Shinning sun and brilliant moon





 「この、傷は・・・!」

 差し出された手の指先に薄っすらと付けられた、紅い線のような傷痕。
 同じ指の同じ箇所に、同じ形で付けられた傷を、自分は昨日見たばかりだ。
 ただ、計都が負った傷が生々しかったのに対し、羅昂の指のそれは、完治の一歩手前というような名残りでしかないが。
 と、脳裏に自分が彼女の傷を発見した時の会話が蘇った。

『計都?貴女、怪我を・・・!』
『あ・・・・・・いえ、大した事はありませんわ』
『ですが目が見えない以上、殆どの動作が手の触覚を頼りにしなければならないのに、一番感覚が鋭い筈の指を痛めていては・・・
 傷を診せて下さい。僕は気功を使えるので、多少の傷なら・・・』
『有り難うございます・・・でも、それには及びませんわ』
『でも・・・』
『私も治癒術を使えますの。ですが、今は使うべきではないですから・・・』
『「今は」・・・?』
『そのうち、お解かりになりますわ・・・』

 そう。
 彼女は、今この時の為に、わざと治癒術を使わなかったのだ。
 『よく似た双子は、一方が怪我をすればもう一方も傷を負うことがある』
 それを目の当たりにしたのは、初めてだった。

「じゃあ、あの時、計都が傷を治そうとしなかったのは・・・」
「そなたなら、玄奘殿からの信もある。良き証人になり得るからな」

 羅昂の目がスッと細められる。口元が見えないのでよくは判らないが、笑っているのかもしれない。
 それを見て、八戒はゴクリと生唾を飲み込んだ。
 いずれ羅昂に接触することを見越して、自分に傷を見せた計都。
 その傷を自分が見ていることを見越して、同じ傷を見せた羅昂。

 ・・・これは、想像以上に凄いですね・・・

「もうこの痕に用は無い」

 そう言うと羅昂は、傷痕に反対の手をかざした。
 ほっそりとした指を真珠色の光が包み、それが霧散すると、傷痕は完全に消えていた。
 八戒が使う気功とほぼ同じだ。

「それは・・・気功、ですか?」
「霊力を使った治癒術だ。波動が体液に働きかけることで本来の治癒力を高める点では、気功術と変わりはない」
「その違いは?」
「妖力と霊力の違いか。そも、霊力とは妖力・法力・神力といった全ての力の原始的な形態と言われるからな」
「そうなんですか・・・貴方も、計都と同じように治癒術を使うんですね」
計都(あれ)も私も、物心付いた頃から常に(ろう)の名を背負う物として教育を施された。
 治癒術はどちらかというと補助的な能力なので、どんな傷でもというわけにはいかんが、術の効能を強化する術具と併せれば、この旅に於いても充分に用を為す筈」

 再び歩き始めた羅昂に、合わせるように八戒も歩を進める。
 つまり、計都が見せた陰陽道の術や身体能力は、同様に身に付けているという事らしい。
 思い起こせば、夕方のあの件でも、周囲の人達を巻き込まないよう、空間を操作する術を施していた(単に公の場で狐の精霊やら銃やら出して騒がれるのを防ぐためかも知れないが)し、見事な短刀捌きで三蔵を術に掛けるのに必要な位置まで誘導していた。
 と、朧という単語でふと八戒は思い出した。

「計都は、計都と貴方を残して朧一族は滅んだと言ってました。それはどういう・・・」
「・・・正確に言えば、現在朧の名を冠する者は計都一人だがな」

 出家してしまえば、家名を棄てた事になる。

「その件に関しては、歩きながら話す内容ではなかろう。
 機会があれば、話してやらないこともない」
「・・・そうですか」

 そこまで話したところで、廊下の端に辿り着いた。
 ここから右の通路を行けば、八戒達3人に宛がわれた宿坊だ。
 三蔵のいた部屋は貴賓用であり、寺院側のあからさまな態度が窺える。

「私はこちらだ」

 そう言って羅昂は、八戒とは逆の左への通路を指す。

「馴染まぬ空気かも知れんが、明日の為によく休まれよ」

 背を向けて立ち去ろうとする羅昂に、八戒は思わず声を掛けた。

「貴方は・・・!」
「・・・・・・」
「・・・貴方は、それでいいんですか・・・?
 ご自分の背負う経文の運命に従うという目的だけで、この旅に加わるんですか・・・?」

 自分達が旅をしているのは、使命感にかられてという理由などではない。
 己の矜持とアイデンティティが絡んでいるからだ。
 だが、目の前の人物はそうではない。
 ある意味僧侶らしい物事への執着の薄さは、この旅に於いては生き延びようとする意志の薄さにも繋がりかねない。
 かつて、己の精神的なバランスの危うさ故に仲間を危険に晒した経験のある八戒には、羅昂の同行は非常に危険を孕んでいるように思えた。
 八戒の言葉に、羅昂は立ち止まると、八戒の方に顔だけを向け、

「安心されよ。私とて生にしがみ付く貪欲さは持っている。
 理由は、そなたに見せたであろう?」

 先程の傷痕。
 そう、『計都』を死なせない為には、『羅昂三蔵』は生きなければならないのだ。

「――私が想うのは、この世で唯一人。
 故に私は、自身を守りつつ玄奘殿の任務遂行を支え、その身の安全を確保しなければならない。
 それこそが、『私』の存在理由だからだ」
「・・・・・・」
「――だから、心配は要らない」

 そう言うと、立ち尽くす八戒をそのままに、羅昂は廊下の先へと消えていった。

「・・・羨ましい、かも知れないし、そうでない、かも知れませんね・・・」

 呟きは、誰の耳に入ることもなく、夜の静寂(しじま)に溶けて消えた――








 翌朝――

「――そう警戒せずとも、そなた等を取って食うわけではないから、安心されよ」
「そう言われて、ハイそうですかって納得出来んのは、単細胞のサルくらいだっての」
「俺サルじゃねぇ!」
「へー、単細胞ってのは認めるんだ」
「激ムカつく・・・!
 いーじゃん、羅昂が一緒ってことは、あのでっかい狐も一緒だってことだろ?
 一度でいいから、あの上に乗ってみてぇ・・・!」
「あー、そうですねぇ、あの三尾の狐、
 野宿でもあの尻尾に寄り添って寝たら、暖かそうですねぇ」
「・・・お前等、楽しそうね。つーかあっさり納得し過ぎ」

 悟浄も悟空も、羅昂がこの旅に同行する事は、昨夜八戒から聞いている。
 もちろん、昨日その力を垣間見せた経文の存在についてもだ。
 羅昂の戦闘能力については昨日の三蔵との一戦で明らかになっているので、足手まといになる心配は左程ない。
 が、その性格に若干(?)の難がある事に、悟浄だけは渋い顔を隠せない。

「高慢ちきが2人に増えるんだぜ?こっちの神経が擦り減るっての」
「「あ」」

 何かに気付いた様子の八戒と悟空の顔に、悟浄が振り返る間もなく、



 かぷ



 実体化した白輝が、悟浄の頭にかぶりついた。
 血が流れる様子がないことから、甘噛みに抑えているのだろうが、少しでも顎に力を入れれば、悟浄の頭蓋骨は簡単に砕けるだろう。


「わー悟浄、喰われてる喰われてる!」
「すんませんごめんなさいもう言いませんから許して下さい」
「飾り物ってのは間違っちゃいねぇがな」
「三蔵・・・。それよりも羅昂、今は人通りが無いからいいですが、街中で白輝を実体化させると混乱を引き起こしかねません」
「それについては心配無用。この成都(チョントゥー)に於いて、人ならざる者の存在はさして珍しくはない」
「そうなんですか?」
「西から邪気――(マイナス)の波動、とも言うか――それが流れ来る事を予知した私と妹は、この地の四隅で結界を張る儀式を行った。結界の源となる札は金属板を用い、それを、この地を囲む外壁に塗り込めたのだ。これなら、今後私の身に何事かあろうともその効力は半永久的に続くし、その存在さえ知られなければ、他人に破られることもまずあるまい。
 この結界があればこそ、妖怪であれども従来と変わらぬ生活を送ることが出来ている」
「そうなんですか・・・」
「凄ぇ・・・」

 確かに、少し増え始めた人通りを改めて観察すれば、妖力を有する者の存在がそこここに見える。
 だが、他の町や村と明らかに違うのは、その気配に全く邪悪さが含まれないことだ。
 羅昂の言う事が事実であれば、結界の存在に守られ、波動の影響を受けずにいられているということなのだろう。

「ただ、町の外から来る人間が結界の存在を知っているわけではないから、妖力制御装置は必ず装着するよう命じているがな。
 おかげでこの町は、妖力制御装置の生産が盛んだ」
「あぁ、そういえば・・・」

 八戒が得心したように頷く。
 妖力を有する者は、それを抑制したり増幅したりする輝石や金属の存在も、ある程度感じ取る事が出来る。
 昨日、寺院への道を延々歩いていた際、大通りに立ち並ぶ店の中まで見たわけではないが、それでもそういった装置が数多く売買されている事は、漠然とだが窺い知れた。

「あのー、騒ぎにならないことは解ったんで、コレ、何とかしていただけませんでしょーか」
「あれ悟浄、まだ喰われてたの」


 悟浄の頭に喰らい付いていた白輝だが、悟浄の言葉に、嗜めるように髪を咥えて引っ張った。

「イテテテテテテ、髪はやめてくれ抜けるハゲる三蔵になる!」
「(怒)・・・おい白輝とやら、遠慮なくその派手な髪、全部引っこ抜いちまえ。俺が許す」

「冗談、勘弁!」
「いやぁ、息もぴったりで、いいトリオですねぇ」
「・・・本当にそう思ってんの、八戒?」
「・・・白輝」

 羅昂の一言で、白輝はその姿をフッと消した。
 見えなくなっただけで、恐らくは羅昂の間近でその守護に着いて(憑いて?)いるのだろう。
 と、そこへ、

「わ、何だこの鳥?」

 何処から来たのか、悟空の頭上で、1羽の白い小鳥が羽ばたいている。
 人に馴れているのか、悟空が手を振り上げても、よけるだけで逃げる様子はない。

「――来たか」







執筆当初、朧一族の謎は、羅昂の口から八戒にのみ伝えられるという設定だったのですが、今になって思い返せば八戒贔屓が過ぎるので、大幅に変更。時機を見て何らかの形で公表される事でしょう。
前半と雰囲気をガラリと変え、後半はややコミカルに。白輝と悟浄のやり取りは、今後もたびたび見られることと思います(笑)。







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