12月に入ると流石に冷え込みが厳しくなり、早朝の車のフロントガラスにはびっしりと氷が張ることが多くなった。
家庭では大掃除に年越しの準備、職場では歳末商戦と、誰もが忙しいこの時期、それでも一つのイベントは無視し難い。
12月25日 クリスマス
本来の意味合いはそっちのけで、お祭り好きの日本人にとってこの日はご馳走とケーキとシャンパンで食卓を囲む日、と位置付けられている。
無論、若い恋人達にとっては、その後の時間も含めて重要な日だ。
というわけで、三蔵財閥総帥の三蔵 玄奘も、この日は愛しき婚約者と2人、しっとりとした時間を過ごそうと考えていた。
去年までは、このような事を考えることなどなかったし、考えるようになるとも思っていなかった。
婚約者である計都と、運命の悪戯ともいうべき巡り合わせで再会するまでは。
浮ついた事を考える暇があれば、事業の充実化と発展に頭を使うべきと、ひたすら仕事人間として生きていたのは、既に過去の事だ。
今は、愛しい者を護る為に働き、その疲れを癒すために、たまの時間を2人きりで過ごす。
ごくごくありふれた男と女が過ごすひと時を、自分も過ごす。その事が、酷く面映かった。
――が、
「12月20日から25日まで、グループ下全てのホテルでディナーショーを計画しています。
18時半からの第1部は、ファミリー層や若いカップル客を意識してマジックショーを、20時からの第2部は、やや高い年齢層向けにムードを重視したクラシックまたはジャズクラシックを、展望レストランでの食事と共にお楽しみいただく企画です。
そして会長には、この5日間に、計5ヶ所で主な関係者の方々とディナーを摂りながら、ショーの進行にチェックを入れていただきます。
日中もその5ヶ所以外全てのホテルの視察に入る予定ですので、分刻みのスケジュールを覚悟していただきますよ」
神なんざ今すぐ滅んじまえ、と罰当たりな事を本気で考えてしまった彼を、咎められる者はいないだろう。
確かに、クリスマスシーズンのディナーショーは、ホテル業界では最も力を入れる目玉商品だ。
世界規模の経済不安から消費低迷が続く昨今、高額商品の売れ行きは芳しくないので、このディナーショーは頼みの綱なのだ。
ここで首を横に振る事は、アイビーグループ会長の立場上、許される事ではない。
心の中で拳を握り締めながら、秘書と綿密なスケジュールを立てるのであった。
「お帰りなさいませ、旦那様」
年末年始のイベント関連の書類や接見・会議が急増し、ここ数日は夜半の帰宅が多くなっていた。
今日も今日とて、既に時計の針は深夜12時を過ぎている。
通いの使用人には自分の帰宅を待たないよう言ってあるため、屋敷に点いている明かりはごく僅かで、帰宅の出迎えは執事長唯一人だ。
「計都は?」
「1時間程前に、お休みになられました。明日から1週間、札幌に滞在されるそうで、羽田発朝一番の便で発たれるとのことです」
「・・・そうか」
自分と婚約した今も音楽活動を続けている彼女は、全国各地を飛び回っている。
目の見えない彼女が、唯一他人に何かを与えることの出来る行為であるため、三蔵も彼女から音楽を取り上げるつもりはない。
計都の方も、今の生活ををなおざりにすることは決してせず、家にいる間は極力帰宅した自分を出迎え、食事の支度等も行っている。
自分の帰宅を待たずに彼女が就寝するのは、前もって自分から遅くなる事を伝えている時だけだ。
「お夕食は?」
「向こうで食べた。コーヒーだけもらおうか。後で寝室の方に運んでくれ」
「かしこまりました」
部屋の隣の浴室で入浴を済ませた頃、タイミング良くコーヒーが運ばれる。
コーヒーを片手に、リモコンを手にした三蔵は、室内のBGMをONにする。
流れてくるのは、バイオリンによる譚詩曲。
演奏しているのは、もちろん計都だ。
当の本人は、同じ屋根の下、別の部屋で眠りに就いている。
心を落ち着かせてくれる穏やかな音色を聞きながら、微妙な心境になってしまうのを禁じ得ない。
それでも、たゆとう旋律は、安定剤代わりにはなったらしい。
徐々に瞼が重くなってきた三蔵は、就寝の準備に入った――
翌朝――
しまった、寝過ごした――!!
遅刻、ではない。
計都の出立の見送り(朝一番の便なので、三蔵の出勤より早い)の時間に、間に合わなかったのだ。
昨日の帰りが遅かったとはいえ、とんだ大失態だ。
使用人しかいない食堂を見やり、苛立たしげに頭を掻いたその時。
「旦那様、これをお預かりしております」
計都付きの侍女がそっと差し出したのは、小型のICレコーダー。
目の見えない彼女に、伝言がある時のメモ代わりとして渡しておいた物だ。
そもそもは、彼女の声を聞きたいという三蔵のやや不純な動機によるものだが、使用人を介した伝言と比べて話の背景を伝える手間が省けるのと、細かいニュアンスまで伝える事が出来るのとで、他人に気を使う性分の計都にはうってつけだった。
レコーダーを操作して、録音された声を再生する。
『お早うございます玄奘様。昨夜は出迎えもせず失礼を致しました』
構わない。気にするな。
ついつい、心の中で返事をしてしまう。
『今日から1週間、札幌のホテルと市民会館ホール、あと2箇所の施設でコンサートを行いますの。
本当は今日、出発の前に玄奘様のお声を聞きたかったんですが・・・』
あぁ、それは俺も同じだ。
『孫さんにお聞きしましたところ、玄奘様も次の土曜から方々を回られるそうで、もしかすると入れ違いになってしまうかも知れませんね・・・残念ですが』
執事長に俺の予定を聞いたのか。
畜生、せめて空港ででもお前を迎えてから出掛けられれば良いんだが。
『来週は都内でディナーショーに出る予定です。
これが終われば、少しの間予定が空きますので、2人でゆっくりと時間を過ごしましょう』
「ああ、そうしよう」
ピ
「・・・三蔵、最後、声に出てる」
ドゴッ
鈍い音と共に、悟空の顔面にブリーフケースの角が当たった。
「っ痛ぇ―――っっ!!」
「聞いてんじゃねぇよ!こういう時は気ィ利かせて外で待て!!」
「朝メシなんだから俺が食堂にいるの当たり前じゃん!!横暴だ!!」
再び食堂に痛そうな音が響き渡った。
それからは、三蔵は仕事の事だけを考えるようにして日々を過ごした。
やや詰め込み過ぎの感もあったが、そうしなければ計都の不在が応えてくるのだ。
そうしているうちにディナーショーの日程に突入し、結局札幌から戻って来ているだろう計都の迎えも出来ないまま、今度は三蔵が、全国各地を飛び回る番だった。
当然、暇を見つけては計都へ連絡を入れるのだが、いつも留守電になってしまう。
通常なら連絡の付けられる時間帯を前もって伝えているが、ホテルのイベントシーズンは移動中も部下や取引先との電話が次々舞い込むため、三蔵の仕事の妨げになるのを危惧する計都は、決して自分からは連絡を寄越さないのだ。
そしてついにクリスマス当日。
この日の夕食の会場は、本社の御膝元であるアイビーホテル トウキョウだった。
ディナーショーのチェックを行いながら、取引先の重役や若手経営者仲間と食事を重ねていたのだが。
今日の同席者は――
「よっ、愛しの甥っ子」
「何で貴様がここにいるんだクソババァ」
亡き先代の妹、三蔵にとって叔母に当たる、世羅 観音。
若い頃はモデルで名を馳せ、その後アパレルメーカーとして起業し、独自のブランドを築き上げた。
今やアパレル界のカリスマ的存在として、その名声をほしいままにしている。
とはいえ、三蔵にとっては周囲の人間を振り回す傍迷惑な存在以外の何者でもなく。
幼少時に彼女がデザインした女児向けドレスを着せられた事は、トラウマとして根付いている。
「相変わらず悪い口だな。まあいい。
せっかくのクリスマスだ。どうせなら美味い食事とムードのある音楽がある方がいいじゃねぇか」
「口の利き方は貴様の影響以外考えられないだろうが」
「さーてな?お、どうやらそろそろ始まるようだぜ。まあ席に着けや」
気が付けば、周囲の客は皆席に着き、会場のライトも明度を落としている。
演奏者の入場が近い事に思い至った三蔵は、渋々観音の向かいに座った。
と、スタッフルーム前の衝立から、スタッフルームで待機していたショーのゲストが姿を現し、会場の拍手を受けて優美な礼をとった。
スポットライトを反射させて輝く銀の髪は――
「計都!?」
思わず腰を浮かせる三蔵だが、周囲の眼を気にして座り直す。
まじまじと見つめるが、確かに本物だ。
特設ステージに立った計都――バイオリニストのKate――は、簡単な挨拶を述べた後、ピアニストの伴奏に合わせ、情感豊かな演奏を繰り広げた。
「やるじゃねぇか、お前さんの婚約者は」
「知ってたのか、あいつが出演する事」
「おうよ。ちゃんとパンフ貰ってたからな」
「・・・・・・?」
一応、全てのホテルのディナーショーのパンフレットは、ざっと眼を通したつもりだ。
芸能関連に対する興味は薄いので、本当にざっと見ただけだが、彼女の写真があれば、見落とす筈もないのだが。
しかし、せっかくの演奏を聞き逃してまで追及する事ではなかったので、疑問は横に置いて、愛する者が奏でる至上の音色に聞き惚れるのであった――
ショーは滞りなくお開きとなり、客は次々と会場を後にした。
演奏に聞き入り過ぎた三蔵は、ついうっかり進行のチェックを忘れ、慌てて手元の書類を埋め始める始末だ。
そんな三蔵を面白そうに見ていた観音は、やおら立ち上がった。
「・・・変わったな、お前さんは」
「あ゛?何なんだ急に」
「いや、こっちの事だ。
――幸せにしてやれよ・・・そして、幸せになれよ・・・」
そう言って立ち去る瞬間、その口元には普段の人を喰ったようなものとは異なる、慈愛に満ちた笑みが浮かんでいたように見えた。
「・・・言われなくても」
誰にともなく呟くと三蔵は席を立ち、スタッフルームへと向かった。
形ばかりのノックの後ドアを開くと、そこには演奏を終えて頬を紅潮させた婚約者と――
「やっぱりいらっしゃいましたね、会長♪」
「やはり貴様の仕業か八戒・・・!」
「人聞きの悪い事仰らないで下さい。大体貴方、きちんとポスターをご覧になりましたか?」
「あ゛?何言って・・・」
と、急に目の前にピラッと1枚のポスターを広げる八戒。
確かにそれは、三蔵がチェックした物と同じ、今夜のディナーショーを案内する内容だ。
だが。
場所:アイビーホテル キョウト
「マジか・・・!?」
写植等に関しては、担当の者がチェックを入れるので、三蔵は大まかにしか見ていなかった。
そしてそれを理解しているからこそ、八戒はわざとパンフレットを京都で行われる内容の物と取り替えたのだ。
「ま、いわゆるサプライズプレゼントといいますか。計都さんにも口止めしていましたし」
「申し訳ありません玄奘様。本当は凄くお話ししたかったんですが・・・」
「・・・・・・いや、いい」
碧の瞳の腹黒秘書に対する罵詈雑言は幾らでも浮かんでくるが、計都にこのような表情をさせるのは、心苦しい。
それに、
「今日この日に久し振りに会えたんだ。俺にとっては何よりのプレゼントだ」
「玄奘様・・・」
銀糸を紡いだような長い髪を撫でながら、三蔵は密かにここのスィートをリザーブしようと画策していた。
いや、スィートでなくても、ダブル1部屋で充分か?
仏頂面の下で、何気にケダモノちっくな考えを巡らせていた時。
rrrrr ・・・rrrrr ・・・
ピ
「もしもし・・・ええもう終わりましたよ・・・解りました。ちょっと待って下さいね」
急に鳴った携帯電話に出た八戒は、なぜかそれを計都に差し出した。
「悟空からですよ」
今日悟空は友人宅のパーティーに招待されていたため、このディナーショーの前に退勤しているのだ。
「お電話代わりました、計都です・・・えぇ・・・まあそうなんですの?有り難うございます。
・・・解りましたわ。私の方から玄奘様にお伝えしますから・・・えぇそれでは」
携帯電話を八戒に返した計都は、三蔵に向かって言った。
「悟空さんが、お友達のご好意でケーキを1ホールいただいたんですって。
早く帰って、皆でいただきましょう♪」
三蔵はこの瞬間、本気でイエス=キリストに殺意を抱いた。
十数年来の淡い想いを成就させた恋人達。
彼らが次のステップを踏むには、更なる月日を要することとなる――
|
―了―
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あとがき
クリスマスに相応しく、しっとりさせるつもりが、なぜかギャグ路線に。
しかも三蔵が変です。こんな三蔵様は嫌だ!と思われるお客様ゴメンナサイ。
観音の設定は、別に構想中のパラレル向けに考えていたものを採用。現代パラレルに合わせた名前に変えていますが、この名前は結構気に入ってます。
文中には書きませんでしたが、悟空をパーティーに招待した友人は、ナタクです。
遅くなりましたが、Xmas小説としてup致します。
(追記)この文章はイエス=キリストを冒涜する意図は全くありません。その旨ご了承願います。 |
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