77.欠けた左手 ザアァ――・・・ 夜更けから降り出した雨は、木々の葉を穿つ勢いで強く降り続く。 夜行性の生き物すら住処から動くことのない闇と雨音が支配する森の中、一ヶ所だけ、不自然に発生する『気』の存在があった。 「夜明けまで降るか・・・」 呟く羅昂の周囲に、雨粒は一滴も存在しない。 『水』を操る式神を呼び、自分の周りに水を寄せ付けないようにバリアを張らせている 更に、三蔵達が乗るジープの周囲には空間を歪める結界も張られており、妖怪が来てもそこに彼らがいるようには見えないよう施されている。 羅昂の役割は自身が張った結界の外、式神のバリアの中という位置に立ち、外界の変化に対応出来るよう張り番をすることだった。 どのくらいの時間が経っただろうか。 雨の勢いは今まさにピークを迎え、痛い程に耳をつんざく雨音を遠ざけるべく瞑想に耽っていた羅昂の体がピクリと動いた。 空間が揺らぎ、今迄そこに無かった気配が現れるのを、肌で感じたからだ。 そして、 『これは・・・何とも珍しい力ですね・・・』 感心した声音が、羅昂の耳に入る。 「!・・・何者・・・!?」 言いかけて、羅昂はハッと口を噤んだ。 盲いた目に映る、淡い金色の光。 それは徐々に凝縮し、壮年の男性の姿をとった。 光を映さない羅昂の眼は、しかし常人の眼に映らない『真実の姿』を写すことがある。 目の前に現れたものは、肉体から解き放たれた存在――いわゆる『霊』と呼ばれるものに間違いなかった。 ただ、それは確かに霊――死霊なのだが、そこには死して尚浮かばれずに彷徨い出る死霊特有の禍々しさはなく、それどころか正反対の『気』を放っている。 生前より神に等しき魂を有するが故に、死して真の『神』となり得る人物―― 辿り着いた答えに、羅昂の顔に緊張が走る。 「・・・歴代の、三蔵法師であらせられた方ですね・・・」 他の誰に対しても使うことのない口調になると同時に、目上の者に対しては失礼になるため、顔を覆う薄布を取り払った。 更に、地面に躊躇うことなく片膝をつき、深く頭を垂れる。 『えっと;そんなに畏まらないで下さい。それに私はそんなに昔の人間ではありませんし。 ――というより、先代の唐亜三蔵法師ですから、 先代の唐亜三蔵法師。 その意味するところは、唯一つ―― 「!・・・玄奘殿の――!」 ますます恐縮する羅昂の頬に、不意にフワリと温もりが触れた。 『お願いですから立って下さい。我々の立場に上下関係などないでしょう?』 霊――光明三蔵の右手が、羅昂の左頬に添えられている。 霊の存在を認識し、それに触れられて温度を感じる。 死霊である光明が、羅昂に触れても消滅しない。 陰陽師である羅昂と、死して神となり得る光明三蔵だからこそ出来る芸当であった。 光明に促されて立ち上がりながら、羅昂は光明の所作に不自然さを感じ、その原因がだらりと下がる法衣の左の袂にあることを突き止めた。 「先代様・・・貴方様は、左腕を・・・」 『ええ。死に際にね、切り離されて・・・』 光明の言葉に、羅昂は疑問を抱いた。 死霊の姿は、死に際の姿に影響されない。 何らかの原因により現世を離れられない霊であれば、死に至る原因を構成する一つとして、死した時の姿を保持することも――これまでの経験で――あるのだが、光明に限ってそのような事は考えにくい。 羅昂の柳眉が寄せられるのを見て、光明三蔵は苦笑した。 『身体から離れる時にね、持ってかれちゃったんです・・・「あの子」に』 「・・・・・・」 光明の言葉の意味するところを悟り、羅昂は『視線』を逸らした。 自ら施した結界の中、更に式神の力で雨からも守られている、その人物。 しかし―― 『無意識でしょうね。まあショッキングなものを見た所為なんでしょうけど。 心の中に取り込んでしまってるようなんですよ・・・』 それは同時に、唯一の存在を失った現実を思い知らせる『棘』となり、 『こういう雨の日には・・・』 『棘』は彼の中で、その存在を主張し、疼くのだろう。 「・・・・・・」 『雨』が彼のトラウマの鍵となっていることは、羅昂も知っていた。 だからこそ、雨雲の存在を感じ取れば、術の力で彼方へ追いやることも――本人には知られないようにしつつ――あったのだが。 恵みの雨を欲する森の中で、しかも夜半から降り始めた雨に、今夜は自分達の周囲最低限の範囲だけ雨を避けることにしたのだ。 しかし――雨水は凌げても、雨音は消せない。 それは式神の張るバリアも羅昂の結界も越えて、彼の耳に届く。 そうして今この時も、彼は常より浅い眠りを強いられているのだろう。 「・・・申し訳、ありません・・・」 『貴方の所為ではありませんよ。これはあの子が乗り越える問題ですから、貴方も甘やかすのは程々にしておいて下さい』 「そう言われると、立つ瀬がありません・・・」 関係ないと、そう言われているようで。 『誤解しないで下さいね、貴方が必要ないわけではないのです。むしろ貴方達が支えていてくれるからこそ、あの子は前を向き、己の傷を癒していけるのだと思うのです』 「・・・・・・」 『「強くありなさい」――私はあの子に、そう言い遺しました・・・ いつか、その言葉の真の意味に気付くよう願って・・・』 「・・・そう、ですか・・・」 心の傷に、薬は効かない。 時に酒や快楽などに逃避することで苦い過去を忘却することは出来ても、それは傷を隠しているだけで、根本的な解決には至らない。 傷の存在――ひいては現実と向き合うこと。 それが出来るためには、『強く』なくてはならない。 『強く』あること――それは、己の『弱さ』を認め、それを曝け出せることである。 如何に三蔵といえど、残念ながらそれが完全に出来るまでには至っていない。 『大丈夫。少しずつではありますが、あの子は前へ進んでいます。 きっと、今の旅が終わる頃には、良い報告が聞けるでしょう』 「私に出来る事があれば、ご助力致します」 現在最年少の三蔵法師は、奇しくも自分と同じ色合いの髪を持つ人物に対し、深々と頭を垂れたのだった。 |
あとがき 何と桃源郷メインストーリー設定にて、羅昂と光明様が出逢う話。 光明様の髪の色が銀髪という設定を知った時には既に本文にて『ヒトには有り得ない銀髪』と散々書きまくった後でどうしようもなく、『光明氏の髪の色は褐色が年を経て色素が薄くなった結果』というmy設定(謝)。 お題No.100に続きます。 |
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