市の職員寮に戻ったは、テーブルの上に置いたエコバッグから、買ってきた品物を出した。
食料や飲料、ストック用のレトルト食品とは別に、普段は殆ど購入することのない製菓用チョコや生クリーム、ラム酒のミニボトル、ココアパウダーがテーブルに並べられる。
今必要な物以外を冷蔵庫などにしまい込むと、は自分に気合を入れるかのように呟いた。
「・・・よし!」
まずはチョコレートをひたすら刻む。
2月の気温は、チョコを刻むという点に於いては少し低過ぎる。
エアコンのない台所で唯一の暖房器具である小さなファンヒーターを点けても、チョコの塊は木材のように硬いままで、全てを細かくするのは骨の折れる作業だ。
それでも包丁に体重をかけるようにして、塊の端から削ぐように、少しずつ刻んでいく。
包丁の背に当てる左手も、柄に体重を込める右手も、痛くて仕方ないが、ここは我慢。
どうにかこうにか全てのチョコを刻み終えれば、ごく少量を飾り用に取り分け、残りを耐熱性のボールに入れておく。
次は生クリーム。
小鍋に入れて、弱火にかける。
火力を強くすれば早く温まるだろうが、それではクリームの成分に過剰に熱が入り、焦げたり風味が悪くなったりする。
なので時間が掛かっても、小さな火で鍋の中身をかき回し、鍋底にクリームがこびりつかないようにしなくてはならない。
大した量ではないので、程なくして表面から湯気が立ち、鍋肌に触れているクリームがふつふつと細かく泡立ってくる。
本格的に沸騰させてしまうとやはりクリームが変質して台無しになるので、すぐさま火から降ろし、刻みチョコの入ったボールへ一気に注ぎ込む。
空いた小鍋に今度はカップ一杯程度の牛乳を入れるが、これが必要になるのはもっと後なので、蓋をした状態で、邪魔にならない場所に置いておく。
今大事なのは、生クリームを注いだチョコの方だ。
クリームの熱で柔らかくなり始めているチョコは、暖かいうちにきちんと混ぜないと、均一にならず、分離することがあるので、ゴムベラで丁寧に掻き混ぜる。
ちゃぷちゃぷという液体の立てる音がしなくなり、生クリームの白とチョコの焦げ茶が、混ざり合って艶やかなセピア色になってきたところで、ラム酒を入れ、更に混ぜる。
普段殆ど酒を飲まない自分にとっては少し酔いそうな香りだが、相手は酒に強いようなので、どうということはないだろう。
全てが混ざりきったら、空き箱にアルミホイルとラップを重ねて敷いたところに流し込んで、冷蔵庫に入れる。
ボールに僅かに残ったガナッシュは当然油脂製なので、べったり残っていると洗いにくい。
なので、ここで先程小鍋に入れた牛乳が出てくる。
沸騰する一歩手前まで暖めたそれを、ガナッシュのこびりついたボールに注ぎ入れ、静かに掻き混ぜる。
こうする事で、器具に付いたガナッシュは大部分が牛乳と混ざり、ホットチョコレートの完成。
器具の方も洗いやすくなるので、一石二鳥だ。
ホットチョコレートを飲みながら本を読んでいるうちにある程度時間が経ち、型に流したガナッシュが固まれば、一旦取り出して一口サイズにカットしていく。
切り分けたもののうち半分に、初めに取っておいた刻みチョコを乗せ、残りはココアパウダーをまんべんなく振り掛けた。
出来上がった物を、ギフトボックスに入れ、外側にリボンを巻きつける。
今は、紙箱とリボン、カードといったギフト包装一式が、使い切りセットで売られているのだから、便利な世の中だ。
ラッピングした箱を、適当な大きさの紙袋に入れれば、
「・・・・・・完成」
――ではない。
ギフト包装セットに残された、小さな二つ折りのカード。
表には、美しい書体で短い英文が印字されているが、中身が白紙のカードを入れても仕方がない。
「う゛〜〜〜〜〜〜〜〜;」
普段、八戒とが会うのは月に1・2回、日曜の夕方以降だ。
図書館に勤めるは基本的に月曜が休みになるし、ホテルオーナーの秘書である八戒も、週末や祝日よりは休みが取りやすい。
なので、それぞれ日曜の勤務を済ませてから、八戒がの勤務先に出向くのがパターンとなっている。
ちなみに日曜の夜は食事を取るだけで、八戒は悟浄の家を宿代わりに一晩過ごし、月曜に改めてと落ち合い、一日を過ごす。
だが、今回は違った。
「すみません、こっちの都合に合わせてもらっちゃって・・・」
「いいわよ。イベント時はしょうがないもの」
アイビーグループ会長秘書にして、ホテル部門責任者でもある八戒は、イベント時は仕事が一気に増えるので、そういう時はも心得ているので、デートは先延ばしになる。
そういうわけで、バレンタインデーを過ぎて最初のの休みに合わせ、2人は駅前で落ち合ったのだ。
通常なら交際を始めてから半年、片時も離れたくないと思うようなアツアツの期間を、自分の都合で会う回数が少なくなることに、八戒は罪悪感を拭いきれないでいた。
――といっても、自身は針の先ほども気にしておらず、『外食の回数が減らせてラッキー』などと、本人が聞けば滂沱の涙を流しそうな事を考えているのだが。
「でね、一応・・・これ」
言いながら、小さな紙袋を差し出す。
「あ、もしかして・・・」
受け取って覗いてみると、菓子メーカーの包装は趣の異なる、シンプルにリボンを掛けただけの紙箱。
とはいえ、リボンはカールがかかり、紙箱もちりめん和紙のような質感で、センスの良いものだ。
「手作り、ですか?」
嬉しさを抑えきれないというような笑顔で尋ねれば、
「い、一流メーカーのお菓子が手に入る環境の相手にチョコを贈るのって、かなり気を遣うのよ?
下手な物を買って贈るよりは、手作りした方が恥をかかなくて済むものっ」
口を尖らせた横顔がほんの少し赤いのは、多分寒さのせいだけではない筈だ。
口調は刺々しいが、裏を返せば、それだけ頭を悩ませたのだろう。
ホテル部門の責任者という立場上、スイーツショップで売られている菓子の種類も単価も、大雑把だが頭に入っている。
取引のあるメーカーなら値段がバレてしまうし、ないメーカーなら少しばかり気まずい。
自分と再会するまでは恐らくこの業界とほぼ無縁であっただろうが、それでも彼女なりに考えていてくれた事が、八戒には何より嬉しかった。
――と、
「あ・・・これ・・・」
箱を取り出そうとして手を入れた時、リボンの陰に隠れていたカードの存在に気付く。
チラ、との方を伺えば、慌てたようにマフラーの縁を引っ張り上げ、顔半分を隠して横を向いてしまった。
まあそんな反応はしょっちゅうなので、気に留めずにカードを取り出し、広げる。
同世代の女の子の癖のある丸文字などではなく、どこか緊張感の窺える硬い筆跡で、一言。
『不束者ですが、宜しくお願い致します』
「えーと・・・」
「・・・・・・」
「・・・プロポーズ、ですか?」
「違うわよっ!」
「即行で否定されると哀しいんですが」
「そーじゃなくって!付き合い始める時に、私、『仕方ないからその申し出受けてあげる』って言ったけど、本当は仕方ないからじゃなくって、そのっ」
普段は冷静な現実主義者の癖に、いざこういう場面になると、軽いパニックになる。
そこが可愛いと言ったら、暫く顔も見せてくれないのだろうが。
「なし崩し的に何となくじゃなくて、きちんとした言葉で始めたかったのっ」
「――・・・っ!!」
ガバッ
「ちょっ・・・ちょっと!ここ、駅前広場!人前!てゆーか苦しい!」
公衆の面前でいきなり抱き付かれ、は両手をグーにして八戒の背中をドンドン叩くが、感極まっている八戒には通じないようだ。
「ああもう、貴女がそんなふうに可愛い事を言うなんて・・・」
「人の話を聞きなさいよ!」
ゴンッ
自分より20cm以上背の高い八戒に抱きすくめられ、息苦しさと羞恥が限界に達したの拳が、見事八戒の後頭部にヒットし、八戒はその場に沈み込んだ。
「Φ・ゝ・☆・η・▼・Ш・・・!」
「八戒のバカっ!信じらんない!」
言い放つと、頭を抑えて悶絶している八戒をその場に置いて、早足でその場を離れた。
慌てて八戒も追いかける。
「すみませんでした・・・機嫌、直してもらえませんか?」
「・・・別に、機嫌なんか損ねてないわよ」
と言いつつ、マフラーに隠れた口元は、多分拗ねたように尖っているのだろう。
まあどちらかというと、怒っているというよりは、恥ずかしくて居たたまれない方が大きいのかも知れない。
「・・・本当、変わったわね」
ぽつり、と。
誰にともなく呟いた内容は、2人が十数年振りに再会した時と同じものだ。
確かに幼少時の八戒――当時の名は悟能――は、感情をあらわにする事自体を嫌悪していたように思える。
両親に捨てられ人間不信になり、子供らしい感情を捨て去り、早く大人になろうとしていた。
けれど、感情を持たないことが大人になることと同義ではない事に気付かないくらい、当時の自分はやはり幼かったのだ。
それを教えてくれたのは、既にこの世にいない『彼女』と、自分を支えてくれた人達。
そして――
「・・・貴女も、僕を変えた人の一人ですよ」
そう言って、歩きながらの手をそっと握る。
また照れて振り払うか、その場から逃げ出すかすると思ったが、顔を赤らめつつも、八戒のしたいようにさせている。
「・・・私も、少し変わったかも」
少なくとも今日、きちんと八戒に自分の気持ちを伝えられた。
長い間花喃以外に心を開かなかったものだから、どうしても他者との交流に対して萎縮しがちだった自分の、小さいけど大きな変化。
「ちょっとずつ、『普通』を目指して変わっていきましょう・・・一緒に」
「・・・・・・ん」
まだまだ、世間一般の恋人達のようには振る舞えないけれど、
2人手を取って、一歩一歩、
ほんの少しずつ、変わっていけばいいのだから――
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―了―
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あとがき
このシリーズは現代パラレル『Celestial sound and Spiritual melody』設定なので、八戒さんはホテルチェーン会長こと三蔵様の秘書をしており、どうしてもイベント時はプライベートに割ける時間が限られてしまいます。
なので、この2人にとってのバレンタインデーは、その翌日以降となるわけです。
ええ決して執筆が遅れた言い訳ではありません・・・嘘ですゴメンナサイ。
ちなみに。
このシリーズのヒロインは基本的にの性格を色濃く反映させているため、八戒がホテル業界勤務でなければ15日以降に値下がりしたチョコを買って渡しそうです(爆)。 |
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