宗教的解釈は独自設定を含むのでご了承下さい(^_^;)





100.あなたという人

 ※注:これはお題No.77「欠けた左手」の続編設定です。




 そういえば、とふと思い当たって羅昂は光明に問い掛ける。

「――今更かもしれませんが先代殿、貴方様はいつもこのように・・・?」
『まさか、ストーカーじゃないんですから。
 我々「霊」は死後49日間は行き先が定まらず、現世に留まることになります』

 前半の言葉は戯言として受け流し、後半の言葉にのみ羅昂は頷く。
 何せ自分は陰陽師の名家出身。そういったことは得意中の得意分野だ。
 いわゆる四十九日、または中陰と呼ばれるこの期間、死者の魂とそれに付随する『念』は生前の形をとり、この世に留まった状態で来世が決定するのを待っている。
 これが、人が呼ぶところの『霊』である。
 四十九日が経てば(この時を『満中陰』という。『満中陰志』はこの日の法要の謝礼として配られる品物)『念』は浄化され、魂のみが来世を生くるべく旅立つ――すなわち成仏するのだ。
 ちなみにこの時点で『念』が浄化しきれないでいると、次世もまたこの世に縛られるとされる。
 これが輪廻転生である(当然成仏も転生も出来ずに現世を彷徨うケースも生じる。これが俗に言う『幽霊』だ)。
 陰陽道に於いて輪廻転生はごく当たり前の事として捉えられているが、仏道に於いては成仏し損なった結果というマイナスのイメージがある。
 四十九日の法要が重要視されるのは、『念』の浄化を助け、成仏を促すとされるためである。

『大抵の人(?)は自分の死後、周囲の人々が自分の死を受け入れていく様子を見つめながら、同時に自身も己の死を受け入れて成仏の日を迎えるんですが・・・私は死んでも天邪鬼でしてね、「霊」が時系列に縛られない事を利用しているんですよ』
「・・・・・・まさか・・・」
『言ったでしょう?死後の世界(こちら)では新参者だって。正確には死後10日ですかね♪』

 光明の言葉に、羅昂は(あお)()を見開くと、深々と溜め息をついた。
 つまり、娑婆への滞留が許される49日を細切れにし、一年毎に現れ出るというのだ。
 光明の言うように『霊』は時系列に縛られないため、本人(本霊?)に年月の経過の自覚はない。

『我ながら名案だと思うんですけどね。単純計算すれば、あの子が還暦を過ぎるまで見守る事が出来るんですよ?』

 自分より年寄りになる教え子を見るのってどんな感じでしょうかね♪

 死霊のくせに嬉々とした表情を浮かべる光明に、再度ため息をつく羅昂。

「・・・貴方様という御方は・・・」

 初めて会った時は、その所作と気配の穏やかさに、彼の御仁の師とは信じ難かったのだが。
 『三蔵法師』のくせに型破り満載なところは、流石玄奘三蔵の師といったところか。
 ――ちなみに自分も型破りだらけの『三蔵法師』であることは、この際綺麗に無視する羅昂であった。

『――おや』

 光明の声に周囲の様子を窺えば、耳鳴りのような音を立てていた雨が上がっている。
 同時に、結界の中から洩れていた陰鬱とした気配も、穏やかに霧散していく。

「落ち着かれた様子ですが・・・ご覧になりますか?」
『助かります。流石に結界を作られると私では無理ですから。
 それにしても大した力をお持ちですねぇ・・・陰陽道、ですか』
「血筋故のことです・・・軽蔑なさりますか?」

 仏道と相対する力を行使する自分を。

『まさか。私やあの子に比べたら遥かにまともですよ』
「・・・・・・」

 何かが激しく違う、という意見は心の中にしまい込み、羅昂は結界を解く呪文を唱えた。
 歪められた空間が解かれ、外界と遮断されていたジープの姿が現れる。
 その中で眠るのは――

『・・・また、成長したようですね・・・』

 一日毎――実際の時間の経過では一年毎に見る、その姿が、精神(こころ)が。

『安心しました・・・この一年で、驚くほど安定したようです』

 必要だったのは、厳しい修行でも、読経でもなく――

『色々、あったんでしょうね・・・』

 この旅の中で――信頼を築いた仲間の中で――

『貴方にも礼を言いますよ。雨雲の下でありながら眠りに就けるのも、貴方の術のお陰でしょうから・・・』
「礼など・・・私は、私の出来得る限りの力で、私自身の役目を果たすまで・・・」
『何か、大きな「目的」が、あるのですね・・・』
「・・・はい・・・」

 その為に――その為だけに、自分はこうして在るのだから――

『幾らでも、足掻きなさい・・・貴方はまだ、生きているのだから』
「・・・・・・はい・・・・・・」
『――さて、と・・・日が昇る前に退散しますか』
「・・・・・・・・・はい?」
『だって相場でしょう?朝日を浴びると灰になるって』

 それは吸血鬼だ――しかも実際は物語の中だけの設定で。
 そうツッコみかけたが、不意に気付いた。
 目の前の御仁が見守る御子――と言うにはかなり成長しているが――は、やはり気配に聡い。
 結界が解かれていることと常とは違う気配が在ることを感じ、目を覚ましてしまうのは想像に難くない。

「・・・では先代殿、暁光が射す前に、疾く行かれませ・・・」
『そうですね・・・そういえば、貴方の名は・・・?』

 あ、自分も名前を言ってませんでしたっけ、と明朗に笑う光明に、羅昂は静かに首を振った。

「中陰(四十九日)にある(もの)が、己の名を名乗うてはなりません・・・娑婆に縛られます故。
 そして私も、今は名乗る名を持ち合わせておりません――」

 ここに在るのは、仮初めの姿だから――

「いつか、御霊前に参る日が来た時――その時にこそ、真の名を告げましょう・・・」
『そうですか・・・楽しみにしてますよ、月光を纏う「三蔵法師」殿・・・』
「はい・・・では先代様、貴方様の行く道に、光と安寧のあらんことを――」
『有難う・・・あの子を、宜しく頼みます――・・・』






 張り直した結界の中で人の動きを感じ取り、羅昂は再び結界を解いた。

「玄奘殿・・・まだ、日は射してなかろう・・・」

 目が見えないものの、暦を読むことに長けているのと感覚の鋭さから、日の出にはまだ半時間程あることは予測出来る。
 そうでなくとも低血圧で寝起きの悪い三蔵が、このような時間に起きてくることは今までにもなかった筈だ。

「だからだ」
「・・・・・・?」

 三蔵の答えにもなっていない答えに、羅昂はますます解らないという顔になる。

「まずは禊――と言いてぇところだが、野外じゃ出来んな」
「雨露を溜めておいた。飲用にと思っていたが、使われると良かろう」
「あぁ・・・夜中に降ってたのか・・・」

 呟きの後の『間』は、雨音に悪夢を見せられた事を思い出しているのだろうか。

「式神を呼べば、もっと充分な量の水を与えられるが?」
「・・・別にいい」

 少しばかりげんなりしながら羅昂の溜めた雨水で顔と口を濯ぐと、残りの水で絞った手拭いで身体を清める。
 禊を済ませると法衣の袷を整え、荷物の中から金冠と白い被布を取り出した。
 見えなくても物音からその様子を察した羅昂は、驚きを表すように片眉を上げた。
 金冠と被布は、三蔵法師の正装だ。
 それらを身に着けると、羅昂が雨をよけたため乾いている地面にどっかと胡坐をかき、朗々と読経を始めた。
 羅昂も、その後ろで合唱する。
 空が白み、地平線から暁光が差していく。
 しんと冷え切った空気の中、凛とした声が響き渡った。

「一心頂礼 万徳円満 釈迦如来
真身舎利 本地法身 法界塔婆
我等礼敬 為我現身 入我我入・・・」






「・・・命日で、あられたのだな」

 読経を終え、元の略装に戻った三蔵に、ぼそりと呟き掛ける。
 先の経は、舎利礼文(しゃりらいもん)
 仏舎利(入滅した釈迦の遺骨)に対して読み上げられた経だ。
 涅槃会でもないこの時期に、それを読む理由など、この人物に於いては一つしかない。

「・・・・・・昨夜みてぇに、月の明るい夜だった。深夜から雨が降り出したところも似てるな」
「・・・そうか」

 雨が上がり、澄み切った空に見えない目を向ける。
 先の御仁は、愛し子の経を聞きながら、次の一日を迎えるべく、次の年へ行ったのだろう。
 その事を、当人に告げるつもりはないが。
 いや、もし全てが終わり、先代三蔵の墓に行くことがあれば、墓前で言ってやろうか。
 その光景を思い浮かべ、薄布の下、小さく笑う羅昂だった。







あとがき

お題No.77の続き。『あなたという人』の対象がこの御方になったのは、香月自身意外でした(^_^;)。
三蔵様の誕生日11/29にアップしたわけですが、よく考えれば(よく考えなくても)仏教に於いて誕生日を祝うということは基本的にないため、どちらかというと命日に読経する方がそれらしいと考えたわけです。
といいますか、光明様が他界されたのが『三蔵』継承の夜であるわけですが、13歳になった日に継承するという設定って悪くないですよね?というわけで、『光明様の命日=三蔵の誕生日』でもいいかなーなんて(笑)。



読んだらぽちっと↑
貴女のクリックが創作の励みになります。




Back