ハッピーエンドになる人魚姫の話(笑)





 この国の王子の母君は、王子が幼い頃、船の事故で命を落としていました。

『海で死んだ者は、人魚の国に迎え入れられるそうです。
 だから、貴方の母君も、海の下で幸せに暮らしていることでしょう』

 物心が付き、母君の存在がない事を疑問に思った王子に、王様が言った言葉。
 成人を迎えようとしているこの歳にもなれば、それは幼子を慰めるための御伽噺に過ぎないと流石に理解も出来ます。
 それでも、早朝に海岸を散歩するのは、長年の間に既に王子の日課として定着していました。
 つい先日、自らも海の世界に招かれかけたにも拘らず、海に対する恐怖も嫌悪もないのは、やはり心の奥底に父王の言葉が根付いているからなのでしょうか。

「・・・・・・?」

 王子は、国宝より美しいと評される紫暗の()を、怪訝そうに眇めました。
 海岸の中程にある岩の陰に、細く白い物が見えたのです。
 足早に近付き、岩を回り込んで覗き込んだ瞬間、王子は驚愕に目を見開きました。
 日に焼けたことなど一度もないような白磁の肌、
 月の光を紡いだかのような銀糸の髪、
 神が創り出した芸術品といっても過言ではない、なよやかな肢体を持つ女性が、一糸まとわぬ姿で倒れていたのです。
 先程細く白い物と見えたたおやかな腕を手に取り、脈を取ります。

「生きてる――おい、大丈夫か?」

 ――と、
 力なく伏せられていた長い睫毛が小刻みに動いたかと思うと、少しずつ開き、

「「・・・・・・―――!」」

 あらわになったのは、まだ瑞々しさを残す、晴れた夜空のような(あお)()
 女性――というよりは少女――は、男性が目の前にいる事に驚いたのか、跳ねるように身を起こしながら目を瞠り、
 王子は、見開かれたその瞳の吸い込まれそうな美しさに息を呑んだのです。

「――これを」

 王子は慌てて着ていたシャツを女性に羽織らせ、安心させるように銀の髪を撫でます。
 それは、王子を知る人が見れば、明日の天気を心配してしまう程に、優しい所作でした。

「お前、何処から来た?名は?」
「・・・・・・・・・」

 少女を怯えさせないようそっと問い掛けますが、少女は僅かに唇を動かしたものの、王子の望む返答はなく、ただ哀しげな眼で見つめるだけでした。

「声が出せないのか・・・辛かろう」

 このままにはしておけない、そう考えた王子は、

「動くなよ」
「っ!?」

 言うや、少女を抱き上げたのです。
 珊瑚のような唇からひゅっと息を呑む音が聞こえましたが、それ以上抵抗の様子はなく、
 王子は、少女を城へと連れ帰ったのでした――








 それからというもの、城の人間を始め王子を知る者は皆毎日のように、王子が連れ帰った少女についての噂に花を咲かせます。

「入浴のお世話をした者の言うには、今までに見たこともないほど白く滑らかな肌をしているそうで、海綿では傷が付くと、王子様から絹の布で体を洗うよう言われたそうよ」
「髪も、普段も美しい銀色だが、月の光を受けると真珠色に輝くそうで、どんな髪飾りの宝石よりも美しいと王子様はお褒めになったそうだ」
「美しいのは見目だけではない。竪琴を嗜まれるそうで、庭に放されている獰猛な番犬も、その音色を聞くと大人しく座り込んだとか。
 以来、王子様は夜毎寝る前に一曲所望されるらしいぞ」
「でも一言も話すことが出来ず、この国の字は解らないらしいな。なぜ海岸に倒れていたのかも覚えていないそうだ」
「きっと海の向こうの国の高貴な方なんだわ。海賊にさらわれたのか、船が流されてこの国に辿り着いてから追い剥ぎに身包み剥がされて放り出されたのか、何にせよ死ぬほど恐ろしい目に遭ったのが原因で記憶と声を失ったのよ」
 幾らも経たないうちに、城の者は少女を『姫様』と呼び、大切な客人として扱うようになったのでした。
 そしてその頃、当の『姫様』こと計都は――

(ぅ・・・はぁ・・・)

 一日の終わり、与えられた部屋でベッドに身を投げ出し、痛む足に顔を顰めていました。
 魔女の言葉通り、秘薬によって作り出された足は、一歩踏み出す度にナイフで切り裂くような痛みを伴い、
 しかしそれを表に出すことは出来ず、こうして時折足を休ませて痛みを誤魔化します。
 ですが、辛い事ばかりではありません。
 王子は計都を丁重に扱い、衣服や装飾品、更には部屋まで用意し、何不自由なく過ごせるように計らってくれます。
 食事も自分と同じ席で摂るなど、常に視界に入るようにしており、馬で外に出る時などは、自分の前に座らせるほどで、
 城の者は皆、計都が来てから王子は人が変わったように丸くなった、と口を揃えるのです。

(確かに、あの船で聞いたような四の姉様みたいな口振りは、余り聞かないですわね)

 またも海底で栗色の髪の人魚がくしゃみをしたようですが、それは別の話。
 やおら計都はベッドから起き上がると、卓の上の竪琴を手に取りました。
 もうすぐ、王子がこの部屋を訪れます。
 海の底とは身に付けるものも周りの物も大きく違う世界ですが、この楽器だけは、海の上でも左程変わらない形で、
 この世界に来て初めてそれを奏でた時、王子はいたく気に入ったようで、今では就寝前にこの部屋を訪問し、その清らかな音色を聞くのが、王子の新しい習慣となったのです。



 コンコン



「姫様、王子様がお見えです。お入りいただいても宜しゅうございますか?」

 宛がわれた客間付きのメイドが計都に尋ねるのに、計都は頷くことで了承します。
 それを確認したメイドが扉を開け、王子を中へと迎え入れました。
 いつもの王子なら、計都の銀の髪を撫で付け、定位置となった長椅子に腰を下ろし、曲を所望します。
 城の他の者と違い余り笑みを浮かべることはありませんが、それでもその表情を見れば、声を聞けば、王子がどのような心持ちでいるかは、計都には良く判るのでした。
 ――ところが、

「・・・・・・・・・」

 いつも、その感触を確かめるように銀の髪に触れてくる手は、ほんの僅かに計都の方へと伸ばされたものの、触れたか触れないかのところで止まってしまったのです。
 長椅子に座って肘置きに凭れ掛かる様子も、いつもと違い何だか気怠げです。
 思わず計都は、王子の手に自らのそれをそっと添えるように触れました。

(お顔の色が優れないようですが・・・どうかなさいまして?)
「お前・・・俺の心配をしてくれているのか」

 こくりと一つ頷く計都。
 声を出す事は叶わなくても、視線に、表情に乗せれば、こちらの思わんとする事も多少は伝わるようです。
 ―― 一番大切な事は、伝える事は出来ないのですが。

「・・・今日、隣の国から使者が来た。
 王女を俺の妃に、という正式な申し込みだ」
(え・・・)

 計都の表情が凍り付きました。
 王子が自分以外の女性を正妃に迎えてしまうと、自分は――

「お前には話していなかったと思うが、数ヶ月程前、俺の乗った船が嵐に遭い、俺は大きく傾いた船から海に落ちた・・・」
(・・・・・・)
「どうやって流されていったのか、海に落ちた後の記憶は無いが、眼が覚めた時には、俺はある城の一室に寝かされていた。
 それが、隣の国の王城だ」
(・・・やはり王子様は、私がお助けした事を、ご存知ないんですのね・・・)
「海岸に打ち上げられていた俺を見つけたのが、その城の王女、八百鼡姫というわけらしい」
(もしかして、あの時の・・・)

 計都が王子を海岸に横たえた時、現れた2人の女性。
 確かにそのうちの1人は、もう1人の女性から『八百鼡様』と呼ばれていました。
 計都が王子を連れて泳ぎ着いたのはこの国の隣国で、あの女性はその国の王女だったのです。
 計都の思いを余所に、王子は続けます。

「使者の持ってきたあちらの王家の書簡には、その際に姫が、俺を伴侶にと望んだそうだ」
(・・・・・・)
「俺はこの国の王族として、王室を維持するために伴侶を選ばないとならんし、ゆくゆくは跡継ぎを作ることも周囲から求められる。が、俺は種馬じゃねぇ、1人の人間だ。
 良く知りもしねぇ女を妃にするほど堕ちちゃいねぇと言ったが、向こうもしたたかだ、なら親交を深めるべく旅行に出ればいいと言ってきやがった」
(・・・それは・・・)
「父上も父上だ、隣国の王家と血縁関係になる事は、この国にとっても悪くない話だし、将来王位に就く者として、人と親睦を深める術を身に付けることも必要だと仰る」
(王子様、パーティーとか人の集まる賑やかな行事は、お好きじゃありませんものね・・・)
「丁度、向こうの王室が大型船を造らせたばかりらしく、その処女航海に姫と俺を乗せるという話が決まっちまった。ひょっとすると、俺達が海に出ている間に、父上達は婚礼の準備を始めるつもりかも知れねぇ」
(・・・・・・)

 計都は、抱えていた竪琴を構え、奏で始めました。
 それは、静かな小夜曲(セレナーデ)
 月明かりの下、想いを寄せる人に切ない気持ちを伝えるための旋律。
 この想いの半分、いえ一部でもいい、王子に伝えられたら。
 涙が零れそうになるのをこらえ、計都はその白魚のような指で弦を弾くのでした――








 王子が部屋に戻り、城の全ての人が寝静まった頃、
 城の裏手、波飛沫で削られた岩場の影に、計都は腰を下ろしました。
 広い城の中や、更に広い庭を歩く度、鋭い痛みが走る計都の足は、血が滲むようで、
 こうして夜毎、城を抜け出しては、冷たい海の水に痛む足を浸すのです。
 水の下に揺らめいて見える白い足を見つめているうちに、再び計都の目に涙が浮かんできます。
 生まれ持った姿も、優しい家族も、幸せな生活も全て棄てて、この足を手に入れたのに。
 このまま王子は、隣国の王女と結婚してしまうのでしょうか。
 ――と、その時、

「計都・・・計都!」
(・・・・・・え?)

 自分の名を呼ぶ声に、周囲を見渡すと、

「計都、ここよ!」
(お姉様方・・・!)

 海面から次々と顔を出したのは、懐かしい姉君達。
 ですが、なぜか全員、髪が短く切られています。

「パーティーの日からお前が姿を消したから、皆必死で探していた。
 そして最果ての魔女から、お前がヒトの足を得てヒトの世界で暮らすことを選んだと聞いた」
(オリヴィエ姉様・・・ご心配を、お掛けしました)
「が、同時に、王子が他の者と結婚するかも知れないという事も聞かされた」
(ラヴェンダー姉様・・・無表情ですけど、怒ってらっしゃいますわね?)
「王子が他の女性と結婚してしまったら、貴女は海の泡になってしまうんでしょう?」
(リザ姉様・・・こんな姿になっても、私の事を心配して下さるんですね)
「そこでだ、何とかお前を人魚の姿に戻す方法がないものか、我々全員であのクソババァに頭を下げて頼み込んだんだよ」
(静流姉様・・・貴女やっぱり王子様と似てますわね)
「そしたら、皆の髪の毛と引き換えに、この短剣を渡されたわ」
(花喃姉様・・・これは?)
「これで、あのバカ王子を刺し殺しなさい。
 その血が足に触れれば、貴女は人魚に戻れるし、その血を口に含めば、失った声も取り戻せるのよ」
(・・・・・・!!)







驚愕のお姉様sの正体判明(核爆)。
全て香月が敬意を込めて姉様付けで呼ばせていただいているキャラばかり。
何が凄いって、計都の性格がこんな姉君達に囲まれていて至って普通&おしとやかだという(汗)。
終盤の雰囲気でも判るように、王子は隣国の王女には一切興味ございません(アンデルセンに謝れ)。







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