Schwanensee





 計都と名乗った姫は、三蔵王子に促されるまま、身の上を語り始めました。
 計都姫は、この国の北にある小国の王女でした。
 両親である国王夫妻と、兄である第一王子、
 そして全ての国民から愛され、幸せな日々を送っていました。
 ところがある時、大陸一と評される魔道士が、計都達の前に現れたのです。
 幻術と呪術、操心術に長けた清一色という名のその魔道士は、大臣達を陰で操り、小さいながらも豊かである計都の国を支配しようとしました。
 ところが、その企みを見抜いた国王が彼を拘束しようとしたため、清一色は国王を王妃共々手に掛けてしまったのです。
 清一色は魔法で国王に姿を変え、王妃の姿形を模した愚偶を操り、巧妙に国の支配者に成り代わりました。
 そして、計都姫と姫の兄君に魔法を掛け、国から追放したのです。

「私は日の出ている間は白鳥の姿となり、夜になると人の姿に戻ります。
 魔法を掛けられる際、私を庇おうとした侍女達も同様です。
そして兄は――」



 バサバサバサッ



「っ!?」

 大きな羽音と共に、三蔵王子に躍り掛かったのは、1羽の白鳥。
 王子がそれをかわした後も威嚇を続ける様子は、まるで王子を追い払うかのようです。

羅昂(らごう)、止めて。この方は誠実な方だわ。
 私達に危害を加えない事を誓って下さったのよ」

 計都姫の呼び掛けに羽ばたきを止めた白鳥は、最後に白鳥とは思えない程何とも剣呑な視線を王子に寄越し、計都の傍に戻りました。

「ということは、こいつがお前の・・・」
「ええ。双子の兄の、羅昂ですの。
 清一色は、私達の姿を変えただけではなく、もう一つ呪いを掛けました。
 『片方が人の姿をしている時、もう片方は白鳥の姿となる。
 千の昼と夜を繰り返しても、互いが人の言葉を交わすことはない』――と」

 夜になって妹姫が人の姿に戻ると同時に、今度は兄が白鳥となる。
 夜が明ければ、兄が人の姿に戻る一方で、妹姫は再び白鳥となる。
 兄妹が同時に人の姿を取ることは、決してないという事なのです。

「お前達に掛けられた呪いを解くには、どうすればいいんだ?」
「術者である清一色を亡き者にすれば、彼が私達に掛けた術は効力を失います。ですが、父に成り済まして国王の座に在る上、幻術や操心術を行使するので、その者に刃を向ける事は容易ではないでしょう」
「他に方法はないのか?」
「・・・一つだけ、方法はあります。
 邪な術は、真に穢れなき強い心で打ち破られると聞きます。
 一切の見返りを求めない、真実の愛を誓う者が現れれば、私達に掛けられた術は破られるでしょう。
 ですが・・・このような呪われた女を想って下さる殿方など、いる筈もございませんわ・・・」

 珊瑚のような唇は笑みの形を取りますが、夜色の瞳は悲しげに揺れている、計都姫のその様子に、王子は決意を固めました。

「いるじゃねぇか、目の前に」
「・・・・・・え?」
「俺が、お前に、真実の愛を誓う。
 何が何でも、お前を元に戻してやる」
「三蔵様・・・なりませんわ、貴方はこの国の王子。
 私に関わることで、貴方の国が、清一色に狙われるやも知れませんのよ?」
「いざとなれば、俺が国を出てもいい。
 お前も言っただろう、『一切の見返りを求めない愛』と。
 地位も財産も必要ねぇ、お前を手に入れられるのなら、全てを引き換えにしても構わん。
 具体的には、どうすればいいんだ?」

 接吻か、それとも交情か――いささか即物的とも取れそうな言葉を王子が口に出しかけた時、計都姫の足元に控えていた羅昂が、再びその瞳に剣呑な光を走らせ、体勢を低くしました。
 水かきの付いた足で地面を強く蹴れば、強烈な攻撃が襲ってくるでしょう。
 それを察し、咄嗟に口を噤む三蔵王子なのでした。

「礼拝堂で、満月が中天に差し掛かる時から、夜明けまで共に祈りを捧げ続けます。
 清浄な心が、悪しき念を浄化し、夜明けの光と共に、全ての術は打ち砕かれるのです。
 清一色が何らかの妨害を仕掛けて来る恐れもあるでしょう。
 それでも、この手を、取っていただけますか?」

 一国を乗っ取るような大魔道士を敵に廻すなど、どれ程の困難が待ち構えていることでしょう。
 ですが王子の心は決まっていました。
 不敵な笑みを浮かべ、姫の手を取り、白魚のような指に口付けます。

「上等だ――おい、羅昂とやら、貴様もそれで飲むか?」

 交換条件で妹姫を奪うというのは流石に外道だろうと考えた三蔵王子は、姫の足元にいる羅昂にも尋ねました。
 それに対し、挑むような半眼(白鳥の半眼など、後にも先にも見る機会などないでしょう)で王子を睨み付けたのち、プイ、と外方を向く羅昂。
 その所作は、『仕方がないから飲んでやる』とでも言っているようで、随分と険のある様子ですが、少なくとも却下しているわけではないのを感じ、王子は口の端を上げて言いました。

「――婚約成立だ」








 王子の婚約は、その夜のうちに早馬で戻った八戒の口から、翌朝王様へと告げられました。
 伝令に八戒が選ばれたのは、

「――その姫君は、今はどうしているのでしょう?是非ともお会いしたいのですが」
「湖畔の別邸にて、手厚い看護を受けております。
 床から出ることの許されぬ身体である事と、あともう一つ・・・」

 計都姫の出自を明かすことが出来ないため、頭の回転の速い八戒が、王様を含め周囲を納得させる筋書きを考え、かつそれを疑われることなく報告したのでした。
 曰く、王子が狩りで追いかけた鹿が林道に飛び出した際、丁度通り掛かった姫君の乗った馬がそれに驚いて暴走したため、落馬して怪我を負い、王子に保護された。
 別邸で共に過ごすうち、姫君の見目麗しさと心の美しさに、王子は姫を伴侶に望んだ――と。

「姫君の故郷では、女性は婚約の日から次の満月の夜まで身内や下男を含めた全ての男性を遠ざけ、満月の夜に礼拝堂で新郎と2人、夜通し祈りを捧げるという風習があるそうです。
 そのため、王子の求婚を受けた姫君は同行していた下女達のみを傍に置き、我々は部屋に入る事も許されません。
 満月の儀が滞りなく執り行われた暁には、真っ先に国王様の下へ挨拶にいらっしゃるそうなので、それまで今しばらくお待ちを、とのことです・・・」
「そうですか。それでは致し方ありませんね。
 あの子が想い慕う方であれば、さぞや美しく気立ての良い方なのでしょう」
「落馬なさった際お顔を拝見しましたが、それはもう美しく、まとう空気は月の女神の化身かと思うほどに清らかな方でした。
 次の満月の夜が明けるまでご挨拶が遅れます事、平にご容赦の程を、と仰せでした」
「生まれ育った土地の習慣を蔑ろにするのは許されぬ事。ここは大人しく満月の夜が明けるのを待つとしましょう。
 ――そうと決まれば、お披露目パーティーの準備をしましょうね♪
 あぁ八戒、この話はあの子には内緒ですよ。お披露目パーティーなんて聞いたら、逃げ出すに決まってますからね」
「御意」

 うきうきとした表情の国王に一礼し、そのまま八戒は城を後にしました。
 心の中で、これ、不敬罪になりませんよね、と呟きながら。

「これで王様があの別邸を訪れることはないでしょう。
 あとは・・・」

 と、そこで独り言をやめると、馬を止めました。
 丁度、街へ向かう道と別邸へ向かう道の分かれ目、生い茂る木々の間から感じたのは――

「そこに、誰かいるのでしょう。コソコソせず出て来たらどうです?」

 王宮に出入りする者の中でも特に秀でた頭脳の持ち主である八戒ですが、実は武術にも長け、戦闘に於いて必要な敵の気配を感じ取る能力も優れているのです。
 立ち並ぶ木々の間から感じた、探るような視線。
 盗賊や獣の類ではないが、かといって親しい者のものでは決してないそれに、八戒は手綱を握っていた右手を剣の柄頭に掛けました。

「――・・・そなたに危害を加えるつもりはない。剣から手を放されよ」

 そう言いながら茂みをかき分けて出てきたのは、灰色のフード付きマントですっぽりと身体を覆った、やや細身の青年。
 凛とした声音は、ある程度の身分のある者にしか持ち得ない気品を含んでいます。
 このような為りをする青年に会ったことなどある筈もないのに、自分は何処かでこの声を聞いた気がする、なぜかそう、八戒には感じられました。
 怪訝な顔付きの八戒に、相手は一瞬周囲を見渡して誰もいないことを確認すると、深くかぶっていたフードを上げました。

「!――っ・・・貴方は・・・」






段々アレンジ色が強くなってまいりました(笑)。どうしても羅昂を出したかったんです。
昼夜それぞれが獣や鳥に変身させられ、人の言葉を交わせない、というのは『レディ・ホーク』が原典でしょうか。
それを模した作品も数多く見られます。
ここで八戒に近付いた人物――見え透いているようですが、明らかになるのは終盤になってからです。







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