ピッ・・・ピッ・・・ピッ・・・ 「全部で7点ですね。10月8日までにご返却願います。 ――次の方どうぞ」 「あ゛ー・・・どうしよう・・・」 市立図書館司書の は、色とりどりの厚紙を前に、誰にともなくぼやいた。 仕事に行き詰っているわけではない。悩みの種は別のところにある。 「ほーらほらほら、考え事は構わないけど、手はちゃんと動かして。 何、彼氏と喧嘩でもした?」 茶化すように話し掛けながらも、ハサミを器用に動かす先輩格の女性の言葉に、は口を尖らせて反論する。 「そんなんじゃありませんよ。・・・そんなに立場強くないですし。まあ弱くもないですけど」 『そんなんじゃありませんよ』以外の言葉がぼそぼそと小さくなるのは、未だにその手の話をするのが苦手だからだ。 今時、付き合う=カラダの関係へとなだれ込むケースだって珍しくないのに、この後輩ときたら、どんだけ初心なのか。 目当ての形に切り出した厚紙同士を糊で貼り付けながら、先輩女性はやれやれとため息をつく。 数年前に交際を始めたらしいこの後輩は、その後も時々会っては食事やウインドウショッピングなど、親の世代もビックリの清く正しくなお付き合いを続けているようで、 彼女の話からすると(嘘やごまかしが出来ないのも彼女の特徴だ)養護施設で一緒だった幼馴染らしいので、あまり早急にコトを進める気にはなれないのかも知れないが、 ・・・まさか不感症、なんてワケじゃないわよね。 出来上がった厚紙製のジャック=オ=ランタンを目の高さに上げながら、先輩女性は苦笑一つ洩らした。 くしゅっ 暮れなずむ町の交差点に、八戒のくしゃみが響いた。 「風邪・・・?」 気温の変化には気を付けていた筈なんですが、と首を捻ったその矢先、 けたたましいクラクションとブレーキ音、アスファルトをタイヤが横滑りする音が交差する。 何事かと音のする方角を向いたのとほぼ同時に身体に強い衝撃が走りそこで八戒の意識は暗転した―― 「あっ!」 鉛筆で書いた下書きに沿ってハサミで切り、厚紙の蔦を作っていたら、何かに引っ張られた拍子に途中の部分が切れてしまった。 「大丈夫だって、台紙に貼っちゃえば判らない判らない」 「うぅ・・・細かい作業は嫌いじゃないんですけど・・・」 問題は、極端に不器用なこと。 ハサミを使えば大事な部分まで切断してしまったり、糊を使えば予定と違う場所に貼ってしまったり、それを剥がそうとして紙を破ってしまったり、 そのため、図工などでは同じ課題に、他人の倍以上の時間を費やしたものだ。 と、 trrrr・・・trrrr・・・ 電話が鳴り、目の前に座っている先輩女性の方が受話器を取った。 「はい、市立N図書館です。 ・・・はい・・・はい、おりますが・・・・・・はい。お繋ぎ致しますので少々お待ち下さいませ」 保留ボタンを押して受話器を置くと、に向かって、 「彼氏さんの同僚だっていう方から電話なんだけど・・・」 「・・・私に、ですか?」 八戒の勤め先については、も一応知っている。 そこの同僚であり友人である人物がこの地区に住んでおり、八戒が自分と会う日の夜はその同僚宅に泊まるという事も。 その同僚という人物が、電話を掛けてきたのだろうか? 首を傾げながら、受話器を取って保留を解除する。 「お電話代わりました、です」 『お宅がさん?俺、八戒の同僚の沙悟浄っていうんスけど』 「・・・はい」 『八戒の奴、夕方バイクの横転事故に巻き込まれて・・・今手術中なんスよ・・・』 「・・・・・・!」 長い電話(裏付けの為、悟浄自身の個人情報も確認された。流石八戒の彼女だ)を終えて携帯電話使用許可スペースから戻って来ると、丁度手術室のドアが開き、八戒を乗せたストレッチャーが運び出されてきたところだった。 部分麻酔だったようで、悟浄が顔を覗き込むと、存外しっかりとした視線で返された。 「・・・ご迷惑を、お掛けしました」 「バーカ、迷惑じゃねーよ。こういう時はな、『心配を掛けた』ってゆーの」 茶化すような言葉を掛ければ、困ったような苦笑が返ってきた。 「・・・えーと・・・」 「ストップ。色々聞きてぇ事とかあるだろうけど、取り敢えず今は大人しく寝とけ。いいな?」 「はぁ」 そこで看護師に目配せして、入院病棟へと運ばれるのを見送る。 そして診察室で、怪我の様子などの説明を医師から聞いた。 横転したバイクが直撃した左半身は、手足や肋骨の骨にひびが入るなど重症ではあったが、幸いにして内臓に損傷はなく、1ヶ月程で退院出来そうだということだ。 「それから、ご家族の方には連絡がつきましたか?」 「あー・・・あいつ、家族はいないんスよ。 彼女には連絡したんで、もう少ししたらここに来ると思います」 「そうですか・・・それでは、入院のしおりを貴方にお預けしておきますので、その方がいらしたらお渡し願えますか?」 「あ、ハイ」 「それでは、お困りな事があれば、病室がある階の詰め所で看護師に聞いて下さい――」 その頃は、病院の最寄り駅に到着したところだった。 その顔から血の気は失せ、全身が小刻みに震えている。 ドクドクと激しく脈打つ音が、耳元で煩いくらいに聞こえていた。 それでも、ここで立ち尽くしているわけにはいかない。 「T市民病院行き・・・3番乗り場・・・」 (T駅からバスに乗れば、病院の正面玄関前まで入って来るから、迷うことはないと思うんスよ) 駅からバスで15分の距離。 流石に歩いて行ける場所ではないし、そんな時間もない。 彼の元へ急ぐため、震える膝に叱咤するように、は目指すバス停へと足を向けた―― 3人分の靴音(皆結構な長身揃いなので、靴音もそれなりに大きい)が聞こえたかと思うと、病室に入ってきたのは、 「あいつが数ヶ月現場に戻れないとなると、穴埋めはどうすんのさ?」 「一応、奴の部下に仕事を回すよう指示は出しておいた。期待はしていないがな」 「あいつの仕事は1人で肩代わりするにはキツいぜ?取り敢えずホテル部門に関しては部署全体でカバーするとして、お宅のスケジュール管理は自分でやんな」 「チッ・・・おい金蝉、奴が休職することで 「それは・・・」 「・・・会長、病室ですよ?会話の内容を選んで下さい」 「・・・起きてたのか」 「生憎と、全身麻酔ではなかったもので。 首から下はまだ動かせませんが、耳も口も機能します。 ――あぁ金蝉さん、ご足労いただきすいませんでした」 「アイビーグループの顧問弁護士である以上、これも仕事のうちだ」 「お前さんにぶつかったバイクの運転手も命に別状はなし。警察は現場検証を終えて撤収済み。 お前さんは歩行者、向こうはバイクだから、100%向こう側の責任になる。OK?」 「医者が言うには全治3ヶ月、入院は1ヶ月。その間君は職に従事することが出来ないわけだから、それに伴う収入の減少を、相手側に請求することが出来る。 詳しい事は追って説明するので、君は何も心配せず養生するといい」 「解りました金蝉さん。それと悟浄・・・」 「ん?」 「この事は・・・あの、彼女には・・・」 「おー、看護師さんから家族に連絡してくれって頼まれたから、家族の代わりとして電話を――・・・」 「言ったんですか、事故の事!?」 今までに見たこともないほどの八戒の焦った様子に、悟浄はうろたえた。 「や、だってお前さん左腕骨折、肋骨やら足やら4箇所にひび入って1ヶ月入院なんだぜ?着替えの準備とか、多少の世話は・・・」 「そんなのどうとだってなります!は、彼女は・・・!」 「八戒君、落ち着くんだ。時と場所を考えず大声を出すとは、君らしくもない」 「・・・すみません、金蝉さん・・・ ――悟浄、三蔵、頼みがあるんです。聞いていただけませんか?」 「「・・・・・・?」」 (もうすぐ、もう少しで着くから、それまでは・・・) バスの手すりを握る手に、力がこもる。 背筋を悪寒が走り、貧血を起こしかけていると判る。 15分が、果てしなく長く感じられる。 「大丈夫かいお姉さん?顔が真っ青だよ?」 余程青褪めて見えるのだろう、隣の席の老女がに声を掛けた。 「・・・大丈夫です・・・ちょっと酔っただけで・・・次で降りますし・・・」 老女に言った内容は、後ろ半分は事実だが、前半分は真っ赤な嘘だ。 だが、の言葉を真に受けた老女は、「吐きそうなら袋あげるからね」と労わりの声を掛けて、それ以上は何も言わなかった。 やがて悟浄がに教えた通り、バスは市民病院の敷地に入り、ロータリーを回って正面玄関の前に横付けした。 【T市民病院、T市民病院です。小銭をお持ちでない方は・・・】 機械のアナウンスが流れる中、はふらつく足を動かして降車口へと急いだ。 ――つもりだった。 「おいあんた、大丈夫か!?おい!!」 声を張り上げているのは運転手だろうか。1mと離れていないだろうに、やけに声が遠い。 周りの人の顔や天井の位置もはるか上の方にあり、まるで小人にでもなったかのようだ。 周囲の物の位置が高くなったのではなく、の頭の位置が低くなったという事実に気が付かないまま、 の意識は、そこでぷつりと途切れた―― |
恐らく当館の作品中最も需要のなさそうなこのシリーズですが、香月の中では結構重要なんです。 何故かといいますと、ここのヒロインの恋愛に対する姿勢が一番自分に近いから(笑)。 残念ながら恋愛経験ゼロなので、実証は難しいですが。 ちょっと長くなってしまったので、2つに分けます。ヒロインの抱える心の傷も、そこで明らかになる予定。 |
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