彼岸の彼女 此岸の彼





 翌朝――

「ふあああ〜ぁ・・・あ゛ー・・・寝ちまってたか、俺ら」

 ホールで目を覚ました悟浄は、いつの間にか掛けられていた毛布をのけて起き上がる。
 窓の外は昼前にも拘らず薄暗く、大粒の雨が降っているのが眼に入った。
 久し振りに懐かしい面子で懐かしい場所に集ったという高揚感もあってか、いささか飲み過ぎたようだ。
 かつては、決して酔うことのない八戒と花喃がしっかり後片付けをして、山の気温で風邪をひかないよう皆に毛布を掛け、暖炉の火も調節してくれていた。
 今回は、八戒が全てやってくれたのだろう。あの頃と変わらぬ光景に、苦笑が漏れる。
 と、そこへ、トタトタトタと軽い足音がしたと思うと、

「皆さん、起きて下さい!」

 ホールの扉を勢いよく開けながら、顔色を変えたが飛び込んで来た。
 今日は、黒いドレスではなく、山に相応しいパーカーにキュロットとスパッツだ。
 そういえば、この少女の事を忘れていた。

「あー悪い悪い。朝メシがまだだよな?」
「え、メシっ!?」

 の返答より早く、悟空がメシという単語に反応して勢いよく起き上がる。
 その声は、少女の張り上げたそれよりも数段大きく、

「・・・大声を出すんじゃねぇ・・・頭に響く・・・」
「・・・何やもう朝なん・・・?うちとしたことが、ソファで朝を迎えるなんて大失態やわ・・・」

 残りの2人ももそもそと起き出した。

「八戒はまだ起きてねぇの?まあサラダと卵焼きくらいなら作れっけど・・・」
「あの、いえ朝食は父が作ってくれて、お先に頂きました。父は皆さんが起きるのは昼前になるだろうからって・・・」
「あ、そーなの。父ちゃんがそう言って・・・・・・って、父親!?
「へ?」
「あ゛?」
「はぁ?」

 ここに男4人がいる以上、の言う『父』が指す人物は、唯一人しかいない。

ちゃんの父親って――八戒!?」
「はい。実は・・・」




 昨夜、身に着けていたアクセサリーを落とした事に気付いたは、ひとしきり部屋と2階の廊下を探し回った後階下を探そうと階段を降り、そこで男達の酒盛りの光景を眼にした。
 その瞬間、脳裏に昔、自宅で開かれたパーティーでの様子が蘇ったのだ。

『お母様お母様、あの人お顔が真っ赤だけど、お熱があるの?』
『うん?・・・あぁ、あれね、あれはお酒を飲んで酔っ払っているのよ』
『・・・?でもお母様達は、あんな風にはならないでしょう?』
『そうね、お酒に強い人と弱い人というのがいるの。弱い人はあんな風に赤い顔になったり、眠くなったり、気分が悪くなったり、泣いたり笑ったりする人もいるわね。
 ・・・ふふっ、それで思い出したわ』
『?』
『貴女のお父様やそのお友達と、昔よく一緒にお酒を飲んだけど、私と貴女のお父様はちっとも酔わないのに、皆よく酔っ払っていたものよ』
『ふぅん?』
『酔ってゲラゲラ笑う人、メソメソしちゃう人、大きな声で歌っちゃう人やすぐ眠っちゃう人もいたわ・・・私達は酔わないものだから、いつも後片付けを引き受けていたのよねぇ』
『ふうぅん・・・』

 あれは、この事を指していたんだ、そう、はっきりと解った。
 そして母がいない今、たった一人で後片付けをしている人物――
 不意に、その人が体の向きをこちらへと変えたので、反射的に2階へと逃げるように戻ったのだが、
 程なくしての部屋のドアがノックされ、穏やかな声音がドア越しに掛けられた。

さん・・・これ、下の階に落ちてました・・・お母さんの形見なんでしょう?」

 自分が見つけられなかったアクセサリーを拾って持って来てくれたと知り、細くドアを開ける
 ドアの外から声の主――八戒が、の目の高さに合わせるように差し出したのは、

「あ・・・・・・」

 ホワイトゴールドの、オープンハートのペンダント。
 チェーンを通す金具に嵌め込まれた、月を模った小さなサファイアは、母の誕生石だと聞いたことがある。
 礼を言って受け取るの耳に、驚くべき言葉が飛び込んだ。

「このペンダントはね、昔、僕が貴女のお母さんに、ホワイトデーのプレゼントとしてあげたものなんです」
「え・・・・・・」
「――僕が、貴女の父親で間違いありません・・・」




 悟浄達4人は、自分達が泥酔していた間にそんなやり取りがあったのかと、複雑な思いでの顔を見つめた。

「・・・私はその時、母から預かっていた父への手紙を渡しました。多分、父は夜の間にそれを読んだと思います。
 それから朝になって、父は朝食を作ってくれて・・・その後、私は部屋に戻って、父はやることがあるからと言って、暫くは別々だったんです。
 でもその後、何か父を手伝えることはないかと思ってあちこちの部屋を探したんですが、父はいなくて・・・この建物全部を見て回ったんですが、何処にもいないみたいなんです・・・・・・」

 そこまで必死に感情を押し殺して喋っていただったが、ついには目から涙を溢れさせ、

「お願い・・・お父様を、見つけて・・・ッ」

 声を詰まらせながら懇願した。
 忘れていた。目の前にいるのは、どんなに落ち着き払った振る舞いをしていても、小学生になったばかりの少女なのだ。
 つい最近母親を亡くし、やっと会えた父親とも引き離されれば、きっと幼い心は酷く傷付くだろう。
 それにしても、八戒が、我が子と判ったを忌避するとは考えにくい。
 一体、何が――・・・?








 男達は、簡単に着替えを済ませると、まずペンション内、そして周辺の捜索を始めた。
 八戒に宛がわれていた部屋に入った悟浄は、サイドボードの上に手紙が置かれているのを見つけた。
 の目線より僅かに上であるため、彼女は気付かなかったのだろう。
 それを手に取った悟浄は、素早く内容に目を通す。

 ―――あいつ。

 唇を噛み、その場で手紙を握り潰しそうになったが、すんでのところで堪える。
 一応、自分達のリーダー格であり、かつて一度は花喃と交際していた三蔵にだけは、この事を伝えるべきだから。
 悟浄が階下へ降りると、他の部屋を探し終えた面々が集まっていた。
 既に雨が降り始めているらしく、外を見廻った三蔵と悟空の手には、雫を滴らせる傘が握られている。

「悟浄、おせーぞっ」
「悪ぃ。お前ら何か判ったか?」
「奴の車が駐車場から消えている。行先は判らんが、下山したのは確かだ。
 駐車場から先は車は入れんからな」
「足りない物の買い出しに、町に行っただけちゃうん?」
「消耗品は管理人に補充させているし、食料は貴様が持って来させている。これまでに買い出しが必要になったためしなんぞなかっただろうが」
「取り敢えず、三蔵の車で町まで行って、買い物が出来る場所へ行ってみようぜ。ここと町の間は1本道だから、戻って来るなら必ず判るしな」
「あぁ、そうしよ――・・・」



 パリ―――・・・ンッ



 不意に、硬質な音が周囲に響き渡る。
 置物の絵皿が、落下したのだ。

「・・・何か、ヤな予感がする」

 ぽつりと、悟空が呟く。
 第六感的なものに関しては、彼の右に出る者はいない、その悟空の言葉に、全員冷や水を浴びせられたような感覚を受けた。

「――町へ行く。念のため、八戒がここへ連絡を入れた時に備えて、悟浄とヘイゼルは残ってろ。お前もだ」

 最後の言葉は、に向けられたものだ。

「嫌です!」
「我が侭言うんじゃねぇ。チャイルドシートも無いのに・・・」
「私小学生です!もうチャイルドシート着けなくても乗れます!」

 ああ言えばこう言う。理屈で反論するその姿に、三蔵は八戒の血筋を見た気がした。

「三蔵、八戒の事一番心配なのはだよ。連れてってやろう?」
「それにここにおられても、うちらの手に余るし」
「そりゃお前だけだろーが。さらっと本音言ってんじゃねーよ」
「・・・仕方ねぇな。その代りシートベルトは必ず着けるんだ」
「はい!」

 駐車場までの道は無舗装なので、悟空がを背負って行く算段をしている間に、悟浄はそっと三蔵に近付いた。

「何だ?」
「あいつの部屋にあった――今の段階じゃ、あの子には見せられない。
 他の2人に見せていいのかどうか、俺には判断出来ねぇからあんたが読んで、その上で決めてくれ」
「・・・・・・」

 周囲に聞こえないよう顰めた声で、先程見付けた手紙を三蔵に託すと、を背負った状態で傘をどうしようかと思案する2人に近付きに傘を持たせた。
 つまり、自分の身体と傘とで壁を作っている間に手紙を読めということだ。
 その意図を正しく汲み取った三蔵は、素早く手紙に目を通す。
 が、読み終わると顔を顰め、苦々しげに舌打った。

 ――馬鹿野郎、一人で悟ったような気でいやがって。

 一足先に駐車場へと向かった悟空とに追い付くべく、三蔵は雨の中を猛然と駆けだした。








 【三蔵、悟浄、ヘイゼル、悟空へ。
 既にから聞いているかも知れませんが、の父親は僕です。
 実際、が持っていた花喃の手紙は、僕宛てになっていました。
 花喃が僕の子を産み、その子供が成長して目の前にいる事に、僕は純粋に喜び、その手紙を読み進めました。
 ですが、その内容は、余りにも――・・・】




 車に乗り込んだ三蔵は、目一杯アクセルを踏み込み急発進させた。

「三蔵ってば!も乗ってんだから、もーちょっと加減しろよ!」
「ざけんな、ンなぬるい事言ってる場合じゃねぇだろうが!」
「大丈夫です。母も昔からこんな感じの運転でしたから」
「上等だ。しっかり掴まっとけ!」

 無舗装の道から市道へ出ると、更に車は加速する。
 オービスの設置されている県道でなかったのは幸か不幸か(悟空は確実に後者だ)。
 と、

「三蔵、この先の右カーブの所、ガードレールが破られている!」
「何だと!?」

 悟空の指差す先、山肌に沿って大きく右にカーブする道がある。
 大きく破られたガードレールが意味するところは、唯一つだ。
 手前の緩やかなS字カーブを殆どスピードを落とさずに走りきると、問題のガードレールの手前で車を停めた。
 近付いて覗き込むと、

「「八戒っ!!」」

 10mはある崖の下、木々の間から辛うじて見える車のボディ。
 それは間違いなく、碧の()の友人が所有するものだった――







そろそろ香月らしく(?)サスペンスちっく。
実は父親が判明するカギとなるアクセサリーは最初十字架を模したものとしていたのですが、ぴったりの背景素材が見つからず、別の素材を元に文章を変更した次第です。
でもこれはこれで気に入っています♪
・・・いや話はそれどころじゃなかった(-_-;)。







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