因果律の起点







 「――――・・・?」

 ふと足を止めた先頭の人物に、すぐ後ろにいた男――集団の中でも最も大柄な――が訝しげな顔をする。
 筋張った手が防寒用のフードの端に伸び、鋭角な顎が持ち上げられた。

「どうし・・・」
「声が――・・・」
「?・・・俺達は何も・・・」
「お前達じゃない。何処か――少し離れた場所から、明確な言葉は判らんが、助けを求めるような響きだ」
「助け・・・?旅人が、盗賊か妖怪にでも襲われているのか?」
「いや・・・」

 それきり黙ってしまった相手に、尋ねた側は当惑するより他ない。
 ともあれ、ここは緑深い山の中。ヒトの歩ける道は1本きりとなると、進むか戻るかの二択しかなく、

「・・・行くぞ」

 男は、先頭の人物を促すように、声を掛けた。








 それから2日ばかりかけて山を抜けたところで、男達の足が止まった。

「―――っ、これは・・・?」
「この『力』は・・・」

 法術の心得のある男は、木々に覆われた視界が開けると同時に感じた『それ』に驚愕する。
 非常に強い――圧倒的なまでの『気』の力。
 攻撃的な気配を有しながら、しかしヒトを害する妖怪の類の気配とは異なるものだ。
 いや、それどころか――
 一行を率いる人物は、ある種の確信を抱き、従者達を促す。

「――行くぞ」
「おい、大丈夫なのか?」

 眉を顰め、問い掛ける男――後ろに続く面々も、同じ面持ちで目線を寄越す。
 幾多の敵を葬り、百戦錬磨と謳われる自分達だが、あの凄まじいまでの『気』に正面から対抗して、無事に済むとは思えない。
 そんな従者達に返されたのは、端的な――ある意味無慈悲ともいえる一言だった。

「命の保証は出来んぞ」








 『気』の圧力に真正面から向かうようにして、その発生源へと歩くこと四半日。
 進む道の先に、巨大な門が見えてきた。
 この地の関所だろうか。
 通常、門の左右は町を囲む柵が設けられているものだが、ここでは代わりに左右共切り立った崖が、土地の内と外を隔てる役割を担っている。

「何だ、ありゃ?」

 男が、訝しげに言い放つ。
 通常内外からの通行者を見張る筈の門番が、何故か一所に固まり、一様に困惑の表情を見せていたのだ。
 恐らくは、この異様な『気』を感じてのことだろう。
 どうやらこの『気』は常から在るものではなく、ここ最近の内に突発的に発生したものらしい。
 近付くと、自分達の存在に気付いた門番の一人が、慌てて駆け寄って来た。

「待て、ここは関所だ。代表者の名と行き先と目的を言ってもらおう」
「・・・行き先は、この『気』の発生源」

 先頭に立つ人物が告げる内容に、門番の表情が硬くなる。

「あんた、この『力』の事を知って・・・?」

 その様子を見た他の門番達も、わらわらと寄って来る。

「おい、どうした?」
「この連中、あの『力』の出所へ行くと言っているんだ」
「ちょっと待て、その装束・・・あんた達、僧侶か?」
「後ろの部下達は違うがな」

 自分に限ってはその通りであると、暗に示す。

「なら話は早い。ここからさっさと引き返せ」
「・・・ほぉ?」
「あ゛?ちょっと待て、こっちの素性は判った筈だろう?お尋ね者じゃあるまいし、通行禁止を言われる筋合いはないぞ」
「俺達にとってあんた達僧侶は、お尋ね者以上に忌まわしい存在なんだよ」
「おい一体・・・」
「成る程・・・陰陽道の関係か」

 部下の一人がいきり立つのを制するように、落ち着き払って一つの答えを出す。
 陰陽道と仏道。
 それは共に創世の頃から発生し、人々の暮らしに根付いてきたにも拘らず、遥か昔から今も尚、互いの存在を忌み嫌い、対立し合う宗教である。
 桃源郷に於ける第一宗教の地位を確立している仏道に対し、仏道に押しやられる形で日陰の存在となった陰陽道にとって、仏僧は親の仇の如き存在なのだ。

「ああ。この先には金属や紙を製造する集落があるが、それは更に加工を経て陰陽道の術具になる物。
 その神聖な土地を、お前達の汚い足で踏みにじられるわけにはいかないんだよ」
「・・・フン」

 蔑むように言い放つ門番を、冷静に受け流す。
 その一方で、心の中で思案する。
 恐らくは、この門から先はある種の結界が張られた領域内であり、門番の許可を得ずに立ち入った者は、中で延々と彷徨うことになるのだろう。
 それを考えると、自分達には手の出しようがない。
 だが、今この瞬間も自分の耳に聞こえる『声』。
 この場所へ来たことで、更に強く大きく聞こえるようになったそれは、確かに自分に助けを求めるもの。
 間違いない、『声』の主は、この門の向こうにいる。
 さて、どうするか。
 ――と、

「「―――っ!?」」

 不意に、強い『力』の波動――領地の内部から膨れ上がるものとは別の――を感じたかと思うと、突如宙に光の渦が発生した。それは見る間に面積を広げ、形を変えていき――

「光の、扉・・・?」

 大人一人が通れる大きさの長方形の光。
 それはまるで、入れと促しているかのように。

「あ、おい待て!」

 光の扉へと歩を進めようとすると、門番の一人が慌ててそれを遮る。

「何だ、関所を通るわけじゃないから構わんだろう?」
「いや、しかしだな・・・」

 尚も渋る門番。

 ――チッ、やはり判るか。

 心の中で舌打ちながら呟く。
 この光の扉が、空間制御の類の術であることを。
 彼等にとっての聖域を侵入者から護る立場だけあって、『気』や『力』の類には敏感であるらしい。
 ただ、流石に『これ』がどのような術式で成り立っているかまでは感知出来ないのだろう、門番同士、ちらちらと戸惑うような視線を交わしている。
 それはこちら側も同様で、背後のひそひそ声がやむ様子はない。
 結局埒が明かないと判断したのだろう、先程自分を制した門番が、その光の扉に歩み寄り、恐る恐る手を入れた。
 ――その瞬間、

「ぎゃあぁぁっ!!」
「っ!?」

 煮えたぎる熱湯に触れたかのように手を引き抜き、つんざく悲鳴を上げながら仰け反りその勢いのまま地面を転げ回る門番。
 慌てて他の門番連中が駆け寄るが、目にしたものにぎょっとしたようにその場で動きを止める。
 尚も叫び声を上げながらうずくまる門番の右腕。
 光の扉に入れた筈の手がそこには存在せず、手首の端からはうっすらと白い煙が上がっていた。

「これは・・・」

 左程長い人生を生きてきたわけではなくとも、それなりに様々な経験をしてきたが、このような現象を見るのは初めてかも知れない。
 流石に息を飲むと、背後の男も同様の事を考えていたのだろう、信じられん、と呟く。

「おい冗談だろう?あの向こうに硫酸のプールでもあるのか?」
「・・・いや、幾ら劇薬でも、こんな一瞬の間に骨まで跡形もなく消し去るというのはあり得ない」
「じゃあマグマ溜まりに繋がっているとかか?」
「なら手甲が燃える筈だろう・・・ひょっとすると、この『気』の根源かも知れん」

 峠の辺りからずっと感じていた、攻撃的な気配。
 あの距離でも否応なしに感じ取れたのだ、その発生源近くともなれば、ヒトの骨肉が蒸発しても不思議ではない。
 とはいえ、

「それこそ、あの一瞬で肉体を消し去るレベルってんなら、尋常な『力』じゃないぞ?
 そんな力を持つ奴が存在するというのか?」
「・・・・・・」

 部下の台詞は敢えて無視する――考えても無意味だ。
 暫く思案すると、懐から独鈷を取り出した。
 荷の中には広範囲に術を張るための術具もあるが、今はこれでいいだろう。
 光の扉の前に立ち、左手に独鈷を水平に持ち、右は片手合掌の形を作る。

「ノウボ・サッタナン・サンミャクサンボダ・クチナン・タニヤタ・オン・シャレイ・シュレイ・ソンデイ・ソワカ・・・」

 真言に呼応して、双肩に掛けていた経文がゆらりと浮き上がり、自分の周りをたゆたう。
 一しきり唱え終わると、経文は肩に収まるが、手にした独鈷が淡い光を放ち、全身を包み込んだ。
 ――恒天経文。
 『不変』を司り、『防御』の力を有する、天地の理を支える『天地開元経典』の一巻。
 その力の範囲を、己の周囲にのみ限定するよう調節し、最小単位の結界を張ったのだ。
 ざり、と。
 一歩一歩ゆっくりと大地を踏みしめ、光の扉へと近付く。
 従者達が慌てて荷を広げているのが、視界の端に入った。
 先と同様の事が起こった場合、速やかに対処しようと準備しているのだろう。
 門番達は、もう引き留めることもせず、ただこちらを注視している。
 先の門番の二の舞になるか否か――
 あと3歩、2歩、1歩――・・・

「っ―――・・・・・・」

 全員が固唾を飲んで見守る中、
 一行の主――紗烙三蔵の姿が、光の中に飲み込まれていった――







初めのうちは台詞主体の文章にして、後からその正体を明らかにする、これが香月のスタイル。
読まれる方にとっては超不親切設計(^_^;)。
長いので区切ってみました。







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