追憶の六花







 その冬最初の雪の、一番初めに舞い降りた一片(ひとひら)を手に入れると、願いが叶うって、
 貴方は、知ってますか――?






「この分だと、山を越える前に雪になりそうですね」
「げっ、マジかよ?」
「うー、足がつべてぇ;」
「四の五の言ってねぇで歩きやがれ。そんなに雪が嫌なら振る前にここで死ぬか?」

 肩越しに後ろも見ずに向けられる短銃。その標的はもちろん悟浄。

「それは遠慮しときマス・・・」
「そうですよね、どうせなら雪が積もってからの方が白に赤が映えて綺麗でしょうし」
「八戒・・・(泣)」

 その言葉が真意か否かはともかく、三蔵の怒気を殺ぐ効果はあったらしい。
 八戒の顔を嫌そうに一瞥すると、三蔵は興味をなくしたように武器を懐に戻した。
 銃を押し込んだ手を懐から出したその時。
 目の前を小さな白い物体がスイ、と舞い降り、半ば反射的に広げた手の平に吸い込まれるように留まった。
 黒い手甲に映える繊細な白に、三蔵は思わず足を止めた。

「・・・・・・」
「三蔵?どうかしましたか?」

 急に歩を止めた三蔵を訝しんだ八戒が、三蔵の手の平を見てその表情を和らげた。

「初雪の、最初の一片ですね」
「・・・・・・」
「『その冬最初の雪の、一番初めに舞い降りた一片を手に入れると、願いが叶う』・・・」
「!・・・・・・」
「花喃の受け売りですけどね。そう言って彼女、雪が降りそうな日にはそわそわ窓の外を見てましたっけ」

 あんまり気になるようだから、ちょっぴり雪に嫉妬しながらも、『ここはいいから座ってて』って家事を代わりに引き受けたものでした。
 そう語る(惚気る、ともいう)八戒の言葉など殆ど聞いていないのか、三蔵は手の平をじっと見つめる。
 三蔵の視線の先で、瞬く間に融けていった雪は、2、3の小さな水玉となった。

「なあなあ三蔵っ、何か願い事したのか?」
「あー?バカかお前は?ンなの迷信に決まってんだろーが。あぁ、バカ猿だから判んねぇんだよな♪」
「そんなにバカバカ言わなくてもいいじゃんかよっ!」
「んじゃ小猿だな、小猿。願い事とかそーゆーモン信じてるなんざお子ちゃま以外の何モンでもねーぜ」
「僕は結構信じてますよ?」
「誰が小猿だよっ!」
「・・・八戒サン?」
「うっせぇぞテメェら!」



 バッシ――ン!



「「っ痛ぇ!」」

 水滴を握っていた手に代わりに握られているのはいつものハリセン。
 スナップを利かせて打ち下ろされたそれに、悟空と悟浄の目尻に涙が浮かんだ。
 ギリ、と2人を睨み付ける三蔵を、まあまあと八戒が宥める。

「ここでじゃれ合うのも結構ですけど、雪が本格的にならないうちに野宿出来そうな場所を探さないと、僕達全員遭難ですよ?」
「誰がじゃれ合ってるんだ!」

 ハリセンをしまい(何処へ?)ながら八戒をも睨み付けると、怒りの名残を歩調に乗せてズンズンと歩き出した。

「さて、と・・・2人共、そのままだと本当に凍死しちゃいますからねー?」

 後方に向かって言い残しながら、ちらつく雪の中の白い法衣を見失わないよう駆け出す八戒。
 頭をさすりながら起き上がり、悟空は呟いた。

「・・・確か雪の話始めたの、八戒じゃなかったっけ・・・」
「・・・止めとけ。理不尽だろーが不条理だろーが、口に出すのは止めとけ・・・」

 沈黙は金、言わぬが花、触らぬ八戒に崇りなし。
 孫悟空18歳、大人への第一歩であった。








 それから半時間――
 ちらついていた小雪は既に吹雪の域となり、視界を白一色に染め上げていた。

「チッ・・・本格的に吹雪いてきやがった」

 雪が降ること自体は予想していたものの、余りにも早い雪足に、三蔵は盛大に舌打ちする。
 防寒と防雪を兼ねるマントを羽織ったところで、そんなものは気休めにしかならない。

「ビバーク出来る所があればいいんですが・・・」
「・・・ハンバーグ?」
「・・・・・・(やべぇ、猿の眼が虚ろだ)」
「・・・おい河童」
「んだよ」

 河童と呼ばれて素直に返事してしまう自分が情けないと思いつつ、それでも声の主の方へ顔を向ける。

「お前が先頭を歩け。でもって雪を凌げる所を探すんだ」
「って何で俺が・・・」
「すみません、僕も三蔵もこの状態じゃ殆ど見えないもんですから・・・悟空はこの状態ですし、悟浄に探してもらうしかないんですよ」

 八戒の言う事も尤もで、片目が義眼である八戒は勿論、目の色素の薄い三蔵も、この吹雪の中ビバーク出来る場所を探すには困難を極める。
 普段ならばこういう場合悟空が適任なのだが、今の彼の状態では防雪地どころか見える筈のない食べ物を追ってあらぬ所へ足を踏み入れそうである。

「チェッ・・・しゃーねーな・・・」

 独り言ちながらそれまでの倍の歩幅で列の先頭に立つと、防寒布の下から目を凝らしながら雪を踏みしめた。








 悟浄を斥候(雪避け)に、歩くこと十数分。
 登山者向けに建てられたと思われるログハウスを見付けた4人は、風除室(玄関の扉の外に作られた小部屋。二重扉にすることで家の中に寒風や雪が吹き込むのを防ぐ)でマントの雪と靴の泥を落とし、中へと入った。

「へー、結構広いじゃん。二階建てになってるし」
「利用案内が貼ってありますね。えぇと、『火災予防の為、喫煙はご遠慮下さい』ですって」
「・・・・・・チッ・・・(←八戒に聞こえないよう小さく)」
「・・・後半、強調されたように聞こえるのって俺の気のせい?」
「やですねぇ、書かれている通りの事を口に出したまでじゃないですか♪」
「なあ八戒っ、暖炉に薪が無いんだけど?」

 悟空の言う通り、土間に造られた暖炉には灰しか残っておらず、脇に焚き付け用の小枝はあるものの、燃料となる薪が1本も無い。

「困りましたね、出来れば靴とか乾かしておきたいんですが・・・」

 マントや上着は土間の壁に作り付けられた掛け具に掛ければいいものの、靴はこれ1足だ。
 中にまで浸透している水と寒さのせいで足が凍りそうである。
 ――その時。

「まあ、この吹雪の中大変だったでしょう・・・すぐお湯を用意致しますから、お待ち下さいませね」

 山に不釣合いな上品な声音と共に、軽い靴音を立てて2階から降りてきたのは、二十歳前後と思われる女性。
 掃除でもしていたのか三角巾を被っているため髪の色は判らないが、白磁の肌に深い(あお)の瞳が印象的な、天女と見紛う程の美女であった。

「・・・貴女は、ここに住んでらっしゃるんですか?」

 流石の八戒も、口を開くまでに若干の間が空いてしまう。

「いえ、私はこの山小屋の管理人で、計都(けいと)と申します。このように時々来ては掃除や備品の補充などをしておりますの。
 この天気では私も町に戻れそうにありませんし、ここでご一緒させていただきますわ」

 ヤカンをコンロにかけて湯を沸かし、物置らしき場所から金ダライを運びながら答える。

「それはいいけどよ、あんた、男4人と雑魚寝するわけ?」
「心配には及びませんわ。管理人用の部屋が別にありますから」
「安心しました。約1名油断の出来ない人物がいるもんですから♪」
「・・・ソレどーゆー意味よ・・・」

 異議を唱えようとする悟浄の呟きは、綺麗に無視される。

「おねーさーん、暖炉に薪が無いんだけど、何処にあるの?何なら俺運ぶけど」

 最初の問題を思い出した悟空の言葉に、計都と名乗った女性は形の良い眉を顰めた。

「あぁ、申し訳ありません。本来なら今日麓の村から届けられる筈だったんですが、思いの外早く吹雪いてきたものですから、業者の方も足止めを強いられているようで・・・」
「んじゃ、俺達燃料無しで一晩過ごさなきゃいけないワケ?」
「それは困りましたね・・・」
「おいテメェら、一宿一飯の礼だ、表で焚き木拾って来い」
「ってこの吹雪の中を!?」
「ざけんなこのクソ坊主!一宿一飯の礼ってんなら頭のテメェが拾って来いよ!」
「俺が頭ならテメェ等は下僕だろーが」
「この・・・」
「まあまあ三蔵も、流石にこの吹雪の中焚き木拾いというのは自殺行為です」
「そうですわ。今年は冬将軍の到来も早く、その勢力も例年以上といわれております。
 ましてやこの辺りの地の利のない方が出歩くべきではないかと・・・」
「・・・フン・・・」

 八戒だけでなく計都にまで諭された三蔵は、仕方なく折れる他なかった。
 そんな三蔵を宥めるように、計都は柔らかい笑みを浮かべる。

「ご安心下さい、電力は問題なく供給されておりますから、寝室の暖房やお料理もきちんとご用意出来ますわ」
「やりぃっ!」
「つまり、薪はこの暖炉だけにしか使わないんですね」
「えぇ。火事を防ぐため、燃料は極力使わないよう設計されておりますの。お召し物等は寝室の暖房で乾かすと宜しいですわ。お湯が沸いたら持って参りますので、そちらで御御足を清めて下さいませ」
「有り難うございます。それじゃ、まず部屋に行きますか」

 後半の八戒の呼び掛けに残る3人も従い、びしょ濡れのマントのみ土間の掛け具に残して階段へと足を向ける。
 最後に階段に足を掛けた人物がチラ、と湯の準備をする計都を一瞥したが、それに気付いた者はいなかった――








 計都の沸かした湯で身を――足だけで留まらなかったのは仕方ないだろう――清め、4人は計都が作った料理に舌鼓を打った。寒さの中半分意識を飛ばしていた姿はどこへやら、計都を慌てさせる程の食欲を見せた悟空は流石といえるだろう。
 食事が終わり、疲れがピークにまで達していた4人は、早々に簡易ベッド(殆ど棚に近い)に寝袋を広げて潜り込んだ。
 慣れぬ寝場所で身じろぎするゴソゴソという音が寝息に変わる頃――
 自分以外の3人が寝ている事を気配から確認し、寝袋から這い出る者が1人。
 人影は、音を立てないように部屋を出ると、まだ灯りが点く階下へと降りて行く。
 橙色の灯りの下では、決して広くはないもののこの状況では贅沢ともいえる調理場で、食材と格闘する女性――計都の姿。
 それを認めると、人影はそっと近付き、声を掛けた。

「朝食の仕込みか?」

 意図的に気配を消していたせいだろう、その言葉に初めて計都は顔を上げると、声の方へと振り向く。
 その視界に入ったのは――鮮やかな金糸の髪の最高僧。
 ほの暗い照明を受けて輝くその髪を眩しそうに見やり、計都は柔らかい笑みを浮かべる。

「ええ。たくさん作らなくてはいけませんので、今から準備しておこうと・・・」

 夕食の状況から、悟空の尋常でない食欲を悟ったらしい。

「あの大食い猿が・・・」
「まぁ・・・。でも嬉しいんですのよ。自分の作った料理をあれだけ喜んでいただけるのは初めてですから」
「・・・・・・悪かった」
「・・・え?」
「お前の作った物を、美味いと言ってやれなくて、悪かったと言っている」

 そう言葉を区切りながら言う三蔵に、計都は仕込みの手を止めて訝しげに三蔵の顔を窺った。

「お皿の物は、残らず召し上がられたではありませんか。私はそれで充分・・・」
「今日じゃない――9年前と――16年前だ」
「!!――・・・」

 三蔵の言葉が予想外だったのだろう、常に柔らかい微笑をたたえている美貌が驚愕の表情に凍りついた。

「覚え、て・・・・・・」
「覚えていたわけじゃねぇ・・・思い出しただけだ」

 手の平に受け止めた、初雪の最初の一片。

 『その冬最初の雪の、一番初めに舞い降りた一片を手に入れると、願いが叶う』――

 その言い伝えを聞くのは、初めてではなかった。
 遥か昔、銀糸の髪の少女から――

「自分で言うのも何だが、どうやら俺は山神には好かれてないらしい」

 いや、人間や妖怪にも好かれちゃいねーだろ、とツッコミが来そうだが、あいにくここにはそれが出来る人物はいなかった。

「・・・最初は俺が7歳の――ほんのガキの頃だったな――」







六花(りっか)は雪の結晶の意味です。
初雪の願掛けはご存じの方も多いと思いますが、男性陣は女性から聞くのがセオリーかと。
八戒は悟能時代に花喃姉様から。
そして三蔵様は・・・?







Floor-west            Next