彼岸の彼女 此岸の彼





 病院の、殆ど人が寄り付かない最奥の一室。
 薄暗い部屋の中、否応なしに視界に入る白い布が眼に痛い。
 俯くの柔らかい髪を、悟空が優しく撫で付ける。
 三蔵は現在、携帯電話を使えるスペースで方々へ指示を出している。
 悟浄達は流石に別荘を空けては来られず、三蔵が連絡を入れた管理人が到着し次第、ここへ飛んで来る予定だ。

「三蔵・・・」
「そいつを連れて、向こうのロビーへ行ってろ」
「・・・・・・」

 は残りたがる素振りを見せたが、今自分に出来る事は何もないと解っているのだろう、悟空が促すと、渋々立ち上がり一緒に部屋を後にした。
 2人の気配がなくなったところで、三蔵はため息をつく。

「・・・行ったぞ」

 その声に、それまで死んだように微動だにしなかった八戒の瞼が開いた。

「よく、判りましたね」
「モニターの数値が上がっている。幾らペテン師でも、意図的に心拍数を眠っている時のレベルまで落とせる奴はいないからな」
「・・・その機械の電源落として、手首に繋がっているチューブ外してくれません?」
「自殺幇助はごめんだ」
「知ってましたか」

 ピッ、ピッ、ピッ、と規則的な音を刻むICUなどでお馴染みの機械は、圧力モニターを動脈に繋げて血圧と脈拍を常時測定するようになっている。
 その繋げているチューブを外せば何が起こるかは、考えるまでもない。

「・・・本当は、あの時死ぬつもりだったんです。あの子には悪いですが」
「・・・原因は、これか」
「・・・読んだのなら、尚更死なせてくれればいいのに・・・」

 三蔵が取り出した、八戒の手紙。
 三蔵達全員に宛てて書かれたそれは、いわゆる遺書とも懺悔とも取れた。
 本来なら喜ぶべき娘――の存在が、自分の罪を明らかにするものだったのだと。

「学生の頃から似た者同士とは思っていたが・・・まさか双子の姉弟だったとはな」

 そう。
 花喃は八戒の、幼少時に生き別れた双子の姉だったのだ。

「あの頃でも17・8年は経ってましたからね、面影なんて判りませんでした。でも・・・」

 花喃は、違った。
 僅かな――本人すら知らない僅かな特徴と、女の勘で、八戒を実の弟と見抜いた。
 そしてその想いが罪だと判っていて、それでも愛しいという気持ちに抗えず、関係を持ってしまったのだ。
 結果、自然の成り行きとして子供を身篭った。
 八戒に知らせれば、生真面目な彼のことだ、結婚を申し込むだろう。そこで戸籍を洗うと、自分達が双子の姉弟だと判ってしまう。
 だから、彼の前から姿を消し、独りでを産んだ。
 彼女がに持たせた八戒宛ての手紙には、『ちょっと悩んだけど、せっかく宿った命だし、産むことに決めたわ』とあったが、実際は、彼女とて相当苦悩したのだろう。
 墓場まで持って行く秘密にするつもりだった彼女の考えが変わったのは、癌の告知を受けた後のこと。
 出来ることなら親子3人で会いたい、あとあの頃のメンバーにも子供を見て欲しい。そう思い、今回の会合を企画した――前者の希望は、結局叶わなかったが。
 『貴方の幸せを壊すつもりはないの。嫌なら今のまま、はお義母様に任せるし、お義母様も構わないと言ってくれているわ。でも、貴方さえ良ければを見守って欲しいの』
 そう、死の床で書き綴った手紙をに持たせ、自身は神の御許へと旅立ったのだ。

「本当、自分勝手で周りを振り回して、人の迷惑を顧みずって彼女の事ですよね」
「・・・・・・」

 貴様もだろうが、と突っ込みたいのを辛うじて堪える三蔵だった。
 代わりに、

「・・・迷惑だったのか?」
「・・・貴方にしては、随分優しいですね」

 誰に対して、とは言わないが。
 かつて恋人だっただけあって、理解も許容もあるということか。

「今だから何とでも言えると言われても仕方ないが、あの頃の花喃(あいつ)は、俺と付き合っていても、俺を透かして別の人物を見ているようだった。お前以外の連中と関係を持ったのも、お前への気持ちをあいつなりに誤魔化そうとした結果だったんだろう」
「他の3人はともかく、三蔵を利用するとはまた大胆ですね。彼女らしい」

 その時、

「おい生きてっか八戒!」
「ぅわ悟浄!?」
「死んでたらここやのうて霊安室やがな」

 噂をすれば何とやら、病室に飛び込んで来た悟浄に、やや本気で吃驚した八戒だった。
 特徴あるヘイゼルの口調が聞こえるということは、悟浄の背後にいるのだろう。
 そしてもう一人、大の男2人を掻き分けて、

「よぉ、お目覚めか」

 真っ赤なワンピースに黒いサッシュベルト、ウェーブのかかった艶やかな髪に赤いルージュが目を引く年齢不詳の美女が、しかし随分砕けた口調で話し掛けてきた。
 一瞬、悟浄の新しいお相手かと思ったが、

「うちの花喃とが世話ンなったな。あいつらの保護者の世羅 観音(かのん)だ」
「・・・はい!?」

 叫んだ途端、縫合したばかりの腹部が痛み、顔を顰める八戒。

「ババァ、これでも腹を10針以上縫った重症患者だぞ」
「悪い悪い。まーでも、お前ら本当に似た者同士だよ。思い込んだら突っ走る辺りもな」
「こいつは文字通り突っ走りやがったがな」
「三蔵、この方をご存知なんですか?」
「世羅財閥会長、兼、親父の呑み仲間だ」

 世羅財閥といえば、アパレルを中心に展開している巨大企業の元締めだ。
 大手ホテルグループの会長である三蔵の父と旧知の仲とあれば、この砕けた遣り取りも頷ける。

「光明に伝えといてくれ、今度婿養子のお披露目パーティーをするってな」
「俺を巻き込むな」
「ちょ、ちょっと待って下さい。それはどういう・・・」
「花喃が死んだ今、の父親であるお前さんをうちの養子に迎える事は法律で可能だ。その際、先に分籍(元の戸籍から独立させ、新戸籍の主とする)させときゃ、元の親を辿る事は困難になる。当然、あいつとお前さんの本来の関係もな。
 あいつが、残された僅かな時間を全て使って模索した方法だ・・・受け入れてくれないか?」
「・・・・・・」
「まずは治療に専念しろ。その間にこっち側で出来るだけのことはしておいてやる」

 そう言って覗き込む表情(かお)は、奇抜な装いとは裏腹に母性に満ちたもので、

「花喃とのこと・・・今まで有り難うございました。そして・・・これからは、不束ですが自分も宜しくお願い致します・・・」

 自然と、頭を下げていた。








 会長職が多忙ということ――が最初、『自由にならない身だ』と言ったのは、こういう意味だったのだ――で、観音が慌ただしく病室を去った後、八戒は悟浄に尋ねた。

「そういえば、どうしてあの人と貴方達が一緒だったんですか?」
「何や三蔵はん、あんさん言ってなかったのん?」
「こいつが目覚めるのが遅いのが悪い」
「うわ出たよ俺様三蔵様」
「死ぬか?」
「三蔵、ここ病院です」
「そもそもさ、昨夜の雨の影響で川の下流が氾濫したとかで、救急車が来られないっていうもんでよ、そしたらちゃんが携帯であの会長さんを呼び出したワケ。
 財閥会長の孫だもんだから、携帯もGPS機能付きで、あの山までヘリであっという間よ。
 で、まずお前さん達を病院に搬送して、その後俺達も山から下ろしてくれたの。ペンションは町から来た管理人に任せているから問題ないしな」
「車は川が何とかなり次第、うちのモンにまとめて運ばせるから。つっても、あんさんのはもうスクラップ決定やけど」
「あはははは、それはどうも」

 それきり、静寂が訪れる、
 暫くの逡巡の後、八戒は周囲に尋ねた。

「・・・軽蔑、しますか?」

 観音がああ言ったということは、少なくとも悟浄とヘイゼルも、八戒が死を選ぼうとした原因を知っているということだ。
 しかし返ってきたのは、

「ぶわーか、見くびってんじゃねーよ」
「あんさんはともかく、花喃はんが選んで決めた事や、うちは何も言わん」
「悟空には後で言っとくが、お前を責めたりはしないだろう。
 あのガキには、お前が言っても良いと見極めた段階で話せ。それまでは俺達からこの話が洩れることはない」

 三人三様の、彼等らしい反応。
 この人達と知り合って――友であって良かった。
 口には出さないが、そう思った。
 その時、

「ぁ・・・・・・」

 ごく小さな声が、八戒達の耳に届く。
 引き戸の隙間から見える、焦げ茶の――父と母の丁度中間の色合いの髪の毛。
 観音と接触した悟空が、八戒が目を覚ましたと聞いてここへ連れて来たのだろう。
 それを見た三蔵達は、ぞろぞろと部屋を後にする。
 入れ替わりにおずおずと入って来たは、まだ入り口の所で二の足を踏んでいたが、
 その小さな肩を、左右それぞれ2つ、合計4人分の手がそっと押す。
 その手は、自分の心も後押ししてくれているようで、
 ほんの少し、苦笑する。
 そして、今まで子供でいられなかったこの子に、精一杯のお詫びと感謝と愛を込めて、

「・・・・・・おいで、








 それは彼と彼女が『父』と『娘』になった瞬間――








―了―
あとがき

やはりお出ましな観音様(笑)。えぇ最初に「自由にならない」と書いたのは(香月的に)わざとです。年寄りっぽく聞こえるように。
元ネタは、日韓合同ドラマシアター『結婚式の後で』というものですが、正直原型留めていません(いつものことだ)。そちらは父親発覚のカギとなるのが少女の母と父が合作した曲なのですが、八戒さんに音楽センスは求められないもので(核爆)



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