噂をすれば、というやつか。 悟空が姿を消した廊下の角とは逆の角から姿を現した李塔天に、金蝉は月香を自分の背後に隠すように前へ出る。 が、李塔天の口から出たのは、意外な内容だった。 「観世音菩薩様の甥御でいらっしゃる金蝉童子に、日天と月天の愛娘でいらっしゃる月香様・・・この天界の中でも一際高位の神にあらせられ、しかもかように見目麗しいお二人にお会い出来るとは、僥倖としか言いようがない」 「・・・あんたは・・・」 李塔天が月香の出自を過たず述べた事に、金蝉は驚きを隠せない。 月香の正体を知っているのは、天界上層部の中でもごく一握りの上級神のみだ。 己の利害の為に彼女の力を利用する事を防ぐため、彼女の誕生に関わった者の意図により、天界全体で彼女の存在そのものが架空のものとして扱われている。 金蝉は観音からの伝で知り合ったようなものだが、目の前の男に、そのような上層部とのパイプがあるとも思えない。 一体、何処から、もしくは誰から――? 「ご安心召されよ、儂はめっぽう口が堅い方ですからな」 裏を返せば、情報のソースを明かすこともしないという事だ。 含んだ笑いが神経に障り、金蝉の目が剣呑に眇められる。 両者が押し黙ったこう着状態を解いたのは、月香だった。 「・・・金蝉様、今宵はもう遅うございます。いずれ日を改めて・・・」 ここでこれ以上睨み合っても、得られるものは何も無い。 本心は手段を問わず李塔天を詰問したかった金蝉だが、それにより月香に危害が及んでは元も子もないので、渋々ながらその言葉に従った。 「では、お送りしよう」 月香とて老獪ひしめく天界で生きる者、多少の火の粉ぐらい払う術は有している。 金蝉もそれは心得ており、普段であればこの場で別れを告げている筈。 だが、今夜に限っては、自分の中の何かがそれを許さなかった。 李塔天の前を横切る間も、その後も、その視線すら彼女に触れさせないと言わんばかりに、金蝉は自分の体で李塔天と月香の間を遮るようにして付き添った。 幾つかの角を曲がり、書庫の入り口が見えた辺りで、どちらからともなく歩を緩める2人。 「「・・・・・・」」 背後を窺うが、誰かが付いて来るような気配はない。 ほう、と詰めていた息を吐く金蝉。 少なからず気を張っていたようだ。 「金蝉様・・・ここで充分ですわ。 悟空が寂しがりますし、どうぞ私に構わずお戻りを・・・」 「サルなんざ、勝手に床について高いびきだろうがな」 金蝉の言葉に、月香の表情が柔らかくなる。 「では金蝉様、近いうちに宴の主催をお願いするため観世音様にお目に掛かるかと存じます。 私が伺う旨お伝えいただければ幸いかと・・・」 「あぁ、言っておこう」 「それではご機嫌よう・・・」 「あぁ・・・」 そこで2人は正反対の方向へと歩き出した。 夜が明ければいつもの日常が始まる、その事に疑いも持たずに。 その時2人は気付かなかった。 それが、平穏な日常の崩壊の幕開けだったとは―― あの日から幾日も経たない日の午後。 「――――――っ!!?」 突然押し寄せた不安感により、月香の眠りは強制的に覚まさせられた。 元々人出の多い日中に行動する事は、月香にとってある種の刺激となり、ひいてはそれが天界・下界あらゆる方面へ様々な現象として影響する。 だからこそ昼夜逆転に近い生活を送り、他人との接触を極力避けているのだが。 「・・・これは・・・」 これまでに感じたこともない、心に直接触れるような、ざらつくような違和感。 外で、今まさに何かが起きようとしている。 白い腕を伸ばしてサイドテーブルに置いていた呼び鈴を鳴らすと、この時間に呼ばれるとは思っていなかったのだろう、慌てたように侍女が飛んで来た。 「月香様、如何なされましたか?」 「を呼んで頂戴。外へ出ます」 「・・・今はまだ人出が多うございますが・・・」 「承知の上で、言っているのです」 「・・・っ、失礼致しました」 言い付けられた侍女は来た時と同様慌ただしく部屋を後にし、1人の女性と共に再び戻って来た。 甲冑をまとい、腰に長剣を挿すその姿は、隣の侍女とは明らかに雰囲気が異なる。 彼女の名は、。 武人の家系に生まれたためか縫い針より先に槍や刀を持つようになり、天界の一般的な女性が花嫁修業を行う頃に天界軍の士官学校に入ったという、天界に於いてはかなり変り種といえる存在だ。 だが、身を護る術を持たない高貴な生まれの女性、特に未婚の乙女に関しては、間違いが起こる事を防ぐ意味もあってか、女性武官が護衛に宛がわれるケースも稀にだがある。 も士官学校を卒業後、軍で数年の実地経験を積んだ上で、月香の専属護衛として仕えている『稀なケース』の1人だった。 雇用主である月香の生活パターンに合わせて彼女も就寝中だったため、叩き起こされて文句の一つもあるかと思われたが、予想に反して緊張した面持ちで部屋に入るなり口を開いた。 「月香様・・・何か、只ならぬ気配を感じるのです・・・感じたこともない気配を・・・」 「貴女も感じるのですね、この、異質な空気を・・・」 武人であるが言うのだ、やはり自分の感じた異変は錯覚ではないのだろう。 月香は軽く身支度を調えると、アクセサリーを着けさせようとする侍女に『時間がない』と言って下がらせ、肌と顔を隠す外套のみ羽織った。 向かう先は――天界の中枢、天帝城。 「これは・・・?」 天帝城から発せられる気配。 神通力に似た、しかし禍々しさを含む強大な波動に、2人して眉を顰める。 天帝城の正門近くまで来たところで、月香は知己の顔を認め、駆け寄った。 「観世音様・・・そのお顔は・・・」 紅白粉を刷いた艶やかなその顔に、惨たらしい打撲痕。 切れた唇を治癒していないのか、血の滲む口の端を上げて、それでも尚美しく微笑む。 「乳母日傘で育ったもやしっ子と思っていたが、やはり男の本気は違ったぜ」 随分な言い草ではあったが、それが誰を指すのかは明白だった。 「金蝉様が・・・それは、この『気』と関係が・・・?」 「お前さんなら判る筈だ、この『気』の正体――人のものでも妖のものでもない、地の者でありながら天に斉しい程の力を持つ存在――」 「・・・・・・『斉天大聖』・・・・・・」 月香の唇が、戦慄きながらその単語を呟く。 天と地、相反する二種類の『気』が交じり合い、仙石に宿った生命体。 起源こそ違え、強大過ぎる『力』が世界を崩壊させないよう、人知を越える存在の意図に依って生み出された者という点に於いて、彼の幼児と自分は同類といえる。 「闘神太子を巡って、天界西方軍元帥等を交えて派手なやり取りがあってな・・・あいつ等は今、あのガキを庇ったことで謀反の罪に問われ、西海竜王を人質に取って立て籠もってやがる」 「謀反・・・」 呟く月香の背後で、の眼が見開かれる。 「そうだ。謀反、すなわち天上界に仇為す者は、特例の死罪――李塔天を筆頭に、あいつ等を陥れようとする連中の思惑に、あいつ等はまんまと嵌められたってワケだ」 「・・・・・・・・・」 愁いを帯びた そう、全ては、あの幼子が生を受けた時から始まった事。 そして今――最も懼れていた瞬間が、訪れようとしている―― 「それでもお前さんは、取り乱したりしねぇんだな」 「・・・哀しいですわね・・・人並みに泣く事すら許されぬ身というのは・・・」 「いいんじゃねぇか?」 「と、仰いますと?」 「お前さんは綺麗なお人形でも何でもねぇ、感情を持ったヒトだ。 どのみち天界が引っくり返ろうとしているんだ、何が起こったって不思議じゃないさ」 「・・・観世音様・・・」 天地創造に用いられた経文の一つ、 それが憑依した生命体が、月香の正体。 人並み外れた神通力の持ち主でもある彼女が感情を露にすれば、経文本来の力と相まってそれこそ世界が崩壊する危険すらある。 それを知った上で、それでもヒトとして振る舞う事を擁護する言葉に、月香は彼女(?)らしいと思った。 「――さて、と・・・中に入ったところで、軍人がわんさか建物を取り囲んでいるから、状況を知るのは難しいぞ。どうする?」 確かに観音の言う通りだ。 とはいえ、このまま引き返すわけにもいかないだろう。 と、それまで月香の背後で控えていたが口を開いた。 「恐れながら観世音菩薩様、先程、『軍人が建物を取り囲んでいる』と仰いましたね? だとすれば、私がかつて所属していた西方軍の者に接触してみれば、何か分かるのでは・・・」 「ふむ、一理あるな。だが、天蓬が西海竜王を人質に取ったことで、奴等は指揮官を失い、行動を制限されているんじゃねぇのか?」 観音の言葉に、武人らしく感情を押し殺していたが、ほんの僅かに表情を緩めた。 「その点はご心配に及ばないかと。 何せ西方軍第一小隊のモットーは『命令がなくば自己判断』ですから。 まずは『あの方』の出方を探り、その上で自身の信念に基いて行動すると思います」 「成る程な」 「観世音菩薩様、貴女様のお屋敷の一間を、暫くの間お借り出来ないでしょうか? 出来れば、一小隊の人数全て収容可能な広間を」 「――任せろ」 |
あー・・・一気にキナ臭くなりました(凹)。 後半は、一気に(というほどでもないのですが、何せ原作が『悪夢の3年間』を経ていたので;)単行本3巻の始め辺りに飛びます。 さてここから天蓬ドリームのヒロイン登場。 外見の詳しい描写は次頁以降になりますが、金蝉より淡い金髪に、青空のような蒼の瞳です。 この先を読むに当たって、100のお題No.7を一読しておかれると、話がスムーズかも知れません。 ・・・読まないとスムーズに理解出来ない代物を書くなと言われそうですが(汗)。 |
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