【七夕(たなばた):五節句の一。七月七日に行う牽牛星と織女星を祭る行事。庭に竹を立て、五色の短冊に歌や字を書いて枝葉に飾り、裁縫や字の上達などを祈る。奈良時代に中国から乞巧奠(きっこうでん)の習俗が伝来し、古来の「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説と結びついて宮中で行われたのに始まる。近世には民間にも普及。また、盆の習俗との関連も深い。】(『大辞林』より抜粋) 図書館は、本の貸し出しの他、エントランス付近を使って年中行事に基づく催しなどを行い、地域との交流を図っていく。 エントランスの屋根を支える柱に括り付けられた竹も、その一環――つまり七夕行事のためのものだ。 八戒の背より高いそれには、五色どころか十数色の色紙を使った短冊が結ばれ、他にも色紙で作られた様々な飾りが付けられている。 エントランスを入ってすぐ、傘置き場の一角に会議室用の長机が設置され、 『たんざくに、おねがいごとをかいて、ささのはにむすびましょう』 と書かれたA4用紙の横に、既に紙縒りの付けられた短冊と鉛筆・色鉛筆・マーカーペンといった幾つかの筆記具が置かれている。 閉館時刻間近ということもあり、今はこの付近は閑散としているが、日中は思い思いの願い事を短冊に書き込む子供達の姿が見られるのだろう、そう思うと、自然笑みが零れる。 と、見上げた視線の先、屋根の陰になって余り人の眼に付かない部分にある物に気が付いた。 黒の色紙で作られた短冊。 本来『五色の短冊』とは、古来中国の五行思想に基づき赤・青・黄・白・黒の五色が用いられる。 ちなみに中国では、織姫に捧げる物として、短冊ではなく五色の糸を飾るのだが。 とはいえ、現代の短冊の用途、すなわち願い事を書くには、黒のそれはいささか不便だ。 かといって裏面に書くと、表に書いている他の短冊と明らかに様子が違い、これまたちぐはぐな印象になってしまう。 『五色の短冊』の本来の意味を知る者など殆どお目に掛かれない昨今、このような物を見つけるとは思ってもみなかったが、 その時八戒の脳裏に、ある人物と、遠い昔の情景が浮かび上がった。 幼少時に双子の姉共々施設に入れられた八戒――当時は悟能という名だった――は、中学に上がって養子縁組が為されるまでの7年余りを、その場所で過ごした。 施設では四季折々の行事を執り行い、子供達に教えるのも、果たすべき役割の一つだ。 施設そのものはキリスト教の教会に併設されたものなので、キリスト教の宗教的行事を重視していたが、やはりそこは日本の施設、きちんと日本古来の行事も行っていた。 その一つが、七夕だ。 地域の住人の好意で贈られた大きな笹を玄関先の柱に括り付け、短冊や折り紙細工で飾り付ける。 七夕本来の意味を理解しているが故に、その行為に意味も意義も見出せない悟能は、割り当てられた分を手早くこなしてしまうと、後は部屋の隅で読書に没頭していた。 きちんとノルマは果たしているのだ、誰にも文句は言わせない。そんな台詞を込めて周囲を一瞥した時、ふと違和感を覚えた。 「・・・・・・?」 視線の先には、昏い表情の少女。 手元には、幾つかの折り紙細工。 「あら、短冊用の折り紙まで切っちゃったの?」 シスターの言葉に、違和感の正体に気付く。 他の子供が真剣な表情で短冊に願い事を書くところを、あの少女は全て細工飾りにしてしまったのだ。 毎年、施設でも学校でも、それ以前の幼稚園でも行っている行事で、勘違いなどでそのような事をする訳がない。 ――あれは、わざとだ。 悟能は、眼鏡の奥から冷静に分析する。 「他の色の紙は全部使っちゃって、黒しか残ってないのよ。裏の白い方に書けばいいわ」 そう言って、先のシスターは黒い折り紙――確かに子供からの不人気は断トツだ――を短冊にしたものを、と呼んだ少女に渡す。 虚ろな表情で彼女がそれを手にしたところで、興味も関心も失せた悟能は視線を下ろし、再び読書に耽り始めた―― あの頃は、彼女に対して格別どうという感情は持っておらず――むしろ唯一心を許す存在だった姉の花喃と常に一緒にいる点が、どうにも気に入らなかった――、その行動の意図するところも、昏い表情の意味も解らなかった、というより気にも留めなかったのだが、 施設で過ごした年月の間に見聞きした事と、現在のの立ち居振る舞いを鑑みれば、朧気ながら状況が把握出来てくる。 当時から、不自然なまでに『〜がしたい』『〜が欲しい』というような自分の欲求を表に出すことを決してしない子供だった彼女。 その背景に何があるかは本人にしかわからない事だが、たとえお遊びの行事であっても、願いを形にすることを嫌ったのだろう。 今、自分の視線の先にある黒い短冊。 過去との符号に、一つの仮説が浮かび上がり、高い上背を利用して、それが括り付けられた笹の枝を引き寄せる。 黒い色紙でできた短冊の裏側、つまり白い面には何も書かれていない。 表を返すと、黒い面にありふれた鉛筆で文字が書かれていた。 影になった場所ではかなり見えにくいが、角度を変えてエントランスの光にかざすと、見覚えのある文字でたった一言、 『現状維持』 ・・・何のスローガンですか。 やはり、という気持ちとほんの少しの呆れの混じった溜め息をつく。 黒い色紙の黒い面に、黒い鉛筆で書かれた短い言葉。 未だに願いを形にすることが不得手なの、これが精一杯の表現なのだろう。 「――八戒?」 背後から掛けられた声に振り返れば、当の本人。 気が付けば、閉館間近を知らせる音楽が流れている。 エントランス付近の片付けに来たらしいは、八戒の手元にある物に気が付いた。 「・・・見たんだ。まあ見られて恥ずかしい事は書いていないけど」 「別の意味で恥ずかしいような気もしますがね」 「よく判ったわね?私の短冊だって」 「貴女施設でも同じようにしたでしょう?黒い色紙の黒い側に」 「・・・・・・知ってたの」 「内容までは知りませんけど、たまたま黒い色紙をシスターから受け取るところを見ていたので、今思えばそうだったのかな、と」 「・・・願い事なんて、したくなかった」 ぼそり、と漏らされる、それは彼女の本音。 やはり、『〜がしたい』『〜が欲しい』というようなの現実的なもの以外でも、自分の要求を 確かに、自分だってこのようなお遊びの願掛けに意味を見出せない子供だったし、唯一願った双子の姉との平穏な生活は、永遠に手に入らない。 だがの『願い』に対する行動は、自分のそれとも違った、最早拒否反応に近いものだ。 施設にいた頃から一貫しているそれは、恐らくは彼女が施設に入ることになった元凶と関係しているのかも知れない。 だとすれば、立ち話程度で話してくれるレベルのものではないだろう。 ――ま、この先時間はありますし、ゆっくり進むって決めましたしね。 心の中で呟くと、短冊から手を離した。 そうして、片付けの一環として落ちている短冊や七夕飾りを笹に括り付けているの耳元に顔を近付け、囁く。 「でも『現状維持』ってことは、裏を返せば『ずっと一緒にいたい』ってことですよね?」 「・・・・・・・・・!」 日の長い季節のお陰で、この時間でもの顔が真っ赤になったのがよく判る。 無理もない、本当に書きたかった『願い』を、言い当てられたのだから。 「〜〜〜知らないっ、仕事あるから戻るわっ」 館内に駆け込む後ろ姿に、悪いとは思いつつも噴き出しそうになる八戒だった。 と、ふと閃き、短冊を書くための長机に近寄る。 守衛が、館内を見回りながら閉館を告げる声が、ここまで聞こえてくる。 数分程度で彼が館内を一巡して、エントランスの自動ドアをロックする、この図書館の入り口でと落ち合うのに幾度となく目にしている閉館の光景だ。 考えたのは、ほんの一瞬。 明日の為にが整頓していた短冊と筆記具を1つずつ手に取ると、さらさらと書き込む。 素早くその場を離れ、笹の枝に短冊を括り付けたのと、守衛がエントランスホールに出てきたのはほぼ同時だった。 我ながら、この場の思いつきにしては上出来だ。 満悦の笑みを浮かべながら笹を見上げていると、 「・・・待たせたわね」 仕事を終えて建物から出て来たが、ぼそりと八戒に声を掛けた。 微妙に低い声と逸らされ気味の視線は、先程の照れを引きずっているからだ。 「いいえ、お陰で懐かしい気分に浸れましたし。――それじゃ、行きましょうか」 「・・・・・・機嫌良さそうね」 「ええまあ」 にっこりと。 自分とは逆に今でも笑うことの苦手な彼女の分まで、微笑みを浮かべる。 ほんの一瞬見上げた視線の先には、七夕飾り。 「もしかして八戒、短冊に願い事書いたの?何て?」 「ふふ、秘密です♪」 「いーわよ、明日業者が笹を外す前に見てやるわ」 「構いませんよ別に」 「何その余裕」 そんな会話をしながら、2人は連れ立って歩き始めた。 何処までも対照的な2人を表すように、笹の枝の高い位置、黒と白の短冊が揃って揺れる。 もし明日がそれを見たら、そう考えると、自然と八戒の頬が緩む。 白の短冊には、一見して判りにくいが、白い色鉛筆で一言、 『比翼連理』 と書かれているのだから―― |
―了―
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あとがき あ゛ー・・・難産でした。いえ、基本的なネタはあったのですが、そこへ肉付けをしてドリームに仕立てるのが(いつものことといえばそれまでですが;)。 元ネタは、某白いサワーの『白い紙に、白い色鉛筆で、「好き」と書いた』というCM・・・って1年前じゃん、と思った貴女は正解。つまりこれ、去年の七夕用に書き始めたブツというorz ヒロインが『願い』を表に表せない理由は、『番外その2(後編)』に書かれております。 |
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