どうしてだろう、何かを欲しがると、いつも大切な人から引き離される――
小学1年生のが、7歳の誕生日を迎えた朝。
誕生日プレゼントを買いに、家族で近所の大型スーパーへ出掛けたが、欲しかった玩具が品切れだったため、郊外の玩具専門店へ向かった。
そしてその矢先、居眠り運転のトラックと衝突事故を起こしたのだ。
両親と、後部座席右側のチャイルドシートに座っていた弟は、ほぼ即死。
前後の車のシートに守られるようにして、だけが奇跡的に助かった。
(あの時、私がわがままを言った所為だ)
幼いに、それは深い心の傷となって残った。
それからというもの、の口から『〜がしたい』『〜が欲しい』という言葉が出ることはなくなったのだ。
その事故がにもたらしたトラウマは、それだけではなかった。
むしろこちらの方が、日常生活に支障を来たしているといえる――
「―――・・・・・・私・・・?」
蛍光灯に照らされた白い天井が、ぼんやりと見える。
「気が付きましたか?」
「!?」
よく知った、しかし今聞くことが出来るとは思ってもいなかった声が、耳に入る。
慌てて頭を廻らすと、想像通りの声の主の顔。
「・・・・・・八、戒・・・」
驚きと安堵の入り混じった声を洩らすが、続いた言葉は、
「・・・何、この配置」
事故後初めて顔を合わせた、曲がりなりにも恋人相手に、この台詞。
言われた相手は困ったように苦笑する。
とはいえ、の言葉も尤もで、
彼女の横たわっているベッドにもう一つのベッドがほぼ隙間なく横付けされ、そこに恋人が横たわっているのだ。
間仕切りカーテンも引いていないので、手を伸ばせば触れられそうな位置。
「あはははは、実は僕も身体を動かせない状況でして・・・麻酔はほぼ切れたんですが。
看護師さんに無理を言いまして、入院病棟からベッドごと移動してもらったんです」
「・・・移動?」
「ここは病院の処置室です。貴女バスを降りかけたところで気を失ったんですよ。
同僚の悟浄が貴女に連絡をとったと聞いて、こうなるだろうと思って急いで病院スタッフの方に貴女の事を話しました。
で、即行で適切な処置をしていただき、今に至る訳です」
「・・・・・・」
「貴女が車に乗ることが出来ない理由は、ある程度知っているつもりです・・・昔シスター達が話すのを小耳に挟んでいたものですから。
そして、無理に車に乗ればどうなるかも――・・・」
「・・・・・・・・・」
そう。
事故から20年近く経った今でも、は車に乗る事が出来ない。
無理に乗ろうとすると、身体が拒否反応を示し、ショック状態に陥る。
バスに乗ることも出来ないため、修学旅行などの学校行事は全て休まざるを得なかった。
心配したシスターに連れられて心療内科に通ったこともあったが、根本的な治療には今尚至っていない。
つまり、がバスで気を失ったのは、PTSD(心的外傷後ストレス症候群)からくる自律神経失調症によるものだったのだ。
「すみません・・・僕がこんな事に巻き込まれた所為で・・・」
「・・・怪我は?」
本来乗ることの出来ないバスに乗る決意をするほど心配したのだろうに、出てくるのはそっけない言葉。
そのギャップに苦笑しつつ答える。
「まあ、左半身のあちこちを打って、骨折も多少ありますが、何とか無事で・・・?」
驚きに目を瞠る八戒。
その視線の先、化粧っ気のないの目元から零れるのは、大粒の涙。
点滴をしていない左腕で顔を隠しているが、泣いている事実までは隠すことが出来ない。
「・・・・・・また、いなくなるって、思って・・・ック・・・家族も、花喃も・・・いつもそう・・・ック、大切な、人達ばかり、いなく・・・ック、なっちゃって・・・私・・・取り、残、されて・・・ヒック」
「・・・」
しゃくり上げながら紡がれるその言葉に、八戒は改めての心の傷の深さに気付かされた。
痛みをこらえながら右手を伸ばし、の左腕に触れる。
「大丈夫ですから・・・貴女を残して、いなくなったりなんかしません・・・約束します」
触れた部分に少し力を込めての左手を手繰り寄せ、そこに自分の指を絡ませる。
普段極端な照れ屋で、手を繋ぐのも稀なだが、今日は違った。
指を絡めた手を離すまいとでもいうように、強く握り返してくる。
握った手に縋るように頬を寄せながら、は咽ぶように泣き続けた。
孤独には慣れていた筈だった。
貴方と出逢って、世界は変わった。
もう、独りになるのは嫌だから、
お願い、この手を、離さないで―――
八戒の事故から半月後――
あれからもは、時々八戒の元を訪れた。
流石にバスは乗れないので、駅からはレンタサイクルを使うことにしている。
看病のシーンに付き物のリンゴ・・・ではなく梨を剥くを、八戒は目を細めて見守っていたが、ふと思い出したように話し掛けた。
「、すいませんがそこの引き出しにA4の封筒が入っているので、出してもらえませんか?」
「ここ?」
頷く八戒に、は剥き終わった梨を簡易テーブルに置くと、病室の入り口の洗面台で手を洗ってから言われた引き出しを開け、茶封筒を取り出した。
「中身を出して見て下さい」
「いいの?」
出てきたのは、数枚のチラシと、厚手のパンフレット。
その内容は――
「・・・八戒・・・これ・・・」
分譲マンションのチラシや詳細のパンフ。
場所は、の住む地域から左程離れていない駅前ニュータウンだ。
「今回の事が無かったとしても、いずれ考えなきゃとは思っていたんです。
友人の家を宿代わりにするのを咎められたことはないですが、あの人、酔う度に人の恋愛事情を聞こうとして絡んできますし。
・・・というのは冗談ですが、ここからは本気です。
――、僕と家族になるのは、嫌ですか・・・?」
「・・・っ!!」
不意打ちともいえるプロポーズに、の頬が朱に染まる。
確かに、交際を始める際に、『何なら、ごく普通の結婚をするのも前提に』とは言われたが。
交際からそれなりの年月を経て、八戒が何らかのアプローチをしようとしている事は、も薄々気付いてはいた。
けれど、世間一般の恋人達とは何処かずれた自分達が、ごく普通の家庭を気付くことが出来るのか、そのようなものを望んではいけないのではないのか、
その事に思い至る度、はため息をつき悩んでいたのだ。
「い、い、嫌ではないけどっ、でもっ、あのちょっと待って・・・!」
「まさか・・・他に好きな人が・・・」
「いないわよっ!失礼ね!」
「なら問題ないじゃないですか。まだ何かあるんですか?」
「だ、だって何もこんな所でこんな時に言わなくったって・・・!」
確かに、包帯とギプスを嵌めたパジャマ姿というのは、プロポーズする側の格好にしては余りにも雰囲気に欠けるが。
「それらしいシチュエーションを作ったら、貴女余計に照れて逃げ出すでしょう?
そりゃあホテルの最上階のレストランで夜景を見ながら給料3ヶ月分の指輪を差し出すってのも、お望みとあらば退院後に実行しますが?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
その光景をリアルに想像してしまい、今度こそ真っ赤になってしまう。
八戒ならやりかねない、というか絶対にやる。
衆人環視の中でそんなプロポーズをされるなんて、考えただけで恥ずかしくて死にそうだ。
羞恥の余り酸欠で口をパクパクさせるを、八戒は真摯な眼差しで見つめる。
「ねぇ・・・イエス、って、言ってもらえませんか?」
「え、あっと、あ、う、その、えっと・・・」
「おー八戒、外回りついでに見舞いに来たぜー・・・って、アリ?」
軽くパニックを起こしているの傍のカーテンが揺れ、赤毛の男が顔を覗かせた。
まさか彼が今日来るとは思っていなかった八戒が一瞬固まった隙に、
「わ、私はこれで失礼しますので、後はごゆっくりどうぞ。
八戒、また来るから、えっと、その、さっきの話はその時に・・・」
プロポーズの返事なんて既に決まっている癖に、どこまでも照れ屋のは、これ幸いとばかりに悟浄の横をすり抜けて、逃げるように帰ってしまった。
残されたのは、
「・・・・・・(あー・・・何かどっかからドナドナが聞こえて来る・・・)」
「――悟浄」
「・・・・・・ハイ」
「この恨み、物理的にお返しするのと、精神的にお返しするのと、どちらがいいですか?」
「おおおお返しだなんて滅相もない、ど、どうぞそのままお納めを・・・」
「おや遠慮だなんて貴方らしくもない、何なら倍返し、いえ3倍返しにでもしましょうか?」
「・・・・・・(俺か?俺が悪いのか!?)」
「僕が悪いとでも?」
「・・・(考えを読むな!!)」
人の恋路を邪魔する者は、馬に蹴られて何とやらと言うが、
少なくとも、悟浄が馬に蹴られるより酷い目に遭うのは、既に決まった運命らしい――
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―了―
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あとがき
あ れ ??Г(゜△゜)
えーと、書きたかったのはヒロインの過去と心の傷とプロポーズ、の、筈だったんですが、あれ〜?なことに。
ここのヒロインは基本的に香月自身を二次元化したようなもので、実際香月がもし真剣にプロポーズなんぞされたら「えええぇえ!?」とか言って逃げ出しそうです。されたことないから判りませんが(死)。
ヒロインが号泣するシーンが若干埋葬編の悟空と被る点が大いに不服なので、今後精進する次第。
そして悟浄ファンの方にはお詫びの言葉もございません。頑張れ悟浄、きっと良い事もあるよ!(←超棒読み) |
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