水の中を進むような重い抵抗感はあったが、それ以外は特に痛痒を感じることもない。 時折肩の経文が波打つのは、術同士のぶつかり合いによる気圧の変化に依るものだろうか。 取り敢えず、先の門番の轍を踏むことはないようだが、それでも慎重に歩を進める。 「・・・・・・・・・」 ついに全身が、光の扉の反対側へと通り抜けた。 己が判断が間違ってなかった事に、らしくもなく安堵する。 この光の扉は、自分を呼ぶ『声』の主が、自分のみを通す為だけに施した術なのか。 そこまで考えてから、周囲を見渡す――結界は張ったままで。 やはり空間制御の術の類だったようで、先程の場所とは全く異なる場所だった。 瓦葺きの屋根を持つ門扉と左右に伸びる塀――どうやら一軒の邸宅の門前のようだ。 一瞬何処かの規模の大きな寺院かと思ったのは、それ程までに左右に伸びる塀が長いからであった。 これが、門番の言っていた『聖地』の中心部だろうか。 ――この奥か。 自分を呼び続ける存在は。 重厚な門扉を押し開け、敷地に足を踏み入れる。 門塀同様、中の敷地も広大で、屋敷も格式ある風情だ。 高台の上に建っていることなどから見て、この地の領主の屋敷だろうか。 相変わらず攻撃的な『気』は存在している――というより、結界を張っても尚肌に感じられる程に、その強さをいや増している。 先程の光の扉といい、人の骨肉を一瞬で蒸発させる『気』といい、 自分を呼ぶ人物は、並外れた『力』の持ち主といえよう。 歩きながら周囲に眼を配るが、人の気配は感じられない。 その代わり、あちらこちらに武器や防具が、無造作に地面に転がっている。 『気』の攻撃から逃げる間もなく、その場で肉体が衣服ごと蒸発し、金属製の武器防具のみ残ったといったところか。 それらを一瞥すると、建物に沿って回り込み、中庭へ――『声』はそちらから聞こえてくる。 「っ・・・・・・」 邸宅の規模に相応しい広大な中庭へと足を踏み入れたと同時に、『気』の圧力が一気に高まる。 建物の縁側に程近い、玉砂利の敷き詰められた一角。 そこには―― 「・・・・・・」 直径2m程の光球の中に浮かぶ――年の頃10になるかならないかといった子供。 身体同様重力に逆らって宙に浮く髪は、桃源郷に於いてヒトにはあり得ない銀糸。 極端に痩せ細った身体は男女の区別も付きにくく、子供特有の丸みは殆ど見当たらない。 落ち窪んだ目は閉じられており、意識はないようだ。 これ程までに強い『力』の持ち主が、こんな小さな子供という事に、驚く一方でまた納得も出来る。 幼さ故に感受性が高く、また感情や力のコントロールが出来ないがために、全ての力を攻撃のために解放してしまったのだろう。 ならば、あの光の扉は・・・? あの光は、明確な意思を持って自分の目前に出現した。 意識を手放したまま、そのような芸当を行ったとは考えにくい。 この、子供を護るかのように包み込む光、これが、何かの鍵なのだろうか? そっと、右手を子供へと差し伸べる――左手は結界の要となる独鈷を持ち続けたままで。 指先が光球に触れた、その時、 「―――!?」 光球は瞬く間に凝縮し、子供の体内へと吸い込まれるようにして消えて行った。 それと同時に浮力を失った小さな体が落下しかけ、咄嗟に両腕で抱え込む。 攻撃な『気』も自分を呼ぶ『声』も、既に感じられなかった。 念の為首筋に指を当てて脈を診るが、弱いながらも心拍はあるようだ。 結界を解き、周囲を見渡すも、この子供以外生きている者の気配はしない。 恐らく、この敷地内にいた者達は、全てこの子供の放った『気』で消滅したのだろう。 「今のは・・・・・・」 思わず、自分の右手を見つめる。 光球に触れた刹那の間、 脳内に流れ込んできた、様々なビジョン。 恐らくは光球――正確にはその力の源となる存在――が自分に見せたものであると推測されるが、それは、己の双肩に掛けられた経文とも密接に関わる内容で、 いや、逆だろう。 経文を持つが故に、自分はここへと 更天経文。 自分が守護する恒天経文と 『変化』を司るが故に経文としての形をとらず、ヒトの魂と同化する、幻の経文。 少なくとも自分は、経文継承の際にこのような経文の存在は知らされていない。恐らくは、他の経文の継承者も同様の筈。 5巻の経文とは成り立ちも在りようも異なるそれは、この世ならざる者の采配により、意図的に存在を隠されていたらしい。 ふと、先程、光の扉を潜り抜ける瞬間の事を思い出した。 風もないのにほんの僅か、ふわりと浮き上がった肩の経文。 あれは、経文の術同士が接触したことによる共鳴反応だったのだろう。 ともあれ、この子をどうするべきか。 逡巡していると、 「ぅ・・・・・・」 消え入るような小さな声に、 ハッと下を向くと、子供のかさついた唇が僅かに震えている。 「おい、気が付いたのか?」 口元に耳を近付けると、やっと聞き取れる程の小声で一言、 「・・・瑞・・・・・・光、・・・寺・・・」 それだけ言うと、再び口は閉ざされた。 軽く揺さぶったり頬を叩いたりして何度か反応を確かめるも、意識が戻る様子はない。 「今のは・・・」 何が起こったのか理解出来ず、流石に戸惑う。 だが、ここで安穏としているわけにもいかない。 この子供があれ程に攻撃的な『気』を放ったからには、この地がこの子にとって忌まわしい場所であるだろう事は想像に難くないし、この土地の者にとっても、この子の存在が喜ばしいものであるとは考えにくい。 となれば、自分が、この子供を安全な場所に運ぶべきなのだろう。 「成る程、それで・・・」 先程、子供が口にした寺の名。 それは、この地域から南東の方角にある、中程度の規模の寺院だ。 自分の記憶が定かならば、確かそこには医療・介護・児童保護施設等が併設されていた筈。 この子供の意思か否かは定かではない――むしろ、この子と同化している経文の意図かも知れない――が、そこへ保護を求めるのが、一番良い策といえる。 「この私を呼び出してこき使うとは、大したタマじゃねぇか」 独り言ちると、紗烙は子供の身体を肩に担ぎ上げた―― 先の光の扉は、紗烙を待ち構えているかのように、消えることなく存在していた。 屋敷の門扉から周囲を見渡すが、視界に入る範囲に人はいない。 あの強烈な『気』から逃げ延びた者達が、『気』の消滅に気が付きここへ戻って来るまで、まだ当分時間が掛かるだろう。 この子供の保護者が何所にいるのか、そもそもこの子供が何者なのか、誰かに尋ねたいのは山々だが、僧侶である自分がこの地の者に訊いたところで、有用な情報が聞き取れるとも思えない。 まあなるようになるだろう、そう考え、光の扉を潜り抜けた。 「紗烙!無事か!?」 部隊のまとめ役である 心配性だなと思わないではないが、先だっての門番の事を思えば、致し方ないか。 「・・・その 「私を呼び付けた張本人だ。取り敢えず安全な寺で、治療を受けた方が良いだろう」 「おい、その子供・・・」 割って入ったのは、残っていた門番の一人。 先程片腕を失った門番は、同僚の一人が医療施設へと連れて行ったようだ。 「この子供を、知っているのか?」 「いや、そうではないが・・・その龍の象嵌が施された合口(鍔の無い短刀)、そいつはこの土地を統べる一族しか持たない物・・・もしやと思ってな」 「成る程、この子供が領主一族の一人か、でなくば一族の誰かから盗んだのか、と」 「検めさせてもらう」 そう、門番が手を伸ばすと、 バチィッ!! 「ッ!!?」 静電気を何百倍にもしたような音と火花と刺激に、伸ばした手が反射的に引っ込められた。 「・・・どうやら、この短刀は、主以外が触れてはならんようだな」 「っ・・・では、真の 朧家、それがこの地の領主の家名か。 「私が見たところ、領主の屋敷と思われる建物はもぬけの殻だった。 この子が何者であれ、あのままでは衰弱死すると判断したので連れて来たまでだ。 領主達がどうなったのかは知らんが、お前等もこの土地の者達も、暫くは子供の事まで手が回らんのじゃねぇのか?」 「それは、確かにそうだが・・・」 「なに、こっちも旅路の途中だ。ガキを同行させるつもりはさらさらない。 ここから程近い寺の施設に預けるだけで、その後の身の振り方を決めるのは、この子自身だ」 「・・・・・・」 返事が無いのを了承と捉えた紗烙は、子供を担ぎ上げたまま歩き始めた。 結局この領地の外門は通れない以上、針路を変えるしかない。 既に骨と皮ばかりに痩せ細った子供が、目指す土地までもつだろうか。 傾きを増した西日を背に、部下の手を借りて子供を背負い直した紗烙は、表情を厳しくした。 |
―了―
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あとがき うわぁ、ギリギリ間に合いました、4年に1度の2/29、オリキャラ計都(すなわち羅昂も)の誕生日です。 こちらの話の、実際に起きた状況を文章に起こした物です。 それにしては難産。何より、メインストーリーを書き始めた段階では、原作はまだ無印でしたし、サイトを立ち上げて校正し直した段階でもまだリロの途中、つまり紗烙様の存在は無し。なので色々食い違いが起きているのですが、そこはそれということで(汗)。 |
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