Shinning sun and brilliant moon





 「三蔵様、如何なされましたか?」

 4、50がらみの僧侶が姿勢を低くして問い掛ける相手は、彼とは親子程にも年の離れた二十歳そこそこの若者。
 しかし、質問を投げ掛けた僧侶を始め、周りにいた数人の僧も、その人物の突然の出現に慌てて頭を下げる。
 僧帽をかぶり、袈裟をまとったその姿は、特に高い位の僧に許されるいでたち。
 何よりその額には真紅のチャクラ――神にいと近き者に与えられる印――が認められる。

 羅昂(らごう)三蔵法師――それがこの若者の名。

 神がこの世を創造した際に用いたとされる『天地開元経典』――そのうちの一つを守護する任を与えられた、沙門の頂点に立つ者。
 しかしそれ以外にも、この若き最高僧は他の僧侶には持ち得ないものを有していた。
 月光を思わせる銀の髪は背を覆う程長く、瞳は晴れた夜空を髣髴させる深き(あお)
 何よりその秀麗な美貌は、神の作りたもうた芸術品といっても過言ではないだろう。
 しかし、僧帽と、目から下に垂らされた一枚の薄布がその美貌と外界とを隔て、他人の視線の下にさらけ出す事を拒んでいる。
 唯一目に出来るのは両の瞳、唯それだけだが、それすら見た者に与える印象は『拒絶』の二文字。
 底のない(あお)――その藍に表情が浮かぶことはない。その眼は光を映し出すことが出来ない。それゆえの拒絶――それだけではない。

「急な話だが、3日後に客人の来訪がある。急ぎもてなしの用意を。
 部屋は4人分、食事は・・・まあその倍、か・・・」
「・・・は?」

 急、という言葉に偽りはないのだろう。その証拠に命令された僧侶は目を点にして口をぽかんと開けた。その視線は更なる説明を求める言葉を載せて、最高僧に返された。それは周りの僧侶も同じである。
 光を受け付けない瞳は、しかし時としてそれ以上のものを読み取る能力を有する。
 投げ返される視線に含まれる意味を解することは、この最高僧にとってはいわゆる“朝飯前”であった。

「玄奘三蔵法師殿の御一行が東方より見えられる。程なくしてこの成都(チョントゥー)に辿り着かれるだろうから、丁重にもてなすように」
「玄奘三蔵法師様・・・!西行の旅をされているとの噂は耳にしておりましたが・・・」
「私はこれから準備のために町へ出る。僧正殿に了承を頂いたところだ。他の者達にもこの旨伝えておいて欲しい」
「・・・で、ですが三蔵様・・・」

 言いたい事だけ言ってさっさとその場から離れようとする最高僧を、その僧侶が口ごもりながら引き止める

「何だ?」
「――確か玄奘三蔵様は、下賎の民を供に連れられているという・・・」

 肝心な事には触れず、窺うように語尾を濁す。
 外界と隔離された寺院内にも、そのような類の噂話は届くらしい。
 羅昂もその噂は聞いたことがあった。何でも従者は3人共妖怪であるとか――
 しかし、その反応の仕方に羅昂と他の僧侶との決定的な違いがあった。
 明らかに、他の僧侶達はその3人を神聖なる寺院に入れたくはない、とそう言っている。
 それは、異質なものを排除しようとする、閉鎖された世界で暮らす者に顕著に見られる傾向。
 その拒絶は、羅昂自身が受けてきたものと同質のもの――

 下らない――

 鼻で笑いながら呟いたその台詞が相手に聞こえる心配は皆無だった。自分を外界から隔てている一枚の布は、こういう時に役立っている。
 しかし、その後に続く台詞は、そのような物など無いかのようにこの場にいる僧侶全員の耳に届き、ガラスのナイフの如く容赦なく切りつける威力を持っていた。

「では、この地に於いて在り得ぬ色の髪を持つ私も、此処には居られぬと、そう言いたいのだな?」

 稀有な輝きを放つ銀糸の髪は、しかしこの大陸の者が生まれながらに有する色では在り得ず、
 故に影で『人にあって人に非ず』と囁かれている事を、羅昂は知っていた。

「い、いえ、そのようなことでは・・・そんな・・・」

 見えない武器の効果は絶大だったようで、倍以上の年月を生きてきた、この中では高い位に位置する僧が、完全にしどろもどろになってしまっている。

「彼等は皆神の命を帯びた者達。その言動がそなたらの判断基準に当て嵌まらずとも、最上の礼節をもって出迎えるよう」

 そう言い放つと、先程止められた歩を進めようとする羅昂に、再び声が掛けられる。

「三蔵様!どちらへ・・・」

 この者は私の話を聞いていなかったのか?
 形の良い眉を顰めながら振り向きもせずに答える。

「言った筈だ。町へ出ると」
「お要り用の物があるのでしたら、出入りの店の者を呼びますが・・・」

 呼び止めた僧とは別に、この場にいる僧徒の中では年若い、しかし羅昂よりは一回り近く年上の者が、おずおずと窺う。
 余程のことでない限り、寺で入用の物は馴染みの業者が宅配に来る。
 まして、最高僧が自ら使い役を務めることなど皆無の筈、なのだが。

――

 ひた、と歩を止め、こちらを振り返った最高僧の返答を賜るべく顔を上げれば、

「!・・・・・・ヒィッ」

 表情の窺えない(あお)の双眸はそのまま、まとう気配が氷点下の冷たさで周囲の空気を凍らせる。
 空気だけではない。その冷気は、僧侶達の表情・動きをも凍りつかせた。

「二度は言わない。各自為すべき事を為せ」
「・・・はっ!」
「それから、言っておくが彼等の旅の目的は物見遊山などではない。重大な任務を負われているのであるから、長期滞在を求めたりせぬよう」
「・・・・・・はぁっ」

 先の返事に比べ嘆息が混じったところを見ると、どうやら図星だったようだ。
 そんな僧侶達を後に、外出の準備を整えるため自室に向かいながら、ため息をつく。

 まったく・・・私の立場にもなって欲しいわ・・・

 とはいえ、最高僧の称号を持つ者の説法にあやかりたいと思うのは、僧侶なら至極当然のことであるのだが。
 そこで改めて、『もう一人の三蔵法師』の存在に、意識を傾ける。
 元来『三蔵法師』は、所持する経文が未知の力を発することを懸念する意味で、その交流が制限されている。
 とはいえ、人の口に戸は立てられぬもの、そこここで他の『三蔵法師』に関する情報は耳にする。



 この世に唯一人、(チャクラ)を持たぬ『三蔵法師』がいる事。
 半年程前、1人の『三蔵法師』が旅の途中妖怪に襲われ他界した事――彼が所持していた経文の行方は未だ定かではない。
 『聖天』『魔天』両経文に関しては、現在1人の『三蔵法師』が守護を任されている事。



 そして――その『三蔵法師』が、天勅により西行の旅路にある事――



「西へ・・・」

 ふと呟くとそこで思考を途切らせ、近くの窓から空を振り仰ぐ。(あお)の瞳に映るものなど、無い筈なのだが――
 ピイィ、ピイィ・・・と高い鳴き声が彼方の空から聞こえる。

 鳥・・・渡り鳥?・・・

 青空を白い鳥が何羽も飛ぶ。その様子は羅昂には見えないが、耳に入る鳴き声はどこか哀しげでもあり――

『鳥が自由だなんて、誰が決めたんでしょうね?たとえ思うがままに空を飛べたとて、辿り着く地も・・・羽を休める枝も無ければ、翼を持ったことさえ悔やむかも知れない・・・
 本当の自由とは、還るべき場所のあることかも知れませんね――』

 なぜこんな言葉が浮かんだのだろう?誰からも聞いた覚えのない言葉――
 心に浮かんだその言葉に反論する。

「人にとって還るべき場所とは何か?家か?家など・・・私を戒める牢獄だった・・・」

 家名を守るため、血筋を守るため、犠牲になった自分・・・濃過ぎる血は目に光を映さぬ銀の髪の子を生み出した。
 そんな自分を守り、導いた両親は既に亡く――

「此処も、私の『還る場所』ではない・・・」

 最高僧の地位にありながら、その身に流れる血は実は陰陽師のもの。
 経を読み、高僧の説法を聴き、仏像を拝することで世の平安を祈願する僧にとって、呪符と式神を操って敵を排し、過去、現在、未来を占う陰陽師は受け入れ難い存在で。
 自分に向けられる突き刺さるような視線は、一人の人間に対するものではない、人に非ざる者を見る奇異と非難の視線・・・真綿で包むように潜められた感情は強過ぎる力を持つ者に対する畏怖と敬遠。
 いつの間にか、自分を外界と隔て、拒絶するようになる程に――

「私の還るべき場所は此処ではない・・・此処には無い・・・何処か別の場所・・・」

 行きたい。
 此処ではない、何処かへ。
 そんな感情が限界まで膨らんだ時、見た夢。
 西域に向かって旅をしているという『もう一人の三蔵法師』の来訪――そして共に成都を発つ予知夢。
 そしてそれは運命――500年前からの――

「たとえそれが既に定められていた事だとしても――私は私自身の意思で動く・・・」

 私自身の為に――

 そこでふと思う。
 彼の者達もそう思うんだろうか?
 そうに違いない。奇妙な確信を持つ。
 誰かの手の上で踊らされるくらいなら、舌噛んで死ぬような連中――会ったこともないのに、そう言い切れるのは・・・なぜだろう?
 そこで歩を止める。目は見えなくとも、寺院内を歩き回ることは難なく出来る。考え事をしながらいつの間にか自室の前に来たようだ。
 羅昂の執務室は、私室や風呂場等を含めて一軒の離れのようになっている。
 目の見えない事と、他人を寄せ付けない性格上、無用のトラブルを避けるためである。
 本殿から続く渡り廊下の突き当たりのドアを開ければそこは書棚や机、ソファセットの置かれた執務室。
 扉を閉じ、鍵を掛けた羅昂は、精神統一のために呼吸を整えた。

「観自在菩薩行深般若波羅密多・・・」

 手印を組み、唱えるのは般若心経。しかし、経の内容は問題ではない。
 意識を限りなく広げ、かつ精神は僅かの乱れもなく集中させる。
 この相反する行為を同時に行うための手段に過ぎないのだ。
 やがて経の詠唱と共にポウ、と羅昂の背を中心に光が発生したかと思うと、そこから幾筋にも伸びた光の帯は羅昂の正面に収束し、羅昂の身体より2回り大きい扉のような形をとった。
 詠唱を終え、手印を解いて光の扉の前に立つ羅昂の口元は、常日頃は決して他人に見せることのない緩やかなカーブを描いていた。
 これから先、自分は茶番を演じることになる。
 ――いや、今までもそうだったのかも知れない。
 周囲はおろか、自身すらも欺き続けた8年間の生活――全ては、この先に繰り広げられる運命の邂逅の為。
 観客のいない一人芝居に、終止符を打つ日は近い。
 ――その為にも、『認められ』なければ・・・否、『認めさせ』なければ・・・
 ほんの僅か穏やかであった表情が、一転して厳しいものへと変わる。
 『運命』に流されるつもりなどさらさらないが、長い時を経て巡る因果律を完成させるためには、自分は彼等と逢い――そして共に旅立たなければならない。
 しかし、当人達に前世の記憶などあろう筈もない。自分とて無いのだから。ただ、前世の自分の存在が、今の自分がここに在ることと関係している、そのことが自分の中に流れる陰陽師の血のおかげで辛うじて判るだけで――
 それでも、運命の邂逅は叶うのだろうか?
 夢に見たように、5人でジープに乗って西へ――
 そこまで考えて、羅昂は先程他の僧侶に物見遊山ではないと言った事を思い出し、苦笑する。
 あのような事を言っておきながら、自分のこの精神の不安定さは、遠足の前日に寝付けないでいる子供と同じレベルではないか。

 ・・・まあ、遠足と言えなくもなさそうではあるがな――








「ハ・・・ハックシュッ!」
「あれ、三蔵、風邪?」
「ヘソ出して寝てっからじゃねーの?」
「誰がヘソ出して寝てるだと?いい加減な事言うなっっ!」
「大丈夫ですよ。僕、夜中に三蔵の毛布を整えてますから。三蔵の寝相って悟浄といい勝負なんですよ♪」
「なっ・・・!?」
「っていうのは冗談です(くす)。それよりこの分だと明日には成都に着けそうですね。長安の中心部並みに大きな町だそうですから、物資の補給が充分出来そうですよ」







『オリジナルのアレ』の一つ、『羅昂三蔵法師』の登場です。
少し喋り方が古風なのが特徴。
生来の銀髪というのは、桃源郷に於いては妖怪しか持ち得ないというのが当サイトの設定です(光明様のは色素が落ちた結果ということでひとつ)。
終盤で、もう一つの『オリジナルのアレ』の存在が垣間見えますが、本格的な登場はもう少し先です。
そしてさりげなく(?)当サイトに於ける八戒の扱いが表れていますね;







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