ハッピーエンドになる人魚姫の話(笑)





 海の底へ戻り、優しい(笑)姉君達から何を見てきたのか尋ねられても、計都は沈んだ表情のままです。

「フム・・・海の上で、好ましくないものにでも出くわしたか?」
「だが見たところ、怪我などは負っていないようだが」
「昨夜は嵐だったけど・・・何か関係あるかしら」
「嵐の直前、トビウオがあの子に会ったらしいよ。その時は変わった様子はなかったってさ」
「今朝は船の積み荷がやたら沈んできているし、ひょっとすると難破船に出くわして、ヒトの溺死の瞬間を見ちゃったのかも?」

 姉君達だけでなく、父である人魚の王様も、可愛い末娘が憂い顔でため息をついてばかりいるのを見ると、心中穏やかではありません。
 そこで計都の気を紛らせようと、城の中でパーティーを開きました。
 近海中の人魚が、城の大広間に集まります。
 楽士達の演奏と歌に合わせて色とりどりの尾びれをくねらせる様は、夢のような光景です。
 ところがそんな中、計都だけは楽しそうな踊りの輪には加わらず、大広間の隅の岩に目立たぬように腰掛けていました。
 パーティーを楽しむ他の人魚とは対照的に、その表情は暗く沈んでいます。
 ひらひらと水中を舞う他の人魚の、光る鱗に覆われた大きな下半身と華やかな尾びれ。
 それを見るにつれ、ヒトと自分達人魚との違いを突きつけられているようで、哀しみは募るばかりなのです。
 脳裏に、昔お祖母様――母親を亡くした計都達の母代わりでもあり、教育係でもあった――から、ヒトの特徴について教わった内容が過ぎります。

『ヒトも我々人魚も、その起源は似通っています。
 人魚は海の神様、ヒトは地の神様が、ご自分の話し相手を欲されたため、それぞれご自身に姿形を似せて創り出されたとされています。
 ですが、神様が生き物に与えられる寿命には限りがあり、地の神様にはそれがもう殆ど残っていなかったのです。
 結果、自分の話し相手とするには随分と短命になってしまったヒトを哀れんだ地の神様は、彼らが死後天の神様の御許へ行けるようにと、彼らに魂を授けたのだと言われているんですよ』
『私達は、魂を授かることは出来ないのですか?』
『たった一つだけ、方法があります。
 一人のヒトが生涯、唯一人の人魚を愛し続ければ、そのヒトの魂の一部を分けてもらうことが出来るのです――でも、そのような事は、考えない方がいいでしょうね・・・』

 そう。
 ヒカリゴケの燐光を受けて美しく輝く銀の尾びれや鱗も、ヒトの眼には異形にしか見えません。
 ましてや、そのような者を愛し続けるなど。
 沈んだ表情で、自分の尾びれを眺めていた計都ですが、ふとある考えが浮かびました。
 周囲を窺いますが、皆歌や踊りに夢中で、自分に注意を払う者はいないようです。
 それをいいことに、計都はそっと大広間から抜け出しました。
 銀の髪と尾びれの美しい姿も、大勢の人魚やそのペットの魚達が群れる場所では、いとも簡単に紛れます。
 そうして誰の眼にも留まることなく、計都は城の外へと出て行ったのでした。








 暗い表情で泳ぎ続ける計都。
 ですが、当てもなく泳いでいるわけではありません。
 人魚の住処の最果て、
 通常なら誰も――人魚の衛兵達ですら、寄り付かない海域。
 ヒカリゴケや燐光虫も殆ど存在しないその場所は、人魚の目にも薄暗く、不気味に見えます。
 ところどころ見える海藻は、普段目にする緑ではなく、限りなく黒に近く、
 しかも指の長い手のような形で、水を掻く計都の尾びれに絡み付こうとするのです。
 それを振り払いながら進むと、ほんの少し明るさが戻ったような気がしましたが、

「ヒッ・・・!」

 明るく見えたのは、海底に道筋のように敷き詰められた、幾千もの白骨。
 魚のそれとは明らかに異なるその形は、海で命を落としたヒトのものか、それとも・・・
 計都の背筋を悪寒が走ります。
 それでも、ここへ来た目的を思い出し、勇気を出して再び暗い海を進むのでした。








「ここが・・・」

 白骨の道の終着点。
 これまたおびただしい数の白骨を組み上げて作られた小屋を、計都は青褪めた表情で見上げました。
 と、白骨のドアが、手も触れていないのにキィ、と勝手に開き、

『お前さんが来る事は知ってたぜ・・・ほら、早く入んな』

 何処からともなく不気味な声が聞こえてきたのです。
 見透かされている事への恐怖に、引き返したくなりますが、

「キャッ・・・」

 いつの間にか、計都のすぐ背後でおぞましい海蛇が身をくねらせています。
 中へ入らないという選択肢は、与えてはくれないようです。
 仕方なく、計都は目の前の白骨の扉を潜りました。

「よく来たな、人魚の王の可愛い可愛い末姫様」

 ウェーブを描く長くて艶やかな黒髪と、珊瑚より赤い唇。
 女ざかりというようなあでやかな見た目とは裏腹に、計都を値踏みするような視線と尊大な口調は、随分と年を経た者のようです。
 『魔女』と呼ばれるその人魚は、どんな望みでも叶える力を持つのですが、望みに応じた代償を求めるということで、人魚達の間では有名な存在でした。
 小手調べといわんばかりに計都の素性を言い当てるところを見ても、その能力は確かなようです。

「あ、の・・・」
「フン、お前さんが来る事は知ってるっつったろ。望みが何かも分かってるさ」

 そう言うと、傍らに置いていた小指ほどの大きさの小瓶を手に取りました。

「この秘薬を飲めば、お前さんの尾びれは人間の足へと変わり、えらも閉じる。お前さんの身体は完全にヒトのそれになる。あぁ、ガキを作ることも出来るぞ。
 だが、急激な変化というものは必ず歪みを伴う。薬で造り変えられた足は、大地を踏みしめるごとにナイフで切られるような痛みを伴うんだ。
 それだけじゃねぇ。人間になったからといって王子と添い遂げられるかどうかは、俺にも保障出来ん。もし王子が別の者を愛せば、お前さんは死に、海の泡になっちまう。
 それでも、お前さんは人間になりたいのか?」
「・・・えぇ、もちろんですわ」

 それまでびくついていた事など忘れ、決意を秘めた眼で頷く計都。
 痛みや死の恐怖など、この先王子と会えずに海の下で長い一生を過ごす哀しさに比べれば、どうということはないのです。

「いい度胸だ。だがな、只ではやれん。
 人魚が人間になるってのは、世の理を捻じ曲げる行為だ。
 足の痛みとは別に、お前さんにはその罪の代償を払わにゃならんぞ」
「・・・覚悟は、出来ております」
「代償というのが、お前さんのその綺麗な声でもか?」
「・・・・・・!」

 思いもよらない『代償』の大きさに、計都は目を瞠りました。
 声を出せなければ、王子に想いを伝えることが叶わなくなるのです。
 唇を噛み締めて考え込んでいましたが、意を決して計都は口を開きました。

「結構ですわ。想いを伝える事は困難でも、目が見えれば、あの方のお姿を見ることが出来るし、耳が聞こえれば、あの方のお声を聞くことが出来る・・・あの方のお傍にいる為の代償というのなら、喜んで差し上げましょう」
「・・・気に入ったぜ」

 魔女は、にやりと笑うと、小瓶を計都へと放ります。

「そらよ、持ってきな。
 王子の城はここから東南東に8里(32km)程の海沿いにある、大きな丸天井が特徴の建物だ」
「有り難うございます・・・!」

 小瓶を受け止めると、それを大事に両手で包み込みながら、計都は魔女の住処を後にしました。
 そのまま海の上へ出ようとしましたが、少し考えて城へと戻りました。
 中へは入らず、窓からそっと窺うと、優しい父王と姉君達が、飲んだり踊ったり喋ったりと思い思いの時間を過ごしています。
 もう、自分はその中には加われない、そう思うと申し訳なく思いますが、引き返すという選択は計都の中にはありません。

「お父様、お姉様方、我儘をお許し下さい・・・どうかお元気で」

 そっと呟いたのを最後に、計都は城を離れました。
 魔女の言葉に従い、東南東へと泳ぎ続けること四半日。
 聞いた通り、大きな丸天井が特徴的な王子の城を見つけた計都は、そこから程近い海岸の岩に腰を下ろします。
 小瓶の蓋を取り、一瞬の逡巡の後、中身を飲み干しました。

「あ・・・ぅ、あぁっっ!!」

 まず喉を、そして全身を襲う、灼熱の痛み。
 その激しさに、計都は砂浜へと倒れ伏し、そのまま意識を手放してしまいました――







現段階でもまだ原典遵守(笑)。
魔法使いは無難(?)にあのお方が御登場。
香月が幼少時読んだ本(小学生向けで文字が多目)では、魔法使いは『声をもらう』と言って人魚姫の舌をちょんぎってしまうんですよ(怖)。でも挿絵がとても綺麗な本だったので印象深く、この話はその本の内容を細かくなぞっているところがあります。
冒頭にお姉様方の会話がありますが、さて、その正体は・・・?







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