Love of breeze







 トクン・・・トクン・・・トクン・・・



 静かに、でも確実に鼓動を打つあたしの心臓。
 今の今まで奈落に握られ、自分の物でありながら此処に無かった物。
 それが今、あたしの中に在る。
 もう、いつ奈落に握り潰されるかと怯える日々ともおさらばだ。
 ――なのに、
 胸を中心に、鎔けた鉛を注がれたように、焼け付くような重苦しい感覚。
 奈落が心臓と一緒にあたしの胸にぶち込んだ、大量の瘴気。
 もう、奈落からは自由なのに、
 瘴気に蝕まれた身体は、手も足も、指の先まで思うように動かせない。
 あたしは、死ぬのか・・・・・・ここで、独りで・・・・・・
 そう思った時、

「・・・・・・ぁ・・・」

 周囲に咲き乱れる花を踏み分け、現れた男。
 その装束を眼にした途端、自由の利かなかった身体に僅かに力が入り、顔を上げることに成功した。
 金の目と視線が合った瞬間の、胸に広がる感覚。
 瘴気に苛まれた苦痛が、別の何かに置き換わる。
 いや、苦しいのは変わんねぇんだが、
 この感覚は・・・以前、胸に大穴を空けられたところを助けられた時のものに似ている。

「――奈落の瘴気の臭いを追ってきた」

 言われた言葉に、がっかりしなかったと言や嘘になる。
 そりゃそうか、こいつにとっては奈落を倒すことが最優先事項。
 奴の瘴気を感じ取りゃ、あの世の手前だろうが足を運ぶ、矜持の塊だ。
 思わず、憎まれ口を叩いちまう。

「がっかりしたかい。奈落じゃなくてよ」

 馬鹿か、あたしの口は。
 今言いたいのは、そんな事じゃないのに。
 ところが返ってきた言葉は、

「おまえだとわかっていた」
「―――っ!!」

 一瞬、耳を疑った。
 再び見上げて金色の目を覗き込むが、奈落の手下としてあたしを葬ろうとか、死ぬところを見届けて不安要素を消し去ろうとかいう意図は見えない。
 只、あたしに会う為だけにここへ・・・?
 それが解ったあたしの身体から、全ての苦痛が消えた気がした。
 ――もういい。
 今、何か凄ぇいい気分だ。
 だって、最期にこいつに会って、言葉を交わして――

「――もう少し、持ち堪えろ」

 ・・・・・・は?
 疑問を投げ掛けたつもりだが、もう声も出ない。
 というより、言った本人は一陣の風となり、既にあたしの目の前にいなかった。
 あたしも風で移動するから速度には自信があるが、あいつの移動能力もかなりのものだ。
 持ち堪えろっつったって、これだけ瘴気が回ってりゃ、もうどうしようもないのは、あいつも解ってんだろーに。
 苦笑するが、死への恐怖も、哀しさも寂しさも感じない。
 だって、あたしは自由なんだから。
 このまま、ずっと憧れていた自由な風に――
 その時、

「―――っ!?」

 再び風が吹き、あいつの気配が急速に近付く。
 それと同時に近付く、というよりあいつが引き連れて来るもう一つの気配と――それらよりも素早く、自分目掛けて近付く、覚えのあるこいつは――
 その正体を考えるより先に、戦いと、そして残念ながら逃亡に慣れた身体が、咄嗟に逃げを打ちかけるが、

「動くな!!」



 トスッ



「・・・・・・ぁ・・・」

 胸に衝撃が走ると同時に、胸に刺さったそれ――破魔の矢――とあたしの身体が、光に包まれる。
 清浄な光の向こう、駆け寄るあいつの顔は、やけに真剣で、
 そういやさっき、あたしが動かないよう、柄にもなく声を張り上げていたっけ。
 あたしの身体を蝕んでいる瘴気を、破魔の矢で浄化するために・・・?
 でもよ、あたしゃ妖怪だぜ?いやあんたもだけど。
 あんたみてぇな格上のモンならともかく、あたしみてぇなの、瘴気と一緒に浄化されちまうじゃねぇか。
 ・・・・・・ま、いっか。
 薄れゆく意識の中、そう思う。
 実際、瘴気が浄化されたあたしの身体は、さっきまでとは打って変わって羽根のように軽い。
 どうせ死ぬなら、瘴気に喰らいつくされるよりマシだと考えてくれたのか。
 今まで生きてきた中で、誰かに感謝したことなんざなかったけど、
 あんたにだけは、礼を言うぜ。
 あたしを、苦痛から・・・解き・・・放って・・・・・・くれて・・・・・・








「・・・殺生丸・・・おめぇ、今何を・・・・・・?」

 殺生丸同様奈落の瘴気を嗅ぎ付けて花畑に辿り着いた犬夜叉が問い掛けるが、当の殺生丸は無言のまま刀を鞘に納める。

「つーかよ、一体何なんだ?急にかごめを攫ったかと思えばすぐ放り出してよ」

 ほんの数瞬前の事。
 奈落の瘴気と神楽の血の臭いを頼りに花畑へと足を踏み入れた犬夜叉達の目の前に、一陣の風と共に殺生丸が現れたかと思うと、

「きゃっ!?」
「「かごめ!」」「かごめちゃん!」「かごめ様!」

 かごめを小脇に抱えるようにして引っさらって行ったのだ。
 最初に出会った時こそ鉄砕牙を巡っての悶着があったため、かごめに攻撃の矛先を向けたこともあったが、そもそも天より高い矜持の持ち主だ、たかが人間であるかごめをどうこうする意図はないように思えたのだが。

「ちょっと殺生丸!急に一体何なのよ!?」
「――破魔の矢を打て」
「はい?」

 言われた事が一瞬理解出来なかったが、殺生丸の向かう先にあるものを感じ取り、咄嗟に矢を弓につがえる(かなり不安定な体制ではあったが、文句を言っても聞くヒト――もとい、妖怪ではない)。

「早くしろ」
「それが人にものを頼む言い方かし――――・・・らっ!!」

 狙いが定まるか不安ではあったが、とにかく意識を集中させ、矢を放つ。
 しかし、矢を追うように空中を駆ける間(実際に駆けているのは殺生丸だが)に、その先に在る気配が矢を避けようとするのが感じ取れた。
 と、急に身体に触れる物が何もなくなったかと思った次の瞬間には、かごめの身体は宙に放り出されていた。
 殺生丸が、かごめを抱えていた手を放したのだ。

「きゃああぁあぁ――っ!!ちょっと殺生ま・・・」
「動くな!!」

 それは、今まで聞いたこともない彼の真剣な声。
 かごめがはっと口を噤むのと、矢の放たれた先で瘴気が浄化される気配がするのは同時だった。
 落下しながら、かごめははっきりと目撃した。
 殺生丸が、見た事もないほど真摯な表情で、前方を見据えているのを。

 ――さっきの言葉は、私に掛けたんじゃない。
 破魔の矢が間違いなく当たるよう、瘴気に当てられた『彼女』に――



 ドサッ



「かごめ!大丈夫か!?」

 弥勒達に先んじて殺生丸を追い掛けて来た犬夜叉が、間一髪かごめをキャッチした。
 そのままかごめを横抱きにして走り続けながら、かごめの無事を確認する。

「犬夜叉!」
「殺生丸の野郎、かごめに何を・・・」
「犬夜叉、見てあれ!」

 かごめが指差す先、殺生丸と――

「神楽・・・やっぱり、奈落の奴にやられたのか・・・?」
「良くは判らないけど、きっと奈落から瘴気を体内に注ぎ込まれたんだわ。それを知った殺生丸が、私に破魔の矢を射掛けさせた・・・瘴気を浄化させて、神楽を助けるために」
「あいつがぁ?」
「犬夜叉、あれ!」

 殺生丸が、腰の刀を抜き、真一文字に神楽を切ったのだ。
 ――いや、切ったのは神楽ではなく、

「あれは・・・天生牙・・・?」

 この世ならざるものを切る刀。
 黄泉からの使者を切ることで、死者を蘇らせる――
 天生牙を鞘に納めた殺生丸は、眉一つ動かさない。
 だが、その眼に常に帯びている頑ななまでの冷やかさは、今は鳴りを潜めているようにかごめには見えた――








 ――そうして、今に至る。
 剣圧のためか、神楽の身体は後ろに傾き、とさりと軽い音を立てて花の中に沈む。
 だが、破魔の矢を受けた他の妖怪のように霧散はせず、その身に帯びていた瘴気だけが消えている。
 かごめも犬夜叉も、追い付いた他の3人も、固唾を飲んで見守る。
 僅かな時間が、2刻も3刻もの長さに感じられた。
 ――と、



 ぴくり



 長い睫毛が、痙攣するかのように細かく震えたかと思うと、

「・・・・・・ぅ・・・・・・ん・・・・・・?」
「い、生き返りおったぞ!」

 かごめの肩に(いつの間にか)縋り付いていた七宝が叫んだ。
 全員が見つめる中、しばし瞬きをしていた神楽は、確かめるように指先を何度か動かすと、地面に手を突いてゆるりと起き上がった。

「あたし・・・・・・死んだんじゃねぇのか?」
(その口調は一度死んでも治らないんだ・・・)

 犬夜叉一行の心の声はさておき、事の経緯を最も理解している筈の殺生丸は、

「・・・・・・」

 くるりと踵を返し、その場を立ち去ろうとする。
 幾ら何でもあんまりと感じたかごめは、その背中に呼び掛けた。

「ちょっと殺生丸!このまま神楽を放っておくの!?」
「・・・・・・」

 立ち止まったのは、ほんの一瞬。

「・・・好きにしろ」

 それは、かごめにではなく神楽に掛けた言葉。
 お前は完全に自由なのだと。
 風のように、行きたい所へ、何処へでも行けるのだと。

「あー・・・あのね神楽、瘴気を浄化した後、殺生丸が・・・」
「別に説明はいいさ。言われたってどうせあたしにゃ理解出来ねぇし。
 取り敢えずあたしが生きてて、今度こそ本当に自由の身だって事が解りゃそれで充分だ」

 そう言って、すっくと立ち上がる。
 いつものように、風を巻き起こして飛び去るのかと思いきや、殺生丸の後を追って走り出した。
 かごめの横を通り過ぎるその瞬間、

「あんがとよ」
「え・・・」

 ぼそりと呟いた、それは紛れもなく感謝の言葉。
 蘇らせたのは殺生丸だが、瘴気を浄化したのは、かごめだから――

(うわーっ、うわーっ、うわーっ♪
 何かこう、怪我をした不良に絆創膏貼ってあげたら感謝されたみたいな?)

 口に出しても誰にも理解してもらえないだろうシチュエーションを脳裏に浮かべながら、感激の嵐に内心打ち震えるかごめだった――








「・・・・・・」

 神楽の気配が近付くのを感じ取ったのか、ピクリと止まる殺生丸の歩み。

「好きにしろっつったのはあんただぜ?」

 紅を差した艶やかな唇が、笑みの形を取る。

「・・・・・・」

 再び歩き始めたその1歩後ろを付いて歩く神楽。









 1年後、
 その位置を『彼』の隣に変え、彼女は今日も心のままに空を翔けている――








―了―

あとがき

やっちまいました捏造妄想(爆)。いえ香月昔から殺×楽派なんですよ。殺×りん?たわけ殺生丸をロ○コンにさせてたまるか(憤怒)。まあそれはともかく、スタッフ日誌(ブログ)にてかなり以前に語った通り、神楽最期のシーンで殺生丸は瘴気が神楽の体を蝕み過ぎて天生牙を使えないと判断していたので、じゃあ瘴気を何とかすれば天生牙振るえるよね?と考えたのが上記の展開。
平成の置き土産として、こっそりupします(^_^;)。



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