フロント係の言葉に、三蔵も八百鼡も眉を顰めた。 「間違いないのか」 「はいオーナー。こちらからのコールにも応答がございません・・・」 「そんな・・・こんな時間にKateさんが一人で部屋から出る訳はありません!」 「行くぞ!」 言うなり、エレベーターホールへと走り出す三蔵。 八百鼡も、慌てて後を追う。 「?――」 エレベーターの前に来た2人が目にしたのは、困惑した表情の客達。 「・・・どうした・・・?」 「あぁ、いや、エレベーターがね、各階に止まってなかなか下りてこないんだよ。 子供の悪戯かねぇ・・・」 「!!」 まったく近頃の親は・・・などと不平を漏らす客を背に、三蔵は再びフロントへと走る。 そこらの安ホテルじゃあるまいし、夜も10時になって子供の悪戯な筈がない。 社長の仕業であることは、火を見るより明らかだった。 と、フロントへ向かう三蔵達の前に1人の男が現れた。 アイビーホテル トウキョウの支配人である。 事態の深刻さを悟ったフロント係が呼んだのだろう。 「緊急事態だ。従業員用エレベーターを使わせろ」 「はい。既に1階に下ろしております。8階でございましたね?」 「ああ」 「マスターキーもご用意致しておりますが・・・」 「必要ないだろう。同室者がいる――カードキーはあるな?」 「それが・・・」 先程からハンドバッグの中身をさぐっていた八百鼡が、困惑気味な声を上げる。 「忘れたのか?」 「・・・というより・・・これ、私のバッグじゃありません・・・」 その辺りのデパートでいくらでも売っているブランドバッグ。 八百鼡と同じ型のそれを事前に用意し、隙を見てすり替えたのだ。 何かの拍子に八百鼡が部屋に戻っても、すぐには部屋に入れないように。 こうなると、既に犯罪である。 「全て、計画の内か・・・」 こうなると、マスターキーを使わざるを得ない。 従業員用エレベーターが8階に着くと、支配人の案内の下、一般客用フロアへと出る。 830号室の前に来ると、念のため、鍵のかかった戸を叩く。 ドンドンドンッ 「Kateさん?返事して下さい!Kateさん!?」 「――開けろ」 たった一言で発せられた命令に、支配人は従う。 マスターキーで鍵が解除されたドアを、蹴破らんばかりの勢いで開ける三蔵。 「Kate!?」 ビジネスツインのさして広くはない部屋の奥、応接セットの向こう―― 「!――Kate!」 カーペットの上に横たわる2つの身体。 1つはKate。 そして、もう1つ―― 「・・・社長・・・」 何が起こったのか、白目を剥いてKateの足元に転がっているプロダクション社長。 どちらも、完全に意識を失っている。 「・・・オ、オーナー・・・」 事態がのみ込めず、判断を仰ぐ支配人。 「・・・酔った末の所業だろう。本人の部屋に放り込んどけ。829号室だ」 そんなものではないことは誰の目にも明らかなのだが。 恐らく最善の処置であろう三蔵の言葉に、支配人は従う外なかった。 推定80kgの身体がズルズルと引きずられて行くのを横目に、三蔵はKateの様子を窺った。 「――どうだ?」 「!――見ないで下さい!」 半ば叫ぶような八百鼡の声に三蔵は訝しがったが、Kateのブラウスのボタンが引きちぎられているのを見て、慌てて他所を向く。 しかし、それでは埒が明かないので、 「これでも上に掛けろ」 そう言って、自分の上着を八百鼡に渡した。 「・・・眠ってんのか?」 八百鼡がKateに上着を掛けたのを確認すると、Kateの顔を覗き込む。 普段掛けているらしい眼鏡は外れ、代わりに長い睫毛が見て取れた。 珊瑚のように色付いた唇は、規則正しい呼吸を紡いでいる。 ブラウス以外に着衣の乱れはなく、どうやら手遅れではなかったらしい。 「オーナー・・・これは・・・」 安堵する三蔵に八百鼡が拾い上げて見せたのは、1枚のハンカチ。 それを手に取り、顔を近付ける。 「クロロホルムか・・・下衆が――」 どこまでも用意周到な社長は、ミーティングのためにと八百鼡を部屋から出してすぐ彼女のバッグをすり替えた、あるいはすり替えさせたのだろう。 1つは、八百鼡が部屋に入れないように。 そしてもう1つ――社長自身が、その中のカードキーでこの部屋に入るため。 そうしてまんまとこの部屋に入った社長は、薬でKateを眠らせようとしたのである。 Kateが眠っているのは、これで説明がつく。 では、あの社長は?―― まさか自分で薬を嗅いでしまったなどという間抜けなことをする筈もないだろうが。 とにかく、Kateを床に寝かせたままにするわけにもいかないので、ベッドに運ぶのが先決である。 そう考え、手首に繋がっている白い杖を外そうとして――驚愕した。 ・・・何だ、この杖は――? 手に取ったそれは、まるで鉛の棒ででもあるかのように重い。 中に金属が仕込まれているのは、容易に想像がついた。 まさか―― 三蔵の脳裏に、会話の断片が蘇る。 『・・・次に何かされかけたら、その杖で腹を突くくらいしろ・・・』 『そうします』―― 13年前のアドバイス。 目の見えないKateが自身を守るため、その言葉を実践したのは間違いないだろう。 三蔵から杖を受け取った八百鼡も、その重さに驚いている。 マネージャーである彼女も知らなかった事実。 最も身近な存在である筈の彼女すら、Kateは信用していなかったのだ。 確かなものは――信じられるのは、己自身だけだから―― そうやって24時間365日、絶えず気を張り詰めて生きてきた彼女は、今はそれらから解放されて穏やかに眠っている。 その身体を抱き上げ、ベッドに横たえた三蔵は、その場から離れるとおもむろに携帯を取り出し、何処かへとダイヤルした―― いくつかの電話を終えると、三蔵はやっとこさ馬鹿社長を部屋に寝かせて戻ってきた支配人に、最上階のエグゼクティブスウィートを開けるよう命じた。 「あの下衆の向かいの部屋なんぞにいたら、彼女の気が休まらん。 この団体の滞在期間中、彼女達には グループ会長の至上命令に逆らえる者はいない。 「は、はい!」 そう言うと支配人は、慌てふためいて支度のために部屋を走り出た。 「オーナー・・・その・・・」 「構わん。差額は 八百鼡の心配もどこ吹く風で、ホテル内の全権を持つ三蔵は軽く受け流す。 自分とは明らかに違う世界に、八百鼡が軽い眩暈を覚えた時、 コンコン 「・・・はい?」 「あの〜、こちらにうちのオーナーがお邪魔している筈なんですが・・・」 「入れ」 この部屋の宿泊客である八百鼡よりも先に、三蔵が返事をする。 「失礼します・・・」 「よっス♪」 入って来たのは、八戒と悟浄。 「悟浄さん・・・」 「何でお前がここに来る?」 「いやーん、三蔵サマってば、いぢわるぅ♪」 ドゲシッ 「帰れ」 「蹴飛ばすこたねーだろーがっ」 「2人共静かにして下さい、寝ている人が起きちゃいますよ?」 「「・・・こいつと一緒にすんな・・・」」 普段何かとそりの合わない2人は、しかし時として見事なコンビネーションを発揮する。 息もぴったりな返事に満足した八戒は、手にしていた箱を三蔵に渡した。 先程三蔵が電話したのは、八戒にこれを調達させるためであった。 「やっぱりこういうものは悟浄に見立ててもらうのが一番ですからね、都合良く居場所が分かったんで、お願いしたんです♪」 「・・・・・・」 八戒のこういう時の言葉を、三蔵は信用していない。 恐らくは女と飲んでいるところを無理やり引きずってきたのだろう。 普段は労働基準法も無視した扱いの部下に対して1μgばかりの同情を覚えつつ、三蔵は受け取った箱を開けた。 中には、濃紺のワンピース。 Kateの美しい銀の髪が、一際映えるであろう色。 「――確かに、見立てはいいようだな・・・」 「デショ?だからさぁ、今度のボーナス、弾んでくんない?」 「言っときますけど悟浄、貴方の冬のボーナスは現時点で7割方カットされてますよ?」 「ハ!?何よソレ?」 「プライベートの飲み代を会社経費から落とそうなんぞする奴には、それなりの処分が与えられるからな」 「ゲ・・・バレてたのね・・・」 「解ったら給料分の働きをしやがれ新入社員。『働かざる者食うべからず』なんだろーが」 「ハイハイ・・・」 「それじゃ悟浄、お邪魔虫は退散しましょうね。八百鼡さん、夜分にお騒がせしました」 「あ、いいえ・・・」 「――あ、八百鼡ちゃん?」 「はい?」 「確か八百鼡ちゃん、あんたの彼氏とうちの兄貴が創めた会社に入社する予定だったんじゃなかったっけ?」 悟浄の言葉に、Kateとは違う種類の美貌を曇らせ、 「3年前・・・丁度私が就職活動をしている時に、あの人のお父様がお亡くなりになって――今も遺産相続の事で、後妻である義理のお母様と争っているらしいんです。それで、親戚の紹介でこの会社に・・・」 「なるほどね・・・それにしてもこーんな美人の彼女放ったらかすなんて、あんたの彼氏も甲斐性ねぇのな」 「・・・悟浄さんって、小さい頃から全然変わってませんね・・・」 「つまり子供の頃からこんな感じだったということですね」 「単なるマセガキだろ」 「うっせぇよ・・・」 八戒と三蔵両方からツッコまれる悟浄に、八百鼡も思わずクスクスと笑い出す。 「そーそー、やっぱ美人は笑った方が綺麗だぜ?」 「まあ」 「下らん事言ってねぇでとっとと働きやがれ」 「サービス残業反対〜っ」 「はいはい、そんな事言ってたら、本当にボーナス全額カットになっちゃいますよ?」 そんな会話と共に、恐喝犯と給料泥棒は今度こそ部屋を立ち去った(一方がもう一方に引きずられて行った、ともいう)。 パタン 「――オーナーって、Kateさんのことがお好きなんですね・・・」 煩い輩がいなくなったのを見計らってポツリと呟いた八百鼡の言葉に、三蔵はギョッとした。 「あ・・・いや、その――」 しどろもどろになる三蔵という世にも珍しい光景を前に、八百鼡はにっこり微笑んだ。 「女性って、そういうことには敏感なんです・・・だって、そうでもなければいくらホテルのオーナーだからって客の異常にあんなに必死になる筈ありませんもの――」 「う゛・・・(−¨−;)・・・」 返答に詰まる三蔵を他所に、八百鼡は眠っているKateの傍へ寄り、掛布を整える。 「――Kateさんが15歳でバイオリニストとして世に出るまで、何処でどういう生活を送ってきたのか・・・私は知らされてませんし、他の人達も知らない筈です・・・でも――普段私達と接するKateさんが、本当のKateさんでないことは判ります・・・」 「・・・・・・」 「だって、私達といる時のKateさんって何ていうのか――表情が、本物じゃないんです・・・目が見えないからっていう訳じゃなくって。 Kateさんが本当の心を見せるのは、バイオリンを弾いている時だけで――」 「・・・・・・」 「それでも――この人を想い続けられますか? 一生、この人は貴方の方を振り向かないかも知れないのに――」 「・・・それは、あんた自身の事か?」 「・・・・・・」 先程とは逆に、今度は八百鼡が口を噤む。 相続問題で会うことも出来ないという八百鼡の恋人。 頭では、仕方のないことだと理解出来ても――心は、不安で一杯で。 「信じてはいるんです・・・でも・・・っ」 声を詰まらせる八百鼡の前を通り、三蔵は眠り続けるKateの傍に立つ。 艶やかな銀糸の一房を手に取ると、それはスルリと零れ落ちた。 掴み所のない――まるで彼女自身のように。 「――時間なんか、関係ねぇだろ。 たとえ何年経とうが、それが本物なら――」 そう――そうやって、13年もの歳月を経て。 やっと、逢えた―― 「・・・・・・ん・・・・・・」 髪に触れたのが刺激になったのだろうか、Kateは小さな声を上げた。 瞼が痙攣するように動き、眠り姫の目覚めが近い事を伝える。 「・・・俺は外へ出ておいた方がいいな・・・」 目が覚めた時、あの社長に襲われた記憶が蘇って恐慌状態になるかも知れない。 そんな時に男性である自分が傍にいるのは得策ではないからだ。 三蔵の言葉に八百鼡も頷く。 「・・・廊下に出てるから落ち着いたところで着替えさせろ。用意ができたら そう言い残し、三蔵は部屋を後にした―― |
取り敢えず危機的状況は免れました。 もしもこういう目に遭って、最悪の事態に陥った場合は、すぐに警察に行かないといけません。 72時間以内に避妊薬を飲むことで、ある忌まわしい事を回避出来るからです。 女性としての最低限必要な知識として、覚えておきましょう。 |
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