光明三蔵の使いで金山寺を離れ、使い先の寺で一泊した帰り道、どこをどう間違ったか気が付いた時には冬山の獣道を歩いていて。 疲れ果てて座り込んだと同時に雪が降り出した。 その一片を無意識のうちに受け止めながら、あぁ自分はここで凍死するのかと子供心に思ったその時。 『・・・寝てるの?ここで寝たら貴方死ぬわよ?』 声の方向を見やれば、自分より少しばかり年下の少女が一人。 『・・・誰が寝てるんだ』 寝てはいないものの疲れて動けないのだが、それを素直に口に出すことは、幼いながら高過ぎる自尊心が許さなかった。 『寝てなくてもこんな所に座ってたら雪ダルマになっちゃうじゃない』 『雪ダ・・・』 『雪が当たらない所知ってるわ。ほら、こっち・・・』 『おい・・・!』 半ば無理矢理引っ張られ、付いて行った先は深く抉れた崖。 周囲に木が植わっていることもあり、雪避けには最適の場所だった。 『寒い?火を熾すわね。それと・・・何か食べなくちゃ。探して来るわ・・・』 『おい・・・』 テメェは寒くないのか、とか、この時期に山で食べ物なんか見つかるわけねーだろ、とか。 言いたい事はたくさんあったが、そのどれも口から発せられることはなかった。 つまりはそれだけ疲労が溜まっていたのだろう――心も体も。 少女が火打石で火を熾し、何処でどうやって釣ったのか寒さのために既に凍っている川魚を木の枝に刺して焚き火にかざすまでの間、2人の間に会話はなかった。 赤々と燃える火に凍えていた体が温まり、ようやくまともに口を開く事が出来た。 『お前・・・何者だ?何で俺を助けた?』 『・・・失礼な口の利き方ね。まあいいわ。 私は計都。貴方の願いを叶える者。 貴方、「お願い」したでしょう?だから私はここに現れたの。貴方の願いを叶える為に』 『願う?何を?』 『この冬最初の雪の、一番初めの一片を手にしながら、貴方は「帰りたい」って願ったの。 私では貴方を運ぶ事は出来ないから、代わりに帰るための「力」を取り戻す手助けをしたわ。 ――もう大丈夫そうね。後はこのお魚を食べて元気を出して』 『・・・お前・・・?』 少女の言葉を全ては理解出来ず、訝しがる。 『午後になれば吹雪は止むわ。そうすればお日様が射すから、その方向へ歩くといいわよ。 それまで、ここで――・・・』 少女の体が透けて見えるのは、自分が眠りかけているせいなのか。 そんな思考すら曖昧になり、意識が堕ちていくのに身を任せた―― 「当時の俺が覚えているのは、死ぬかもしれねぇって考えたところまでだ。目を覚ませば焚き火と焼けた魚が目の前にあって、最初は幻覚でも見てんじゃねぇかと思ったな」 手を伸ばして串に刺さった魚を掴み、恐る恐る口にした。 幻ではないことに安堵しつつそれらを食べ終えると、火を消して再び歩き出した。 既に雪は止み、太陽が柔らかな光を放っている。 確かな考えもなくその光を目指して雪を踏み分ければ、一刻程で人里へと辿り着いた。 師匠がよく甘味――大福や鯛焼きのようなもの――をこっそり調達してくる村だった。 そこからは難なく寺へ帰り着き、師匠の下へ帰着の報告に上がることが出来たのだ。 師である光明三蔵の心配振りは並大抵ではなく、やれ火鉢にあたれ、やれ暖かい甘酒を飲めと甲斐甲斐しく世話を焼く。 しまいにはまだ使いに出すには早かったと言うのだから、過保護にも程があると呆れ果てた記憶がある。 「それから7年後の――14歳の時だ」 亡き師の肩身を探すべく金山寺を出た後。 不確かな情報のみを頼りに歩き回り、気が付けば冬山で道無き道を進んでいて、 度重なる妖怪や追い剥ぎとの戦いに心と体はボロボロで、寒さと飢えと疲れのために行き倒れ寸前だった。 ついに足が歩くことを拒否し、崩れるように座り込んだのと同時に降り始めた小雪。 雪の欠片を無意識に手で受け止めながら、徐々に視界が薄れていくのを感じ、本気でヤバいと脳の正常な部分が思考したその時。 『まあ、こんな所で・・・いけませんわ、ここはじき吹き溜まりになりますのよ・・・』 山の人間とは思えない上品な声音に、唯一動かすことの出来る視線を上げれば、白い着物に身を包んだ見目麗しい少女。 動けないとは言えず、その代わり不機嫌そうに目を眇める。 『これを・・・』 そういって差し出されたのは、金茶色の飴玉。 餡物以外の甘い物は苦手とはいえ、今の自分に糖分が必要なのは流石に理解出来る。 やっとの思いで開けた口に、白魚のような指で押し込まれた。 ヒトの体とは良くできたもので、エネルギーを補給されれば、再び動かすことが出来るようになる。 『まずは安全な場所へ・・・』 自分より尚細い肩に腕を回し、身体を支えられながらやっとの思いで辿り着いたのは、程近い場所にあった洞窟。 『ここなら風も遮られますし安全ですわ。すぐ火を熾しますから・・・それと、何か召し上がらなくては山を越えることは出来ませんわ・・・』 有言実行とばかりに焚き火が熾され、冬でも採れる芋や根菜が集められた。 短刀でそれらを刻み、荷の中の竹筒――鍋や食器の代わりに使う――に入れて火の傍で煮る。 更に内臓の調子を整える生薬を洗った石で磨り潰し、竹筒の中で煮出したものを与えられた。 ようやっと出せるようになった声を振り絞り、少女に問い掛ける。 『お前・・・何者だ?何で俺を助けた?』 ――何だ? 自分自身の言葉に妙な感覚を覚え、しかしそれを追求する気力はなく、只少女を見やる。 『・・・私は計都・・・貴方様の願いを叶える者。 この冬最初の雪の、一番初めの一片を手にしながら、貴方様は「見つけたい」と願われました。 私に貴方様の失せ物を探すことは出来ません。その代わりに命を繋ぐ手助けをさせていただきました』 少女の口から綴られる言葉を聞くにつれ、奇妙な感覚が強くなる。 『んだよ、生殺しか』 見つからないなら、見つけられないなら。 いっそ殺してくれた方が楽なのに。 『至らぬところはお詫び致します。ですが、貴方様の失せ物を探し出せるのは貴方様だけ。 後生ですから死ぬなどと仰らないで――・・・』 その顔が歪んで見えるのは、自分の意識が朦朧としているせいか、それとも。 そんな取り止めのない思考が浮かんだのを最後に、襲い掛かる睡魔に身を任せた―― 「あの時の事も、憶えちゃいなかった。気が付いたら洞窟に寝かされていたもんだから、猟師か木こりでも通り掛って助けられたんだと思ったな」 「では、なぜ・・・」 その言葉は、記憶の隙間の真実を知るのが己である事を認めていたが、三蔵は敢えてそれに触れずにおく。 「これを、守り代わりにしていた――」 そう言って懐から出したのは、小さな布袋。 緩められた口から三蔵の手に転がり出たのは、青みを帯びた、透明な珠―― 「・・・・・・」 珠を見た計都が口を開くが、言葉が見つからないのか再び閉ざした。 「一応聞く。お前は、過去に俺を2度助けた・・・ 「っ・・・・・・」 その単語に、計都は伏し目がちな瞼を一瞬ギュッと瞑らせたが、ややあって頷くと、髪を覆っていた三角巾を解き、簪を引き抜いた。 サラ・・・と軽やかな音を立てて背に広がる髪は、橙色の灯りの下では淡い金色にも見紛う。 しかし三蔵は、それが銀髪である事を知っていた。 白磁の肌と銀糸の髪――それは氷女の特徴といえる容姿―― 「・・・私達氷女は、春になって消える際、自分と関わり合った人間の中の、自身に関する記憶を消さなければなりません・・・」 「――お前の場合は、焚き火の熱で消えたんだな」 「・・・能力が、未熟でしたので・・・」 「その身は消えて無くなるが、唯一形を残すのがこの 「・・・その珠を生み出すことが出来るのは、ある条件を満たした一部の氷女のみ――全ての氷女が、それを残すことが出来るわけではありませんわ・・・」 その条件とは―― 「知っている」 「――!!」 「最初の時にな、お師匠様に言われたんだ」 『おや江流、氷女さんに見初められたんですか♪』と―― 「何せガキだからな、その時には意味なんて判らなかったさ」 今もその手の事に関しては詳しくないでしょう、とツッコむ人間はやはりここにはいない。 「けど、お師匠様が大切に持っておけと仰るからにはそれなりに意味があるのだろうとこうして肌身離さず身に着けていた――まあ、ガキのことだ、そのうちどうやって手に入れたのかすら忘れちまってたがな」 それから7年後、(不本意ながら)2度目の遭難。そして―― 「体力が回復して洞窟を出ようとした時、 幾年月もの間にその存在すら忘れかけていた守り袋。 荷の確認の際、偶然出て来たそれを何気なく取り出せば、明らかに最初の時より一回り大きい宝珠。 『氷女は、想いを寄せる者と再び出逢えるように、その「心」を結晶にして残すんです。 ですからその珠をお守り代わりにすれば、冬山で遭難してもきっと氷女が護ってくれますよ』 では自分は氷女に助けられたのか。 師の言葉は半信半疑だったが、今自分が生き永らえているのは事実だ。 取り敢えず持っていて損はない、と結論付け、再び懐に押し込んだ。 それから9年。 消えゆく氷女の最後の術によって封印されていた筈の記憶を解放したのは、偶然受け止めた初雪の最初の一片と―― 『その冬最初の雪の、一番初めに舞い降りた一片を手に入れると、願いが叶う』―― 「他人の言葉で思い出すってのも、癪な話だがな」 冬山と、初雪の一片と、古の言い伝え。 3つのキーワードが揃った瞬間、溢れ出す幾つもの感覚。 かじかむ手を掴んで引く真白い手。 自分の為に焚かれた暖かな炎。 前へ進むための力となる食料。 そして―― 「現金なものだ。思い出したと同時に気付いた・・・自分の、気持ちに――」 初めの時も、2度目の時も。 差し伸べられた手は自分の体温より尚低かったが、それを不快には思わなかった。 自分の身を案ずる声音を、聞いていて心地良いと思った。 そして何より――その存在を、愛しいと思った―― 「人外の者と知って、それでも・・・?」 唇を震わせながら掛けられる問いには答えず、三蔵は言葉を続けた。 「・・・今日、初雪の最初の欠片を受け止めながら、3度目の願を掛けた――」 最初の願いは『帰りたい』と―― 2度目の願いは『取り戻したい』と―― そして現在――願う事は・・・想う事は、唯。 「お前に、逢いたいと――そして――」 「きゃっ!?」 瞬く間に計都の身体は三蔵の腕の中にすっぽりと閉じ込められ、反射的に身を捩る計都の耳元に低い囁き声が流れ込んだ。 「お前を・・・手に入れたい、と――」 「――っ!!」 驚愕で動きを止めた身体を抱く腕に、先程よりも力を込める。 「今度の願いは――聞き届けて貰えるか?」 返事の代わりに返されるのは、泣きそうに歪められた 「意地が、悪うございますわ・・・氷宝玉を手にした時点で、既に私の心は貴方様のものだという事など、解っておられましょうに・・・」 その 吹雪はますます激しさを増し、雨戸がガタガタと鳴り続けている。 しかし、部屋の中の2人には、そのどちらの音も届かない。 聞こえるのは只、互いの息と――己の心音。 感じるのは寒さではなく、熔けそうな程の熱と――狂おしい程のイタミ。 全てが終わって、襲い掛かる気だるさに身を任せながら、それでも眠ってしまうのが惜しくてどちらからともなく徒然に語りだした。 三蔵は寺での生活や師匠の事、その死と形見の経文について。 計都は故郷である常冬の国での生活や習慣、掟について。 「・・・氷宝玉を産み出した氷女は、その後、その想う者の為だけに現れることが出来るようになりますの」 「・・・そうか」 「心配でした・・・何しろ貴方様は過酷な旅の中、いつ何時命を落とすか分からない状態で・・・」 「・・・・・・」 「でも・・・今、こうして生きていらっしゃる――」 「当然だ・・・特に惜しい命でもねぇがな、他人の都合で死ぬつもりはねぇ」 「――それを、聞いて・・・安、心、・・・致し・・・・・・ま、し――・・・」 「・・・・・・・・・?」 最後の一音を紡がぬまま途切れた声を訝しんで、隣を見れば、 「・・・・・・」 長い睫毛を伏せ、寝息を立てる白磁の美貌。 今更ながら、自分が無理をさせた事に気付く。 「・・・・・・悪い・・・」 普段なら間違っても口にすることなどないだろう言葉を呟き、閉ざされた瞼に口付ける。 これ以上ない程に満たされた気持ちで、三蔵もまた睡魔の誘いに釣られて眼を閉じた。 腕に、銀の煌きを抱いて―― |
スミマセンこれが限界です!!! 今時ティーンズノベルでももっとイロイロ書かれているって; |
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