稀有な出来事 2





 天気の悪い日は、墨や朱肉の乾きが遅く、書類をまとめにくい。
 そもそも雨の日は碌な思い出が無いため、そういった些細な事で、イライラに拍車が掛かる。
 ――そういえばあの男も、雨の日には特に澱んだ目をしていたような気がする。
 そこまで考えた時、

『似非最高僧!来てちょうだい!』
(誰が似非最高僧だ!!)

 目の前に突如湧いて出た存在に、驚きもせず怒鳴り返す――心の中で。
 ふわりとした髪、ふわりとした服装――そして、ふわりと宙に浮く実態感のない身体。
 自分の前に現れたのは、紛れもない霊というやつである。
 しかも、

『誰がって、この部屋には貴方しかいないじゃないの。もう耄碌しちゃったの?』
(1つしか歳の違わん奴に言われたかないわ!)
『失礼ね、女性に向かって年齢の話をするなんて、マナー違反よ』
(手前が言うか!?)
『ああもう、今はそんな事言ってる場合じゃないのよ。
 悟能が何かしようとしているわ。早く来て!!』

 凄い剣幕で捲くし立てられ――腹立たしい事にそれは自分にしか聞こえないのだ――、チッと一つ舌打ちながら席を立つ。
 曲がりなりにも最高僧である自分に対し、高飛車な物の言い方をするこの女性。
 現在勾留中の大量虐殺犯、猪悟能の唯一の肉親だった、猪花喃――の、霊なのだ。
 本人(本霊?)は迷っているつもりではなく、弟であり情を交わした相手でもある猪悟能の事が心配で、成仏するのを拒んでいる。
 何の因果か、双子の弟にすら判らないその姿や声が、自分には認識出来てしまうため、自傷を繰り返す猪悟能の臨時監視員として、しばらくこの世に留まることを黙認しているのだ。
 ちなみに、どうやらこちらの言いたい事を(オン)にしなくても伝わるようなので、彼女との会話は心の中で声に出すことにしている。
 お陰で取り敢えず周囲から奇異の眼で見られる事だけは避けられているが。

(ったく、あの部屋には体を傷付けるような物は置いていない筈だぞ?)
『さっき、悟能がポストに「水を下さい」って書いたメモを入れたのを見たわ。
 コップもプラスチック製でしょうけど、割った破片は充分凶器になり得るわよ。
 前にも言ったでしょう?こんな天気の日は要注意だって』

 ポストというのは、食事トレーの受け渡し口の事だ。
 唯一の外部との連絡口であるため、どうしても要求したい事などを紙に書いて入れることで、それを伝える事も可能だ。
 そも、大量虐殺犯ということもあり、ここの人間は彼と言葉を交わす事を極端に恐れている節があるため、直接話し掛けられるよりもこの方法を用いる方がかえって有り難いらしい。
 そうこうしているうちに、猪悟能の勾留されている部屋がある通路まで来た。
 そこには――

「これは、三蔵様・・・!」

 盆を持った年若い下男が、慌てて頭を下げた。
 どうやら、花喃の言った通り、水を所望した猪悟能の部屋へ差し入れたのだろう。
 それを一瞥すると、そのまま廊下を突き進み、猪悟能の部屋のドアを蹴り開けた。

「―――っ!!」

 視界に入った光景。
 それは、プラスチックのコップを砕いた破片を左手首に宛がう、猪悟能の姿だった。
 こんなに早く己の行動を見付けられるとは思っていなかったのだろう、奴にしては珍しく驚いた表情でこちらを振り仰いだ。
 取り敢えず、その手に持った即席の凶器を取り上げる――床に散らばった破片も含めて。

「・・・勝手に寺の備品を壊すんじゃねぇ」
「・・・すみません・・・でも、彼女が・・・」
「?」
「彼女が・・・花喃が、いるような気がして・・・」
「・・・・・・」

 『気がする』じゃなく実際いるんだよここに。
 と言いたいのを必死でこらえる。
 多少は霊感があるのか、その存在を薄々感じてはいるらしいが、残念な事に『波長が合っていない』――彼女の言葉を借りれば――ためそれを実感出来ないのが、事を厄介にしている。
 つーか手前、チューニングしろ!
 貴様にこの女が見えて話が出来りゃ、全て丸く収まるんだよ!

「花喃が、呼んでいるようなんです・・・早く、僕も行かないと――そう、急き立てられる感じがして、つい・・・」
「・・・・・・」
『ふざけた事言ってんじゃないわよっ!!』

 半身の言う事が本意ではないのか、黙っていれば見目良い顔を、般若の如く歪めて捲くし立てる。
 が、その大声は言いたい相手の耳には届かないのだから、性質が悪い。

『誰が呼んでるですって?私が?貴方を?冗談じゃないわ、何の為に私があんな事したと思ってんのよ!
 ――似非最高僧!私の言ってる事通訳しなさいよ!』
(阿呆、あんたがここにいるなんて言えるわけねぇだろうが!)
『だったら自分の考えとしてでもいいから、こんな事をするなって言ってちょうだい!』

 この世の何処に最高僧を通訳扱いする人間がいるだろうか――って、人間じゃないな。この世の者でもないし。
 『呼んでいる』と思っている己の半身が、目の前で凄い剣幕でがなり立てている事を知ったら、この男は何と思うだろうか。

「・・・どいつもこいつも、人使いの荒いこった」
「・・・?」
「とにかくだ。手前の半身が本当に貴様を呼んでるってんなら、あの城で一緒に死ぬよう言ってる筈じゃねぇのか?」
「・・・・・・!!」
「そう言わなかったということは、考えられる事は唯一つ。手前の半身は、手前が自分と一緒に死ぬ事を望んじゃいない、って事だ」
『そういうことよ。解ってるじゃないの似非最高僧』
(その呼び方はやめろ!)

 前言撤回、ここに貴様の半身がいると言ってしまえたらどんなに楽か――そこまで考えていや、と思った。
 そんな事をしたら、姉弟2人して自分を通訳にしそうだ。間違いなく。

『そっか。貴方を挟んで悟能と会話出来れば、悟能も生きる事に前向きになってくれるかも♪』
(考えを読むな!ってか、ンな事出来るか!却下だ却下!)
『えー、ケチー』

 曲がりなりにも最高僧をケチ呼ばわりである。
 既に死んでいるんだから怖いものがないということか。
 (↑生きていた時も怖いものなしだった事を、三蔵は知らない)

「三仏神から裁きが下されるまではその命、こっちの預かりだ。勝手な事すんじゃねぇよ、解ったか」
「・・・はい・・・」

 つーか、貴様が死のうとするのをやめねぇと、この女までここに居座り続けるんだよ!
 早く三仏神との協議を終わらせて、この女強制送還してやる・・・!
 普段仕事を放り出しがちな若き最高僧がいつになく真剣に任務をこなす気になった、それは稀有な出来事。



 どっとはらい。



あとがき

えー・・・続いちゃいました☆(可愛く言えば許されるわけではないと)
ほぼ100%に近いサイト様がシリアスorダーク(流血沙汰だしね)な内容になる悟能勾留期間話。
それをギャグにするか香月(爆)。
三蔵と悟能の会話だけ見れば何処にでもある話なのに、精神世界で漫才勃発(笑)
ある意味新天地開拓とゆーか、勇者?
ポイントは『チューニング』です。




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