5分程経っただろうか―― 「オーナー・・・」 八百鼡が廊下へ顔を出し、Kateの仕度が調った事を伝える。 「オーナーの事は既に伝えています・・・先程の事以外は」 その意味を正確に読み取った三蔵は眉を顰めたが、先程の半ベソは何処へやら、八百鼡は満面の笑みを浮かべている。 三蔵を部屋に入れると、自分はいそいそと部屋を替わるための仕度を始めた。 女が弱いだなんて、大嘘だ。 元々女嫌いな――唯一の例外を除いて――三蔵は、この時改めて確信するに至った。 部屋へ入ると、Kateは既にサングラスを掛けてベッドの端に腰を下ろしていたが、三蔵の気配を感じたのか慌てて立ち上がった。 しかし―― 「!っ・・・ぅ・・・」 小さな呻き声を上げると、体勢を崩し、壁に手を突く。 「どうした?」 初めて聞く声に少し警戒心を抱いたようだが、ややあって答える。 「膝を・・・テーブルの角で打ったみたいで・・・」 見れば、すらりとした足の膝の部分が無残にも紫色にうっ血している。 社長に襲い掛かられた時にできたものだろう。 「すぐに冷やした方がいい」 そう言ってポケットからハンカチを取り出すと、洗面所の水で濡らした。 半分は必要と思ってのことだが、13年前と似たシチュエーションに、一縷の望みを抱いたことは否定出来なかった。 「冷たいぞ」 それだけ言って、濡らしたハンカチを痣の部分に当てがう。 「!っ・・・・・・」 その刺激に、身を竦ませるKate。 「後で湿布でも貼っとけ――仕度はできたか?」 八百鼡に尋ねる。 「ちょっと待って下さい・・・あっ、洗面セット・・・!」 慌ててユニットバスに駆け込む八百鼡。 「・・・トロくせぇ」 思わず出てしまった本音に、Kateは笑って言う。 「お仕事はテキパキこなす人なんですが・・・私生活ではいつもああなんですの」 やっとこさまとめ終えた荷物を、ボーイに命じてスウィートへ運ばせる。 「じゃあKateさん、私達も・・・」 「ええ。・・・ご迷惑を、お掛け致しました・・・それとこれを・・・」 Kateは三蔵に向かってそう言うと、痣に当てていたハンカチを差し出す。 「本当なら洗ってアイロンを当ててからお返ししなければいけないんですが・・・」 流石に無理ですから、と苦笑する。 三蔵がそれを受け取ると、Kateはベッドから立ち上がるが―― 「!っ・・・」 「Kateさん!」 「まだ痛むんだろう、かなり強く打ったようだからな・・・じっとしてろ」 「え?」 言うや、Kateがその言葉に対してどうこう言う前にその身体を抱き上げた。 「!っ・・・あ、あのっ!」 「そんなんじゃ歩けねぇだろうが。 なら怪我人は皆横抱きで部屋に連れて行くんですか、と某腹黒秘書なら言うのだろうが、今この場にいる人物の中でそれを言える者は存在しなかった―― 深夜の廊下を通ってエレベーターで最上階へ。 階下のものとは明らかに違うフカフカの絨毯の上を歩き、スウィート専属ボーイが開ける両開きの扉をくぐって中へ。 最高級のソファに座らせるまで54kgのKateを抱きかかえ続けるという芸当を、三蔵は見事にやってのけた。 はっきりいって表彰ものである。 扉を開けたボーイなど、驚愕のあまり一瞬硬直していた程だ。 「――本当に、何から何まで・・・」 言われて、こういう時の癖でガリガリと頭を掻く。 「・・・事が公になりゃ、困るのはお互い様だからな」 素直な反応が返せない自分の性格が恨めしい。 たった一言、13年前に逢っていると言うだけで、この距離は縮まる筈なのに。 ――ダッセェ・・・ 不甲斐ないのは、昔も今も変わらない。 「・・・あの――?」 「あ・・・いや、元々ここに来た用件を思い出したんでな・・・」 言いたい事は、そんな事ではないのに。 自己嫌悪にドップリつかりながら、三蔵は本来の目的である点字案内プレートを差し出す。 プレートの説明を終えても、結局伝えたい事は言えず、 「夜分遅くまで邪魔をした・・・足――よく冷やしとけ」 それを最後に立ち去ろうとしたその時、 「あの・・・」 Kateが、三蔵を呼び止める。 「・・・何だ?」 「本当に、有り難うございました――それと――それと私・・・少し忘れ物がありまして・・・」 「?・・・前の部屋か?なら――」 取りに行く、と言おうとする三蔵を柔らかく制し、Kateは言葉を続ける。 「別の場所ですの――何処かは分からないんですけど・・・」 「・・・何を忘れた?」 「それは――明日、お教え致しますわ。今日はもう遅いですもの・・・」 「?・・・そうか・・・」 「明日・・・9時に私達、ロビーに集まることになってますの。その少し前に来ていただいても宜しいでしょうか?」 「・・・俺は構わんが・・・」 「お手数をお掛け致しますわ――それとお帰りの方、お気を付け下さいませ・・・」 「・・・あぁ・・・」 その会話を最後に、三蔵はその部屋を後にした。 ダセェ、と幾度も自分を罵りながら―― 翌日―― 約束通り9時前にホテルに着いた三蔵は、エントランスホールのあちこちを慌ただしくうろつきまわる団体と出くわした。 Kateのプロダクションの連中である。 当然その中にはあの社長もいたが、昨日の事など無かったように尊大な態度でスタッフに指示を与えている。 「携帯には連絡したのか!?」 「しましたが、電波が届かないか電源を切っているようで・・・」 「先にホールへ行っていないか探せ!」 その騒々しさに、周りの客も注目し始めているのだが、当の本人達はそれどころではない様子である。 「何があった?」 連中を手伝っているのだろう、これまた慌ただしくホールを横切っていたホテルマンを捉え、問いただす。 「!・・・これはオーナー・・・そ、それが・・・スウィートのお客様が、朝食後何処かへお出になったきり姿が見えなくなりまして――」 「!?――2人共か?」 「いえ、目を悪くされている方のお客様で――」 その言葉に一瞬、心臓が止まったような錯覚を受けた。 「――判った、俺も捜す。お前らもホテル中くまなく捜せ」 「は、はい!」 ホテルマンに指図すると、三蔵は一旦スウィートに立ち寄る。 そこでは八百鼡が、万が一Kateが戻って来た時のために待機していた。 「オーナー・・・!」 「どういうことだ?」 「それが、私にもさっぱり・・・ちょっと仕度のために洗面所へ行った隙に――」 「ボーイは見てないのか?」 「丁度朝食を終えた後のワゴンを運んで行ったところで、誰もいなくて・・・」 「・・・・・・」 八百鼡の言う事に嘘はなさそうである。 ということは、Kateは八百鼡にも黙って姿を消したらしい。 ここで八百鼡を責めても仕方がない。 何より、Kateを見つける方が先行である。 三蔵は、八戒や悟浄の情報網も利用しようとポケットから携帯を取り出して――やめた。 あいつは、俺が見つける。 他の奴らに頼るようじゃ、あいつを手に入れることなんて出来ない―― そう自分に言い聞かせると、三蔵はホテルを出て車に乗り込んだ。 スタッフや従業員があれだけ捜しまわっていても見つからないのであれば、ホテルの外に出た可能性が高い。 車内にあった地図を広げ、Kateが行きそうな場所を探す。 目の見えないKateがウインドウショッピングなどする筈がないから、この付近一帯のショッピング街ではないだろう。 どちらかといえば、公園のような自然に触れられる場所。 そうして地図を辿っていた指が、不意に止まる。 河―― ここから5kmくらいの所に、大きな河がある。 まさか―― 脳裏をよぎった甘い期待を、首を振って否定する。 そんな筈は――ない。 ある筈が、ない。 そうは思いながらも手は勝手にハンドルを握り、足はアクセルを踏んでいた。 ホテルの駐車場を出て、公道を東へと向かう。 一縷の望みを抱いて、一路、河へ―― 平日の朝に、河原を訪れる者など殆どいない。 堤防に車を止め、三蔵は土手をくまなく見回した。 河の浅瀬で犬を散歩させる主婦 対岸の原っぱで戯れる子供達。 橋の下の広場でゲートボールに興じる年寄り達。 やはり、いるわけないか―― と、 耳に飛び込んできた、清らかな音色。 その響きに誘われるように歩いて行くと―― 「・・・・・・・・・・・・」 土手に立ち、バイオリンを弾き続けるKate。 そっと、近付いて。 『白銀の天使』の奏でる音楽に、しばし聞き入る。 音楽の事なんて殆ど解らないが、 それでも、今この場を満たす音色が美しいものだという事だけは、三蔵にも判った。 やがて弓が静かに弦から離れ、至高の演奏会が幕を閉じる。 それと同時に方々から聞こえてくる拍手。 主婦も子供も年寄りも。 そして三蔵も――気が付けばゆっくりと手を叩いていた。 間近で聞こえる拍手にKateは振り向き――ふわりと、微笑む。 その、心からの笑みに思わず見蕩れてしまった自分が気恥ずかしく、ガリガリと頭を掻く。 「きっと・・・見つけていただけると、思っておりましたわ・・・」 見えないのに――それでも三蔵である事が判るのだろうか? 「・・・忘れ物ってのは、これか?」 「ええ・・・13年間、ずっと捜してましたの・・・」 遠い過去に置き去りにした、本当の『 それを知っているのは、この世でたった一人だから―― 「そりゃまた――えらくスケールのでかい忘れ物だな・・・」 そう言って、三蔵は計都をそっと抱き寄せる。 「本当に――でも、やっと見つけることが出来ましたわ・・・貴方様のお陰で――」 あの時の『想い』を拾い上げ、 あの時の『出逢い』をもう一度。 十と三つの年を経て、 再び出逢ったこの場所で。 金と銀の煌めきを持つ恋人達は、青空の下、永遠の 三蔵の車でホテルに戻ったKateは、その後のスケジュールを無事こなした。 リサイタルの日程の間、ホールへ向かう彼女をエスコートし続けた三蔵財閥総帥の姿に、マスコミはこぞって様々な憶測を書き立てた。 そして、リサイタルの最終日―― ノックの音と共に、アイビーホールの受付嬢が控室に顔を覗かせる。 「あの・・・ご面会の方がいらっしゃいますが・・・」 「取材なら断れ」 当然のように指示する三蔵。 「いえ、Kate様じゃなく・・・マネージャーの方の・・・」 「私?」 受付嬢の横をすり抜け、真っ赤なバラの花束と共に入って来たのは―― 「!―― 「悪い・・・待たせたな、八百鼡・・・」 待ち焦がれた、八百鼡の恋人。 義母との相続争いにピリオドを打ったのは、他ならぬ三蔵。 悟浄と八戒に命じて調査させた結果、義母の不義密通とその相手への情報漏洩が発覚したのだ。 結果、わずかな財産を受け取り、義母は夫の事業から手を引くことを命じられた こうして、父親の会社を無事継いで、愛する人の下へとやって来たのだ。 悟浄の兄と共に興した会社は、引き続き悟浄の兄が経営していくという。 「もう、何の心配もいらないから・・・これ、受け取ってくれるか?」 そう言って差し出したのは、バラの花束と――婚約指輪。 「嬉しい・・・」 幸せの涙を流す八百鼡に、計都は拍手を送り――三蔵は苦々しく顔を顰める。 「?・・・どうか致しまして?」 「いや――先を越されたと思ってな・・・」 「?」 「手、出せ」 言われて、両手を受け皿の形で差し出す計都。 「ンなワケねぇだろーが」 意外に常識外れ――三蔵もあまり人の事は言えない――な計都の行動に、苛立った声を出しながらそれでもそっと左手を取る。 常日頃弦を押さえる指に嵌めるのは―― 「!――これ・・・っ」 「形式なんざ、くそくらえとは思ったんだが――」 そうでなくても、目の見えないお前がこういう事に拘るとは思えないが、 それでも、お前の喜ぶ顔が見られるなら―― 「嬉しい・・・です、わ・・・っ」 「・・・泣くんじゃねぇよ・・・」 その日、最後の東京公演を終えたKateの薬指に光る指輪に、どのマスコミも彼女の事を『21世紀のシンデレラ』と評した―― その後、Kateはマネージャーの八百鼡と共に、悟浄の兄が経営するプロダクション会社に移籍した。 それと同時に、それまで所属していたプロダクション社長が、脱税容疑により逮捕される。 その事実を明らかにする情報が三蔵財閥のコンピューターから発信されたものであることは、一部の人間しか知らない事実である・・・ 『――名前・・・まだ伺っておりませんでしたわ――』 『 |
―了―
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あとがき 執筆3日で書き上げちゃったとってもインスタントなハッピーエンドストーリー(笑)。 パラレルは三蔵が幾らでもソノ気になってくれるので、話が進みやすいんですよ。 それに比べて桃源郷メインストーリーの三蔵は・・・(溜め息) ともあれ、他作品の2人も宜しくお願い致します(ふかぶか)。 |
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