遥かなる西のその先へ





 『最初に聞いたのは、5〜6年くらい前かね、若い娘さんの一人旅ということで、キャラバンが馬車に同乗させたら、夜が更ける前に煙のように掻き消えたってんだ』
『それも、1度や2度じゃない。東から馬車で来る人は、大概その娘さんを見ているんだよ。
 急ぎの旅とか、直接騎馬しているとかで、徒歩の旅人に注意を払っていなかったというわけじゃない限りはな』
『・・・そうか』
『旅の目的を彼女から聞いた人はいるんですか?』
『どうだったかなぁ、皆、幽霊に出くわした事で仰天していたから、女の子が急に消えたの一点張りでよ』
『あ、俺、又聞きで聞いたことあるぜ、生まれ故郷に還るって。まあ異人さんだから、海を渡ろうとして西に向かっていたんだろ』
『生まれ故郷・・・』

 それきり、八戒は夜食&情報収集のために立ち寄った酒場を一人抜け、手配しておいた宿の部屋に一旦引きこもった。
 そして、後から宿に戻った三蔵に、相談を持ち掛けたのだ。








「流石に罵詈雑言&ハリセンの一発や二発は覚悟しましたけど、まあ三蔵も貴女が彷徨える霊である事は判っていましたし、その理由も心当たりがあったので、渋々ながら了承してくれました。
 それでそのまま宿を出払い、夜通しかけてジープで数時間前通った道を逆走したわけです」

 そう。
 目の前にいる金の髪の少女は、
 もう何年も前に命を落とした、哀しい旅人。
 死の原因は――あの森にあった。

「昨日、あの森の中で、不慮の事故で僕達は揃って沼に落ちたんです。
 その時、偶然白骨化した死体を見つけてしまいました・・・」

 三蔵が足を嵌まらせた古木。
 3人で三蔵の体ごと抱えて岸へ上がった時、その古木の端に、死体が引っかかっていたのだ。
 正確に言えば、死体が引っかかっていたのではなく、体が古木に突き刺さり、絶命したようだ。
 恐らくは自分達と同様足を踏み外し、崖から落下し、
 不運にも落下地点に立ち枯れしていた木の尖端が、体を貫いたのだろう。
 彼女の体でバランスが変わったのか、それとも他の要因があったのかは定かではないが、その木はやがて彼女の死体を刺したまま水の中に沈み、
 泥水と藻と苔しかないあの沼で、昨日まで誰にも発見されずに独りでいたのだ。

「これを・・・」

 身じろぎ一つせず僕の話を聞くアイリスの前に、ポケットから出したある物を差し出す。
 広げたハンカチの中から出てきたのは――ボロボロになった革紐の付いた銀の十字架(クロス)
 アイリスは反射的に、己の首元に手を当てる。

「貴女の体は、沼の傍の地面に埋めました・・・今朝、あの森に戻って、これだけを掘り出して来たんです。銀の純度が高かったから、少し磨けば表面の黒ずみは取れました」

 そりゃもう、墓暴きまがいの行動だし、朝といっても日の出前の肌寒い時間帯だし、肉体労働組のボヤキは半端じゃなかったが、
 それでも、これだけは、あるべき場所に還さねばならない。

「貴女が夜、消えるのは、その時間に命を落としたからです。
 本当に必要なものが明らかにされていないから、どんなに西に行こうとしても、同じ時間にまたあの沼に戻ってしまう――そしてまた、同じ一日を繰り返す。
 時々僕達のような旅の者が貴女を拾いますが、それでも同じこと。
 日が暮れて少し経った頃、貴女は命を落としたその瞬間と同じ体を貫く痛みで、元の場所に引き戻されるのです・・・」

 少女の時間は、命を落としたあの日から動かない。
 必要なものが失われたままだから、異世に旅立つことすら許されない。
 5年以上の歳月を、ずっとこうして繰り返してきたかと思うと、居たたまれない。
 だから――僕が、

「私――私は、なぜここにいるんですか?何がいけないんですか?
 『本当に必要なもの』って、一体・・・?」
「落ち着いて・・・今から教えます。
 貴女は沼に引き戻されると、その都度西に向かいますね?その理由は、言えますか?」
「・・・生まれ故郷に、還るんです」
「その土地の名前は?ご両親の名前は?」
「・・・・・・」

 首を横に振るアイリス。
 それはそうだろう。

「故郷や身内の名前が分からないから、私は彷徨っているんですか?」
「いえ、そうではありません。それよりももっと大切なものを、貴女は忘れているんです。
 貴女の・・・本当の、名前を」

 僕の言葉が一瞬理解出来なかったのか、アイリスは小首を傾げる。
 無理もない話だが。

「名前って、私はアイリス・・・」
「それは、貴女の人生そのものを示す名ではない筈。その証拠に、貴女が生きてきた中で、その名で呼ばれたことは一度もないでしょう?」
「人生そのもの・・・?」
「アイリスというのは、貴女のもう一つの名前・・・ですが貴女には、本当の名前があるんです。
  、という・・・」
「・・・・・・・・・!!」

 少女――の目が、これ以上ないくらいに見開かれる。
 同時に、彼女を取り囲む空気が、まるで違ったものに変わった。
 ようやく、無限回廊のような現世から解き放たれ、異世への旅に出られるのだ。
 憑き物が落ちた顔で、アイリス――もとい、は言った。

『貴方の言う通り・・・アイリスというのは、この十字架(クロス)に刻まれていた名前・・・きっと、生みの親が私に付けるつもりだった名前なんでしょう。
 でも、生まれてすぐ預けられた施設で、私は土地に馴染まないこの名前ではなく、別の名前を付けられた・・・だから私は、本来在るべき場所で、アイリスとして生きるため、西へと旅をした・・・』
「そして、あの森の沼で・・・」
『でも八戒さん、どうして私の本当の名前を・・・・・・って、あぁっ!!』

 あ、やっぱり思い出した。

『猪悟能!施設一偏屈な悟能!九九の七の段だけ私より覚えるのが遅かった悟能!音痴を隠すために賛美歌の日はオルガン弾きを担当し続けた悟能!』
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って下さい;」

 っていいますか、思い出した途端容赦ないですねこの人。
 横で笑いを堪えている悟浄への制裁はまあ後にするとして。
  
 僕と同じ孤児院に、生まれてすぐ預けられた、同い年の少女。
 その、桃源郷ではまず眼にすることのない髪と()の色から、よくいじめられていた子供。
 預けられた際に身に付けていたという十字架に刻まれていた『名前』を知っていたのは、シスター達以外では僕だけだろう。
 それは、いじめっ子が彼女から取り上げた十字架を窓から捨てた際、拾ったのが僕だったから。
 そして孤児院にいる年齢の子供で、十字架に異国の文字で刻まれた言葉を理解出来たのは、僕以外いなかったからだ。




『馬鹿な奴に捨てられたみたいなのをたまたま拾ったから、はい』
『・・・有難う。貴方に借りを作るのは癪だけど』
『「アイリス」って、名前かい?、やっぱり君、西の大陸の人なの?』
『あ、読めるんだ。やっぱりそこらのお馬鹿さんよりは頭の出来は違うようね。
 ここに預けられる時に身に付けていたそうだから、きっと私を生んだ人はこの名前を私に付けようとした、そう信じているわ。
 多分この髪と()だから、両親共西の大陸か、桃源郷でも海に近い国の人なんでしょう。遺伝について書かれた本で調べたもの』
『でもその名前、桃源郷(ここ)では使っちゃ駄目なんだろう?』
『戸籍では私は だからね・・・でも大人になったら、どうにかして西へ行くわ。そして堂々とこの名前を使うの』
『後5年か10年か・・・気の長い話だね』
『何とでも言いなさい。このだだっ広い桃源郷で生き別れのお姉さん探すよりかは、まだマシよ』
『ぅ・・・・・・』




 この僕が口でやり込められたのは、花喃以外ではしかいない。
 つまり、僕が口で負けた最初の相手だ。
 とはいえ。

「あぁ。貴女が逝く前に言っておきたいんですが、花喃とは再開出来ましたよ。まあ残念ながらその後死に別れましたが。
 なのであの世で逢ったら、茶飲み話に付き合ってあげて下さい。
 あと、『悟能』の名は事情があって抹消しましたので、その辺も宜しく」
『本当に逢えたんだ。貴方って、運だけはやたら良かったものね。
 で――名前を抹消して、私みたいになっちゃわないの?』
「あぁご心配なく。今の名前で呼ばれる回数の方が、圧倒的に多いですから♪」

 ――あれ、僕何か変な事言いましたかね?
 こちらを見る皆のジト目が凄いんですけど。

『・・・イイ顔してるわね』
「お陰様で、顔貌についてはけなされたことはありませんね」
『そうじゃなくって。表情がイイってこと。
 生きている間に見たかったわ、その貌。そしたら・・・ううん、何でもない』
「?」
『借り、2つになっちゃったわね・・・あぁ、悪いけどもう一つ』
十字架(これ)、ですよね?西の大陸に、と言いたいのは解りますが、生憎僕達は微妙に行き先が違ってまして・・・」
『なら川に流してちょうだい。出来れば海に直結している流れの早い川。海は繋がっているもの、いつかは西に行くわ』
「承知しました」

 そうこうしているうちに、の姿が段々淡く透けてきた。
 死者が在るべき場所へ、旅立とうとしているのだ。

『あぁ、そろそろ時間切れみたい。じゃあ私、逝くわね。
 さよなら、悟能・・・ううん、八戒』

 その白い肌が、金の髪が、周囲の空気と同化しようとする。
 それでも全てを取り戻した笑顔は、はっきりと見えた気がした。

『有難う――・・・・・・』








 林と町の境目にある、流れの早い大きめの川。
 荷物の中から、空き瓶を取り出す。
 中に、ビニル袋に包んだ十字架と、メモを入れた。
 メモは、もし西の大陸以外の場所に流れ着いたなら、もう一度海に流してもらうように。
 流れに乗るよう、裸足になって川の中程に立ち、瓶を水に浮かべる。
 川べりに戻ると、いつの間に来たのか、悟浄が待っていた。

「これであのって()、ちゃんと成仏するのか?」
「成仏は既にしてますよ。これは事後処理といいますか、最後のお願いを聞いているだけで」
「もったいないよなぁ、生きてりゃ、それなりのアレだったろうに」
「何ですかそれなりのアレって・・・まあ裏を返せば、どんな見た目でも、死ねば朽ちてしゃれこうべってわけですね」
「止めてくれ、昨日の事思い出しちまう」

 苦々しい顔でハイライトを咥えた悟浄が、紫煙を薄く吐き出しながら、ふと思い出したように口を開いた。

「そういや、これ、俺の主観だけどさ」
「はい、何です?」
「あの()、お前さんの事好きだったんじゃねぇ?」
「・・・・・・は、い?」
「あ、やっぱり気付いてなかった。
 まあこういう事に関しては百戦錬磨の悟浄さんだから?
 ほらあれだ、ツンデレってタイプ。好きな相手が自分より優秀なのが癪で、だからこそちょっとした欠点をしっかり覚えているワケ」
「はあ・・・」
「ま、成仏の手助けをしてくれた事で、満足したみてぇだけど」
「・・・・・・・・・」

 そこで悟浄はジープへ戻り、僕は一人空を見上げた。
 良く晴れていて澄みきった空は、淡い色の太陽と共に、あの少女を思い起こす色彩(いろ)だ。
 幼い頃に親に捨てられ、異端視され、知識を高めて人を見下すことで自分を慰めていた、
 ある意味、自分と同属だった少女。

「・・・嫌いじゃ、なかったかな」

 気付くのが遅過ぎたかも知れないけど。
 きっと彼岸の向こうで花喃と2人、僕の悪口で盛り上がっていることだろう。








 貴女がたの分まで精一杯生きますから・・・そっちへ行った時は、どうかお手柔らかに。
 下流へ流れて視界から消えようとしている小瓶が、キラリと光った気がした――








―了―
あとがき

そんなわけで(どんなわけだ)、結構ありがちネタでスミマセン。
やっぱりこういうのって、ヒロインが死者だという事を何処まで読者様に気付かせないかに掛かっています。
なので結構あちこち伏線張りつつぼかした表現で核心をわざと逸らしたりと苦労しました。
欲を言えばもう少し、孤児院時代の悟能のに対する感情とか書ければ良かったのですが。
で、これってドリームと言えるのでしょうか(爆死)



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