Sheep and rabbit ヒロイン卒業編







 高校生活というのは楽しい事が多いのも事実だが、その終わりが来るのも早い。
 八戒の高校は一応進学校の部類に入るので、2年生の3学期にもなれば、受験戦争の空気が漂ってくる(その割には帰宅部不可なのだが)。
 特にこの時期になると3年生の授業が終わり、教室がガランとしてしまうので、否が応でも受験シーズンである事を意識させられてしまう。
 この高校では、空いた3年生の教室を使って、1・2年生が芸術科目で製作した作品を展示する催しがある。
 水彩絵・油絵・陶芸・木工・金工・書道等、各自思い思いに自己表現した産物が並び、土日は一般公開もされるのだ。

「おー、ここにいたか、八戒」
「悟浄」

 八戒に声を掛けたのは、同級生でかつ幼少時から同じマンションで育った幼馴染みの悟浄。

「・・・ソレ、お前の作品?」
「ええ。結構愛嬌のある顔になったと思うんですが」
「あー・・・愛嬌、ね・・・」

 悟浄言うところの『ソレ』は、八戒の目の前に置かれたオブジェを指している。
 木本来の曲線や節の形を生かして磨き上げられたそれは、悟浄の眼には『ムンクの叫びのポーズをとる木製の埴輪』に見えた。

「まあ何つーか、芸術的なんじゃねぇの?
 ――これ、展示が終わったら家に持って帰るんだよな?」
「もちろん。ネクタイやベルトを掛けるのに使えそうですね♪」
「あっそ」

 自分の部屋にコレがあったら夢に出てうなされそうであるが、本人がこう言ってるのだから問題ないだろう。
 と、自分がここへ来た目的を思い出し、悟浄は八戒の方を向いた。

「そりゃそうと、探してたんだ、お前の事」
「僕を・・・ですか?」
「ああ。お前の耳に入れたい事があってな」

 いつも人好きのする笑みを浮かべている筈のその顔は、今はなぜか暗い影が差している。
 こんなに真剣な表情をする彼を見るのは、初めてかもしれない。

「どうか、したんですか?」
「さっきさ、3年の選択科目の届出出してきたとこなんだけど・・・」

 3年になると選択科目と進学先系統によってクラス編成されるので、2月上旬にはそれらの届出を進路指導室に提出しないといけないのだ。

「出してきて、それで?」
「・・・そこでちょっと気になる話を聞いちまって・・・ここじゃ何だから、部室行こうぜ」








 部室であるパソコン室に来てみると、部員は一人もいなかった。
 何となく扉からも窓からも一定の距離があった方がいいように思えたので、適当に部屋の真ん中辺りの席に座った。
 悟浄もその前の席に、八戒の方を向いて背もたれを抱えるようにして座った。

「どうしたんですか、一体?何か拙い事でも・・・」
「あ、や・・・拙いのは俺じゃねぇんだ。・・・その、な・・・先輩がさ・・・」

 前触れも無くその名を聞いた八戒の顔は、一瞬のうちに青褪めた。
  
 1つ年上の、コンピューター部の元先輩であり――八戒の、初恋の相手だ。
 だが、彼女にはその仲を噂される相手がいて、その人物と自分とは持っているものが天と地ほども違う事から、八戒は彼女への恋心を封印していた。
 だが、改めて彼女の名を耳にすると平静を保てなくなる辺り、己の未熟さを痛感させられる。

先輩が・・・どうしたんですか」
「や、拙いったって事故や事件じゃねぇんだけど、どうも入院したらしいって話でさ・・・」
「入院!?」
「センターの頃から引いてた風邪をこじらせて、私立の入試当日に倒れちまったって。
 もっと早くに病院行けば良かったんだろうけど、センター終わったらすぐ卒試(3年生の学年末考査は卒業試験と称される)の勉強で、そんな余裕無かっただろうしな。
 進路指導の先公やら3年の担任やら、泡喰ってたぜ」
「肺炎で入院・・・って、じゃあ入試は!?」
「だから拙いんだよ。病気の事は判んねぇけど、入院する程なんだから、ちょっとやそっとで回復出来るわけねぇよな?となりゃ、私立と前期日程はパーの可能性が高いわけだ。
 後はせいぜい後期日程・・・ったって、国公立の後期日程の定員って大概10人そこらだろ?よっぽど運が良くなきゃ無理だっての」
「・・・・・・そうですね・・・」

 2人の間に、かつてない程神妙な空気が流れた。
 真冬に受験をする以上、こうなる事も当然予測される。
 あるいは自分達も、来年同じ目に遭うかも知れないのだ。

「・・・卒業式・・・出席出来るんでしょうか・・・」
「・・・判んねぇ・・・」
「微妙ですよね・・・」

 卒業式は3週間後だ。
 病気の具合にも依るが、ギリギリのラインだろう。

「入院先は?」
「M市民病院って言ってた――見舞い、行ったら?」
「え・・・」
「気になってんじゃねぇの、先輩の事?」



 ・・・・・・・・・・・・



「ええええええっ!?」

 悟浄に彼女への気持ちを言ったことはない。というより、誰にも打ち明けたことはない。
 ポーカーフェイスは得意な筈なのに、どうしてバレたんだろうか。

「い、い、いつから・・・」
「んー、お前さん、何かっちゃ先輩の方をチラ見してたし?文化祭終わって引退した途端切なそうにため息つくし?
 ま、敢えて『いつから』かっつったら、たった今なんだけどよ」
「・・・・・・・・・はい?」
「俺は『気になってんじゃねぇの』って言っただけだぜ?普通なら、病状が気になるとか、そう考えると思うけどなぁ」

 や ら れ た・・・!

「この僕に鎌を掛けるなんて、やるじゃありませんか」
「普段のお前さんならな。今のお前さん、余裕無さ過ぎ」
「・・・否定はしません」
「ま、こーゆー状況だし、面会出来るか判んねぇけど、取り敢えず花持って行くぐらいすれば?」
「・・・・・・そうですね」








 病院の周囲に植えられている木々は、青々としていればさぞかし心癒されるのだろうが、木枯らし吹くこの季節は、すっかり葉を落とした寒々しい姿を晒している。
 エントランスまでのあちこちに敷かれている芝生も、今は白茶けて、柔らかさを感じられない。
 悟浄から話を聞いた直後の土曜日、部員から少しずつ集めた金で買った花束(最初は自分だけで買おうとしたのだが、悟浄に止められた。花があんなに高いとは思ってもみなかったのだ)を手に、八戒は病院の面会受付へと歩を進めた。
 最近はセキュリティを重視してか、面会相手の名前と自分の名前の記帳をして初めて病棟への通行の許可がもらえるシステムだ。
 面会バッジを胸につけて、教わった病棟へと向かう。
 だが、病棟のナースセンターで、応対に出た看護師から聞いたのは、『面会不可』の言葉だった。

「今はまだ咳が止まらないのと、衰弱が酷くて、一般の面会は医者(せんせい)からの許可が下りていないの。
 お花だけこちらで預かって、後から届けさせてもらうわね」
「そうですか・・・」

 やはり、センター試験の頃からの無理が祟ったのだろう。
 体調管理も受験生の必須項目と言われるが、余りにもタイミングが悪い。
 少し考えた後、鞄からルーズリーフを取り出すと、短くメッセージを書いた。


『早く良くなって、卒業式には元気な顔を見せて下さい

C部員一同 
(代表 猪八戒)』

 Cはコンピューターの略である。
 それを花束に沿え、看護師に渡した。

「宜しくお願いします」
「はい。確かにお預かり致します。
 学校のお友達?――彼氏さんかしら?」
「え、いえ、クラブの後輩の代表で・・・」
「あぁ、そういえばさん、受験生なのよね。可哀相にね・・・」

 彼女の言う『可哀相』が、今年の受験がほぼ不可能である事に対してか、同学年の友人に見舞いに来てもらえない事に対してかは解らなかった。
 ただ、が今、独りで病魔と闘っている事だけは、紛れもない事実だった――








 あれから半月が過ぎ、八戒の高校では卒業式が執り行われた。
 講堂での式典の後、教室で担任教師からのはなむけの言葉などを聞いた卒業生は、最後に各部室を訪れ、在校部員に見送られるのがこの高校の慣習だ。
 なので、式典の片付けと部活動単位での送別会の準備の両方をしなくてはいけない2年生は結構大変である。
 式典の片付けを終えた八戒達コンピューター部の2年生は、慌しくパソコン室に入って来ると、ホワイトボードに前もって作っていた『卒業おめでとうございます』の文字と寄せ書きの書かれた模造紙を貼り、壁や窓に色紙の輪飾りを掛けた。
 飾り付けが完了し、空き教室から運び込んだ机――パソコン室の机は全てパソコンが固定されているので使えない――をテーブル代わりに、持ち込んだ飲食物を並べる(周囲のパソコンにカバーを掛けておく事を条件に、この日だけ許可されている)。



 ガララッ



 引き戸が開かれ、3年生が入って来た。
 もその中にいたが、その姿を見て2年生達はギョッとした。
 自分達のよく知る顔貌と比べ、相当やつれているのだ。
 以前がどちらかというと可愛らしさを感じさせる丸みを帯びた顔貌だったので、痩せこけたとまではいかないが、元の姿を知っている者からすれば、違和感が強い。
 が、後輩達の心配を余所に、当のは穏やかな表情だ。
 一番近くにいた八戒に、

「はいこれ、お礼」

 と言って紙袋を押し付けた。
 思わず中を覗き込むと、

「これ・・・!」

 中に入っているのは、チョコチップクッキー。
 紙ナプキンを敷いた紙箱に詰められている。

「お見舞いのお花、有り難う。治ってから作ったし、直接手を触れてはいないから、安心して食べて。ラッピングもしなかったけど、皆で平等にね。
 ま、10日遅れのバレンタインってとこ?」
「先輩・・・」

 そういえば、去年も学年末考査前に差し入れ代わりにクッキーを作ってきてくれたのだ。
 その時はまだ、自分の気持ちを自覚はしていなかったが。
 このクッキーも『後輩達全員』宛の物であり、『自分』宛の物ではないというのが、解ってはいるが少し哀しかった。
 もし、今、自分からアプローチすれば、彼女は自分の方を向いてくれるだろうか?
 と、その時、八戒の傍にいた悟浄が辺りを見廻しながら言った。

「そーいや、三蔵先輩の姿が見えないんスけど、まだHR終わってないんスか?」

 それを聞いたの表情が、それまでと一転して厳しいものになった。
 というか、殺気を放っている。

「ど、どうしたんですか先輩」

 八戒すら思わずどもってしまう豹変振りだ。

「あいつなら半年前にイギリスの学校へ転入したわ。お父様の事業の関係とかでね。
 大学も向こうで受けるとかで、それに間に合わせるためにですって」
「あぁ、欧米は秋に新学年開始が多いですからね」
「それだけじゃないわ。日本人があっちの大学に行こうと思っても、日本の高校の成績や推薦はまず見向きもされないから、一時的な語学留学でない入学であれば、向こうのハイスクールに入る方がスムースなんですって。
 ――で、どうもお父様の出身の大学に行くつもりらしいわ」
「へー、どこッスか?」
「オックスフォード」



「(全員)はい!!?」



「私の伯父が、あいつのお父様の会社の経営コンサルタントをしていて、昔から仲良いそうなの。
 今回の事も、そのお父様がイギリスに発つ直前に伯父にした話を、私にしてきたのよ。
 お陰で私は肩身が狭いったらありゃしないわ。向こうの坊ちゃんがあんなに優秀なのに、お前は体調管理一つ出来ないのかって」
「先輩・・・」

 の様子は、どことなく嫉妬めいたものがある。
 自分達が入部して間もない頃、悟浄がやけにざっくばらんに話す2人の関係を聞いた時、『5年間同じ塾の同じクラスで殆ど腐れ縁』と答えていた。
 そして同じ高校で同じクラブに所属したのだから、恐らくは最もお互いを理解し合っているのだろう。
 その図式が壊れた事に腹を立てているのだとすれば、

「彼氏に何の相談も受けずに海外逃亡されたってカンジか?」
「ていうか2人の仲って、親や親戚公認?」

 背後で囁きあう同輩達の台詞が、八戒の心に深く突き刺さる。

「戻って来る予定はないんですか?大学を卒業したら・・・」
「そこまでは判らないわ。何せ御曹司様だから、ある程度の段階で会社を継ぐために戻って来るんでしょうけど、それがいつになるかまではね。
 オックスフォードに行くのだって、日本の大学で経済を学ぶより、よっぽど本格的なんでしょう・・・あーもうっ、考えるだけで腹が立つわっ」
「一流大学に一流企業の社長跡継ぎ・・・絵に描いたようなエリートだよな。何か俺達とは格が違うっての?
 そこまでご立派だと、羨む気にもなんねぇぜ」

 悟浄の言葉に、周囲の生徒達もうなずく。
 唯一人を除いては。

「格が違う・・・ですか」
「あん?何か言ったか八戒?」
「いえ何も。まあここに来られない人の事は置いといて、折角色々用意したんですから食べて下さい」
「いただきまーす♪・・・って誰よビーフジャーキーにスルメイカ持って来てんの」
「「「(複数の部員)うぃーっす♪」」」
「・・・何やってんですか貴方がた」
「・・・飲むのは私が出てってからにしてね」

 呆れたような口調で、けれど穏やかに笑う
 今日この日を境に、顔を合わせる機会は無くなってしまう。

 ――諦めよう。自分の為にも――彼女の為にも、今度こそ。

 そう自分に言い聞かせ、話の輪に入っていく。
 笑顔を表面に貼り付けながら飲むジュースは、なぜか酷く苦かった。
 猪 八戒17歳。
 噂が噂でしかなかった事を知るまで、あと4年半――








―了―
あとがき

前半部分、半・実話(滝涙)。
えぇえぇ、学生たるもの、試験の際の体調管理は大事ですよね。
でも家族全員に風邪引かれたら残った人間が世話するしかないじゃないですか。
で、その看病した人間が最後に伝染って肺炎起こすってどーなの(恩を仇で返されたと今でも思ってる)。
縁起の悪い話なので、取り敢えずセンターと前期日程が終わるのを待ってupしました。
受験生のお嬢さん方が見ていませんよーに。
ちなみに、この時のクッキーの件が、本編で話していたV.D.の話です。



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