の霊と、バイオリズムについて語り合わねばならないのか。 『他人なんてどうでもいいの。私は貴方に、悟能が死なないよう見守っていて欲しいのよ』 「簡単に言ってくれるがな、こっちだって仕事が山と詰まれてるんだ。奴に見張りを付けようにもここの連中ときたら、血を見ただけで腰を抜かしやがる」 『――つまり、いつでも悟能を見張ることが出来て、血を見ても驚かず、冷静かつ速やかに貴方に報告出来る者がいれば、その後の対処がスムーズだと』 「・・・それはその通りだが、何が言いたい」 『いいわ。私が、しばらくあの子の事見張ってる。そして拙いと思ったら貴方を呼ぶわ。 今の私じゃあの子に触れる事は出来ないけど、そこはお願いするわね』 「・・・・・・・・・は?」 『あ、誤解しないで。ずっと娑婆に留まっているつもりはなくてよ。 あの子がある程度私の事に折り合いをつけて、気持ちの整理が出来た辺りでちゃんと成仏するから』 「・・・・・・・・・」 出来る事なら今すぐこの女をあの世へ強制送還したかったが、自分が抱えている問題の負担を減らすその提案は棄てるには惜しい。 当方随一の寺院である慶雲院統括最高責任者という役目の重さが、僧侶のプライド――元々あってないようなものだったが――をかなぐり捨てさせた。 『決まりね。あ、報酬は要らないから、浮いた人件費を使ってあの子に義眼を入れてもらえないかしら? まーったく、あんな綺麗な目を抉らせるなんて、万死に値するわね、あの妖怪――あ、死んだっけ』 「・・・・・・」 クスクスと笑う美女の霊に、背筋を冷たい汗が伝う。 ――奴を何が何でも立ち直らせて、この女をとっとと成仏させなければ。 修羅だの羅刹だのと称されてきた物騒な最高僧がある意味僧侶らしい事を考えた、それは稀有な出来事。 どっとはらい。 |
あとがき 2年前の3/7という日付から突発的思いつきで書かれた、多分最遊記界で最も需要が少ないであろう三蔵&花喃姉様話。いえ好きなんですこの組み合わせ。でも『三蔵×花喃』ではないところがミソ(笑)。 パラレルでもこれと同様の話はありますが、今回は敢えて原作寄りで。 |
Back |