それは、遠い遠い昔の話――
夜が明ける少し前。
石のように冷たい板張りの廊下を、足音を忍ばせて歩く小さな人影。
目指すは縁側。そこから自身の足の倍以上はある草履を履いて外に出る。
まだ日の射さない外の空気は酷く冷たく、小さな身体を更に縮ませる。
それでも自分がこんな時間に起きてきた目的を思い出すと、大切に握り締めていた物を目の前に広げる。
それは一枚の札。
とうさまは、『これ』にたよることをおぼえてはいけないっていっていた。
かあさまは、『あれ』をちょくせつみてはいけないっていっていた。
でも――
札を小さな指に挟み、子供特有の高く細い、しかしよく通る声で呪文を唱える。
「・・・・・・・・・!」
すると、札は光の塊となってその形を変化させ、光が収まると純白の小鳥が紅葉のような手の中にちょこんと納まっていた。
それは、見聞きしたものを術者の脳に直接送り届ける、高度な式打ちの術――
「・・・おいき・・・」
押し出すように手を前へ伸ばすと、小鳥は幼子の意のままに大空へ飛び立つ。
幼子の脳裏に、式神の眼下に広がる夜明け前のほの暗い大地が映し出される。
目的の物を見るのに適当な木を発見すると、式神をそこへとまらせる。
そのまま、東の方向をじっと『見つめて』いると――
「!!――」
東の空が、藍から紫へとグラデーションのように変化していく。
群青の大地が、自然の色彩を取り戻していく。
徐々に白さを増していく地平線の1点が、眩く光る。
それは、欲してやまない太陽の光。
大地を育む、金色の――
「あっ!!」
眩しさを増した光が、式神を通して脳裏に焼きつく。
思わず光を映さない目を押さえる。
「計都!?」
「・・・かあ、さま?」
寝所にいない我が子を探してか、それとも元々この時間に起床する習慣なのか。
名前を呼ばれた幼子に知る由もなかったが、それは明らかに母親の声。
それに反応して顔を上げた時には、ホワイト・アウトした視界は既に一欠片の光も届かない闇へと戻っていた。
先程のショックで術が解けてしまったらしい。
「計都、どうしました?こんな所で・・・」
「・・・・・・」
「目が痛いのですか?ほら、目を開けてお見せ・・・」
「・・・かあさまぁ・・・」
「何です?」
「・・・ごめんなさい・・・かあさま、いったのに・・・まえに、みてはいけないって、でもけいと、みちゃったんです・・・」
「え?」
「おひさまね・・・ちょくせつみちゃだめって、かあさまが・・・でも――」
子供特有の要領の得ない物言いが、それでも通じるのは母親の特技か才能か。
そっと我が子を抱き寄せ、頭を撫でる。
余りにも濃い血がもたらした、人にあらざる銀の髪を――
可哀相に――
家名に縛られ、血筋の濃さを重んじた自分達の婚姻の犠牲者。
己が伴侶を愛していないわけではない。いや、逆に誰よりも愛していると言っていい。
しかし、それは自分がこの土地から一歩も外へ出たことがないため、その人と魂を結びつけるのに何の疑問も抱かなかったから。
もし、私が別の人と結ばれていたら、この子は――
人にあらざる色の髪を持ち、その瞳に光を宿さずに生を受けた子供。
昼も夜もない暗闇の世界の住人が、太陽の光に焦がれるのは当然のことで――
ギュッと、我が子を抱く腕に力がこもる。
「かあさま・・・なかないで・・・」
「泣いてなんか、いませんよ?」
「ないてないですけど、ないてます・・・」
「・・・・・・」
目が見えない分他の事を感じ取る能力が長けているのか、それとも誰よりも濃い朧の血が為せる技なのか。
この幼子は人の感情の変化にとても聡い。
その視線を伴わない瞳で母親の気配を心配そうに窺っていた幼子は、突然何かを思い出したようにパッと顔を輝かせて母親に話し掛けた。
「そうです、かあさま」
「何です?」
「けいと、おひさまのおよめさんになります」
「え!?」
「うーんとおおきくなったら、けいとがかあさまで、とうさまはおひさまです♪」
そう言うと先程とは逆に母親の体をギュッと抱き締めた。
我が子の突発的言動を流石にすぐには理解しきれなかった母親だが、考えるうちに飲み込めてきた。
生まれながらにして強大な力を宿したこの幼子が、遥かな未来を予言した事を――
余りにも濃い血であるが故に、一族及び外戚との婚姻――自分達の家系ではそれが当たり前なのだが――を許されない我が子が、誰かと魂を結びつける日が来るのだろうか?
「まあまあ、それでは計都は三国一の花嫁さんですね」
「『さんごくいち』ってなんですか?」
「世界一、という意味ですよ。
さ、そんな格好でいつまでも外にいたら、風邪をひきますよ?」
そう言って我が子を自分から引き離す。
目の見えない幼子の手を引くようなことはしない。
自分達の身にもしものことがあっても、ちゃんと自分の力で生きていけるように――
その後――
式神の札を回収しなかったため父親に叱られた計都は、自力で札の落ちた場所へ行き、探し出すことを命じられた。
半ベソで屋敷へ帰ってきたのは、太陽が真南に差し掛かる頃だった――
朧 計都、当時4歳。
それは、悲しい別れを目前にしたある冬の出来事――
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―了―
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あとがき
計都が5歳になる直前の物語(計都の誕生日は2/29)。
ある意味三蔵×計都の原点となる話。この時点で計都は具体的に三蔵の存在を知っているわけではないのですが、将来『太陽のような存在』と想いを交わすという事を予知するのです。
この話も本編同様大昔に書き上げていた物なのですが、本編第一話を完結させてからupしたいと考えていたので遅れての更新と相成りました。丁度昨日から気温が急激に低下したので、雰囲気は合っているかと。
最後のくだりについて。
この数ヶ月後、計都の母親は百眼魔王の手下の妖怪に拉致され、城に着く直前に自害します(本編参照)。
この御母堂、10代で結婚・出産した設定で、つまりこの話の時点でもまだ二十歳過ぎ(笑)。 |
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