白鳥の歌





 匂い袋に詰められていた解毒剤で、皇太子の容態は取り敢えず好転した。
 が、全快したわけではないので、しばらく床に就くことになった。

『いいか、俺はクソつまんねぇ宴のせいで疲れが溜まったんだ、誰が尋ねて来てもそう言い通せ。
 解ったな』

 一連の毒殺未遂を、今、他の者に知られるわけにはいかない。
 たとえ今、この件が明るみに出たところで、実際疑われ、罰せられるのは料理人や酒杜氏、給仕の女官辺りがせいぜいだ。
 朧月が髪に挿していた花は藤だと思われている上、それを所望したのは皇太子自身なので、朧月を疑う者はまずいないだろう。
 ましてや、この事を企てた張本人など、尚更。

『貴様の言葉を借りるなら、「やるなら頭を潰さないと」だ。
 朧月は駒の一つでしかねぇ。黒幕を炙り出すためにも、あいつには手を出すな。いいな?』

 一刻半(3時間)程前にそう言い残し、今は深い眠りについている。
 その間、悟空を見張りとして寝室に残し、天蓬と八戒は応接室で談義を続けた。

「――『五毒の術』という、刺客の間に伝わる暗殺方法があります。
 一つ一つの毒は、大の大人を死に至らしめる程には強くないのですが、それらを幾つか合わせることで、猛毒となって目的を達成する、というものです」
「手紙にあった、『殿下の周囲に仕込まれた幾種もの毒』というのは――・・・」
「複数の毒を仕込む場合、口から入れる物、つまり飲食物に混入することに限定させず、1つは薫香のように鼻から、1つは霧のように肌から、というように様々な経路を用いる事で、毒を用いている事実が発覚しにくくなるんです。
 『桃源楼』の演目が始まる際、あちこちに花灯篭や香炉が置かれたそうですね?
 殿下の御席に最も近い灯篭の油や香炉の香にだけ毒を仕込めば、他の者には害は及ばないし、気付かれもしない・・・
 さっき貴方が言った、殿下の指の刺し傷も、もしかするとその一つかも知れません。
 櫛や簪の尖端を針のように研ぎ澄ませ、毒を塗った上で髪に挿す・・・朧月の髪は銀色だから、余計にその尖端が見え辛くなるでしょう。
 殿下が花を所望したのは全くの偶然ではない、言葉巧みに、そうなるよう仕向けたとしか思えませんね・・・でなければ、朧月が解毒剤を匂い袋に仕立てて携帯していた事の説明がつきません。
 そしてそれら、灯篭や簪などを前もって細工する、もしくは細工を命ずることが出来るのは・・・」
「『桃源楼』の、女将・・・」
「もちろん朧月も、毒の扱いを初めとした刺客としての手ほどきを受けていることは、ほぼ間違いないでしょう。
 まずは朧月と接触し、『桃源楼』の実態を聴き取りましょう。死ぬ覚悟があるくらいなら、身内の告発も難しくはない筈ですからね」
「そういえば、よく悟空は朧月に近付けましたね?彼女の周囲は、常に妹分の芸妓や童妓や下女が取り巻いているでしょうに」
「とびきり上等の『餌』を用意しましてね、その時点で朧月が計都さんだとは知りませんでしたが、盲目である事は聞いていたので、きっと部屋を移動するのを躊躇するだろうと踏んだわけです。
 芸妓達の足留め効果を高めるために、奉公の少年・青年達の中から選りすぐりの者を寄越して給仕させましたしね」

 果たして、その『餌』は功を奏し、朧月だけが控え室に残った。
 それを見計らって、悟空は朧月に接触したのである。

「流石は、『天蓬元帥』殿」
「お褒めに預かりまして」

 瓜二つの顔が、一含みも二含みもある笑みを浮かべて互いを見合わせた時、

「三蔵!ダメだよまだ寝てなきゃ!」
「うっせぇ猿!俺に指図するなんざ100年早ぇんだよ!」

 重厚な扉を挟んで尚騒々しい声が、隣室から聞こえてきた。

「まぁ、こうなる事は予測してましたが・・・」
「ゆくゆくは皇帝となる立場たる者、常に平静を保ち、周囲を見渡す眼を養うべし――と教えた筈なんですがね」
「ゆくゆくどころか、明日即位しようってのにこの有様では・・・先が思いやられます」

 はぁ、と2人同時にため息をつく。
 程なくして寝室の扉が開き、皇太子が姿を現した。
 その向こうで、悟空が頭を抱えてうずくまっている事すら、予想通りだ。

「大丈夫なんですか、殿下?」
「多少ムカつきはあるが、大事はない。早い段階で解毒剤を飲んだのが良かったんだろう。
 黒幕を炙り出す前に天蓬、あんたに聞かなきゃならん事がある。
 さっき言ってた『気になる光景』とやらについてだ」

 皇太子の言葉に、八戒は天蓬がこの部屋を訪れた際の会話を思い起こす。
 『宴の始まる前に、少し気になる光景を目にした』――確か、そう言っていた気がする。

「・・・実は陛下が会場へ向かう直前、庭の片隅で、女性と束帯(高位の者が着用する礼服)の男が密会するのを目撃したんです。
 女性の方は、恐らくは『桃源楼』の女将でしょうけど、男の方は・・・宮廷の人間であるのは確かですが、遠目だったもので顔を確認出来ず、誰なのかは残念ながら・・・」
「束帯だけでは、個人の特定は難しいですからね」
「左右両大臣が狐と狸の化かし合いをしてるのは分かってんだ、誰であっても驚きゃしねぇよ」
「きつねうどんとたぬきそば?」
「悟空、ツッコミがベタ過ぎますよ」
「・・・・・・そういえば悟空、お前、何だって朧月の所に行った?」
「え?金蝉に言われたからだけど?」
「阿呆、ンなこた解るわ!そうじゃねぇ、金蝉は何だってお前を朧月の下に寄越したんだ?」
「あーっとね、姉ちゃんに、『三蔵に言いたい事があるんじゃないのか』って聞けって言われた。
 あの姉ちゃん、三蔵に何か言いたい事があるけど、でも言えないって感じがしたんだって・・・俺は宴の時厨房で昼メシ食ってた(←残飯処理係)からよくは解んねぇけどさ」
「・・・・・・」
「多分、陛下のことですから、こういう事態になっている事までは知らないと思いますがね。
 けれどあの人、存外鋭いところがありますから。
 きっと朧月の表情の、僅かな変化を見て取ったんじゃありませんか?」
「それで、あいつなりに知恵を絞って、悟空を寄越した・・・あんたから人払いの入れ知恵まで受けて、か」
「あ、さっきの話、聞こえてました?」
「そんな事はどうでもいい。とにかく、今夜中に俺を始末しようとしたクソ野郎の正体を暴くぞ。
 借りは返す主義なんでな・・・目にもの見せてやる」








 花灯篭に夜の蝶舞う茶屋町通り。
 夕刻から開く店の多いこの街は、夜半近くになっても灯りが夜空を照らし、賑やかな声が響く。
 が、それは通りの表側の話。
 店が背を向ける川沿いの通りは、ひっそりとして猫の仔一匹見当たらない。
 ――川は、生活用水としての需要だけでなく、運輸のためにも不可欠だ。
 多くの人が集まる都では、周辺の町から運ばれる野菜・米・果物など、一時に大量の物を運ぶ必要に迫られる。
 山林・荒地の整地に掛かる人手と費用、そして荷車で一度に運ぶ事の出来る量を考えれば、水運の設備を充実させる方が簡便で済む。
 そうして、川の整備は進み、店が建ち並ぶ通りの裏手は、必ずと言っていいほど運河が通るようになっているのだ。
 その川沿いの通りを、外套を羽織り、編み笠をかぶった青年が、ゆっくりと歩いて来る。
 時々、堤防の上に建つ店の並びを横目で見上げるが、その表情に感情は窺えない。
 と、行く手に手燭を持って立つ人影の存在を認め、歩を止める。
 川辺に植えられた柳の木の下、こちらを見つめる――年の頃12・3の、少女。

「――朧月姐様と、お約束をされていた方ですね」

 掛けられた声に、青年のかぶる編み笠が、縦に動く。

「今宵は随分と冷えるため、この先にある納屋へ案内するよう言いつけられております。
 そちらで、四半刻(30分)程お待ちいただきたいとのことです」

 言うと、まだ芸妓としては精錬しきっていない歩き方で先導する。
 きっと、朧月達先輩芸妓の身の回りの世話や雑用をこなしながら芸を身に着けていく童女なのだろう。
 十間(18m強)程歩くと、彼女の言う通り、簡素な小屋があった。
 かんぬきが外に掛けられているところを見ると、住まうためではなく、道具置き場としてのみ使われているのだろう。
 そのかんぬきを外し、躊躇うことなく足を踏み入れる少女。
 後に付いて中へ入ると、少女の手燭に照らされ、蓑や茣蓙、編み笠、作りかけの櫂や大工道具が目に入る。
 どうやら渡し舟か荷舟を管理する者の倉庫らしい。
 少女は空の荷箱を寄せ集め、そこへ持っていた毛皮の敷物を敷いて腰を下ろせるように調える。
 更に別の空箱に手燭を置き、

「私は店の仕事がありますので、失礼させていただきます。
 姐様が来られるまで、しばしお待ち下さいませ・・・」

 そう言い残し、手燭を置いたまま納屋を去っていった。
 十間程度の知った道、それも今夜は満月なので、灯りが無くとも差し障りないのだろう。
 場所を移動することになったのは予想外だが、むしろ良い方向に動いたと取れる。
 この中なら、誰に見咎められることなく密談出来るからだ。
 どのみち、待ち合わせの場所では『桃源楼』の者に見つかる可能性が高いため、適当な場所を、と考えていたので、好都合だった。
 ――そう、考えていたのだが、

「・・・・・・・・・?」

 小屋が、揺れた。
 ――違う。
 揺れているのは、自分の、感覚。
 ふわふわ、ゆらゆら、
 壁が、
 土間が、
 天井が、
 回って、
 捻れて、
 薄れてゆく。
 戸口へ――そう、立ち上がろうにも、己が意志に反し身体に力は入らず、
 力の抜けた足はもつれ、ドサッと倒れる音が、何処か遠くから聞こえた――








 満月が中天に差し掛かる子の正刻。
 この頃になると茶屋町通りも宴会の喧騒は消えるが、一部の建物は2階に灯りが灯る。
 娼館で、客が一夜の甘美な夢を買っているのだろう。
 真冬近い深夜の凍て付く空気の中、『桃源楼』の裏口の戸が開き、外套に身を包んだ女性が辺りの気配を窺うように姿を現した。
 裏口から数歩で石段に辿り着き、そこを降り進む。
 降り立った場所から、通りを横切る形で川の方へ進めば、そこに大きな柳の木があるのだ。
 女性はそこでも気配を窺うが、待ち人はまだ到着していないらしい。
 ――と、



 ザザザザザザッ



 幾つもの足音が聞こえ、女性の周りを男達が取り囲んだ。
 女性に気取られないよう、巧みに気配を絶って身を潜めていたのだ。
 女性は咄嗟に懐刀を抜き、逆手に構えるが、相手も全員刀を構えているのを鍔鳴りの音で知り、下手に動く事も出来ない。

「『桃源楼』が芸妓、朧月殿ですな」
「・・・何者です、貴方がたは」
「間もなく冥府へ旅立たれる貴女が知る必要はありませんが、一つだけお教えしましょう。
 これは、『桃源楼』の女将殿の指図なのですよ」
「・・・・・・!!」
「おや、驚いた様子だね?私がお前を始末しようとするのが、そんなに意外かい?」

 耳に飛び込んできたよく知る声に、ハッとそちらへ顔を向ける女性――朧月。
 見えない目の代わりに鍛えられた他の感覚が、そこに現れた女将の存在を知らせる。

「おかあ・・・さん・・・」
「皇太子殿下は、一命を取り留めたそうだね。
 花灯篭に香炉、簪に酒に毒の花・・・『五毒の術』は完璧だった筈――誰かさんが解毒剤さえ渡さなければね」
「・・・・・・」
「誰にも気付かれず行動したつもりかい?ハン、お笑い草だよ。
 いい事教えてあげよう。あんたの身の回りの世話をしている子はね、あたしの実の娘さ。
 芸妓の世話や下働きをさせながら、裏切るような行動があればあたしに報告させる、一種の間者(スパイ)さね。
 だから、他の者は誤魔化せてもあたしの目は誤魔化せない。お前が皇太子殿下の手の者と接触したらしいのを知って、お前の懐紙をすり替えたんだ。
 懐紙に写った筆の跡を読み取る事くらい、造作もないことさね。
 それにしても、お前が皇太子殿下みたいな方と顔見知りだったとは、流石のあたしも驚いたよ。でもお陰で、別の手を思いついたのさ」
「――今宵、皇太子は即位前で昂ぶる気を静めるための月夜の散歩にお出になる。
 その際、即位を妨害する一派の手によって葬り去られる。
 そなたは、運悪くそこに居合わせたために巻き込まれ、あたら命を落とす――という寸法だ」

 女将の横から、その言葉を継ぐように話し始めた、一人の男。
 声の質、話し方から、刺客ではなく、身分の高い中年の男性と窺い知れる。
 男の正体は気になるが、それよりも聞き捨てならない言葉を聞いた朧月が、表情を凍らせる。

「貴方がたは、殿下を・・・」

 ここで自分と待ち合わせている事を知り、待ち伏せて、現れたところを襲うつもりか、
 いや、約束の時刻を過ぎても姿を見せないところを考えると、まさか――

「動く人間2人を一度に()ろうとすれば、成功率は落ちる、それは当然の事さね。
 だからお前より一足先に、あたしは娘をここへやったのさ。殿下をこの場所から引き離すためにね。今頃誰の目も届かない場所で、正体なく眠りこけてるだろうよ。
 お前の前で心の臓を一突きにしてやるから、覚悟するんだね」
「そんな・・・!!」
「――取り押さえろ」

 感情の欠けた冷酷な声が、朧月を取り巻く刺客に命令を下した――







この辺、完全に時代劇の定番シーンです(笑)。
あっちでもこっちでもピンチな状態で、誰が助けに来るのか――?
悟浄でない事だけは確かですが(苦笑)。
きつねうどんとたぬきそばは、世界観にそぐわないかも知れませんが、そこはパラレルということでひとつ。







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