Shinning sun and brilliant moon





 「あ゛〜、腹減ったぁ〜っ、何処まで続くんだよぉ、この森ぃ〜」

 間延びした声で発せられた悟空お決まりの台詞は、ドームの役割を果たす高い木立によって僅かに反響する。

「仕方ありませんよ悟空、こんなに木が生い茂っていては車を走らせるのは無理ですからね」

 宥めるような八戒の言葉は、悟空の愚痴の矛先をジープに向けさせる結果になってしまった。

「本っ当こいついざという時に役立たずだよなぁ。岩山もダメ、森もダメって、それって平らな所しか走れねえってことじゃん」

 ピイィ、という笛の音のような鳴き声は、抗議の意を表すものなのか。

「このバカ猿が、ぐだぐだ言ってねぇでさっさと歩け!ンな調子じゃいつまで経っても町に着かんだろーが!」

 スパァン、と小気味良いハリセンの音が、これも森に反響する。

「いっっでえぇぇぇ〜っ、んなパンパン叩くなよっ、暴力タレ目っっ」

 2度目のハリセンの音が、更に辺りに響き渡る。心なしか先程より数段音が大きい。

「っ()ぁぁぁ〜っっ」
「へへっ、バッカでぇ、余計な事言うからじゃんかよ。それよか八戒、オメー昨日確か『明日には成都(チョントゥー)に着けそう』って言ってたよなぁ?」
「ええ、言いましたよ。それが何か?」
「『それが何か?』じゃねえっつーの。悟空じゃねぇけどさ、俺達この森に入ってどんくらい経つよ?」
「え〜と・・・かれこれ9時間ですねぇ」

 にっこりと微笑みながら発せられる彼の言葉に嘘はない。
 森の入り口で野宿をし、朝食を済ませた後、森の中へ入ったのだ。成都に行くにはどうしてもこの森を抜けなければならない。しかし・・・

「そんだけ歩き通しでも抜けられねぇなんて、んなデカかったかよ、この森?」
「そうですねぇ、確かに大きな森ですけど、地図で見れば、せいぜい4、5時間で抜けられる計算だったんですけどねぇ・・・」

 その4、5時間の中に、昼食に費やした1時間は含まれていないが、それにしても異常であることは明らかで――

「・・・ってことは、まさか・・・」
「いやぁ、此処、磁石効かないんですよ♪」
「迷った、な」

 三蔵が、あまり喜べるものではない結果を端的に告げる。

「げぇぇぇぇ〜、マジぃ?じゃあ晩メシは?」
「おめ、本っ当に食いモンのことしか頭にねぇのな。下手すりゃ俺達、一生こっから出られねぇかも知れないんだぜ?・・・うっ!・・・」
「どうしました、悟浄?」

 心配そうに眉を顰める八戒に、

「大方自分の言った台詞にショックを受けてんだろうよ」
「え?あぁ・・・」
「俺だって野郎と共倒れなんざ御免だ。おい八戒、何とかならんのか」

 結界等の空間の歪みを感知することは出来ても磁場の乱れは感知出来ないらしい三蔵は、一切の決定権を一行の参謀役に押し付け――もとい、委ねてしまった。

「流石にこればっかりは・・・」
「あ?どした、サル?」

 気が付けば、夕飯にありつけないかも知れないと大いに嘆いていた悟空がふっつりと押し黙っている。
 叫ぶ気力がなくなったものと思い込んでいたが、サル呼ばわりされても突っかからないところを見ると、どうも様子が違う。

「・・・何か聞こえる。それにこれ・・・」

 そう言われて悟浄もハッとする。悟空と違って標準仕様の耳しか持たない悟浄に、悟空の言う『何か』は聞き取れない。
しかし、この肌に感じる異質な空気は・・・

「・・・妖気か?・・・」

 恐らくそう遠くない所に・・・

「!・・・あれは・・・」

 八戒の視線の先、木々が立ち並んで視界は悪いが100mは先だろうか。
 そこにいるのは確かに妖怪、それも複数。そして・・・

「女の人が襲われてるっ」

 いち早く状態を察知した悟空がダッシュした。
 流石に残りの3人はそこまで判る視力は持ち合わせていない。普段はサル並と茶化す悟浄も、女性のピンチとあれば、その視力に多少感謝しつつその後を追いかける。

「・・・チッ・・・走りにくいゼ・・・」

 細い木ばかりとはいえ、こうもたくさんあるとその幹や枝葉だけではなく、地表にボコボコ出ている根なども全力疾走の妨げになっている。
 その証拠に、先に走り始めた悟空も自分と左程距離は離れていない。
 4人が悪戦苦闘している間に、女性を取り囲んだ妖怪のうち、最も図体の大きな妖怪がその手を伸ばした。

「!・・・・・・っ」

 八戒が息を呑む。
 まだ自分達と妖怪との間はかなりの距離がある。
 せめて、妖怪達にこちらの存在を気付かせることでその手を止められないか――そう逡巡した、その時。
 フ、と女性の周囲を取り巻くように白い靄のようなものが発生した、少なくとも悟空達にはそう見えた。
 と同時に、

「――ア?・・・・・・ア、ゥワアアァッッ!」

 悲鳴を上げたのは女性ではなく、伸ばした手を靄に包まれた妖怪。
 よろめいた拍子にこちらに向けられた顔は、遠目にも明らかに苦痛に歪められていて、
 何より異様なのは、その右腕。
 屈強さを主張する太い腕は二の腕より先が失われ、シュウゥ・・・と薄く煙のようなものをまとわせていた。

「!!・・・何だコイツ!?・・・!ッ、ギャアァッッ!」

 何が起こったのか判らず慌てふためく別の妖怪も、次の瞬間断末魔の叫びを上げる。
 短い悲鳴が途切れた後に残ったのは、かつて首があったところから薄煙を上げる死体。
 仲間が目を見張る中、数秒遅れてドサッとその場に崩れ落ちた。

「ヒ、ヒィッッ・・・!」

 腕に覚えはあっても、目の前で繰り広げられた光景に、自分達の敵う相手ではないと悟ったのか、残りの妖怪達は足をもつれさせつつその場から逃れようとする。
 が、

「グワアアァッ」
「ヒギャァアァッ!!」
「ゥワアアアアアアァッ!!」
「ウォワアアアァッ!!」

 ある者は肩から上が、ある者は上半身が、ある者は胴だけが、ある者は2本の足を残して全てが、
 靄に包まれた瞬間薄煙と共に消滅し、その場に肉体の残骸が崩れ落ちた。
 全ての妖怪が絶命するまでにかかった時間はものの10秒程だろうか。しかし、木立に響き渡る断末魔の叫びが完全に消え去るのには、たっぷり30秒はかかっただろう。



「「「「・・・・・・・・・・・・」」」」



 そしてそれは、4人をその場に釘付けにしていた見えない呪縛が解けるのに要した時間でもあった。
 恐る恐る近付くと、女性を包んでいた靄は空気に溶けるように消え去り、初めてその姿を詳細に確認出来た。
 それと同時に女性も4人の存在に気付いたらしい。こちらを振り仰いだその容貌は――

「!―――」
「!―――」
「!――あ・・・」

 悟浄はその人とは思えない美貌に、八戒はその人には持ち得ない銀の髪に驚愕する。
 そして悟空は――

 ――(あお)い・・・瞳・・・・・・銀の・・・髪――何処かで――
 ・・・ううん、見たことない――でも・・・あの(あお)――あの銀――俺、知ってる――何処で?

「まぁ、私としたことが・・・見苦しいところをお見せしてしまったようですわね・・・」

 先程の凄惨さとは掛け離れた女性の穏やかな声が、しかし少し曇りを含んで発せられると、3人は2度目の呪縛から解けた。
 女性というより少女というべきかも知れない。年は二十歳そこそこだろう。落ち着いた態度には年齢に似合わぬ気品さえ窺えるが、一方で若々しい澄んだ声とあどけなさの残る瑞々しい瞳を持っている。
 しかし、その眼には、はっきりとは言えないが何かが欠けているような印象を与えた。
 何が――?
 少女は、その眼を少し伏せながら、

「ご安心下さいませ。私に害為す思惑を持って近付かない限り、『これ』は危険ではありません。・・・それより――」

 言葉を切って、つと歩を進めた先は、三蔵の前。
 そこで少女は片膝を立ててひざまずき、三蔵の法衣の裾を少し持ち上げ、唇をあてた。

「いっ!?・・・っっっ」

 唯一人、2度目の呪縛に掛かっていなかった三蔵だが、少女の思いがけない行動に石化する。
 他人からの好意。それも、打算や媚を一切含まない、只ひたすらに純粋な想い。
 それは酒ありタバコあり賭博あり殺生ありという超鬼畜生臭坊主の、実は唯一の弱点であったりした。

「お待ち申し上げておりました。玄奘三蔵法師様」
「・・・人違い、ということはないのか?」

 恐らくかなり動揺しているだろう三蔵が、それでも平静を装って聞くが、それに対する返事はクスクスという笑い声と共に返された。

「私は目で見て判断するということはありません。私の目は光を映しませんから・・・」

 立ち上がりながら答えるその言葉に、初めて少女の眼に欠けているものが4人に判った。
 ――視線が、感じられない――

「その代わり、というのでしょうか、他人(ひと)の眼に見えないものが見えることがあります。玄奘様の周りを包み込む、暖かな金色の光が――」

 げぇっ、とあからさまに顔を顰める悟浄を紫暗の瞳が横目で睨みつける。

「俺達の事、知ってんの?」

 そんな2人の様子を知ってか知らずか、悟空が屈託なく問い掛ける。

「はい、『兄』から伺っております。玄奘様達がこちらへいらっしゃるとの連絡を受け、お迎えに上がりました。間もなく日が暮れますので今晩はひとまず私の家で旅の疲れを癒して下さい。
 明日、成都の町までご案内致しますわ」

 そう言って、少女は先に立って歩きだした。慌てて八戒が、4人が4人共抱いていた疑問を代表して尋ねる。

「あ、あの・・・失礼ですが・・・」
「まぁ、申し訳ありません。私としたことが、失礼を致しましたわ」

 八戒が最後まで言うより前に察した少女は立ち止まり、くるりとこちらに向き直って優美な礼を送る。

「申し遅れました。私、計都(けいと)と申します。
 『兄』は羅昂(らごう)・・・羅昂三蔵法師です・・・」







ファーストコンタクトの回。
ヒロインが妖怪に襲われている場面に出くわすのは、ドリーム小説では定番中の定番ですが、
三蔵達が手を出すまでもなく妖怪を全滅させてしまうヒロインは、少ないのではないかと。







Back        Floor-west        Next