白鳥の歌





 あれから10年――

 都では、とある芸妓の名が知れ渡っていた。


 朧月


 その肌は雪のように白く、その髪は月光のような銀の光をまとう。
 憂いを秘めた目元は千の男を引き付けるが、その晴れた夜空のように(あお)()は誰をも映さない。
 そのような評判が更なる評判を呼び、彼女を一目見ようと、彼女が籍を置く『桃源楼』を訪れる男達は、引きも切らない。
 もちろん、舞にしても歌にしても一席で途方もない金子を要求されるが、貴族の男性達はこぞって彼女を指名したがった。
 彼女を宴の席に呼ぶ事は、貴族の権力誇示の一つにもなっていたのだ。
 ある新月の夜、人目を憚るように建物の裏門から出ようとする人影に、唐突に声が掛けられた。

「捲簾、どちらへ?」
「げ、天蓬;」
「また『桃源楼』ですか?幾ら近衛府大将の俸禄が良いからといって、毎週のように行くのも考えものですが?」
「か、勘違いすんなよ天蓬、今左大臣の一派にキナ臭い動きがあってだな、その密談があそこで行われているって確かな筋からの情報が・・・」
「えぇえぇ知ってますよ。ですが、偵察の席に芸妓を2人も同席させる必要はないですよね?
 それ以前に、そのような偵察など、貴方の管轄ではない筈ですが?」

 図星を指され、ぐっと詰まる捲簾。

「・・・自分の懐から出してるのによ・・・」

「イイエ、ナニモ」

 一兵士として入隊した頃から十数年、この天蓬という友人とは、大将と大将補佐という地位まで出世した今日までずっと気心の知れた仲でいるが、なぜかこういう時には全く彼に頭が上がらない。
 周囲もそれを心得ているからこそ、彼に『元帥(総大将の意味)』という官位を付けて呼んでいるのだろう。

「それはそうと、『桃源楼』へ行くのはちょっと日延べして、今夜は僕の部屋で如何ですか?」
「・・・割に合うモノはあるんだろうな?」
「それはお約束出来ませんが、損はさせませんよ」








 天蓬の部屋は、基本的に来客を想定した状態になってはいない。
 分かり易く言えば、私物で溢れかえり、足の踏み場も無いのだ。

「ま、適当に腰掛けて下さい」
「そーゆー台詞は『腰掛ける場所』を作ってから言って欲しいもんだぜ」

 言いながらも捲簾は手早く本などを整理し、空いた場所に腰を下ろす。
 向かいに腰を下ろした天蓬は、さて、と呟くと、声を潜めて言った。

「ちょっと、耳を貸して下さい」
「何だよ」

 この部屋には他に誰もいない(そもそも、この部屋に入りたがる者などいないだろうが)。
 それなのに内緒話というのは、余程の内容なのだろうか。
 怪訝そうな顔をしながらも、捲簾は相棒の言う通りに耳を差し出す。
 周囲に眼を配った後、天蓬はそっと囁いた。

「『桃源楼』の中に、左大臣の息の掛かった者がいるそうです――芸妓か使用人か、それは分かりませんが」
「――何だって?」
「確かに、ああいった所での密談は日常茶飯事。ですが如何なる集まりでも、その内容に触れないのが、彼らの間での暗黙の掟です。ところが、それを破り、密談を盗み聞きした上、情報を流している者がいるようなのです――」
「おいじゃあ何か、俺があそこで偵察しているって事も――」
「もしかしたら、左大臣側に洩れているかも知れませんね。
 それだけではありません。芸妓の手を使い、政敵を死にやる事だって、有り得なくはありませんよ・・・」

 天蓬の言葉に、捲簾の顔が一気に青褪めた。

「どどどどーしよ;俺まだ死にたくねぇ;明花ちゃんや小鈴ちゃんともまた会おうって約束してるし・・・」
「・・・死にたくない理由がそれだけなら、とっとと桃源楼でも極楽でも逝っちゃって下さい」
「字が間違ってるって!!」
「冗談はさておき、問題は左大臣達の目的です。これは間違いなく――」
「――皇太子殿下の、暗殺――」

 現皇太子は、先代皇帝の長子であり、当然帝位継承順位は一番上である。
 しかし、典範により、彼が帝位に就くには、25歳の誕生日を迎えなくてはならない。
 現在、彼は24歳。
 先代皇帝陛下が急逝して後、皇太子殿下が帝位に就く事が許される今年の誕生日までは、又従兄に当たる人物がその座に就いているのだが、彼は殆どお飾りの状態で、実権は、彼の遠縁である左大臣達に握られている。
 そのため、皇太子が帝位に就く事を望む右大臣派と、現皇帝の治世を継続させる事を望む左大臣派とに分かれ、水面下で小競り合いが続いているのだった。
 天蓬達は近衛府に所属するので、皇帝が誰であろうとそれを護り、それに牙剥く存在を排除するという任務に変わりは無いが、風雅を愛し争いを好まない現皇帝の性格を理解しているからこそ、彼を操り人形にしている今の治世を正したいと思っているのだ。

「取り敢えず、殿下の周囲は『彼ら』が護っているので大丈夫でしょう。
 殿下が25歳におなりあそばし、正式に即位の儀を迎える日までに、何とか奴等の尻尾を掴めればいいのですが・・・」
「ま、なんつーか、うちの殿下は殺されたって死にそうにねーけど?」
「よしんば暗殺されかかっても、自分を邪魔者扱いしている人間があざ笑っていると考えた途端、地獄の一丁目から舞戻って来そうですよ」
「ハハ、言えてら♪」








 ピキ



「どうかなされましたか、殿下?青筋なんて立てられて」
「・・・何か無性に腹が立った」
「誰かが、殿下の話を酒の肴にしているんでしょうかね?」
「見つけたら殺す」
「物騒な事仰らないで下さい。貴方の敵は一人や二人ではないんですから、やるなら頭を潰さないと、効率が悪いでしょう?」
「・・・・・・(どっちが物騒だどっちが)」
「それはそうと調査の途中報告ですが、右大臣と左大臣、彼らどちらも同じ穴の狢ってやつですね。
 結局のところ、自分の息の掛かった者をより多く宮廷内に配置する事しか興味がないようで、水面下で足の引っ張り合いですよ」
「暇な奴等だ。平和ボケしてんじゃねぇのか?」
「平和で何より。戦争や飢饉なんて御免です。
 ま、豊かさで贅肉が増えるのも遠慮したいですけど」

 遠回しに左右両大臣を皮肉る皇太子傅(皇太子の教育係)に、皇太子は、かつて――自分の祖父の治世で、父君が皇太子であった頃――自分の教育係兼側近だった人物を思い出し、幼かったあの頃に思いを馳せた。
 あの頃は、ここまで窮屈ではなかった。
 それは、自分が直接権力に強く影響する身分ではなく、また父君が自分を庇護して下さっていたからこそであろう。
 だが、祖父も父君も既に亡く、自分は帝位継承権第一位の身分であり、その継承も間近。
 よく自分と学問や芸術その他諸々の話をしていた又従兄とも、今は継承の話題以外では殆ど顔を合わせることも出来ない。

「・・・うぜぇ」

 吐き棄てるように呟いたその時。



 コンコン



「夜分に失礼します。皇太后陛下が皇太子殿下に面会を、とのことです」

 東宮執事の言葉に、皇太子傅の目が見開かれ、逆に皇太子の目は眇められた。
 現皇帝の生母である皇太后と、既に鬼籍に在る前皇帝、つまり皇太子の父君とは従兄妹同士だ。
 女だてらに馬を乗り回し、武芸にも秀でた豪快な人物で、また先代皇帝陛下とは飲み仲間でもあったらしい。
 現皇帝が彼女の血を引いているという事実が、未だ信じられない者は、多い。

「いよう江流、達者でいるか?」
「なぜいつまで経っても幼名で呼ぶんだ・・・持病の癪が出た。お帰りいただきたい」
「お前に持病があったなんて初耳だぜ?そんな事を伏せていた事実が公けになりゃ、困るのはそっちの皇太子傅じゃねぇのか?」
「・・・・・・(この女、いつか殺してぇ)」
「・・・・・・(多分殺しても死にませんよこの方)」
「・・・(考えを読むんじゃねぇ!)」
「お前さんら、揃って失礼な事考えてるだろ。
 まあいい。今日来たのは他でもない、この事でだ」

 お付きの侍従に命じて卓の上に積み上げられたのは、豪華な装丁を施された絵姿(似顔絵)。
 中身はどれも、貴族の息女が描かれている。
 いわゆるお妃選びが目的である事は、一目瞭然であった。

「つーかさ、本来ならとっくの昔に許婚を決めてるのが普通なのに、お前さんときたら『要らねぇ』の一点張りだろ?」
「金蝉・・・皇帝陛下だって、嫁なんざ娶ってねぇだろうが」
「元々あいつは、お前さんが25歳になって即位するまでの代行として、皇帝の座にいる。だからこそ、周りだって何も言わねぇ。
 だがお前さんはそうではない。直系の血を引いた次の世代を残すことも、お前さんの義務だ」
「人を種馬扱いすんじゃねぇよ!」

 いきり立った皇太子が卓に拳を叩き付けた拍子に、積み上げられた絵姿が崩れて卓の上へ広がった。

「殿下!お静まりを!!」

 慌ててそれらを掻き集めながら、皇太子傅は皇太子を諌めた。
 皇太子の気持ちが解らないではないが、相手は皇太后。本人がさばさばした性格だからこそ許されているが、本来なら御法度である(心の中で毒づくのは取り敢えず問題なしとして)。

「いい、八戒。こいつの言い分は間違っちゃいないからな。
 ま、怒鳴ろうが喚こうが、お前さんが近い将来この国を背負って立つ立場である事は、れっきとした事実だ。それを肝に銘じた上で行動するんだな」
「・・・・・・」

 射殺さんばかりの目付きで皇太子が睨み付けるのもどこ吹く風、皇太后は余裕の笑みを浮かべて、部屋を立ち去った。

「あの、狸婆ァがっ!!」

 怒りに任せ、卓の上の絵姿をなぎ払う皇太子。
 上半分は、それを察知した皇太子傅――八戒という名だ――が抱え込んだので難を逃れたが、残り半分は卓の周囲の床に散らばってしまった。
 卓を蹴倒さないでいるだけ、まだましなのかも知れないが。

「ですが実際問題、貴方も皇帝陛下も独身を貫かれたら、それこそ皇族の血脈である左大臣を喜ばせるだけでしょうに・・・」

 左右大臣どちらも遠い昔に皇族から派生した名門貴族の出だが、僅かに左大臣家の方が、現在の皇族と血筋が近い。
 現在存命の皇族は皆皇太子達の倍以上歳を重ねており、また一昔前の流行り病で彼等の子息は全て死に絶え、現皇帝も皇太子も妻を娶って子孫を残さねば、万が一の場合は左大臣家から皇帝が選ばれる可能性が高いのだ。
 ぼやきながら絵姿を集める八戒の手が、ふと止まった。

「・・・・・・?」

 絵姿が一枚、装丁から外れて飛び出ている。
 糊が弱かったのだろうか、とそっと装丁ごと持ち上げ中を確かめると、それは意外な物だった。

「こんな物がなぜここに・・・殿下、ご覧下さい」
「?・・・どうした一体」

 見開かれたそれは、来月に予定されている皇太子誕生祝の宴の式次第。
 といっても正式なものではないのだろう、実際に出席者に渡されるような豪華な装丁ではない。
 そして先の絵姿は、そこに無造作に挟まれていたものであった。
 それを見た皇太子の目が、驚愕に見開かれた。
 饗宴の催しの一つとして、都一と謳われる芸妓の歌と舞が予定されている。
 挟まれていた絵姿には、白銀の髪を持つ芸妓が、『朧月』という名と共に描かれていた――







この物語の舞台は、中世日本と中国の両方を足して割ったような国をイメージしています。
なので、敢えて『天皇(日本の国家元首固有の名称)』という単語は使っていませんが、中国の官職名はややこし過ぎるので、官職名は日本の物を採用。そうしないと『元帥』『大将』も使えませんし。
・・・単に近衛隊という単語を使いたかっただけともいいますが(爆)。
ちなみに前頁の側近2人の正体、お解かりになりましたか?







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