白鳥の歌





 数日後、宮廷に程近い町の茶房で、八戒は一人の男と話していた。

「あん?朧月?お前さん知らないの?遅れてんなー」
「生憎、世俗と接する機会が少なくなったもので、そういった情報は悟浄、貴方から聞くのが一番なんですよ」
「兄貴殿はどーしたよ」
「あの人、博識という点では右に出る者はいませんが、世俗に疎い・・・いえ、疎いわけではないんですが、方向性が若干一般とは異なるといいますか」
「あー成る程」

 八戒とは幼馴染みである悟浄と呼ばれた男は、かつて会ったことのある『兄貴殿』を思い起こした。
 目の前の親友同様端整な顔立ちでありながら、妙な物を収集する趣味があり、それについての知識を誰彼の区別無くひけらかすのを、親友と一緒にげんなりしながら聞いたものだ。
 彼に芸妓の名を出したところで、芸妓の歴史から話を始めそうなのは、目に見えている。
 その『兄貴殿』が宮廷に奉公するようになり、更に当時の皇帝の孫の守り役に選ばれたと知った時には、密かにこの国の未来に不安を覚えた記憶がある。
 現在、その皇孫は皇太子となり、その教育係も目の前の親友に交代しているのだが。

「・・・五十歩百歩?」
「は?何の事です?」
「いや何でも。
 で、『朧月』だけど、今貴族の間では『月天の到来』と言われて評判の芸妓だ。あ、娼妓じゃねぇから、夜伽は出来ねぇぜ?
 月光を紡いだような艶やかな銀の髪に、雪のように白く滑らかな肌、夜空を吸い込んだような(あお)()は盲目で、その誰のものにもならないって感じがまたイイと言われている。
 どっちかってーと、俺は熱ーいまなざしをくれる()がいいんだけどさ」
「そうなんですか・・・彼女を指名したことはあるんですか?」
「冗談。幾ら俺が看板俳優として名高い沙悟浄様でも、あれだけの()なんか呼ぼうとしたら、向こう一月白い米が食えなくなっちまう。
 自分の芸はメシのタネになっても、他人の芸で腹は膨れねぇんだよ」
「成る程。彼女の出自は知られているんですか?」
「や、2・3年程前に急に名を上げてきたけど、どっから来たのかはさっぱり。
 遊女ならお披露目以前は太夫や天神の禿をするもんだが、芸妓は下働きしながら芸を仕込まれていくもんだから、余り表には出て来ねぇし。
 『桃源楼』の()や使用人なら詳しく知ってるかも知れねぇけど、『桃源楼』なんざお高過ぎて、俺の行く所じゃねぇし」
「そういえば貴方、『天竺郭』を贔屓にしてるんですよね」
「ま、一時の夢ならあっちで充分だからな
 ――で、何があったの。急に朧月の事なんか聞いてさ?」
「ある種の調査なんですが。まあそのうち分かりますよ」
「何よそれ」
「それじゃこの辺で。ここの支払い、僕が持ちますよ」
「今日は大した事言ってねぇし、いいっていいって」
「じゃ、頭割りで」
「おう(元々割り勘する気なかったなこのヤロウ)」

 こうして、幼馴染みの2人はたまに顔を合わせては宮廷や世俗の情報を交換するのだった――








 上弦の月が沈む頃、町の通りを『桃源楼』へと向かう捲簾の姿があった。
 危ない橋である事には違いないが、このまま手をこまねいているわけにはいかないのだ。
 と、『桃源楼』の店先で人だかりができている事に気付き、歩を速めた。
 どの者も皆一様に不安半分、好奇半分という面持ちをしている。
 人が多過ぎて事態を把握出来ないので、向かいにある白粉屋の主に聞いてみた。

「親父、何があったんだ?」
「何でも人死にがあったらしい。それも、この店一番の上玉、朧月が舞っている最中にだそうだ」
「何――!?」








 『桃源楼』で死んだ人物は、右大臣派の一人として知られている男だった。
 直接の死因は、心臓発作。
 当然、その宴席にいた人物や『桃源楼』の料理等は全て調べられたが、食事も酒も他人と異なる物は一切口にしておらず、代わりに死者が以前から脈の異常を訴えていたという事実が判り、結局この件は自然死として片付けられた。
 これを聞いた捲簾は、天蓬の執務室へ駆け込んだ。

「おい天蓬!あの男が自然死って本当か!?」
「・・・一応、世間的にはそうなってますね。まあ管轄外なので、調査に直接は関わっていませんが。
 彼は以前から件の看板芸妓を指名したがっていたそうで、彼の権力におもねる連中が、あの席を設けたそうです。
 酒も回り、焦がれていた芸妓を見て興奮し、心臓が早鐘を打つ――結果、持病のあった心臓が発作を起こしたとしても、不自然な点など、何一つ無い・・・」
「おいおい、まさか、あの宴席自体が仕組まれていたってのか?だとしたって、そんなに上手くあの男が心臓発作を起こすとは限らねぇだろ」
「もちろんです。けど、それが『桃源楼』で起こったというのが、引っかかるんです・・・」
「宴席を設けた人間は、問題なかったのか?」
「最も疑わしいのはその人物ですが、毒を帯びた物は一切所持していなかったそうです。
 それに、死んだ人物に媚びていたのは、周知の事実でしたから、その死で不利益をこうむることはあっても、得をすることはない以上、彼を疑うのは難しいようですね。
 同様に、あの場所に同席した連中は皆、右大臣側、もしくは右大臣側の人物に組している人物ばかりで、左大臣の影は見当たらなかったようです」
「芸妓で、怪しい人物はいなかったのか」
「当然、酒を注いだ芸妓を筆頭に、その席にいた芸妓は全て持ち物などを調べられたそうですが、これまた毒物は見つからなかったようです。
 第一、口に入るものは全員が同じ物を饗されていたんですから、疑いの余地はありません」
「調べられたって、噂の看板芸妓もか?」
「身の潔白を証明するためにと、進んで協力したそうです。
 まあ、彼女は死んだ男とは10尺(約3m)以上離れて踊っていたそうですし、ただ話題性が強かっただけで、嫌疑から外れるのは最も早かったと思いますよ」
「結局手がかり無し、か・・・っくしょ、俺が偵察に行っていながら・・・!」
「いえ、これで逆にはっきりしました。あの店が疑わしいという事だけは。
 ただ、流石に2度も3度も人死にがあると、客も寄り付かなくなりますから、今後あの店で騒ぎが起こる可能性は低いと見ていいでしょう。
 とにかく捲簾、貴方に危害が及ばなくて良かったです」
「大臣達のいがみ合いも、激しくなりそうだな・・・俺近衛府で良かったわ」

 捲簾がぼやいた通り、この件をきっかけに左右両大臣の関係は悪化し、方々で左大臣派と右大臣派の仕官の小競り合いが見られるようになった。
 しかし一方で、天蓬の予想通り『桃源楼』は全くの平穏な状態が続き、騒動以降謹慎をしていた朧月も、翌週には宴の席に顔を出すようになった。
 華やかな都の繁栄とは裏腹に、宮廷では不穏な空気が立ち込めたまま月日は流れていき、
 そしてついに、皇太子の25歳の誕生日を迎えた――








 この国では、皇帝の直系に当たる者は、誕生日には生誕の儀を行うことになっている。
 祖先を奉る廟に参拝し、先祖の霊に齢を重ねた事の報告と感謝の意を伝え、その後皇帝陛下にも同様の挨拶を行うのだ。
 一連の儀式儀礼を済ませ、宴のための略礼服に着替えるために私室に戻った皇太子は、ふんだんに施された刺繍で相当な重さになる礼服を脱ぐと、凝り固まった首や肩を解しながら呟いた。

「あ゛ー・・・だりぃ」
「湿布でも貼りましょうか?膏薬臭くなりますが・・・」
「宴席であの臭いは拙い。家臣はともかく、ババァに何言われるか分かったもんじゃねぇ」
「では、宴がお開きになった後、薬草を浮かべた湯を用意させます」
「そうしてくれ・・・ったく、天蓬の調達する湿布は、効き目はいいんだが・・・」
「あの臭いは食欲が失せますねぇ・・・」








 っくしゅっ



「あん?風邪か?珍しいじゃん」
「いえ、そういうわけでは・・・埃でも鼻に入ったんでしょうか」
「これから賓客を迎えるんだから、鼻水垂らした面なんざ晒したら、せっかくの色男が台無しだぜ。気を付けろよ」
「ご忠告痛み入ります」
「そりゃそうと、何か通用門の方が騒がしくねぇか?」
「そろそろ午の初刻(午前11時頃)ですから、余興を行う軽業師や芸妓達が到着しているんでしょう。
 我々のような似たり寄ったりの服装と違って、着物も装飾も華やかでしょうから、さぞ注目を集めているのでしょうね」
「じゃあ『桃源楼』のお嬢さん方も来てるってわけか。どれ、ちょっと偵察に・・・」
(にっこり)
「・・・ハイソウデスネ」

 まったく、と10数年来の親友を呆れたように見やった視線の先、
 土蔵と植木の陰となった場所、人影らしきものの存在が、天蓬の眼に留まった。
 人影は、2つ。
 頭から外套を羽織った女性と――

「あれは・・・」








 余興を行う者達は、宮殿の広間の幾つかを控え室として貸し与えられ、そこで身支度の仕上げが行われる。
 『桃源楼』の芸妓達も、下女にあれこれ指図しながら準備を調えていた。
 寒い中を移動するのに厚手の外套を羽織ったため乱れた髪を整え、やや時間が経ったことで崩れかけている化粧を、入念に直す。
 櫛や簪も、外套を脱ぎ着する事を前提にした装飾がやや控えめの物から、歩揺の付いたきらびやかな物へ(金属が顔に当たるような歩揺は、冬の野外では自殺行為である)。
 その上から香を焚き染めた絹織物の上着を羽織り、準備はほぼ完了だ。
 朧月も、細々と下女に世話をされ、神秘的な美貌にますます磨きが掛けられていく。
 下女は、最後に簪とは異なる飾りを髪に挿しながら、そっと朧月の耳元で囁いた。

「おかあさんが用意なすった花です。全ては、朧月姐様に掛かっておりますとのこと・・・」

 『おかあさん』とはこの世界独特の言い回しで、女将の事を指す。
 下女の言葉に、朧月は微動だにせず「えぇ」とだけ告げた。
 そして手探りで、顔の横まで垂れ下がる花に手をやる。

 全ては、私に――私の、歌と舞に――







この話では、『芸妓』と『娼妓』を区別して用いています。
『芸妓』とは、芸は売っても身は売らないのが鉄則で、映画「SAYURI」に出て来るのはこちらだそうです。
後者は、読んで字の如し。
あ、韓流時代劇に出て来る『妓生(キーセン)』は、両方の意味合いがあるかと思います・・・見る限りでは。
でもって重ねていいますが舞台は架空の国なので、置屋制度も使ってません(正直面倒だったので:汗)。
ここで出てくる『桃源楼』は、料亭と置屋を兼ねたものと解釈して下さい(逃)。







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