恋のスパイス、なんてものを香月に求めてはいけない(笑)





 今にして思えば、好きな相手ほど邪険になる子供特有の言動だ。
 だから、花喃はもちろん、悟浄も八戒がの事を想っているというのは知っていたし、逆もまた然りと思っていた。
 でなければ、八戒の言葉にあれだけムキになることもない。
 しかし、八戒の観点からすると、事実とは真逆に捉えられているようだ。

「毎年の失敗作を文句も言わず食べる悟浄に、は喜んでいたじゃないですか。だからは悟浄の事が好きだと・・・」
「いやいやいやいやちょっと待って八戒さん」

 慌ててそれ以上の言葉を遮る。
 コイツは頭良いクセにどーして時々アホなのかね?
 口に出せばどうなるかは解っているので、心の中だけで呟いた。

「あのさぁ、女の子からしてみれば、食べて欲しい人に一生懸命作った物をダメ出しされりゃ、機嫌も悪くなるわな?
 それでも毎年作っていたのは、お前さんに『美味しい』って言って欲しかったからっしょ?」
「それは・・・でも」
「ストップ。こっから先は、自分達で話し合うんだな。ほれ、行きな」

 そう言って、無理矢理その身体を反転させ、駅の方へ向かせる。
 躊躇いながら数歩進み、こちらを振り向く八戒に、悟浄は手をひらひらと振った。
 駅へと走っていく後ろ姿を見送ると、短くなった吸い殻を携帯灰皿へ捻じ込み、新しい煙草に火を点けて、吐き出す煙と共に呟く。

「ったく、鈍感で意固地で・・・似た者同士でお似合いだよ、お宅等」








 駅の改札を出たは、自宅に向かって早足で歩き続ける。
 歩くことだけに集中しないと、涙腺が緩むから。
 けれど、既に仕事の疲労が溜まっている状態では、持久力はそうもたなかった。
 大通りから一筋入ったところで、足が止まると同時に目に熱いものが溢れてくる。
 ――哀しいというより、悔しい。
 いつだって、自分は彼の満足する物を作れない。
 そんな自分を尻目に、彼はより高い位置に――自分の追い付けない場所へ行ってしまう。

「――!」
「!?」

 良く知った声に、慌てて手で顔を拭い振り向くと、

「八戒・・・どうして・・・」
「この時間、電車が15分に1本で助かりましたよ。貴女と同じ電車に乗る為に、、全力疾走して駆け込み乗車しちゃいました」

 あはは、と笑い、に近付く。

「引き抜きの話は・・・すいませんでした。それともう一つ、貴女に言いたい事があって・・・」
「いいわよ、わざわざ・・・別に気にしてない・・・気にしてませんから」
「聞いて欲しいんです、

 いつになく真剣な口調に、逸らし気味だった眼が八戒の方へと向けられる。
 瞼が赤くなっているのが判ったのだろう、形の良い眉をほんの僅かに寄せるのが、暗がりでもの眼に見て取れた。

「さっき、話の中で、『将来の事も考えると』って言いましたよね?」

 確かに、転職の話の中で、そんな事も言っていた気がする。

「この仕事をしていると、やはり自分の店を持ちたいという欲が出て来るんです。その為にも、ホテルで技術と箔を付けるのが早道だと考えたわけです。
 将来の事というのはそういう事なんですが、もう一つ付け加えたい事がありまして、
 その店を――貴女と一緒にやりたいって」
「・・・それって・・・」
「共同経営、なんてオチじゃないですよ。つまり――家族として」
「!っ・・・・・・」

 思いもよらない言葉に、頭の中が真っ白になった。

「ちょっと今まで誤解していたところがあって、言い出せずにいたんですが、悟浄にはっぱを掛けられてしまって・・・」
「誤解?」
「えぇと、貴女が昔から悟浄の事を好きだったんじゃないかと・・・」
はぁ?そんなに私趣味悪く見える?」
「ですよねぇ」

 いつしか昔の口調に戻っているに、八戒は笑顔で同調する。
 本人がいないのを良いことに、言いたい放題だ。

「でも貴女だって、僕が毎年ホワイトデーにお菓子をプレゼントしていたのに、余り喜んでくれないから、脈がないとばかり・・・」
「あぁ・・・それは」

 バレンタインデーにいざこざを起こした後、翌月のホワイトデーには八戒がに菓子を作って送る――といっても、当時は今ほど素直な性格ではなかったため、花喃に引っ張られての来訪だったが――のが通例だった。
 しかしそれは、を更に憂鬱にさせた。
 八戒が作るのは、大抵一月前にが作ったのと同じもの――ドーナツならドーナツ、クッキーならクッキーというように。
 ただし、その出来栄えは、より数段上手く、と同じ愚は犯していない。
 も年々腕を挙げてはいるのだが、八戒のそれは常にの上で、
 結果、は来年のリベンジを誓い、八戒の気持ちなど全く気付かないまま今日に至るのだった。

「どれだけたくさんのお客様に喜んでもらえても、本当に喜んで欲しい人が自分よりずっと腕の良いパティシエだとね、バレンタインデーもホワイトデーも馬鹿らしくなるのよ」
・・・すいませんでした」

 ふわりと、
 上背と同じく長い腕が、を包み込む。

「もう少しだけ、あの店で待っていて下さい。お互いにもっと腕を磨いて、2人の店を良いものにするために」
「・・・ん」

 そっけないようにも聞こえるが、にとってはこれまでで一番素直な反応。
 遠回りをし続けた2人が、やっと想いを確かめ合った瞬間だった――








 ――そして本日、2月14日。

「何でまた、わざわざ今日八戒ン家に呼ばれたワケ?」
「わざわざってわけじゃないんだけど、昨日であの子は事実上退職して、今日から有休消化に入ったからね。あ、も来てるわよ。台所で一緒に作業中」
「あんたは?」
「私は立ち入り禁止なの。――といっても、普段からなんだけど」
「・・・だろーな」

 とは対照的に料理の腕が壊滅的な花喃は、昔からもっぱら食べる専門だ。
 『砂糖と塩を間違えるなんて漫画のような間違いを本当にしでかしたんです』とは、八戒からこっそり聞いた話である。
 ――と、

「お待たせー、ガトーショコラよ。甘みを抑えているから悟浄も食べられると思うわ」
「せっかくなので飲み物もホットチョコレートを用意しました。好みでラム酒をどうぞ」

 皿とカップを乗せた盆を手に、と八戒がリビングへと入って来た。
 チョコレート菓子特有の甘く香ばしい香りが、部屋中に漂う。
 マグカップに顔を近付けると、更に複雑な香りも感じ取れた。

「へぇ、チョコとミルクだけじゃない、不思議な香りね」
「んー、何か、インド料理の店の匂いっぽいような?」
「おや、悟浄にしては的を射てますね。スパイスを入れているんです。
 元々チョコの発祥地であるアステカではカカオの種子とスパイスを擦り混ぜたものを『神の飲み物』として祭壇に捧げていたそうで、それがヨーロッパに伝わってチョコレートとなったわけです。
 今でもヨーロッパでは、チョコレートやホットチョコレートに香辛料を入れるのは割と一般的なんですよ」
「へー」

 それにしても博学なこった。
 呆れつつも、その深いセピア色の飲み物を口に流し込んだ。
 ――次の瞬間、

「∩・¶・ф・◆・Й・☆・Ж〜〜〜っっ!!!」

 悲鳴にならない悲鳴が響き渡る。
 口や喉を焼くような刺激は、チョコレートにはあり得ない種類のものだ。

「ェーホッ、ゲホッグホッ、おっおっおまっ、何、入れっ・・・ゥエホッ」
「何って、唐辛子ですよ。トリニダード・スコーピオン・ブッチ・テイラーを乾燥して磨り潰したものを、たっぷりと」
「ト、トリニ・・・?」
「検索してみよっか?えーっと、あぁ、現時点でギネス認定されている世界一辛い唐辛子ね。
 何でも、辛さの単位スコヴィルがハバネロの10倍以上ですって」
「はぁ!?」

 ハバネロなら俺でも知っている。激辛菓子で良く見聞きする唐辛子だ。
 それの10倍以上の辛さの唐辛子を入れたらしい。それも大量に。
 てゆーか、何でこんな目に遭わなきゃなんないの?

「せっかく僕が転職の話をに言うタイミングを計っていたのに、それをぶち壊してくれたものですからね、その空気を読めない口にちょっとばかり制裁を、と」
「ゲホッ・・・や、それはそうだけど・・・いやでも」

 え、これ、悪いの俺?

「貴方以外の誰が悪いと?」

 考えを読むな!

「まあ、お陰でとこうしてお付き合いすることが出来たので、これは僕なりの譲歩です」

 譲歩?譲歩してコレ?
 ってゆーか、彼女達もこれ飲んでるの?

「美味しい〜♪チョコとは違う甘い香りと、少〜しだけピリッとした辛味が、チョコの味を引き立てているわね」
「アニスとフェンネル、それとほんのちょっぴり黒胡椒を」

 ・・・別レシピか。
 一口飲んだだけでも既に唇も舌も喉も火事のようだが、飲むのを拒否するという選択肢は与えられていない。
 涙と鼻水の出そうな辛さのそれを、マグカップ一杯飲まなければいけない自分の運命を呪う悟浄だった。








 
―了―
あとがき

最後の一節は完全に香月の悪癖ですネ☆(核爆)
スパイス入りチョコやホットチョコは本場の流れを汲んで徐々に広まっているようで、その話も書きたかったんです嘘じゃないですよ(題名は『スパイス入りホットチョコレート』の意味)。や、もちろん悟浄への制裁も書きたかったですけど(本音)(やっぱりか)。
で、本筋の話ですが、書かれているお菓子作りの失敗はほぼ全て香月が実際にやらかしたことです。致命的なのは砂糖と塩を間違えるという。今でも家族の間では語り草ですよ。とほほ。



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