時同じくして、西南棟天蓬元帥の執務室―― 「・・・場合に依っては各自バラバラに行動を取る事になるかも知れん。 だが、そうなったとしても、この次はきっと――下界の桜の下で会おう――・・・」 その言葉に、眼鏡越しの瞳と細められた三白眼、そして不安げに揺れる金色が応えた時、 「・・・!?――金蝉、悟空下がって!!」 突然それまでそこになかった気配を感じ、天蓬の顔に緊張が走る。 金蝉と悟空を背後に廻し、それぞれの武器を取る天蓬と捲簾。 「・・・・・・・・・?」 4人の視線の先で、気配は光の渦となり、見る間に一所で凝縮していき、最終的には扉くらいの大きさとなった。 その光の扉から、まるで水中から水面に浮かんでくるように、まず顔が、そして防具を付けた手が、足が、徐々に姿を現す。 「っ・・・!」 一瞬、声を上げかけた天蓬に、捲簾も金蝉も驚きを表わすように片眉を上げた。 彼がこんなにうろたえるなど、滅多にないからだ。 「月香様・・・どうぞお通りを」 光の扉を潜り抜けた人物は、その扉――正確にはその向こう側――に向かって話し掛けた。 紡がれた名に、目を見開いたのは、金蝉。 そして、先の人物と同様に、光の扉を潜り抜け、銀糸の髪の佳人が姿を現した。 先の人物は、佳人の傍らでひざまずいて控えている。 「・・・月香殿・・・」 唸るように呟く金蝉に、月香は視線で返す。 その意図を汲み、金蝉は天蓬達と月香達の間に立った。 天蓬達も、慌てて武器を収める。 「こちらは古くからの友人で、西方軍元帥の天蓬、そしてその隣は西方軍大将の捲簾。 こちらは・・・菩薩の知己であられる月香殿だ」 一瞬、天蓬が金蝉の方をチラ、と窺ったが、それをおくびにも出さず月香に挨拶した。 「ご紹介に預かりました、天蓬と申します。どうぞお見知り置きを」 「捲簾っス。こんな美人に紹介してもらえるなんて、持つべきものは友だねぇ」 「誰が友だ」 「月香と申します・・・こちらは・・・元帥は、この者をご存知かと」 「ええ。随分と長い間顔を見ていませんでしたが、息災そうで何よりです」 天蓬の言葉に会釈するだが、一護衛としての本分をわきまえ、それ以上は指一本動かさない。 「月香殿・・・なぜここへ来られた?今俺達は・・・」 「存じております。観世音様にお会いしましたので・・・ 私に、貴方がたがこれからなさろうとする事を止めることも咎めることも出来ません。 ですから、私の出来る唯一の事を為しに参ったのです」 「?」 「これを・・・貴方がたに」 そう言って4人の目の前に差し出したのは、4本の飾り紐。 紐といっても帯締めに使うような太いものではなく、紙縒り程度の極細のものだ。 「急ごしらえでしたので拙い物ではありますが、これが皆様を結ぶ そう言いながら、4人の左手首に1本ずつその紐を巻いていく。 天蓬が紐を観察して、ふとある事に気付いた。 「この紐・・・縒り合わせている糸は、もしや――?」 「ほほ・・・察しが宜しゅうございますこと」 「「「?」」」 天蓬が何に気付いたのか、他の3人には判らない。 だが、天蓬も月香も、敢えてその内容を明かそうとはしなかった。 「――私に出来るのは、この程度です。 どうか、皆様方の本懐が遂げられますよう、お祈り申し上げます・・・」 「月香姉ちゃん!」 思わず叫ぶ悟空に金蝉が慌てて口を塞ぐが、月香は鷹揚に微笑みながら悟空と視線の高さを合わせる。 「この方達が、悟空が宴に呼びたいと言っていた方々なのですね?」 その言葉にこくんと頷く。 「月香姉ちゃん・・・もう、月香姉ちゃんとは会えないのか・・・?」 「悟空・・・出来るものなら、私も貴方達と共に行きたいのですよ?・・・ですが私に課せられた役目が、それを許してはくれないのです・・・ 離れ離れになっても、私は貴方達の事は忘れません。だから悟空は、金蝉様達を助けながら無事 今度はやや間が空いたが、再び頷く悟空。 それを見届け、月香は立ち上がった。 「それでは、これで失礼します・・・」 4人に向かって優美な礼を送り、再び光の扉の方を向いた。 傍らで控え続けていたが、主に倣って立ち上がった時、 「――」 「・・・元帥?」 「ちょっと待ってて下さい、すぐ戻りますから!」 言うや、隣の部屋へと慌ただしく走っていった。 ものの1分もしないうちに戻って来た彼が手にしていた物は―― 「・・・・・・?」 濃紺の絹布に大事そうに包まれた、の背丈程もある細長い『何か』。 差し出されたそれを受け取り、はチラ、と元帥の顔を窺いながら、結び目を解いた。 中から現れたのは、 「これ、は・・・」 中程のところで無残にへし折れた大弓。 それはにとって忘れられない記憶の欠片だ。 天蓬が元帥に就任して間もない出陣で、妖化生命体に捕らわれてしまった彼を助けるべく得意の大弓を引き絞ったのは、他でもないだった。 だが、上司が討伐対象に捕らわれた事が焦りを呼んだのか、急激な力で引かれた弓は、充分にたわむ間もなく折れてしまい、弾けた木の繊維が、彼女の顔を襲ったのだ。 ――そしてその傷は、今も醜い痕として彼女の顔に残っている。 その直後、天蓬は彼女をこれ以上危険に晒すのを恐れ、『負傷により復帰不可能な状態のため』と虚偽の報告を上げ、彼女を除隊させた。 一方で、傷を受けた彼女の悲鳴を、 「元は貴女の物・・・流石に持っては行けないので、貴女にお返しします」 その言葉は、半分は真実だが、本当の理由は別にあった。 あと数刻もすれば、李塔天の兵がこの棟に突入する。 このままこの部屋に置いていても、踏みにじられるか、もしかすると棟に火を点けられ、灰と化すかも知れない。 他の書物・コレクションはともかく、この弓だけはそうなるのを避けたいと考え、元の持ち主に還す事を思いついたのだ。 「謹んで、承ります・・・」 「・・・除隊を勧めた事を、恨んでるでしょうね?」 「いいえ・・・元帥がお決めになった事ですから・・・それに、その決定を受け入れたのは、紛れもなく私自身の意思です。 今は、月香様をお守りする事を己の使命として、誇りをもってお仕えしております」 「そうですか・・・、どうか、元気で・・・」 「・・・はい。それでは、失礼致します。――ご武運を!」 かつてその身に刻んだ所作で、は軍隊式の敬礼をする。 それは、なりのけじめの形であった。 応じる形で天蓬も、そしてその斜め後ろにいた捲簾も、敬礼の形をとる。 光の扉は、再び2人の女性を飲み込み、渦を巻いて凝縮し最後には消失した。 「――確か彼女の除隊理由は『負傷により復帰不可能な状態のため』だった筈だ。 今しがた見た様子では、そのような状態には見えなかったが?」 口を開いたのは、一部始終を横から見ていた西海竜王敖潤(縛られた状態で)。 「・・・全ては、僕の一存による行為です。 何でしたら、虚偽の報告を行ったとして、次の僕の給与に響かせますか?」 おどけるように言うが、それが実行されるとは誰も考えていなかった。 そう――何もかも、今日が『最後』となるのだから。 それは、言った本人が一番よく解っていた―― 光の扉をくぐり、観世音邸に戻って来たは、主に向かって尋ねた。 「今のが、月香様の・・・?」 「ええ。衆人環視の中で行うことは禁じられていますが、今回は非常事態ということで致し方なく」 短くはない年月を、この佳人と共に過ごしてきたが、その真の力を目にするのは実際初めてだ。 更天経文。 釈迦如来が天地創造に用いた、世界の理そのものが具現化された『天地開元経文』の一巻。 目の前に立つ佳人が、その経文が憑依して世に生まれた人物という事は、無論も聞かされてはいたが、まさか離れた場所とを一瞬で繋ぐ『道』を作るとは。 月香の存在が、天界の神々の中でも極めて異質である事を、今更ながらに見せ付けられた出来事だった。 「それよりも・・・貴女は、あれで良かったのですか?」 向けられる視線に含まれるものと同じそれを、つい最近自分は見た記憶がある。 ――あぁ・・・そうだわ。 『元帥が亡命するって事は、つまり二度と会えなくなるって事だろ? あんたは、それでいいのか?』 それ程までに、 「・・・この感情を、露にするわけにはいかないんです」 軍に所属していた頃も、そして今も。 この想いは、いつだってあの人にとっては邪魔なものでしかない。 ならば自分は、 そう、心に蓋をするかのように瞼を閉じる。 再び目を開けた時、その眼差しに迷いは無かった。 「この包みは、月香様にお預けします。外は殺気立っておりますので、月香様は観世音菩薩様のお近くに留まられるのが宜しいかと。 私は、このまま第一小隊の者達の所へ参ります」 決して後ろなど振り向かない。 それが、あの方の望みを叶えるためならば―― そうして踵を返したに、月香が声を掛けた。 「・・・ちょっといいかしら・・・?」 |
捏造話第二弾(笑)。 海外の映画とかだと、ここで「思い直して下さいな!」とか言ってガバッと抱き合ったりなんかしちゃったりして、ちょっとしたメロドラマ調になるんでしょうが、そうは問屋が卸さないのが香月の作品。 言っても無駄と解っている事はわざわざ言わないのが当館のヒロインsの特徴(笑)。 ちなみに、ここで出て来た弓の話は、今後もそこここで出てまいります。 天蓬とのすれ違いっぷりを示す、大切なエピソードなのです。 |
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