斜陽殿で三仏神との謁見を終えた後、慶雲院に戻った三蔵は、すぐさま幾つかの書類をしたため、雑用係の僧侶に然るべき部署へと届けさせた。 そして椅子に深く腰掛け、マルボロの煙を深く吸い込み、吐き出す。 「面倒臭ぇ・・・」 執務室に三蔵以外誰もおらず、 呟きは、紫煙と同様 慶雲院総取締役大僧正代理と併せて北方天帝使という肩書きを所持する玄奘三蔵は、天界の意思を下界の者に伝える役割を持つ三仏神と、斜陽殿謁見の間で接触することの許される数少ない人間の一人である。 基本的に、天界に住む神仏は、下界の出来事に干渉する事は許されていない。 下界全体が滅びる可能性のある有害な生物や、天に仇為す存在になり得る集団であれば、天界軍が出動することもあるが、そういった事象は現在ではごくごく稀であり、殆どの場合、『下界の事は下界の住人で対処すべし』とされる。 そして僅かな例ではあるが、その中間として、天界の意向を下界の者に伝えることで、下界の者を導くこともある。 下界の者では知り得ない情報を与え、事態の解決・収束に役立たせるのだ。 その情報を『与える』側が三仏神であり、『与えられる』側が北方天帝使、つまり三蔵なのである。 とはいえ、重大な役目を負っている当の三蔵にとってはたまったものではない。 実際、任務の際に命の危険に晒されたことも少なくはないのだ。 その上今回は、普段とは比べものにならないほど危険性が高く、しかも確実に数年の期間を要する。 遂行する前に命を落とす可能性も、決して低くはない。 が、三蔵に、この任務を辞することは出来なかった。 『ここより遥か西域の天竺国にて、古に封印された大妖怪牛魔王の蘇生実験が行われており、それに現在行方が定かでない聖天経文が利用されている可能性が高い』 それは、三蔵が三蔵である理由、アイデンティティ。 亡き師が自分に託した形見であり、自分がこの面倒臭い地位に立ち、面倒臭い任務を受けている最たる理由。 「・・・・・・」 そこで思考に終止符を打った三蔵は、引き出しから短銃を取り出し、入念に手入れを始めた。 その翌日。 元々極端に少ない私物をまとめていた三蔵の目の前に、 『ちょっと似非最高僧!一体どういう事!?』 (・・・ワンクッション置くくらいしやがれこのアマ) 突如出現したうら若い女性。 原則として女人禁制の寺院の、それも統括責任者の執務室にノックもなく現れたのは、決して顔パスの地位であるわけでも、ましてや守衛を金銭や色香でたぶらかしたわけでもない。 『はあ?それじゃあ何、人魂を先に出してヒュードロドロって効果音立てて、それから出て来いっていうの?』 (そういう意味じゃねぇ!いきなり出て来るなり怒鳴り散らすなってんだよ!) そう。 驚くなかれ、彼女はれっきとした霊、それも、 『余計な話なんてしている場合じゃないの。さっき悟能の元に貴方からの手紙が来たわ。透かし模様入りの便箋に書かれて、香木の繊維を漉き込んだ封筒に入ったご立派な物がね』 (これは通常の依頼じゃねぇ、上からの要請だ。神仏の面目なんざ知ったこっちゃないが、軽い気持ちで受けるようなもんじゃねぇ、それを向こうにも知らしめるためのものだ) 『あの子は私と同様頭がいいし勘もいいから、その重要さを理解した。その上で要請を受けようとしているわ』 (自分同様ってな・・・) 『あら、これは愛する双子の弟に対する嘘偽りのない評価よ?貴方もそう思っているでしょう?』 (奴の能力は認めるが、貴様と同様という点は納得しかねるぞ) 『失礼ねぇ・・・ホント似非最高僧なんだから』 (その呼び方はやめろ!) 猪八戒――かつての名は猪悟能――の双子の姉であり想い人でもあった猪花喃――の、霊なのだ。 何の因果か三蔵だけにその姿と声が認識出来るため、未だ精神的にぐらつきやすい八戒の監視役を務める事を条件に、三蔵は彼女が娑婆に在る事を黙認している。 ちなみに三蔵の言いたい内容は、 『話を逸らさないで頂戴。私はね、あの子に生きて欲しいの。私の分まで、少しでも長く生きて欲しいのよ。 それなのにそんな危険な旅・・・アウトドア生活なんて、ますます手が荒れちゃうじゃないの』 (大事なのはそこか?) 『いいじゃないの。私、あの子と手を繋ぐの好きだったんですから。 ともかく、いつ死ぬかも判らない旅なんてものに、あの子を巻き込まないで欲しいわ』 (・・・生憎だが、これは上の人選と俺の判断、そして奴自身の決定によるものだ。口出しは許さん。 それに、既にこの近辺まで『異変』の影響が及び始めている。 『・・・・・・』 (三仏神の話では、奴は生まれ付いての妖怪でない分、『異変』の影響を受けにくいらしい。 だからといって、今後も何事もなく過ごせる保証はないし、何かが起こった場合、それこそ周囲から迫害され、土地を追われる可能性も否定出来ん。 今この現状で、奴がいつまでもあの場所で安穏と暮らせると思うんじゃねぇよ) 『・・・・・・』 いつになく厳しい言い方の三蔵に、流石の花喃も言葉に詰まる。 暫く思案していたが、ふと何か思いついたのか、ニコ、と微笑んだ。 そこらの男なら瞬時に虜にしてしまうだろうその愛らしい笑みが、逆に最高僧にとってはとてつもない不安に駆られる。 『解ったわ。じゃあ私も一緒に行くわね』 (あ゛ぁ?) 『そうでしょう?だってあの子はまだ落ち着いたとは到底言えない状態ですもの。 あの子が私の事に折り合いをつけて精神的に安定するまで、というのが貴方との約束よ』 それは事実なのだが、当時はこのような状況になるとは考えてもいなかったので、旅路にまでくっ付いて来るというのは想定外だ。 というより、三仏神からあの連中を同行者として指名された時、これで今度こそ彼女とおさらばだ、と密かにガッツポーズをしたほどなのだが、これは三蔵だけの秘密である。 (・・・言っとくが、この先数年は日々旅の空だ。見知らぬ土地を常に移動するってのに、迷ったら今度こそ成仏出来なくなるかも知れんぞ?) 『いやぁねぇ、最高僧のくせに、知らないの? 霊はね、異次元を通り抜けて時間や空間を移動する時、会いたいと強く思う人物がいれば、ちゃんとその人の傍に辿り着けるのよ。だからこうして、貴方のいる場所にピンポイントで出て来ることが出来るんじゃないの』 (・・・・・・orz) 決定打である。 こうして、第32代唐亜玄奘三蔵法師は、経文奪回と異変の阻止のため、遥か天竺国を目指し、3人の供を連れジープで長安を発った。 そこに、1人の女性の霊がくっ付いて来ているのは、三蔵にしか知らない事実だ。 面倒事を何より嫌う最高僧が、長い年月の間旅の空に身を置くことになった、それは稀有な出来事。 どっとはらい。 |
あとがき ついに西行きの旅にまで付いて来ることになった花喃姉様(爆)。 これだけやり取りさせても三蔵×花喃姉様でないところがポイント(笑)。 あともう少しだけ続ける予定なので、どうぞお付き合い下さいませ。 |
Back |