稀有な出来事 4





 夕刻から降り始めた雨は、見る間に豪雨へとその激しさを増していく。
 そうやってうつろう外の天気を余所に、慶雲院統括責任者は今日も山積みの書類と格闘していた。
 そこへ、

『似非最高僧!早く来てちょうだい!』
(誰が似非最高僧だ!ってかいきなり湧き出て来んな!!)

 こめかみに青筋を浮かび上がらせて睨み付けるその視線の先。
 ふわりと揺れる三つ編みの下げ髪、ふわりと揺れるスカートの――ふわりと宙に浮く女性。
 実感の無い姿形ながら、その表情だけは寺院の僧侶達よりも遥かに生気に満ちている――ように、見える。
 『ように』と強調する理由は、

『いきなり湧き出て来んなって言ったって、私にどうしろって言うの?門番に取り次いでもらえとでも?出来るわけないじゃないそんな事。
 大体この体じゃノックだって出来ないんだから、目の前に「出た」方が早いじゃないの』
(・・・体は無くなっても、口は減らんのか)
『貴方と会話しているのは、霊魂に刻まれた思念ですからね、魂が輪廻の輪に入ってしまわない限り、残存するのよ』
(僧侶に説法とは、イイ度胸してんじゃねぇか)
『あら、机上の空論より実体験を話している方が、遥かに信頼性が高いんじゃなくって?』

 そう。
 何を隠そう、彼女は生身の人間ではない、いわゆる死者の霊なのだ。
 腐っても僧侶達の頂点に君臨する三蔵が、彼女を成仏させないのは、

『ああもう、こっちは急いでいるっていうのに、話が逸れちゃったじゃないの。
 悟能が拙いことになってるわ。早く来てちょうだい、急いで!』
「・・・チッ」

 彼女の真剣な声音に、事の重大さを感じ取った三蔵は、舌打ちながら腰を上げた。
 彼女が言うところの『悟能』――現在は名を改め猪八戒。
 かつて拉致された想い人を奪取する為に、千の妖怪をその手で葬った大量虐殺犯であるが、現在は新たな名を与えられ、生きて罪を償うべく、三蔵の監督下にて社会復帰をしようとしている。
 だが――

『やっぱり雨の日は傷も疼くみたいだし、特に雨の夜は、思考が凄く下向きになっているの。
 状況が似た「あの日」を思い出すんじゃないかしら』
(手間を掛けさせやがる・・・)

 その精神が通常の生活に耐えられる程安定したとはいえず、ともすれば崩壊の側へ強く傾くこともある。
 慶雲院にて勾留されていた頃と違って市井にて生活する現在、精神状態の悪化は、周囲を危険に晒しかねない。
 監督責任者である三蔵にとって監督対象に問題を起こされると厄介である為、彼女を監視員として彼の傍に常駐させている――というよりは、監視員として務める事を名目に、彼女が現世に居座る事を黙認しているのだ。
 というのも、彼女――名を猪花喃という――こそが、かつて猪悟能が大量殺戮を行った原因である想い人であり双生の姉でもある人物だからである。

(あの子がある程度私の事に折り合いをつけて、気持ちの整理が出来た辺りでちゃんと成仏するから)

 そう言って、未だ精神状態に波のある想い人を見守っていて、自傷や自殺未遂の傾向が見られるようになると、こうして三蔵を呼び出すのだ。
 何故か双子の弟にすら見えないその姿や声が、三蔵にのみ捉えることが出来るからなのだが、その点は三蔵が大いに不服とするところである。

(ったく、本人に貴様が見えてりゃ、俺がわざわざ出向くまでもないんだよ。
 何で俺が貴様みたいな女と波長が合わなきゃなんねぇんだ)
『そんなの私が聞きたいわよ。ほら乗合馬車があるわ、早くあれに乗んなさい!』

 彼女自身は既にこの世の理から開放されている存在であるため、三蔵の下へは次元を超えて一瞬で到達出来るのだが、三蔵は生身の人間であるため、当然八戒の下へ行くにはそれなりに時間が掛かる。
 高飛車に言われて額に今日何度目か判らない青筋を立てつつ、乗合馬車と徒歩で、林の中の一軒家に辿り着いた。
 そこには、

「あれ、どしたの?」

 ――余りにのほほんとした口調に、今までの苛立ち全てを目の前の赤毛の男にぶつけたくなった。
 が、今この男を伸したところで事態は解決しないので、辛うじて踏みとどまり、代わりにドスの効いた声で聞いた。

「・・・奴はどうした」
「あー・・・」

 歯切れの悪い口調で、それでもぽつぽつと語る内容から、八戒が雨を見ながら放心していた事、そして止めるのも聞かず何処へともなく出掛けてしまった事を、三蔵は知った。

「俺も少し前から雨の日はヤバいってのは分かってたのよ。だからこうして町から戻って来たんだけどさ」
「そんで出て行くのを引き止められなけりゃ、意味ねぇだろうが」
「いやまあ、それはそうなんだけど。てゆーか何つーの?『近付くな』オーラ倍増だし、無理だっての。
 ・・・それによ、毎回雨が降る度に引き止めてても、本人の為にならないかも知んねぇじゃん。
 本当に立ち直らせようって思うんなら、ちょい距離を置いて様子を見るのもいいかもって俺は思うわけよ」
「・・・・・・」

 まさかこの男がそこまで考えていたとは、と三蔵は瞠目した。
 三蔵の隣で、花喃も感心したように呟く。

『へえぇ、見た目通りのお馬鹿さんかと思ったら、案外細かい配慮をする子なのね』
(・・・言っとくがこいつは確かあんたと同い年(タメ)な筈だぞ)

 三蔵が心の中で声にすれば花喃にだけ伝わるため、精神世界で交わされる会話は目の前の男――沙悟浄という――には気付かれない。

『でもね、それはあの子の事を解っていない人が言う事よ。
 あの子はね、本当に助けて欲しい時ほど、自分一人の殻に閉じ篭っちゃうんだから』
(成る程な)

 この場は彼をより良く知る側の意見を汲んだ方が良い、そう判断した三蔵は、悟浄に向かっていった。

「立ち直る前に肺炎なんぞでくたばられたら、監督しているこっちの面目が丸潰れだ。
 大層な触覚生やしてるんなら、それらしく捜索に貢献しやがれ」
「なっ・・・これは癖っ毛でだな、触覚なんかじゃ・・・」


 ガウンッ


「捜索に加わるのか、加わらねぇのか、加わらねぇってんなら今すぐ当てるぞ?」
「お、おまっ!いつ安全装置外したのヨ!?ってかここ家!家ン中!!」

 こうしてしのつく雨の中、3人――といっても傍から見れば2人――は八戒を捜し始めた。
 恐らくそんなに遠くへは行っていないと思われるが、いかんせん雨で視界が悪く、捜索は難航した。
 おまけにこの周辺は林になっており、見通しの悪さに拍車を掛けている。
 唯一の例外が、雨も木々も障害にならない花喃だ。

『ああもう、大の男2人掛りで人一人見つけられないなんて、情けないったらないわ』

 事の発端たる人物(の、霊)が、巻き込まれた立場の者達に向かって言いたい放題である。
 ここに三蔵がいれば、盛大な突っ込みが入るだろうが、残念な事に彼は別方向を捜している。
 そして今行方をくらましている己の半身は、これまた残念な事に自分の声や姿を認識出来ない。

『本当に、皆揃ってお馬鹿さんなんだから・・・あら?』

 呟きながら視線を遠くへ向けた際目に入ったものに、花喃は小首を傾げた。
 今まで木の下辺りを重点的に捜していたため気付かなかったが、少し先の大木の枝に引っ掛かっている『何か』。
 緑の葉に囲まれて際立つ真白い色合いと、風もないのに不規則に動くその不自然さに、花喃の直感が働いた。
 その『何か』を目指して移動すると、

『悟能・・・!』

 捜していた自身の片翼は、大木の一番低い枝に登っていた。
 一番低いといっても地面から1.5mはあり、周囲の枝葉で身体は完全に隠れている。
 これでは幾ら捜しても、見つからないのは当然だ。
 そして彼は、先程花喃が見つけた『何か』に向かって手を差し伸べていた。

「その体でそんなところにいたら、食べることも出来ずに死んでしまうでしょう?・・・大丈夫、引っ掛かっている羽を外すだけで、貴方を傷付けたりはしませんから・・・」

 枝に引っ掛かっている『それ』は、白い体に白いたてがみ、白い尾に白い大きなコウモリのような翼を持つ、見たこともない生き物だった。
 青空を飛べば良く映えるだろうその白が、今はところどころ赤く染まっている。
 生い茂る枝葉に羽が挟まり、動けば動くほどその身を傷付けるのだ。
 そして手負いの獣の習性だろう、助けるべく差し出される手に向かって、威嚇するように牙を剥くのだった

『悟能ってば、相変わらず子供と小動物に優しいのね・・・』

 その様子を見た花喃は、怯える獣に近付いた。

「・・・キュ?」

 それまで警笛のような高い威嚇の声を発していたその生き物が、花喃の存在に気付き、顔を向ける。
 やはり人外の存在に聡いのだろう。

『大丈夫よ。その人は、君を助けようとしているだけ。ここにい続けたら、本当に死んじゃうわ・・・だからちょっとだけ、じっとしていましょうね・・・』
「・・・キュウ・・・」

 花喃の言葉は、その不思議な生き物にも通じたらしい。
 剥き出しにしていた牙を引っ込め、もたげていた首を柳のように垂れる。
 攻撃の意思がなくなった事を見てとった八戒は、出来る限り傷に障らないよう注意を払い、生い茂る枝葉からコウモリのような羽を外した。
 羽は自由になったが、白い生き物は大人しくしている。
 ここで逃げようと羽ばたけば、再び枝に羽が引っ掛かる事を、理解しているのだろうか。
 ここは自分が抱えて降りよう、そう考えて着ていた上着を広げれば、その意図を正しく汲んだかのように、白い生き物はその真ん中にぽすんと飛び込んだ。

「いい子ですね。下に降りるから、もう少しじっとしていて下さいね・・・」

 驚かせないように白い生き物を上着でくるみ、それを小脇に抱えて、地面の具合を良く確認して飛び降りる。
 その様子を見ながら、花喃は三蔵の下へ報せに向かった。

「大丈夫ですか?少しだけ雨の中を歩きますけど、我慢して下さいね。家に着いたら、お湯で身体を綺麗に出来ますからね・・・・・・え?」

 木から飛び降りたことで白い生き物が怯えていないかとくるんだ上着越しに話し掛けている時、八戒は自分の下へ走り寄る2つの人影に気付いた。

「悟浄・・・三蔵・・・」

 雨の中自分が出て行った事を知る悟浄はともかく、なぜ三蔵がここにいるのか。
 悟浄が三蔵に知らせに行ったにしては、随分と早い気がするが・・・いや、暗い思考に引きずられているうちに、それくらいには時間が経ったのか。
 花喃が娑婆に留まっていて、瞬時に三蔵に知らせた事を知らない八戒は、疑問符を浮かべながら首を捻った。
 そんな八戒に、悟浄が近付き傘を差し掛ける。

「有難うございます・・・」
「や、何つーか、放っておくと俺の頭か家の壁のどちらかに穴開きかねなかったからさ」
「・・・・・・何ですか、それ」
「取り敢えず、雨の中で立ち話なんざ後ろのご老体には酷だし、早いとこ帰って――」


 ゴリ


「言い残す事はそれだけか?」
「捜索の協力者を撃たないで下さーい」
「・・・何やってんですか貴方がた・・・」
「それはこっちの台詞だ。余計な手間掛けさせんじゃねぇよ」
「・・・すみません」

 この人は自分が雨の夜が駄目な事を知っている。そしてその理由も。
 悟浄に口外はしていないようだが(そこは仕事上の守秘義務があるんだろう・・・多分)。
 しかし、真実を見抜く紫暗の瞳の前では、どんな理由も瑣末なものになるのだろう。
 だから、睨め付けられれば、謝るより他に選択肢は無かった。
 この時点で、この最高僧の不機嫌の原因の8割方が、自分の死んだ片割れにあるということは、八戒には知る由もない。






 寺院に戻った三蔵は、自分が留守にしていた間に積み上げられた書類の山に、眉間の皺を増やした。
 自身も雨の夜が苦手であるにも拘らず陰鬱になる暇のなかった、それは稀有な出来事。



 どっとはらい。



あとがき

お判りかも知れませんが、この内容は、オフィシャル小説2巻『鏡花水月』の序盤の内容に香月独自の設定を組み込んだものです。
大雨の中『頭を冷やしに』と言って出て行った八戒が、木に引っ掛かったらしいジープを保護して家に戻る間の内容が、原作では暗転でぼかされているので思いっきり捏造(笑)。
この話はもちろんオフィシャル小説の終盤へと続きます(笑)。




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