―――絶叫。 それ以外の何物でもない声が、岩場にこだました―― 「これより爆弾の撤去作業を行います!処理班以外は退避して下さい!」 爆弾処理班班長の黒部さんが、大声で指示を出す。 それを聞いた自分と呂太君は、テラヘルツ発生装置のモニタを片付け始め、マリコさんだけ一足先にその場を離れた。 それが、間違いの元だった。 今の場所から退避するための道はカーブを描いていて、そのため僅かな時間、爆弾の発見された小屋と彼女との間に何も隔てる物が無い状態となり、 運悪くその瞬間、小屋の爆弾が爆発してしまったのだ。 その事実と、それがもたらした結果に気付いたのは、爆音の所為で少しの間麻痺していた聴覚が、彼女のつんざくような絶叫を拾った時。 伏せていた顔を上げると、視界に飛び込んで来たのは、数え切れない程の金属片を背中に受けた状態で倒れ伏した土門さんと、 「ぃやあああぁぁっ!! ど、ども、さ、ぅぁあああああぁぁっっっ!!!」 「マリコ、さん・・・?」 見た事もない程取り乱し、言葉にならない悲鳴を発し続ける榊マリコ、その人だった。 瞬時に、悟った。 彼が、彼女を庇って爆発による破片の直撃を受けた事を。 「ど、どど、どうしよう宇佐見さん!?土門さんが・・・あんな酷い怪我・・・」 自分と同様、大きな岩陰で作業中だったため難を逃れた呂太君が、今まで経験したことのない状況におろおろする。 「呂太君落ち着いて。僕は救急車を手配するので、呂太君は所長に報告を」 「う、うん!」 それぞれ携帯電話を取り出し、電話を掛ける。 電話が終わってふと見ると、蒲原君が青い顔で呆然と立ちすくしていた。 そういえば彼は、過去に敬愛する上司を亡くしている。そのトラウマが蘇ったのだろうか。 どちらにしても、このままでいるわけにはいかない。 「・・・蒲原さん、大丈夫ですか?」 「・・・あ・・・すみません・・・」 「いえ、落合刑事の事を思い出したんじゃないかと思って・・・」 「・・・すみません・・・あの・・・」 「辛いのは承知ですが、府警本部への連絡をお願いします。 土門さんは・・・見たところ心臓や首・頭部の直撃は免れたようですし、今、救急車を呼んでいるので、処置が早ければ、最悪の事態は避けられるかと・・・」 「・・・判りました」 唇を噛み、グッと顔を上げると、彼は携帯電話を手に取った。 陰惨な事件で上司を喪い取り乱していたあの頃に比べて彼も成長しているようで、少し安堵する。 背後を見渡せば、爆弾処理班の人達は、一部の隊員――恐らく至近距離で爆発の直撃を受けた黒部さんとその部下1名――はぐったりしているものの大きな怪我は無いようだし、残りのメンバーは既に消火活動に当たっていて、重傷者は土門さん1人のようだった。 処理班の人達と同レベルとは言わないまでも、防弾チョッキくらいは装備しておくべきだったと、後悔しても遅い。 その結果が――これだ。 「マリコさん、宇佐見さんが救急車呼んだから!ねぇマリコさん!マリコさんってば!」 呂太君がマリコさんに呼び掛けるが、その声に返事をするどころか耳にも届いていないらしく、ひたすら悲鳴を上げ続ける。 それだけでなく、土門さんの背中に刺さった大きな破片に手を伸ばそうとするので、 「「危ない!!」」 咄嗟に呂太君がマリコさんの体にしがみ付き、自分がその手を取って、事なきを得た。 我を忘れ、正常な判断が難しくなる――『錯乱』に近い状態。 そこに、凛とした目付きで事件の真相を追ういつもの榊マリコの姿は、欠片もなかった。 土門さんに縋り付こうと、叫びながら我武者羅に身を捩るマリコさんを、2人掛かりで抑えなくてはならない、 「宇佐見さぁん、どぅしよぉ・・・」 「本来なら、土門さんの付添いで救急車に乗ってもらうところですが、ちょっと難しいですね・・・」 この状態では、付添いどころか救命活動の妨げになってしまいそうだ。 そこへ、本部との連絡を終えた蒲原さんが近付いた。 「宇佐見さん、もうすぐ応援が到着するので、現場検証はそっちに頼むことになりました。僕は上に爆発の事と土門さんの事を報告しなきゃいけないので、引き継ぎが出来次第府警本部に戻りますが・・・」 「我々も戻らなければならないんですが、マリコさんがこの状態ですので・・・そうですね、僕が付添いとしてマリコさんと病院へ向かいます。 呂太君、悪いんだけど、運転を任せられるかな?」 「う、うん!呂太頑張る!」 気が付けば、遥か遠くから2種類のサイレンが聞こえてくる。 救急車と長岡市警からの応援のパトカーが来たのだ。 救急要請を入れてから到着までものの10数分だったが、それがとてつもなく長く感じられた。 「マリコさん、救急車が到着しました。後は救急隊に任せましょう・・・マリコさん?」 いつの間にか悲鳴が弱々しく、途切れ途切れになった事に気付き、彼女の顔を窺う。 ハァッ、ハァッ、と異常に早く浅い呼吸、小刻みに震える、縮められた腕と手―― 「過換気症候群――過呼吸を起こしかけてますね」 「え!?えっと、過呼吸って確か袋を使って吐いた息を吸わせるんだったっけ?」 「いや、一昔前はそういう対処が取られてたけど、窒息の惧れがあるので今は推奨されてない筈。 過度のストレスから来るものだから、本人の不安を取り除くのが一番の対処法なんだけど・・・」 その『不安』の大元は、目の前に横たわりピクリとも動かない。 その傍に、救急車が2台停止する。 「お待たせしました、長岡京消防署救急隊員の羽山と申します。こちらが重症の患者さんですね。119番して下さった宇佐見さんというのは?」 「あ、私です」 名乗りを上げ、爆弾の確認作業中に爆発した事、マリコさんを庇った土門さんが飛んできた破片をその身に受けた事、特殊防護服に身を固めていたとはいえ至近距離で爆発の衝撃を受けた爆弾処理班の2名も脳震盪や打撲の可能性があるため搬送が必要な旨を救急隊員に説明した。 「そちらの女性の方は・・・過呼吸ですか?」 「えぇ、パニックに陥って・・・救急要請をした後に症状が起きたので、119番をした際には要救護者に含まれていなかったんですが・・・」 「そうなると、もう1台要請が必要になりますね・・・ただ、警察の方なら、赤色灯を点けて後続してもらえれば、もう一台要請して到着を待つより早いと思いますが・・・」 「宇佐見さん、僕の車にマリコさんと一緒に乗って下さい。 「蒲原さん・・・有り難うございます」 「え、じゃあ僕、独りで運転して帰んなきゃなの?」 「あぁ・・・科捜研の車は緊急車両じゃないから、追走は出来ませんね。 それなら、爆弾と起爆装置の破片、出来る限り全て採取してもらえるかな? 僕は状況が落ち着き次第、タクシーでまた此処へ戻るから」 「え〜っ!?この破片全部?」 「足跡痕は鑑識の人にお願い出来るけど、破片は現場で爆発物本体とそれ以外の物を予め分類しておきたいからね」 「橋口じゃあの状態のマリコさんを抑えて落ち着かせるのは無理だし、医者達の説明を受けるのはもっと無理だろ。諦めろ」 「うぅっ、呂太採取頑張る;」 「病院を出る際に一度連絡するので、採取を済ませても連絡がなければ、僕の携帯にメッセージを残してから科捜研に戻って下さい」 「うん解った!」 現場採取を呂太君に託すと、過呼吸でまともに立つことも出来ないマリコさんを抱きかかえて蒲原さんの車の後部座席に乗せ、自分もその隣に乗る。 土門さんと爆弾処理班の2人を乗せた救急車が動き出すと、蒲原さんも着脱式の赤色灯を点けてその後を追った。 途中、何度もマリコさんを宥めようと声を掛けるが、彼女の呼吸は依然として激しい。 それでも途切れ途切れに『彼』の名を呼ぶのが耳に入り、彼女の心を占めるのが『彼』である事を否応なく自分に突き付けてくる。 ――解っていた。彼女と彼は比翼連理だと。 2対の羽を持つ比翼の鳥、 2本の木が捩れ合い一体となる連理の枝、 互いが、分かつことの出来ない対の片割れであると―― 初めて見た時、見た目の美しさもさることながら、その澄んだ眸に吸い込まれそうな気がした。 それでいて、躊躇なく陰惨な現場に臨場し、遺体に触れ、解剖にまで立ち会う、その度胸に驚いた。 小さな微物・僅かな異常も見逃さず、真実を追い求める姿に、深い感銘を受けた。 ――気が付けば、惹かれている自分がいた。 同時に、彼女の傍に常に在る存在にも気付いた。 時に彼女の考えや行動を後押しするように、 時に寄り添い同じ目標を見つめるように、 時に包み護るように―― そこに一般的な恋人同士のような甘い空気が欠片もなくても、 2人がの関係が『特別』なものだというのは、嫌でも解った。 だから、せめて想う そんな些細な願いすらも、叶えられないのか―― 長岡京市民病院。 救急車両が到着するや、土門さんは手術室へ、黒部さんとその部下は画像診断室へ、マリコさんは処置室へと運ばれた。 鎮静剤を投与されたマリコさんは、過呼吸は治まったものの、心的不安による震えは止まらず、手術室前で自分の体を抱きしめるようにして縮こまっている。 時々発作的に絞り出すような悲鳴を上げるので、その都度宥めて落ち着かせるのを繰り返していた。 そこへ、病院には不釣り合いな重い靴の音。 「科捜研の・・・宇佐見さん、でしたか」 「黒部さん、そちらの方も、もう大丈夫なんですか?」 「軽い脳震盪だったようでして、もう平気です。打ち身もごく軽いもので、装備のお陰で無事でした。 土門さんは・・・」 「まだ、手術中で・・・」 「そうですか・・・無事であれば良いのですが。 今回の爆発は残念ですが、テラヘルツ発生装置という新しい手法は自分達にとって大きな発見でした。今後も科捜研の協力が必要になるかも知れませんね」 「恐縮です」 「では、先に本部へ戻ります。・・・土門さんの、無事を祈ります」 黒部さんの言葉に対し、マリコさんからの反応は無かった。 恐らく今、彼女の全神経は手術室と、その中で戦っている土門さんにのみ向けられているのだろう。 それを察したのか、黒部さんは気を悪くした様子もなく、会釈してその場を立ち去った。 それから3時間近く経っただろうか。 『手術中』の赤いランプが消え、扉が大きく開けられると、執刀医と思われる男性が中から出て来た。 手術室は二重扉の向こうなので、覗き込んでも土門さんの姿は見えない。 恐らく、後処置や病室への移動準備の最中なのだろう。 「先生、土門さんは、土門さんは・・・」 「マリコさん、落ち着いて下さい」 縋り付かんばかりに医師に詰め寄るマリコさんを慌てて押し留める。 「――御安心下さい、命に、別状はありません」 それを聞いた瞬間、 「マリコさん?マリコさん!マリコさん!!」 彼女はその場に崩れるようにして、気を失った。 「緊張の糸が切れたのでしょう。身内の方等が大きな事故で手術を受けた際には、時々見受けられます。 処置室のベッドで休まれると良いでしょう」 「ご迷惑をお掛けします」 「手術の結果と今後の事について、お話させていただきたいのですが・・・?」 「・・・・・・」 医師の指示で看護師がストレッチャーを運んで来る間までと、ソファーにマリコさんを横たえ、自分の上着を掛けながら、逡巡する。 「・・・出来れば、彼女の意識が戻るまで待っていただけませんか? 彼女は医師ではありませんが、法医学者です。神経や血管について、何処がどのように損傷を受けたか、説明を受けるのは彼女の方が適任です」 「・・・大分参っておられるようですが?」 「命の瀬戸際でしたから・・・でも土門さんが一命を取り留めたのなら、彼女は自分の為すべき事に邁進する筈です。 何より、彼女は先生御自身から直接話を聞きたがると思うので、二度手間になるのを避けたいんです」 「成る程」 と、ソファーに横たわっていた身体が身じろぐのが、視界の端に映った。 随分と早い目覚めに驚くが、それだけまだ気が休まっていないのかも知れない。 ストレッチャーを押して来た看護師に、お礼と謝辞の意を伝えておく。 「マリコさん、気が付きましたか」 「宇佐見さん?・・・私・・・えぇと・・・」 「土門さんの手術が終わって、命に別状はないと聞いたところで気絶したんですが、覚えてますか?」 「手術・・・・・・そうだったわ・・・先生、土門さんの容体を聞かせて下さい! 彼は仕事を・・・刑事を、続けられるんでしょうか?」 「説明します。こちらへ――」 |
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