追憶の六花





 「・・・様・・・・・・玄奘様、そろそろお起き下さいまし――」

 柔らかな声に誘われ、意識が浮上する。
 風の音も雨戸の軋みも聞こえないところからすると、どうやら吹雪は止んだらしい。
 元々低血圧気味な上に睡眠不足も祟って、朝の爽やかさとは程遠いだるさを抱え、
 それでも己に叱咤して瞼を開ければ、既に身支度を済ませ、エプロンまで着けている計都の微笑みが眼に飛び込む。

「お早うございます、玄奘様」
「・・・・・・あぁ」

 眼福、などとは口が裂けても言えないが。
 身体のだるさとは裏腹に、心が軽く感じられるのを禁じ得ない。

「じきに朝食が出来上がりますので、お支度を・・・」

 三蔵の心の内を知ってか知らずか、計都はそう言い残すと部屋を後にした。
 どうやら、随分前に起きて朝食を整えたらしい(昨夜下ごしらえのまま放置してしまったから恐らく半冷凍されていただろう)。

「・・・・・・・・・チッ」

 想う者の姿が遠ざかると同時に幸福感は消え失せ、代わりに容赦ない現実感が彼を襲い、思わず舌打ちする。
 昨夜、結局寝室を抜け出したまま、管理人室のベッドで計都と一夜を明かしたのだ。
 この後起こり得る状況を考えると、出来る事なら他の連中と顔を合わせたくはないのだが、そうも言っていられない。
 身支度を整え、階下へ降りる間に、対策を頭の中でシュミレーションする。
 悟空が何か聞こうとしたら、すかさずハリセン3発。
 悟浄がニヤついていたら、即座に弾丸3発(←酷)。
 いやそれより厄介なのは――








「お早うございます、三蔵♪(にっこり)」








「・・・・・・・・・・・・あぁ(滝汗)」

 傍から見れば只の朝の挨拶、の筈、なのだが。

『泊まった宿の管理人さんとヨロシクするってどういうことですかね?それって何処かの誰かさんと同類じゃないですか。貴方いつの間にそんな甲斐性身につけたっていうんです?っていいますか処女を処女でなくしちゃってどーやって責任取るつもりですか?ええ?』

 10文字足らずの言葉の中に、その台詞が凝縮されているのがはっきりと解る。
 加えて、向けられる満面の笑みも、抜群の威力を発揮する。
 物理的には何1つされていないにも拘らず、異様なまでの圧迫感を受けて三蔵は後ずさった。
 恐ろしいまでの完璧な笑顔から逃れるべく視線を逸らせた時、

 ――――・・・何だ?

 不意に覚えた違和感に、辺りを見渡す。
 昨日の風景と異なるのは、高窓から入る朝の光と――土間の暖炉。
 明々と燃える火を目にして初めて、違和感が昨日より高い室温である事を知る。

「貴方が優雅に朝寝をされている間に、計都さんが薪小屋に残っていたのを探し出して下さったんですよ」

 尚も突っかかる八戒の声も上の空、三蔵は真相に気付いた。
 氷女は、火に弱い。
 能力の未熟な幼少時の計都は、三蔵を助けるべく熾した焚き火で消失したくらいだ。
 その頃より耐性はついているものの、極力火は近付けたくないだろう。
 その為に、昨日計都は薪が無いと偽ったのだ。
 だとすれば、今燃え盛る暖炉は――?
 丁度配膳の最中である計都に、小声で話し掛ける。

「お前・・・・・・火――大丈夫なのか?」
「昨日までは・・・ですが・・・」

 ポッと頬を赤らめ俯く様子に、暫く訝しげに眉を顰めていたが。

「お前・・・」

 ようやく三蔵にも解った。
 自分と契りを交わしたことで、計都がヒトの身になった事を――

「能力が急に無くなるわけではありませんが、徐々に失われるようです・・・尤も、数十年という単位の年月でですが」
「そうか・・・で、お前はこれからどうしたい?」

 山小屋の管理人というのは、三蔵に逢うための嘘だった。
 勿論、人間になってしまった以上、氷女の住む場所には戻れない。

「貴方様の御心のままに・・・」

 何処かの村で、三蔵が西行の任を終えるのを待つ――それが妥当だろう。
 急に人間になってしまったものの、元から生活様式等は人間のそれと大差ないのだから。
 しかし――

「俺の思うままに、ってことはだ、テイクアウトも出来るんだな?」
「――え?」

 計都の返事を待たず、三蔵はその身体をヒョイと担ぎ上げた。
 いわゆる『お持ち帰りの図』である。

「ああああああのっ!?」
「いつ還れるか分かんねぇのに、お前一人で待たせられるかってんだ。
 他の野郎に横から掻っ攫われるかも知れんしな」
「・・・(///)・・・」
「お2人さーん、俺達の存在忘れてねぇ?」

 2人の会話に割って入ったのは、料理の入った鍋を運んで来た悟浄。

「三蔵も、やはりここは横抱きの方がいいと思いますよ」

 あくまでも冷静な八戒に対し、爆弾投下発言は皿を食卓に並べていた悟空。

「テイクアウトって三蔵、計都を食べるのか?」(←食べちゃってます:爆)



 ガウンガウンガウンッ



「「うわぁっ!?」」
「死ね、今すぐ死にやがれ!!」
「ちょ、タンマ!俺今鍋持ってっから!!」
「わーっ、悟浄、鍋こっちにパス!」
「鍋優先かよ!?」
「三蔵、食卓に向けて発砲しないで下さい。それにそんな状態で銃を乱射したら、計都さんの耳がおかしくなっちゃいますよ」

 と言いながら八戒は、計都の両耳を手で塞ぐことで銃声の衝撃を和らげようとする(そして同時に銃の射程範囲から逃げ出す)。

「貴様も、俺の計都に気安く近付いてんじゃねぇっ、つーか触んな!」

 いつの間にやら所有格付きとなっている計都の扱いに、流石の八戒も苦笑を禁じ得なかった。








 一騒動終わると遅めの朝食を摂り、一行は小屋を発つ準備に取り掛かった。
 計都が元・氷女である事、そして共に西へ向かう事は、朝食の席で明かしている。
 ――八戒辺りは、『元』の付く背景を理解しているのかも知れないが、それを問う度胸は三蔵にはない。

「そういや三蔵、昨日の晩何処・・・ングッ」
「っと、大人の事情に口を出すんじゃねーの」

 土間で防水マントを羽織りながら三蔵が最も聞かれたくない事を言いかけた悟空の口を、皆まで言わせず悟浄が塞ぐ。
 『大人の事情』に長けている分、野暮なチャチャを入れるつもりはないらしい、
 そう、僅かに三蔵が安堵したのもつかの間――

「ガキ扱いすんなって!大体『大人の事情』って何だよ、それ?」
「事情ってーか、情事?――って、ぉわおぅ!?」



 ガウンガウンガウンッ



「ちょっと待て!元凶はサルだろ!?」
「人の所為にすんなよエロ河童!」
「煩ぇっ、手前(テメェ)らまとめてブッ殺す!!」
「「うわぁっ!!」」

 銃の射程範囲から逃れるべく、脱兎の如く小屋から外へ出るバカコンビ。
 と、
「うっわぁ――――っっ!!」

 屋外へ飛び出した悟空の絶叫が、風除室を挟んで屋内まで聞こえてきた。
 予想以上に積もった雪に埋もれたか、屋根から落ちた雪の塊の直撃を受けたか。

「――騒々しい。何だってんだ」
「あ、三蔵!見て見て、ほら!!」
「これは・・・綺麗ですね・・・」
「・・・スゲ・・・」
「・・・・・・」

 白一色の視界に光のプリズムを撒き散らすダイヤモンド・ダスト。
 知識はあっても初めて目にする現象に、三蔵も思わず目の前の光景に見入る。
 ひと時の静寂の後、口を開いたのは、計都。

「――私の、仲間達ですわ・・・」
「計都の?」
「どゆコト?」
「氷女が想いを遂げて人間(ヒト)の身となり得た時、他の氷女は祝福を与えるんですの。
 これが、その祝福の形ですわ・・・」

 音もなく舞い散る光の結晶に、白い手を差し伸べる。
 ――それは、故郷を去る同胞への、最初で最後のはなむけ。

『おめでとう、幸せに――』








 始まりは、その冬最初の雪の、一番初めに舞い降りた一片。

『お前・・・何者だ?』
『・・・私は計都――貴方の願いを叶える者――』

 それは、降りしきる六花だけが知る物語――








―了―
あとがき

他に行く場所もない山小屋の大部屋で、1人抜け出したらバレるの当たり前です三蔵様(ポイントはそこかい)
おかげで今回も八戒さんが黒い(笑)。
蓋を開けてみれば定番の雪女ネタなのですが、それについての検証。
雰囲気ブチ壊しのテンションなので、興味のある方だけ以下反転で。
当館館長とりお氏は「幽遊白書の雪菜ちゃんみたい」と言ってましたが、
甘い、甘いですよとりお君。
元ネタが
『恋してフローズン』だなんて、お釈迦様でも判るまいっ!
(※注:恋してフローズン・・・りぼんコミックス掲載の楠 桂氏の作品。雪山で遭難した少年とそれを助けた雪ん子が十数年後再開を果たすラブコメディ、の筈。小学校の時に一話しか読んでないので、詳細は不明;)



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