メビウスの輪=裏も表も判らない、切っても切れないトポロジーの1種







 「映画鑑賞会?」

 昼下がりのアイビーグループ本社ビル社員食堂。
 遅い昼食のため完売してしまった定食を諦め、きつねうどんと筑前煮を食べる八戒に、悟浄が近付いて言った。
 曰く、八戒が好きな監督作品の映画の鑑賞会が、都内の図書館で行われるという。

「おうよ。これがその広告チラシ。俺っちの地域限定で配られていたみたいだな。
 確かお前さん、この日休みだろ?」

 カラーコピーらしい手作り感溢れるそのチラシには、確かに悟浄の住む地域――といっても学生時代は自分も居候していたのだが――の図書館の名が書かれていた。
 日時は来週の土曜日だ。

「まあ確かにシフトでは休みですね。
 呼び出しを受ける可能性はいつでもありますが」

 いつ電話があるかも知れないと思うと、携帯の電源を切るのに躊躇してしまうのが、役職に就く者の哀しい性だ。
 当然、映画館のような場所には行き辛い。

「でかい映画館じゃねぇんだから、マナーでいいんじゃね?」
「マナーモードでも、バイブの音って気になるんですよ」
「じゃあ一旦電源切って、後から入れ直しゃいいじゃん。
 てかお前さん、仕事の事気にし過ぎ」
「あはは、否定は出来ませんね」

 とはいえ、映画も図書館も、自分にとってはとても魅力的なものだ。
 素直に礼を言うと、八戒は有難くチラシを受け取った。








 夏休み真っ只中のこの季節、皆旅行だの帰省だので、さぞ図書館は閑散としているかと思ったが、来てみるとかなりの人で賑わっていた――といっても皆無言なのだが。
 映画は14時かららしいが、少し早めに来て本を読む事にした八戒は、ひとしきり本棚を見回すと気に入った本を手に取り、近くのソファに腰掛けた。
 本の内容に夢中になり、気が付けば1冊の本の8割近くまで読み進めていたその時、



 キイィ・・・キイィ・・・



 キャスターのきしむ音に、ふと横を見ると、図書館の職員が返却済みの本を本棚に戻す作業をしている。
 慣れた手つきで数冊ずつ本を戻すその横顔に、薄っすらとだが覚えがあった。
 人当たりは良いものの、人と深く関わり合うことを苦手とする性分から、縁さえ切れれば人の顔などさっさと忘れてしまう方だ。
 それでも記憶に留まっているこの顔は――

「・・・・・・?」
「え?」

 利用者から名を呼ばれるとは思っていなかったと見え、声の出所を探ろうとキョロキョロ辺りを見回している。

「ここ、ここ。僕ですよ」
「――悟能!?え、嘘、本当に悟能なの?」

 場所が場所なだけに大声は出さないが、驚いた声音を隠せないようだ。
 ―― 
 悟能や花喃と同じ孤児院に預けられた子供で、特に花喃と親しかったので、他人への興味が薄かった悟能も、彼女の事はよく知っていた。
 年齢は確か1つ上なのだが、常にオドオドして周囲の眼を気にしているような子供で、活発な性格の花喃の方が年上に見えるような組み合わせだった(背丈も花喃の方が高かった)。
 どちらかというと外で遊ぶよりは図書室に入り浸る辺りなど、悟能と似ていたかも知れない。

「何年振りかしら・・・この辺りに住んでるの?」
「いえ、今はもっと南の方に。この地域に住む友人からこのチラシを受け取って、見に来たんです」

 そう言って、映画鑑賞会のチラシを見せる。

「・・・そう・・・」
「学生時代も友人の家からこの図書館に来た事がありますけど、その時には貴女ここにはいませんでしたよね?」
「そりゃ、貴方が学生なら私だって学生じゃない」
「あ、そうですよね」

 照れたように苦笑する八戒を、は驚いたように見つめた。

「・・・何ていうか、悟能、変わったわね」
「・・・10年以上経って何も変わってない方が不気味ですよ」
「うーん、違うの。どちらかというとあの頃の悟能、枯れた年寄りみたいだったもの。それも頑固爺ィって感じの。
 今の方が余っ程若々しいわ」
「・・・貴女僕の事そういう風に見てたんですか」
「事実そうだったじゃない。貴方の口から『友人』なんて単語が出るとは思わなかったわ。
 貴方がまともに会話をする相手なんて、花喃ぐらい――あっ」
「!・・・・・・」

 しまった、というの顔つきに、八戒は表情を強張らせる。
 つまり、は花喃の死を知っているという事か。

「ごめんなさい――」
・・・知ってたんですね、花喃の事・・・」
「高校入試が終わった後で、院長に呼び出されたわ。
 院長宛てに手紙が届いていて、そこに貴方達の事が書かれていた・・・半分は法律とか難しい言葉で、あの頃の私にはちんぷんかんぷんだったけど、流石に花喃が死んだ事は解ったわ。
 そして貴方が、施設と永久に連絡を絶つということも・・・」
「・・・・・・」

 八戒――当時の悟能――の里親と、花喃の里親である企業社長兄弟は、その実は花喃を人質にしながら、悟能の頭脳とプログラミングの腕を自分達の裏稼業に利用していた。
 彼らに架せられていた鎖を外したのは、悟能のハッキング先をガードしていた三蔵。
 三蔵は、悟能が自分の側に付く事を条件に、行政のコンピューターをハッキングして悟能と花喃の養子縁組を解いた上、社長達の所業を警察にタレこみ、両者の会社の一斉捜索に繋げた。
 その騒ぎに乗じて、悟能は自分と花喃を利用した社長兄弟を殺害したのだ。
 その後、三蔵は悟能の戸籍を書き換え、『猪 悟能』はこの世から消滅した。
 だが、流石に悟能達が預けられていた孤児院に対しては、フォローが必要だと考えたのだろう。
 この騒動の発端が悟能達であるという事に気付かれないためにも、孤児院が悟能達について詮索する事を、先回りして封じたと考えられる。

「案外、マメな方なんですよねぇ・・・」
「え?」
「いえ、こっちの事です。
 そうですね・・・、貴女にはある程度話した方がいいでしょうね。
 仕事、いつ終わりますか?」
「今日は早番だから、5時半には帰れるわ」
「その後の予定は?」
「ううん、特には」
「では、夕食がてら、話をしましょう。
 5時半に、正面玄関で待っているので・・・」
「・・・・・・分かったわ」

 そこでは仕事の続きに取り掛かり、八戒は本来の目的である映画鑑賞会のために集会室へと足を運んだ。
 だが、好きで見に来た鑑賞会なのにも拘らず、肝心の映画の内容は殆ど頭に入らず、意識は遠い過去へと記憶を辿っていた――






 当時、自分が双子の姉である花喃と共に入っていた孤児院は、様々な事情で親と別れなければならなかった子供達が50人程収容されており、共同生活を営んでいた。
 は、自分達より半年遅れて入所した少女だ。
 このような施設に入る子供は皆重苦しい事情を抱えているため、入所間もない頃は怯えたり周囲を警戒したり、自分の殻に閉じこもってしまうなど、様々な問題が生じる。
 その中でも、特にの様子は異質だった。
 入所して幾年も経てば、そこは子供特有の順応性が発揮されてある程度は緊張が解れるものだが、3年経っても5年経っても、何処か張り詰めた空気を漂わせている感があった。
 それだけではない、子供なら何かにつけて言う『〜がしたい』『〜が欲しい』という台詞を、不自然なまでに全く口にしないのだ。
 遊具で遊ぶ順番も、菓子をもらう順番も、我先にと押し合う子供達の後ろでひっそりと立っている。
 時と場合に依っては、結局順番が廻らずじまいな事もあるが、それでも何も言わない。
 そんなを、花喃は見ていて歯痒かったのだろう、の分の菓子を受け取って渡したり、遊具の順番をの為にとってやったりしているうちに、いつしか2人は一緒に行動するようになったのである。
 自分にとって唯一心を許せる存在であった花喃が、他人の事を気遣ったり世話を焼いたりしているのは、見ていていい気分がしなかった。
 元々花喃とは対照的に他人との関わり合いを極端に嫌う性格だったが、に対しては特に意図的に避けていたように記憶している。
 だが、彼女を嫌悪していたわけではない。
 図書室・図書館の常連としてよく顔を突き合わせていたし、その知識の深さは、それなりに一目置いていた。
 また、基督(キリスト)教系の孤児院にいながら、神の存在を端から信じようとしない辺りも、周りの子供達とは一線を画していた。
 ――そう。彼女は、ある意味自分と同じ人種なのだ。
 今なら解るその事実も、流石に小学生の頭で解る筈もなく、
 花喃の斜め後ろを指定席にしている彼女に嫉妬の感情だけを意識したまま、中学になって持ち掛けられた養子縁組を承諾し、別れの言葉一つ無く施設を後にしたのだった――






 ふと気がつけば、映画は既にスタッフロールに入り、映画の内容にしか興味のない観客は、帰り支度を始めている。
 これじゃあ何の為に足を運んだのやら。
 苦笑交じりに立ち上がり、時計を見る。
 映画館と違って余計な宣伝広告は無いから、まだ17時を回ったところだ。
 再び閲覧室に戻った八戒は、軽い物2、3冊にざっと目を通した後、約束の場所である正面玄関へと足を向けた。
 仕事を終えたが通用口から姿を現したのは、その5分後。

「ごめんなさい、待たせたかな・・・?」

 相変わらず控えめな所作だが、気遣うように見上げるその眼に、昔ほどの怯えの色は無い。
 やはり、ある程度の歳月が、少しずつ彼女の孤独感を薄めてくれたのだろう。

「いいえ。僕も今来たとこなので。
 は・・・車ですか?」
「・・・ううん、車は乗れないの。自転車よ」
「家は、この近くに?」
「市の職員寮に入ってるの。駅だと一つ隣、自転車で10分程度よ」
「じゃあまずは駐輪場ですね。あと、食事は・・・」
「ここと寮の間に、ファミレスがあるわ。クーポンもあるし。
 ――本当は、家で作る方が安上がりなんだけど」
「ぶっ・・・あははははっ」

 その台詞には、八戒も腹を抱えて笑った。
 そういえば、孤児院で食事の買出しに行く時も、入念にチラシをチェックし、女子の中で一番の節約・倹約家だった。

「・・・貴方に爆笑される日が来るなんて、思ってもみなかったわ」
「す、すみません・・・でも、変わってませんねぇ、
「貴方は『何も変わってない方が不気味』って言ったけど、根本的な部分って、案外変わらないものだと私は思うの」
「まあ、それはそうですね」

 昔は気配で、今は作った笑みで。
 必要以上に他人に踏み込ませない壁を作るのは、あの頃も今も変わっていない。
 でも、の前では、素の自分を出せる。
 悟浄や三蔵、悟空の前でも割と素でいられるが、やはりあの偏屈だった幼少時を知っている人間には敵わない。

「じゃ、行きますか」
「うん」

 まずは、駐輪場へ。
 と、丁度そこから自転車を押して出て来た女性が、に眼を留めた。

「あらさん、お疲れ様」
「あ、お疲れ様です」

 会話から察するに、職場の先輩らしい。

「その人、彼氏?すっごく格好イイじゃない。これからデート?
 さん、付き合ってる人がいるなんて知らなかったわァ」
「え」
「いえあのこの人はそのえっとそーゆーのでわなくあのっ!!」
「あーはいはい。言い訳はまた今度聞いたげるから。
 じゃ、お疲れ様〜っ」

 そう言って、自転車にまたがると、さっさと行ってしまった。
 後に残されたのは、目を丸くしたまま固まった八戒と、

「あうぅ・・・」

 頭から湯気でも出そうなほど、顔を真っ赤にした


「な、何よっ!?」

 過剰な反応に、苦笑を抑えられない。

「ずっとここに立ちっぱなしもナンですから、行きましょうか、『デート』に」
「!!!っ」

 今度こそ、茹でダコのようになったは、逃げるようにして自分の自転車を取りに走って行ってしまい、
 そんなの様子に、またも腹を抱えて笑う八戒だった――








 安さとメニューのバラエティが売りのファミレス。
 目立たない隅の方に席を取り、オーダーを済ませると、八戒はに、花喃の死の経緯を伝えた。
 流石に花喃の身に起こった事については、口にする事は憚られたが、自分達が悪賢い大人達に利用された事、そして自分を解放するために花喃が自ら死を選んだ事を、かいつまんで聞かせたのだ。
 自分の過去の過ちについて話すのは、かなりの勇気が必要だったが、彼女にとって唯一の親友の死の真相を、今日まで伝えなかった事を考えれば、ある意味自業自得だ。
 それに、いつまでも『悟能』と呼ばれるわけにもいかない。

「自・・・殺・・・・・・」

 彼女の死については知らされていても、その原因までは知らされなかったのだろう。
 先のの話では、三蔵は『悟能』の足取りを完全に消し去るため、本当に必要最低限の内容しか孤児院に伝えていなかったようだ。

「幸い、その際僕に力を貸してくれる人達がいて、重症の僕と息絶えた彼女を彼女の養父の家から運び出してくれたんです。孤児院に手紙を送ったのも、恐らくその人でしょう。
 彼女の犠牲と、その人達のお陰で、僕は八戒と改名し、真っ当な人生を送ることが出来ています・・・」
「・・・そう・・・」
「すみません・・・本当なら、貴女にだけはきちんと話すべきでした。
 新しい人生を送ろうと、殊更に『悟能』の記憶を遠くに追いやろうとして、ただ逃げていて・・・結局、自分の事しか考えてなかったんです・・・」
「・・・そんなに自分を責めなくていいわ。それに、今日、話してくれて良かった。
 貴方だって、自分のせいで花喃が自殺したって考えたら、凄く辛かったでしょう?」
「・・・優しいんですね、・・・」
「バッ・・・!バカ言わないでよ。それに、やっぱりそれなりにショックはショックなんだからね?」
「・・・すみません・・・」

 丁度そこに注文した料理が運ばれ(その時初めて、食事前にする話ではなかったと八戒は反省した)、暫く2人は無言で食事を進めた。
 食後のコーヒーに口を付けたところで、唐突にため息をつきながら、が口を開いた。

「・・・初恋が叶わないって、本当ね」
「・・・・・・・・・はい?」

 その言葉に、八戒はこれまでと交わした会話を辿るが、彼女の初恋とやらに繋がりそうな会話などしていない、筈。

「私にとってはね、この世で一番頼れる、王子様みたいな存在だったの。
 でも、私がそれを自覚したのと同時に、貴方達がお互いを想ってる事も、気付いちゃったわ」
「・・・・・・、貴女・・・」
「でもまさか、貴方の為に死ぬとは思わなかった・・・正直、それが一番ショックだわ。
 いつも一番近くにいられた筈の私が、貴方に負けちゃうなんてね・・・」

 はぁ、とため息をつく様子は、まさに失恋した女性のそれだ。
 その様子をまじまじと見つめていた八戒は、俄に彼女の言葉の意味を理解した。

の初恋って、か、花喃ですか!?」
「一生誰にも言わずに、お墓まで持って行くつもりだったんだけどね。
 いーじゃない。双子で好き合ってた貴方達だって大概なんだから」
「それを言われるとイタいんですが・・・っていいますか貴女、ショックって、まさか・・・」

 自殺した事自体が、ではなく、つまり、

「さっきも言ったでしょう、花喃が、『貴方の為に』死んだというのが、ショックなの。
 要するに、それだけ想いが強いってことじゃない。
 幾ら貴方達が好き合っていたといっても、そういう関係になる事が不可能なら、きっと花喃が結婚する事はないだろうから、いつか私が自立したら花喃とルームシェアしたいな、なんて考えてたんだからね?」
・・・あの頃にそんな事まで考えてたんですか・・・」

 というか、花喃がそこまで想われていたとは。
 言われてみれば、自己主張が出来ずに常にオドオドしているを、時に慰めたり、時に力付けたりしていた花喃は、まさに頼れる王子様といえる。
 多分、あのまま成長していたら、後輩辺りからバレンタインにチョコレートをどっさり送られてしまいそうだ。

 花喃、僕の為に死んでくれて有難う・・・!

 初めて本気で、花喃の死を肯定的に受け止められた八戒であった。
 そして、目の前の幼馴染みを、このままにしておけないとも――

「――それじゃ、初恋が破れたところで、吹っ切っちゃって次の恋、しませんか?」
「・・・はい?」
「初恋がインモラルだった者同士、ごく普通の男女で、ごく普通の恋をして、何ならごく普通の結婚をするのも前提に」
「・・・言っとくけど私は魔女じゃないからね。ってゆーか、非常識人生のカミングアウトから始まる恋って、どう考えても普通じゃないと思うんだけど」
「あはははは、まあ否定は出来ませんね。
 ――で、、返事は?」
「〜〜〜〜〜〜っ、本っ当、貴方って昔から自分の方が優位って感じ丸出しで、ヤな人!
 まぁでも、もう花喃もいないし、他に好きになれそうな人もいないし、仕方ないから受けてあげるわよ、その申し出。感謝してよね」
・・・貴女ツンデレタイプだったんですか・・・」

 席に着く前は単なる幼馴染が、席を立つ時には恋人同士。
 レストランを出ると、ようやく瞬き始めた一番星が、奇妙な巡り合わせを果たした2人をそっと祝福していた――








―了―
あとがき

『Celestial sound and Spiritual melody』設定の八戒ドリ。なので本編をお読みいただいた方が、話がスムーズに解ると思うのですが、オリキャラがどうしても受け入れられない方もおられるかと思うので、極力詳細を盛り込んでみました。
それはいいのですが、ここで問題が。
ヒロイン百合疑惑発生!?(むしろ香月がか?)
つーかホント好きです花喃姉様(堂々宣言)。
このヒロインの孤児院時代の設定はかなり色々考えているのですが、余り盛り込み過ぎると本筋がブレてしまうので、仕方なく割愛。でもこの話のサイドストーリーを書く際には、改めて書き入れたいです。
題名は『メビウスの輪』。この2人の捻くれ具合を示しています。



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