午後の日差しの差し込む部屋に、手拍子と穏やかな声が響く。 「アン、ドゥ、トロワ、アン、ドゥ、トロワ、優雅に」 手拍子に合わせ、きびきびと動く長い腕と足。 「アン、ドゥ、トロワ、アン、ドゥ、トロワ、指先まで優雅に」 足の先が、手の先が、動く度に空を切る。 「アン、ドゥ、トロワ、アン、ドゥ、トロワ、足の先まで優雅に・・・」 ブン、シュッ、ブン、シュッ・・・ 「優雅に・・・あ―――・・・ストップ、ストップ。お待ちなさい江流」 ぴた 手拍子が止まると同時に、空気を裂くような音も止まった。 手拍子を叩いていたのは、白銀に近い灰色の髪を持つ壮年の男性。 といっても、肘まで捲り上げたコットンニットとタイトなジャージー素材のパンツに包まれたすらっとした肢体は、実年齢より10歳は若く見える。 「優雅に――そう言いましたよね、私は」 「優雅に――そうやっておりますが、俺は」 「Don’t tell a lie(ウソおっしゃい). それのどこが優雅なんです?田んぼの中の案山子にしか見えませんよ?」 「ですが、父さん・・・」 「私ももうじき45です。その節目に劇団の代表ダンサーの役目を貴方に譲ろうとこうして日々教えて来ました。 ――が、どうも貴方にはバレエを踊るのに大切な要素が欠けているようですね?」 男性の名は、 世界的に有名なバレエダンサーであり、日本屈指のバレエ団の団長兼プルミエ・ダンスール(男性トップダンサー)でもある。 そして彼の目の前に立つのは―― 「ですが、父さん・・・」 光明氏の一人息子である 光明氏が海外で活動中に出逢った女性との間に出来た、まもなく高2になる青年だ。 光明氏自身ハーフであるため、その容姿は日本人とはかけ離れ、 光を弾く金髪と高貴な紫暗の光彩は、御伽噺の王子様さながらで、 将来のプルミエを約束されたも同然と父親は喜んだものだが。 「貴方の性格が死んだ母さんに似たのは、悪い事でも何でもありません。 ――が、それを踊りに反映させてしまうのは、私の教え方が悪かったのでしょうかねぇ」 外見とは裏腹に、優美さの欠片もない竹を割ったような性格。 幼くして母親が他界し、唯一人の肉親である父親に逆らうことなくバレエに取り組んだのはいいが、 「ですが、父さん・・・」 「とにかく、次の公演までに、自分の身の振り方をお考えなさい。 バレエを続けるつもりなら、そのテコンドーの蹴りのようなピルエット(片足爪先立ち回転)と手刀を喰らわせるようなポール・ド・ブラ(腕の運び)を何とかすること。出来なければ、自分に合った別の道を見つけること。いいですね?」 腕や足を動かす度に空気を切る音のするバレエなど、聞いたことがない。 父親とは真逆の短気な性格が、その動作の一つ一つに現れてしまっているのだ。 「ですが、父さん・・・」 パタン 最後通告に似た言葉を残し、稽古場を出る光明氏を、青年は複雑な表情で見送る。 父の指示で動きを止めた時の、片足トウのまま―― 金属のブレードが氷を削る独特の音が響く。 「身の振り方っつったってな・・・」 ぼやく言葉ごと、白い息となって空に散る。 市内のスケートリンク。 自宅から徒歩5分ということと、スケートが好きだった亡き母の影響で、自転車にまたがるより先にスケート靴を履いた記憶がある。 元々集団で行動することが苦手な性格ということもあり、独りで滑っていてもおかしくないスケートリンクは彼にぴったりの憩いの場だったのだ。 スケート靴の紐を確認し直し、リンクの入り口に向かうべく立ち上がった時、 「 柔らかいテノールが耳に入った。 声のする方を振り向けば、 「八戒・・・と、花喃か」 スケート靴特有の靴音と共に近付いて来た、面差しの非常に良く似た男女。 それもその筈、彼らは二卵性双生児なのである。 青年が発した『三蔵』とは、苗字を読み換えた彼のあだ名だ。 『世界のミクラ』と称される父を持つことの重圧からか、本人が苗字で呼ばれる事を嫌ったためできたものだった。 八戒達の家庭は祖父の代からフィギュアスケートの選手として名を馳せ、世界大会の代表にも選ばれており、当人達もペアの選手として世界ランク上位に食い込んでいる。 三蔵の家と目と鼻の先であり、かつどちらも親が芸術系の職業に就いているためか家族ぐるみの付き合いがあり、三蔵達の幼少時はどちらかの親が海外遠征に出掛ける際は、もう片方の家が子供を預かっていたものだ。 「久し振りですね。ここへ来るのは」 「お前らと違ってスケートで食っていくわけじゃないんでな」 「じゃあ、今日は息抜きに?」 「・・・そんなところだ」 「息抜き半分、現実逃避半分、ってとこかしら?」 「・・・・・・」 ぎくり、と身体がこわばる。 観察眼が鋭い姉弟だが、弟の八戒より姉の花喃の方が、容赦なくものを言う。 しかも、それが見事に的を射ているのが余計に腹立たしい。 「それは・・・バレエの事で?」 「ああ・・・親父に、最後通牒を言い渡された」 「それは・・・大変ですね」 「そりゃ、周りの人を蹴り倒そうかって感じのピルエットや手刀のようなポール・ド・ブラなんかしてりゃ、小父様だってさじを投げるわよ」 見てきたかのような言い方だが、これまた図星なのが癪に障る。 「そっちこそ、その性格と口の利き方で、よくフィギュアなんぞやってられるな」 「失礼ねぇ、口の利き方は関係ないじゃない。ま、所詮4分程度の演技ですもの、擬似恋愛なんてお茶の子さいさいよ」 「オンとオフの使い分けが出来なきゃ、姉弟でペアスケートなんてやってられませんって」 「オフで同じ事してたら近親相姦じゃない」 「日本中のペアスケートファンが聞いたら泣きたくなる台詞だな」 「そっちこそ、世のバレエファンを失望させるんじゃなくって?」 いちいち癇に障る台詞が出てくるのがムカつくが、生まれてこの方彼女に口で勝ったためしなどないので、目を眇めるだけに留めた。 「・・・確かに、親父と違って俺は根本的な部分でバレエに向いてないと思っている。 が、音楽に合わせて身体を動かす事自体は嫌いじゃねぇ。 今後の身の振り方を考えろと言われても、具体的に何をすりゃいいんだか・・・」 「フィギュアに転向すれば?」 「・・・は?」 「フィギュアとバレエは根本的に非常に似通っているし、表現力を身に付ける訓練の一環にもなるわ。私達も小父様からレッスンを受けているの、知っているでしょう? そして氷の上では常に全身の筋肉と神経でバランスを取らなければならないから、上半身も突飛な動きが出来ない・・・自然と、美しい所作が出来るものよ」 「そういえば三蔵、貴方僕達と滑ってるうちに、大抵のジャンプは跳べるようになりましたよね。それをグレードアップ出来るようにすれば・・・」 「お前らな・・・簡単に言ってくれるが、幾ら似てるっつったって、フィギュアには舞台装置も背景も無い、一面氷だけの場所で演出するとなると、バレエ以上に表現力が問われるだろうが。今でも親父から見限られかけてるってのに、そんな所で通用するかよ」 「そう言われると、厳しいかも知れませんね・・・」 「一人でやろうとすると、確かに難しいわね」 「・・・花喃?」 訝しがる八戒を余所に、花喃には考えがあるらしい。 にこ、と微笑む――知らない人間からすれば天使のようだが、その裏に潜むものを熟知している三蔵達にとっては、何か企んでいるとしか思えない笑みだ――と、手招きして歩き始めた。 「ちょっと来て――こっちよ」 |
前半、判る方は笑っていただければこれ幸い。 はい。カーラ様の古のフィギュアスケート漫画、『銀のロマンティック・・・わはは』の冒頭部分をそのまま三蔵父子で表現しております(^_^;)。 光明氏が三蔵を『江流』と呼ぶ理由&外見(髪色・目の色)の由来を |
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