白鳥の歌







 都から北に上ったとある地方。
 この時期になると白鳥の渡りがある事で知られる湖の畔に、3人の人影があった。
 1人は、床几(背もたれのない折り畳み椅子)に腰を下ろす、年の頃10代前半という風情の少年。
 簡素ながらもところどころに装飾の施された甲冑を身に着けているところを見ると、地位のある人物の子息である事が窺える。
 その証拠に、左右に控える青年達は、腰を下ろすことなく少年を護るように立ち、油断なく周囲に警戒している。
 だが、彼らの間で交わされる会話は、そのような緊張感など欠片もないものであった。

「まーったく、山の麓じゃ若様の為に狩りの催しが開かれてるってのに、肝心の主役は『人気の無い所へ行きたい』ってんだから、若様の気が知れませんぜ」
「ま、都にいるよりはマシなんじゃないですか?今頃、お屋敷は若様へのお祝いの貢物で溢れかえって足の踏み場も無いでしょうし、明日帰館する頃には片付いているといいんですけどね」
「うぜぇ・・・」

 ちなみに、最後の台詞が、当の『若様』のものだ。
 今日はこの若君の誕生日で、その祝いとして狩りの宴が催されているのだが、賑やかな席を嫌う性格から、側近に命じてこの場所へ逃げて来たのだった。
 顔立ちも佇まいも気品に溢れていながら、何故かその口調は乱雑極まりない。
 それでも、そこにいるだけで周囲の者が思わず平伏す程の存在感は、将来人の上に立つ事を約束された者しか持ち得ないものであった。

「いい所でしょう?湖に集う純白の白鳥達。一服の絵のようですねぇ」
「まあ、悪くはない・・・・・・?」

 彼なりの最大の賛辞を側近に与えた若君だが、群れる白鳥を見やる目が止まったかと思うと、怪訝そうな表情が浮かび――

「っの、クソがっ!!」

 吐き棄てるように叫んだかと思うと、いきなり床几を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がり、湖岸に沿って駆け出したのだ。

「「若様!?」」

 側近達は若君の突然の行動に目を丸くしたが、我に返ると、慌てて後を追った。
 若君の走る先は、湖岸の一箇所。
 血相を変えて走り寄る少年の存在に、葦の繁みで羽を休めていた白鳥が数羽、驚いて逃げて行く。
 そんな白鳥達など意に介さず、若君は葦を掻き分け、水辺へと近付いて行った。

「お待ち下さい若様!まさか――!!」

 側近の一人が、若君のしようとしている事に気付き、顔を青褪めさせる。
 その側近の予想通り、若君は甲冑を身に付けたまま、バシャバシャと湖へと踏み込んでいったのだ。

「見ろ、あそこ!!」

 もう一人の側近が、若君の目指している方向を指差す。
 そこには、白い着物に身を包み、腰の辺りまで水に使っている幼い少女。
 なぜかその髪は、この地では有り得ない銀糸で、
 湖の中心へと歩を進めるその様子から、彼女の目的は、誰の目にも明らかだった。

「何してやがるっ!!」

 身軽とはいえない装束で、それでも少女の下に走り寄った若君は、少女の腰に手を廻し、全力で引止めに入った。

「―――っ!!」

 咄嗟に言葉が出ないのか、少女は怯えたように喉を引きつらせ、腕を突っ張って若君を引き離しながら、更に進もうとする。

「お前等、手を貸せ!岸に引っ張り上げるんだ!!」
「「御意!!」」








 流石に大の男が2人も加われば、抵抗するだけ無駄と悟ったのだろう。側近の一人が抱きかかえると、少女は完全に大人しくなり、もう一人の側近が岸辺で熾した焚き火の前で立ち尽くしている。
 片や若君は、甲冑を脱ぎ、これまた焚き火に当たりながら、側近の小言に顔を顰めていた。

「貴方普段から何を考えてらっしゃるのか我々にも判りかねるところがありますが、本当は何も考えておられないんじゃありませんか!?お飾りの物とはいえ、甲冑を着けたまま水に入るなんて、正気の沙汰ではありませんよ!!入水を止めると仰るのなら、一言『止めろ』と我々に言って下されば済む話でしょう!!」
「あー解った解った」
「返事がおざなりですっ!!」
「・・・・・・(誰かこいつ何とかしてくれ)」

 そのやり取りを聞いていた少女は、近くで甲冑を乾かしていたもう一人の側近に、蚊の鳴くような声で言った。

「おじ様方は、兵士様なんですか?」
「・・・お兄さん達は、あの若様を護るのがお仕事なの。あと、俺が武術を、あの兄ちゃんが若様に学問を教えている」
「・・・私、死刑になるんですか?」
「へ?」
「若様というのは、身分の高い方なんでしょう?身分の高い方を怒らせたら、死刑になるのではないんですか?」
「・・・・・・」

 側近は複雑そうに顔を歪めた。
 それは違うと言いたいのだが、哀しいかなそれが当たり前のように行われているのが、自分達のいる世界だ。
 それでも、この無垢な少女に是という事ははばかられた側近は、無い知恵を絞って言葉を選んだ。

「でもよ、死刑にするつもりなら、お前さんが湖に入るのを止める訳ねぇと思うぜ?」
「あ・・・」
「若様はお前さんを、生かす為に止めたんだ。
 確かに、生きるのは楽な事じゃねぇ。お前さんみたいに身を護る術を持ってねぇ子供は特にだ。
 それでもよ、死んじまったらお終いだ。もしかしたら、お前さん10年後には村一番の美人になって、求婚する男が殺到するかも知れねぇんだぜ?」



 ゲシッ



「☆・Я・※・■・Ψ〜ッ!!若様、沓で尻を蹴らんで下さい!!」
子供(ガキ)に下らんこと言うんじゃねぇ、それより鎧は乾いたか」
「乾かしているところですよ。それよか若様も、もう少し火に近寄らないと、着物が乾かなけりゃ甲冑が乾いても意味ありませんからね」

 そう言うと、若君をより焚き火の近く、少女のすぐ傍に立たせた。
 反射的に身を引こうとした少女を、若君は見咎める。

「火から遠ざかんじゃねぇ、着物が乾かんだろうが」
「あ・・・はい・・・」
「何か事情があるんだろうが、自分の誕生日に目の前で入水されるのは気分が悪い。
 着物が乾くまでの暇つぶしだ、どうして死のうとしていたのか、俺に話せ」
「へえぇ、若様も、成長されましたね」
「・・・俺を蹴ったのって、もしかしてヤキモチ?」

 若君の言葉に、戸惑いながらも少女は口を開いた。

「・・・私は、近くの村に住まう者ですが、生まれつき目が見えず、髪も異質の色なのです・・・」

 その言葉で、初めて3人は少女の(あお)()が光を映さない事を知った。
 湖から引き上げられた後は、只立ちすくんでいただけだったので、気が付かなかったのだ。

「村の人は、私を物の怪のように見ています。両親と、寺の住職様だけが、私を慈しんで下さっていたのですが、その両親が、相次いで他界してしまったのです・・・私がいるために、心労が募ったのでしょう・・・」
「「「・・・・・・」」」
「寄り合いの決まりがあるので、葬儀だけは村の人達が執り行ってくれましたが、遺された私を持て余しているのでしょう、何処かに売る相談をしていて・・・」
「そうか・・・」
「流石に住職様も、女の私を寺に住まわせることは出来ないので、致し方ないと考えておられるようです・・・
 この先何処へ行こうと、この目と髪がある以上、厄介者扱いを受けるのは同じでしょう・・・ならばいっそ、早く両親の下へ行こうと考え、入水を図った次第でございます・・・」

 盲いた目に涙は見えなかったが、恐らくは心の中で、泣き叫んでいるのだろう。
 生まれ持った目や髪の異形は、当人の罪ではない。
 それでも異質な物を排除しようとするのは、ヒトの心の弱さ故だ。

「お前の言ってる事は解った。その気持ちも解る。
 だがな、それでお前は悔しくないのか?
 村人達に蔑まれたままで一生を終えて、そいつらに厄介払いが出来たと喜ばせるつもりか?」
「!・・・それは・・・っ」
「俺なら今のままで死ぬのはゴメンだ。そいつらが俺をあざ笑っていると思うと、死んでも死に切れねぇ。死の縁からでも這い戻ってやる」
「あー・・・若様ならやりかねませんねぇ」
「・・・・・・・・・」
「お前の目と髪は、神から与えられた物だ。異形と言う者もいるかも知れんが、俺には夜空の色と月星の光に見える。
 ――いいか、死ぬんじゃねぇ。生きて、都に知られる人物になれ。
 そして、両親の無念を晴らしてやるんだ」
「・・・・・・はい・・・あの、お名前を伺っておりませんでした・・・」
「・・・江流だ。お前は?」
計都(けいと)と、申します・・・」








 着物も乾き、計都は側近が見繕ってきた枝を杖代わりに、村へと帰って行った。
 売られる運命を受け入れ、芸を身に付けて生きていくと決めたその顔に、全てを諦めたような表情はもう見当たらなかった。
 そして秋の日が傾きかけた頃、若君達も甲冑を付け直し、父君のいる宴の席へと戻った。

「帰って来ましたね、今日の主役さん」
「勝手をした事は、謝ります」
「構いませんよ。大勢の大人達に囲まれるのは、窮屈でしょうからね。
 ――で、大層ご機嫌な様子ですが、綺麗な花でも見つけましたか?」
「・・・・・・は?」
「いえ、普段ここにグーッと力が入っているでしょう?それが殆ど見えないもので」

 そう言って、おどけた顔をしながら、自身の眉間を指差す。

「・・・この季節に、花などないでしょう。湖で白鳥を見ていました」
「そうですかそうですか。中には小さな雛もいたんでしょうねぇ」
「・・・・・・・・・」
「白鳥の雛は醜いですが、成長するとあんなに美しい姿になるんです。知ってましたか?」
「・・・・・・はい・・・」
「そうですか知ってましたか。それは結構な事です」

 満足気に微笑んだ父君は、宴の席へと戻って行った。
 主役不在のまま、夜更けまで飲み明かすのだろう。

「何なんだ今のは・・・」

 常日頃から掴み所のない、実の息子でも得体の知れないと思うこともある父君だ。
 結局話の本質が解らないまま、若君は夕餉の席に向かうことにした――







この話はオリジナルの世界を舞台にしたパラレルファンタジーです。同じ表題のシューベルトの歌曲は一切関係ありません。ちゃんと最終的にはハッピーエンドになる予定。
ここではわざと江流&計都以外の登場人物の名前を伏せております。判り辛くて申し訳ありませんが、読み進めていただければ明らかになるように設計しております。
ま、『父君』は間違えようもありませんが(笑)。







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