はらり はらり 舞い散る花弁は、彼女の涙。 想う者を追い、その身を枯らす。 これは、今よりほんの少しばかり 天帝城の北館と書庫を繋ぐ渡り廊下。 深夜、草木も眠る静けさの中、唯一つ。 薄物の装束の衣擦れと、アンクレットの音をかすかに伴いながら、書庫へと向かう人影。 と、その背に、この時間にはいささか不釣合いな、明るく元気の良い声が掛けられた。 「月香姉ちゃーん!!」 「まあ悟空、今晩は」 「うん、こんばんは!!」 「もう真夜中ですよ?こんな時間に、どうして此処へ?」 「だって、月香姉ちゃんに会いたかったから! 月香姉ちゃん、これから書庫に行くんだろ?俺が月香姉ちゃんに会いたいって言ったら、書庫へ向かって行けば、早ければその途中で会えるって金蝉が!」 「金蝉様が・・・」 呟く唇は、珊瑚のように紅く、 夜間の少ない灯明を、白磁の肌が弾き返す。 装束の裾まで届く長い髪は、月光を紡いだかのように煌く銀糸。 光源の乏しい夜の廊下であっても、その滲み出る気品は輝かんばかりだ。 彼女の名は、 天界の神々の中では、かなり異質な存在である。 天地創造の際に用いられた6巻の経文、その1つである『更天経文』。 『変化』を司るが故に経文の形として収まらせることの出来なかったそれを、釈迦如来達原始の神々は生命体に憑依させる事を思いついた。 その強大な力を宿すに相応しいと選ばれたのが、日天と月天。 果たして、その2柱の神の交わりから生じた新しい神として、『更天経文』は化身したのだ。 それこそが、月香の真の姿であった。 だが、元々の経文の力に、更に強大な神通力を帯びた存在である彼女の能力は桁外れで、 『身体』の主である彼女の心が不安定になると、その影響は多方面にもたらされる。 場合に依っては天変地異も起こしかねないため、他人との接触は極端に制限され、 結果、日中の外出を避け、夜間に限られた範囲に於いてのみ行動するという、隠密的な状態を強いられている。 事実、極々一部の上級神を除いては、彼女の存在すら明らかにされていない。 大多数の神仏にとって、彼女は、『変化する下界と変化しない天界を支える存在』という、御伽噺の中の存在としてのみ、認識される者だった。 その月香と悟空が顔見知りなのは、もちろん間に立つ者の存在があったわけで、それが―― 「あ、来た来た!金ぜーん!おっそいぞー!」 廊下の角から姿を現した人物に、悟空が手を振る。 と、 つかつかつかつかつかつかつかつかバキッ 「いって――――っっ!!!何すんだよ金蝉!?」 「月香殿の前で大声出すなとあれ程言ったのが解んねぇのかこの猿!(←声を潜めて)」 「今大声出したのは金蝉が殴ったからだし、さっき大声出したのも金蝉が遅かったからじゃん、金蝉の所為だってば!」 「人の所為にするんじゃねぇ!!(←声を潜めて)」 再び、廊下に痛そうな音が響き渡った。 「すまない月香殿。この小猿が驚かせるような事はしなかっただろうか」 「私は大丈夫ですわ。お気遣い有難うございます金蝉様。 ――そういえば悟空、私に会いたいと言ってましたが、何かあったのですか?」 「あ、そうそう。これ、月香姉ちゃんに!」 そう言って、後ろ手に持っていた物を月香の目の前にずい、と差し出す。 それは、一枝の桜。 「まぁ・・・」 悟空の手の位置に合わせて膝を折り、嬉しそうな表情を浮かべる月香とは逆に、渋い顔を隠すこともしない金蝉。 「だから月香殿を驚かせるような事をするなと言うのが・・・!」 「このくらいであれば大丈夫ですから、金蝉様、悟空を叱らないでやって下さいませ。ね?」 「ったく・・・」 金蝉が月香の正体を――その存在を知ったのは、まだ悟空が天界に連れて来られるよりも遥かに前の事。 それ以来、彼女が心を乱すことのないよう、彼女を壊れ物のように扱っている。 「それにしても悟空、この枝、無理に折った跡がありますが・・・」 「えっと、俺と捲兄ちゃんで木登り競争してて、そんでその枝の上に立って金蝉のこと見てる時に折れちゃって・・・ 折れた枝を元に戻すことは出来ないって金蝉に言われて、それなら月香姉ちゃんにあげようって思いついたんだ」 「そうだったの・・・では有り難くいただきましょう。 でも、桜の木に謝って、もう細い枝の上に立たないよう約束してね?」 「うん!」 「さ、もう随分遅い時間だわ。もう床に就かないと、明日元気に遊べなくてよ?」 「そんなのヤだ!・・・でも・・・」 「?」 言いよどむ悟空に月香が視線で問い掛けると、ぽふ、と悟空は月香に抱き付いた。 「悟空っ、この・・・!」 額に青筋を立てる金蝉を、片手を優雅に上げて制止する月香。 「どうしました、悟空?」 「もっともっと月香姉ちゃんと話がしたいのに、月香姉ちゃん、夜にしか殆ど会えないじゃん。 余りたくさんの人と会うのも良くないっていうし、それじゃあ全然楽しくないよ。 俺がさっきまで皆と一緒にいたみたいに、月香姉ちゃんも皆と一緒にいられたらいいのに」 「悟空・・・」 子供というのは純粋で、自分達のように様々な思惑で縛られることがなく、ひたすら真っ直ぐだ。 月香はしがみ付く悟空を両腕で包み込んだ。 「そうですわね・・・では観世音様に、花見の宴を主催していただきましょうか。 金蝉様と悟空と、貴方達のお友達幾人かなら、親しく杯を交わしても咎められないでしょう」 「・・・『とがめられ』・・・?」 「問題ない、という事ですわ」 『お友達』という単語に嫌そうな顔をしていた金蝉が、その言葉に複雑そうな顔をした。 天地の理すら曲げることの出来る月香の能力は、故に彼女の気持ち一つで天帝の地位すら脅かすことが出来る。 彼女の存在が隠されている理由の一つとして、彼女と懇意となった人物が、その親睦を深めれば深めるほど、その人物が天界を、ひいてはこの世全てを操作する力を手にする可能性が高くなるからというのがあるのだ。 成り行きで悟空を彼女と引き合わせてしまったものの、悟空にこの天界をどうこうする意図は無いだろうが、天蓬達となると話は別だ。 彼等を疑うつもりは無いが(趣味や生活態度を除く)、彼等の人脈は多岐に渡る。 いつ何処からどのように彼女を利用する者が現れるか、分かったものではない。 「月香殿、彼等は軍に属する者。貴女にはいささか刺激が強過ぎるのでは・・・」 月香の心の平穏を何より重んじる金蝉は、心配そうな表情を隠せない。 それに対して返されたのは、困ったような笑み。 「金蝉様は、心配性過ぎますわ。 それに、余りに単調な日々は、心を殺してしまいますの。 私が『役目』を全うするためにも、多少の息抜きは必要でしてよ?」 「う・・・」 言葉に詰まってしまうのは、言われる事の正当さ故か、自分だけに投げられる微笑みの美しさ故か。 慌てて視線を逸らし、誤魔化すような咳払いをする。 「じゃあ、天ちゃんと捲兄ちゃん呼んで、月香姉ちゃんと一緒に遊んでいいんだ?」 「えぇ。美味しい甘味を用意しましょうね」 「あ――・・・」 「どうしました、悟空?」 それまでワクワクした表情を見せていた悟空が、不意に表情を曇らせ俯いた。 「・・・哪吒・・・呼べないかな・・・」 闘神哪吒太子。 この天界に於いて、数少ない悟空と同年代の少年。 たった一人の、『親友』ともいえる存在―― 「この前行ったら、ちゃんと眼が合ったのに、無視して行っちゃって・・・それに、いっつも周りにオトナの人がいて、俺を哪吒に近付けなくするし・・・」 悟空の呟きに、月香は困惑したように金蝉の顔を見た。 常に平静を保ち続けられるよう、天界・下界を問わずあらゆる知識を身に付けている月香だが、金蝉同様軍事とは無縁の職務であるため、軍内部で起きた些細な出来事に関しては、若干疎いといわざるを得ない。 金蝉も、先の件は天蓬達からの又聞きなので詳しくは分かっていないが、幼い闘神太子が本心からそのような行動を取ったとは思えない。 「以前、闘神太子の部屋にこいつを連れ戻しに行った時は、そういった事をするようには見えなかった・・・恐らくは、周囲の者達の思惑が絡んでの事だろう」 「そうなんですの・・・可哀相に・・・」 項垂れる幼子の悩みを解決出来るだけの力は、如何に月香といえども持ち合わせていない。 俯く悟空の髪を、月香の手が宥めるように梳く。 言葉にこそ出さないものの、金蝉の心中も同じだった。 下界の生まれであるにも拘らず、一部の者達の都合だけで退屈極まりない天界に連れて来られ、 その上手足には罪人の如く枷を嵌められて、 そして――・・・ そこまで考えが至ると、金蝉はハッとした。 『・・・・・・もし悟空が哪吒と同期で闘神にされた場合、その力を利用してのさばっている李塔天にとっては、悟空はもとより――・・・』 「――月香殿、宴の話はまた日を改めてさせていただこう。 悟空、本当にもう寝ないと明日寝坊して朝食喰いっぱぐれるぞ」 「え、ヤダそんなの! 月香姉ちゃん、哪吒の話、聞いてくれて有難う。 また今度な!」 言うと同時に、その足は棟の出口へと向かって駆け出していた。 眼にも止まらぬ速さである。 「ったく、あの小猿は・・・」 「金蝉様」 悟空の姿が消えた廊下の角を見やり、呆れたようにため息をつく金蝉に、掛けられる声。 「・・・何か、月香殿?」 「急に御自身から話題を打ち切るなど、貴方らしくもございませんわ。 ――何か、ありますのね?」 質問というより確信した上での問いという口調に、金蝉は内心で舌を打つ。 これ以上闘神太子の話に彼女を深入りさせないようにとの金蝉なりの苦慮だったのだが、水の泡になったようだ。 彼女は、『知る』事を何より重要視する。 なぜならば、『無知』であると、不測の事態に陥った時、平静を保つ事が難しくなり、この世界全ての『変化』と『不変』のバランスを支える存在である彼女の場合、それはすなわち天地の理を崩壊させる事にも繋がりかねないからだ。 だが―― 「・・・貴女は、この世界になくてはならない存在。 万が一にも貴女に害が及ぶような事になれば・・・いや、そうならないよう、貴女は闘神太子について興味を持つ素振りを、他の者に見せることのないようにしていただきたい」 「・・・・・・・・・」 月香の正体を知らない者にとって、彼女は一天界人としか映らない。 もしも李塔天が彼女を悟空に与する者と認識し、排除にかかったとしたら――それだけは避けなければ。 金蝉の言葉に、月香は僅かに切なそうな表情を浮かべたものの、すぐにそれを消して頷いた。 「では近いうちに、観世音様に宴の話を致しましょう。 金蝉様の信頼なさる方であれば、私の事を話す事にやぶさかではありませんわ」 「・・・・・・」 信頼していないと言えば、嘘になるのかも知れない。 だが、あの三白眼の大将が友人の上官となって暫くした頃から、軍周辺のキナ臭さはいや増している。 全くの門外漢である自分がそう感じているのだから、実際はかなり際どい状況なのだろう。 ――天蓬に、その辺りを詳しく聞くべきだな。 先の花見の席では、悟空が木から落下するなどの邪魔が入り、結局話は中断されたままだ。 折を見て、更に一歩進んだ話――すなわち闘神太子と李塔天、そして天界軍そのものについて、友人と膝を突き合わせよう、そう考えその場を辞しようとした時、 「おやこれはこれは、何とも絵になる組み合わせでございますなぁ」 「・・・!!」 |
やっと始まりました、天界編。 前述の通り、桃源郷メインストーリーのオリキャラの、500年前の姿です。 何せ元が経文なので、アレとコレを『前世』『現世』と区分出来るのか、凄く微妙。 なので、桃源郷編のオリキャラは、↑のオリキャラが更に下界に化身した存在、と位置付けております。 ちなみに、時系列としては単行本2巻の夜桜談議話の直後。悟空の体重で折れた枝が勿体無いので、ここで再利用させてもらいました(笑)。 それと、本来の彼女の出自を考えれば、実は金蝉より位は上なのですが(しかも観音よりも上)、普段は一般人として扱われることになっているのです。というか正直金蝉が『月香様』なんて言うと違和感あり過ぎて・・・(超本音)。 |
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