Celestial sound and spiritual melody





 13年前――

「あっ!!」

 明らかに幼い少女のものと思われる高い声が響き渡ったかと思うと、それに対して三蔵が訝る暇もなく、



 ドサッ ゴロン ガンッ



 小春日和の陽気に誘われ、河原の土手で寝そべっている三蔵の頭頂部に、硬いトランクのような物が直撃する。
 更に、その衝撃に顔を顰める前に自分の上に乗りかかった身体。
 流石の三蔵も何が起こったのか咄嗟に判断出来ず、目をしばたかせながら身を起こすと、自分の足元に先程の声の主らしき少女が横たわっていた。
 その髪は、日本人には有り得ない銀糸で。
 一瞬、特大の人形かという錯覚すら覚える。
 更に、その傍には黒いバイオリンケース。
 どうやら、最初に自分の頭に当たったのはこのケースらしい。

「・・・ぅ・・・」

 軽い呻き声を上げ、額を押さえながら上半身を起こす少女。

「・・・・・・」

 本人にも何が起こったのか判らなかったのだろうか、しばらく呆けたような表情を浮かべていたが、程なくしてハッと何かに気付いたような顔になると、慌てて三蔵の方へと顔を向けた。

「あっ、あのっ、すいません!」

 普段なら何しやがる、と怒鳴りつけるところだったが、ふと気付いて思いとどまった。
 自分の方を向いていても、はっきりとは定まらぬ視線。
 手にはストラップで繋がれた白い杖(よくこれが刺さらなかったものだ)。

「目・・・見えないのか・・・?」

 同情、などという反吐が出るような感情は持ち合わせていないが。
 それでも、この場合少女に責められるべき点はないという事だけは、三蔵にも理解出来た。

「はい・・・あの、お怪我は・・・?」

 10になるかならないか、少なくとも自分より年下であるだろうことは確かである少女は、年齢に似合わぬ丁寧な話し振りで三蔵を気遣う。

「人の事より自分の方はどうなんだ」
「え?」
「膝」

 思いっきり簡素な物言いだが、それでも少女は気付いた。

「・・・あ・・・」

 石にでもぶつけたのだろうか、右の膝から血が流れている。
 その独特の臭いが、目の見えない少女にその状況を悟らせた。

「そこにいろ」

 ぶっきらぼうに言い放つと、三蔵は河の水で自分のハンカチを濡らし、少女の元へと戻って来た。

「冷たいぞ」

 それだけ言って、濡らしたハンカチを傷口に当てがう。

「!っ・・・・・・」

 春が近いとはいえ、3月の水はまだ冷たく。
 沁みる傷口に、少女は身を竦ませた。
 血や泥をあらかた拭うと、三蔵は少女に尋ねる。

「家は?」
「え・・・」
「そんなんじゃ歩けねぇだろうが。おら」

 そう言うと、転がったままのバイオリンケースを拾い上げ、少女に背中を向けてしゃがみこんだ。
 家までおぶって行く、ということなのだろう。
 口の利き方は限りなくぞんざいだが、その端々に自分への気遣いを感じ取った少女は、初めて三蔵に向かって微笑んだ――






 少女の家へ向かう途中、三蔵に聞かれるまま、少女はポツポツと語った。
 目が見えないということもあって、あまり他人とよく喋るタイプではないらしい。
 年齢は9歳――三蔵より3歳下――であること。
 銀の髪と目が見えないのとは、生まれつきであること。
 両親は既に亡く、親戚に育てられていること。
 唯一の趣味がバイオリンであること。
 そのレッスンの帰り、近所の悪ガキに土手へと突き飛ばされたこと。

「・・・次に何かされかけたら、その杖で腹を突くくらいしろ・・・」

 それは、あまり褒められたアドバイスではないのだが、

「そうします」

 微笑みながらそう言う少女は、多分本気でするかも知れない。
 三蔵が自身の発言を訂正すべきか躊躇している間に、2人は目的の家に着いてしまった。

「・・・でかいな・・・」

 財閥の御曹司である三蔵は、本人に言わせれば『無駄にだだっ広い』屋敷に住んでいるが。
 少女の家は、三蔵家に負けずとも劣らぬ邸宅であった。
 年代を感じさせる土塀や瓦屋根は、この家が相当の名家であるだろうことを感じさせる。
 今ではあまり見られない木製の表札に書かれているのは、『朧』の一文字。

「・・・・・・『おぼろ』・・・?」

 少し前に音楽の授業で『朧月夜』を習ったのを思い出し、そう読んでみたが、

「『ろう』っていうんです・・・あ、ここで結構です・・・」

 下ろしてくれ、と言外にそう含ませる少女。
 門から玄関口まではまだ相当の距離があるのだが、そこまで世話になるわけにはいかない。

「・・・そうか・・・」

 少女の心中を察した三蔵は、その場に少女を下ろし、バイオリンを返す。

「本当に、有り難うございました」
「・・・あぁ・・・」

 普段人に対して素直な態度をとらない三蔵は、それ故真正面から謝辞を言われたこともなく。
 気恥ずかしさにガリガリと頭を掻きながら、あいまいに返事する。

「お帰りの方、お気を付け下さいませ・・・それでは失礼致します・・・」

 少女は最後まで優雅な物腰を崩さず、三蔵に向かって頭を下げると、通用口らしき木戸の向こうへと消えた。
 木戸が閉まるのを確認すると、三蔵もそこから立ち去りかけて――気付いた。

「名前・・・」

 『(ろう)』という苗字は分かったが、肝心の名前を聞いていなかった。

「ダセェ・・・」

 小学校の6年にもなれば、当然異性の話題に花を咲かせることも多くなる。
 といってももちろん周囲の人間に限られたことで、三蔵本人にそんな話題への興味は欠片も無かった。
 けれど、先程まで自分の背中におぶわれていた少女に対する感情は、恐らくその類のもの。
 他人に興味を持たない自分に、まさか思いを寄せる相手ができるとは思ってもなく。
 あまりにも突然の出逢いに、名前を聞く余裕すらなかったなんて。
 深いため息を一つつくと、己の不甲斐なさに嫌悪しつつ、三蔵は広大な屋敷を後にした――






 少女の名前は分からないものの、家も苗字もちゃんと分かっている。
 世界の端と端程も離れているわけではないのだから、いつかまた会えるだろう。
 そう、考えていたのだが――
 中学に入学した三蔵は、それまでもいじっていたコンピューターに本格的に打ち込み始め、14歳になると、父親の経営するアイビーグループのコンピューターを管理出来る程にまで腕を上げた。
 それから2年間の間に、自らが造り上げた何重ものプロテクトを潜り抜けたハッカーは唯一人。
 あと1つのプロテクトを破壊されるところで、三蔵自らハッカーと対峙したのだ。
 『悟能』と名乗ったそのハッカーは、組織に雇われた人間で。

【自分のしていることが判っていながら、こんな事を続けてんのか?】
【仕方なかったんです。僕には大切な人がいて・・・その人を人質に取られていますから・・・】

 孤児院で育った悟能は、その明晰な頭脳を買われ、ある企業の社長の養子となった。
 しかし、表は何の不備も無いその企業は、裏で様々な企業のコンピューターに潜り込み、極秘データを盗んで売買するのを生業としていた。
 事実を知った悟能が養子縁組を解こうとしたが、養父は同じく孤児院で育てられた悟能の双子の姉が自分の弟の養子となっている事実を挙げ、悟能を脅した。

『弟も私と同類の人間でね。ま、君が大人しく私の言う事を聞いていれば、君のお姉さんに危害が加わることはないと思うよ・・・』
『!・・・・・・』

【下衆が・・・】
養父(ちち)の組織は、三蔵財閥を乗っ取ろうとしています・・・そのために、僕を送り込んだんです】
【そんなこと、俺にバラして平気なのか?】
【近いうちに、姉を取り戻そうと思います・・・良かったらご一緒しませんか?】
【・・・逢い引きの誘いなら他を当たれ・・・】

 そうは言っても、悟能がその計画を実行することは火を見るより明らかで。
 私利私欲に走るクズなら放っておくが、愛する者の為に命を賭そうとする彼を、黙って見過ごすわけにはいかなかった。
 あの腕前は、後々使えそうだしな・・・
 そう考えた三蔵は、格闘に慣れている悟空を連れ、悟能の提示した場所へと赴いた。
 既に、三蔵は悟能から手に入れた情報を基に、組織のコンピューターに壊滅的なダメージを与えている。
 これまでの所業をまとめて警察に送りつけているから、間もなく捜査のメスが入るだろう。
 もちろん、悟能とその姉の養子縁組を解くことも忘れない。

「もうお前らは自由の身だ。警察が来るまでに早くお前の姉を捜せ!!」
「判ってま・・・――危ない!!」

 その声に振り返れば、鈍く光る短刀。
 その光に忘れていた何かを思い出しかけて、
 一瞬――三蔵の動きが止まる。

「三蔵さん!!」

 咄嗟に三蔵の前に飛び出した悟能。
 短刀は、不快な音を立てながらその右目を刺し貫いた。

「っ・・・痛ぅ・・・」
「バッ・・・何考えてやがる!!」
「それはこっちの台詞ですよ!ご自分がどういう状況にあるか、貴方解ってるんですか!?」
「だああああっっ!2人共ケンカしてる場合じゃねーだろっ!」

 よりにもよって悟空に怒鳴られ、我に返った2人はそれぞれの為すべきことに専念した。
 三蔵は外部から侵入出来ないセキュリティにホームコンピューターから入り込み、全てのロック及び通信をoffにする。
 悟能が姉の部屋を探せるように。
 次いで、妨害電波を発生させる装置を作動させ、携帯での連絡を不能にした。
 その間に悟空は、用心棒らしき男達を次々と叩きのめしていく。
 そして悟能は――

「花喃――」

 広い屋敷は当然部屋数も多く、何処に愛しい人がいるのか分からない。
 しらみ潰しに探すことしか出来ない自分が腹立たしい。
 そうこうしているうちに、屋敷の最奥、主の部屋の前に辿り着いた。



 バンッ



 ロックの解除されたドアを開けた悟能は、目の前の光景に我が目を疑った。

「!!―――」
「な、何だお前は!」

 悟能の目に飛び込んだのは、初老の男にベッドへと押さえつけられている己が半身。
 その顔は涙に濡れ、眼は既に生気を失っていた。

「・・・貴・・・様――っ!!」

 階下で奪った短剣を手に、男に切りつける。
 だが、男は悟能よりも多くの修羅場を経験しているらしく、難なくそれをかわし、傍に置いてあった脇差しを鞘から抜いた。

「!?――・・・が・・・・・・はっ・・・」

 痛みすら、今の感情の前には無いも同然だったが、
 それでも、腹部からとめどなく流れる紅い液体に、細身の体が崩れ落ちる。

「若造が・・・」

 せせら笑うと、男は死体の始末を言いつけるべく、傍の電話を引き寄せる。
 しかし――

「!?――どういうことだ?」

 驚くのも道理。
 内線も含め、通信は三蔵が全て遮断しているのだ。
 様子を見るため、ドアへと足を向けたその時。

「!――貴様・・・!」

 血の噴き出す腹部を押さえ、それでもゆっくりと立ち上がる悟能。
 虚ろな目が唯一映し出すのは、陵辱された愛しき人。

「・・・花喃・・・花喃・・・」
「この、死にぞこない・・・・・・っ!?」

 男には、一瞬何が起こったのか理解出来なかった。
 ズブリ、と。
 肉を、内臓を切り裂く音と共に背に突き立てられたのは、サイドテーブルに置いた筈の脇差し。

「・・・な、に・・・?」
「・・・花・・・喃・・・」

 意識を飛ばしそうな激痛のせいか、荒れ狂う感情のせいか、
 霞がかかったような悟能の視界に、男の向こうで己の半身が脇差しを握る姿が映った。

「悟能・・・っ、ごめん・・・なさい・・・」

 私がいなければ、貴方は苦しまなくて済んだ。
 私がいなければ、貴方を追い詰めなくて済んだ。
 私の、所為で――

「花喃――!」

 愛しき人の想いを感じ、悟能は最後の力を振り絞って短刀を男の心臓に突き刺す。

「・・・ぐ・・・ぅ・・・」

 くぐもった声を最後に、血の泡を吹いて男は息絶えた。
 その屍の上を乗り越え、最愛の姉の下へ駆け寄る悟能。

「花喃・・・もう、僕達は自由だよ・・・だから・・・」

 一緒に、暮らそう。
 もう誰にも、奪わせない。
 今度こそ、守ってみせるから――
 そう言って花喃を抱きしめる悟能に返された言葉は、この上なく残酷なものであった。

「もう遅いよ・・・悟能――」
「――花喃?」
「私は、もう・・・」

 この躰は散々、あの男に穢されて。
 貴方が触れていいものじゃ、ないから。

「もう、貴方の所へは、帰れないの・・・」

 だから――

「だから――さよなら、悟能――」
「かっ――!!」

 愛する半身に二の句を継がせぬまま。
 ずっと握り締めていた脇差しを、自身の首筋に当てて。
 先程まで自分を抱きしめてくれていた腕が、手が、自分の行動を止める前に。

「花喃―――っ!!」

 吹き上がる血潮。
 悟能の膝に崩れ落ちる身体。
 泣いたのは、どちらだったのか。
 視界を全て、真っ赤に染めて。

「花喃、花喃っ!!」
「・・・ごめ・・・ん・・・な、さ・・・・・・」

 止血をしたくても、既に深手を負っている体は思うように動かず。
 涙の伝う頬に、血まみれの手が伸びる。

「悟、能・・・・・・愛、し・・・て・・・――――」
「!!―――っ」

 それが、誰からも愛されなかった己のエゴだとしても、
 その想いは、真摯なまでに真実。
 永久(とわ)の誓いをその胸に、
 最初で最後の
 暖かく冷たい
 優しく残酷な
 ――口付けを、した――







全体の流れはスラスラ書けた作品なのですが、花喃姉様のシーンだけは書いてて本気で気分が悪くなった事はよく覚えています。







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