窓から差し込む居待月の光が、僧帽から僅かに見える銀糸を照らす。 三蔵も八戒も、これまでの旅路で、気配を読む力は相当高められている。 その2人の感覚を以ってしても、羅昂の存在に気付かなかったとは―― この人・・・只者じゃないですね・・・ 心の中で呟きながら、八戒は身構える。 三蔵も、吸っていた煙草の火を消し、表情を険しくする。 が、当の羅昂は、至極平静に口を開いた。 「驚かせたなら、相済まない。 ――それにしても煙いな。八戒殿、窓を」 「あ・・・はい」 言われて窓を開けると、新鮮な空気が流れ込み、澱んだ空気が浄化されてゆく。 非喫煙者である八戒はややホッとしながら、羅昂の言葉に首を傾げた。 「あの・・・『気配を消す癖が付いてしまっている』て、 「危害は、な・・・まあ、仏道に帰依していようと、所詮は只人。その口が経だけを唱えるわけではないということだ」 「それは・・・」 言いかけて、八戒はふと夕餉の様子を思い出した。 自分達が寺院に入ると、僧正以下既に寺院の人間全てがそこに揃っており、簡単な挨拶に続き食事のもてなしまで万端に整えられていた。 しかも、その量は悟空をして満腹にさせる(流石に肉は無かったが、大豆や豆腐を加工した疑似肉が使われていた)程のものだ。 いつの間にこれだけのものを用意出来たのだろう、と何となく気になって(←主夫の性)、配膳に立ち回る坊主達の会話に耳を傾けてみると、こんな声が聞こえてきた。 『おい、揚げ物の追加は出来ているか?こっちの皿は空になりそうだぞ』 『もう盛り始めている。それより誰か、大皿をもう一枚持って来てくれ』 『まったく、三蔵様が「部屋は4人分、料理はその倍」と仰ったのも、頷けるな』 『確かに。それも3日前から分かってるっていうんだから驚きだ』 『まあ、こちらも充分な準備が出来て玄奘三蔵様の覚えが目出度くなると思えばこそだが、やはり気味が悪いな』 『おいおい、うちの三蔵様は何処から俺達の話を聞いているか判らないんだ、滅多な事を言うもんじゃないぞ――』 つまり、3日前―― それも、計都の隠れ家で1日潰した事まで計算されている。 法を犯してまでも、彼の一族が血の濃さを求めたのも、頷けるというものだ。 だが、それは同時に、只人からすれば、奇異の対象としかなり得ない。 法力を用いた術とは明らかに異なるその力に、この寺院の者達は畏怖を抱いているのだろう。 「つまり―― 流石に最高僧たる人物の耳に入る場所で本人の陰口を叩くことは出来ないので、普段から気配を消して行動していれば、僧達も口を慎むという訳だ。 「私自身は何と呼ばれようと構わんが、下衆な口で大切な耳が腐るのは勘弁願いたいものでな」 目が基本的に使い物にならない分、耳は常に敏感である必要があるからだが、どうにも棘が隠しきれていない。 いや、棘(時に毒入り)を自在に出し入れ出来る方が特異的なのだと、傍らに立つ人物を横目で見つつ、今更な事を悟る三蔵であった。 ――閑話休題。 「そんな事はどうでもいい。まさかたまたまこの部屋の前を通りがかったわけじゃねぇだろうが」 「もちろん。貴公ら2人、両方に用向きがあってのこと」 「僕にも、ですか・・・?」 「然り。この件に関して、貴公ら2人共より同意を得る事が不可欠と考えるからだ」 「同意って・・・」 「連れて行け、という事か」 2日前の事を思い出し、やや険しい目付きになる三蔵。 その様子を感じ取ったか、銀髪から覗く 「兄妹揃って・・・と思われるか?」 その言葉に、三蔵はギクリとする。 まさ、か―― 「知っているようですね、彼・・・」 「!!・・・・・・」 「告げ口する必要がなくなりましたね♪」 出来るものならこいつをハリセンで殴りたいと、本気で考えた三蔵であった。 が、取り敢えず今重要なのは、目の前にいる『もう一人の最高僧』だ(←逃げた)。 「同行云々の前に、俺はまだ貴様の事を『三蔵法師』と認めたわけじゃねぇ。そもそも、5巻ある経文の『力』の中に、貴様が見せたようなものは無い筈だ。 しかも何なんだ、あの謎掛けは」 「フン、存外頭が悪くあられる。だからこの場を選んだのだ」 「(激ムカつく)・・・解るように話せ」 「私が『三蔵法師』たる証拠は既に目の前で見せている。その鍵が先程の言葉だ。そして、この部屋にも、同様に鍵となるものを示す物が存在する」 「この部屋に?」 「然り。後は――」 ふと言葉を切り、見えない目を八戒に向ける。 「僕――ですか?」 「貴公ら2人なら解る筈。私が・・・私が担う『経文』が『何』を司るか――」 「ちょっと待て。俺1人では解けないと――?」 「さてな?まあ貴公ら4人のうち、理解力に長けているのが自分達である事は、否定しまい?」 「まあそれはそうなんですが・・・」 いやそこ否定してくれ、と親友が意識の片隅で叫んでいるが、綺麗に無視する。 一行の頭脳派である事は確かに自負しているし、そう口に出したこともある。 解ける筈の問題が解けないとなると、目の前の最高僧(三蔵は認めていないが)から辛辣な言葉を投げられそうだし、何より自尊心が許さない。 ふむ、と指を顎にあて、あの時の羅昂の言葉を思い返してみた。 『其は万物に生を与え、且つ死を齎すもの 流れること水の如く、捕らえられざること火の如し 見えざること風の如く、確固たること地の如し』 つまりは『聖』や『魔』と同様目には見えないものである事は確かだが、どちらかというと抽象的で定義がやや曖昧なそれらとは異なり、『確固たる』ものと言っている。 そういえば、『有』や『無』を司る経文もあった。そちらの方が、先の2つよりは近いのかも知れない。 そこまで考えて、ふと八戒は三蔵に尋ねた。 「――三蔵、他の経文の名称は?」 八戒の問いに、何を今更と言うような顔をしつつ、それでも三蔵は答えた。 「俺が継承した『聖天』『魔天』、烏哭が持つ『無天』、その対となる『有天』、あと『恒天』――砂漠の中に埋もれた経文がどちらかは、俺は知らん」 「それです!」 「あ゛?」 「今貴方仰ったじゃないですか、『対となる』って。『聖』と『魔』、『有』と『無』、それぞれ対になっているんです。そう考えると、『恒天』だけが対となるものが無いなんておかしいんですよ」 「馬鹿な――・・・いや待て・・・・・・?」 八戒が挙げた仮説を荒唐無稽と一蹴しかけた三蔵だが、不意に過去の記憶が脳裏に蘇った―― あれは確か――俺が本格的な教育を受け始めた6、7歳の頃だ。 きっかけは、お師匠様の長きに亘る遠出だった。 にっこり笑って『旅に出ます。1年程帰ってきませんから♪』と言われれば、誰だってその理由を尋ねるだろう。 そんな俺達に、お師匠様は『宝探しの旅ですよ。「いんでぃーじょーんず」の世界が私を呼んでいるんです』とすっとぼけた事を言って煙に巻いておられた。 しかし、1年経って帰って来られたお師匠様は特に宝といえるような物は持たず(方々で寄贈された経典、名工作の硯・筆、俺への土産と思われる玩具や菓子は、数ヶ月毎に旅先から送られていた)、結局旅の目的が何であったのか解らずじまいであった。 が、旅の疲れを少しでも癒してもらおうと肩叩きをする俺にだけ、あの方は仰った。 『江流、「天地開元経文」の種類は、全て言えますか?』 『はいお師匠様。お師匠様がお持ちの「聖天」と「魔天」の他、「有天」「無天」「恒天」の合計5種類と教わりました』 『よく出来ました、江流。ところで――なぜ、5種類なんでしょうね?』 『・・・・・・なぜって・・・』 『「聖」と「魔」、「有」と「無」、これらは読んで字の如く対となる存在です。なのになぜ、「恒天」だけ対となるものが無いのか、疑問に思いませんか?』 『それは・・・確かにそうですね・・・』 『同じく「三蔵」の任に就いている私の友人も、その考えに興味を示してくれたんです。 そこで、2人で経文について色々調べることにしまして、それが今回の旅だったんですよ』 『そうだったんですか・・・それで、何か分かったんですか?』 『残念ながら、第6の経文というのは見つかりませんでしたが――・・・・・・』 「――俺の師匠も、同じような事を言って、それを調べていた・・・結局、その存在は確認出来なかったようだが・・・」 代わりに何か特殊な事例を見つけたような事を仰っていたと思うが、その辺は記憶がぼやけて思い出せない。 つーかお前、あの方が乗り移ってねぇか? 「もしその仮定が正しいとしましょう、『恒天経文』・・・確か『不変』を司ると仰ってましたよね・・・ その対となるのであれば、やはり『変化』を司るのでしょうか?」 そう言いながら伺うように羅昂の方を見れば、 「流石だな。経文に与えられた役目は、それが正解だ。 だがそれだけでは、私が示した言葉には当て嵌まるまい?」 そう答える羅昂の気配は、しかし口調とは裏腹に非常に楽しげで――2人が、自分の望む答を導き出すのを、心待ちにしているようにも見える。 「――成る程な」 「分かったんですか三蔵?」 「あれだ」 納得のいく結論に達したためか、再び煙草に火を点けた三蔵(羅昂が眉を顰めたが)は、その煙草の先を、ある物の方へ向けた。 そこにあるのは、インテリアとして飾られている置時計。 それを見た八戒は、先程羅昂が『鍵となるものを示す物が存在する』と言っていたのを思い出した。 「時計・・・・・・成る程、『時』ですか・・・」 「『万物に生を与え、且つ死を齎すもの』――万物は時の経過と共に成長し、そして同時に死へと向かう。他の言葉も全て、『時』の特徴を示している」 「『流れる』『捕らえられざる』『見えざる』『確固たる』・・・本当ですね・・・」 「流石は玄奘殿。八戒殿も、お見事と言わせていただこう」 パン、パン、パンと、羅昂が軽い拍手を2人に送る。 「『変化』を司り、『時空』を操る経文――不安定な時世に於いてのみ世に現れ、その存在は歴史の影に消える運命とされる、『第6の経文』――それが、この『 そう言って、羅昂は己の胸元、三蔵であれば丁度経文の端がくる辺りを手で示した。 「ちょっと待て、『この』って、貴様今経文など身に着けてねぇじゃねぇか。 見えねぇせいで、着け忘れたのが判らないのか?」 随分な言い方ではあるが、これまで散々妙な謎掛けにつき合わされた挙句がこれでは、礼に欠けた物言いとなるのも仕方がないかも知れない。 だが、言われた当人は、気に障った様子もなく、冷静に言葉を続ける。 「フ・・・ちゃんと存在するではないか、貴公らの目の前に」 「ああ゛?そりゃ一体・・・」 「目の前って・・・・・・!・・・まさか――・・・!!」 羅昂の言葉が真実だとすれば、答は一つしかない。 「気が付かれたか、八戒殿・・・その通り。この |
ついに経文の名称と能力、双肩に存在しない理由が明らかになりました。 とにかく色んな意味でゴメンナサイとしか言いようがありません。 実はこの話を書いた当初、経文は全く別の名称でした。能力も全然違います。 ところが2005年4月、原作で5巻ある経文の名称とその能力が明らかにされたため、急遽路線変更を迫られたのです(サイト開設前だったので)。 その際に注目したのが、『恒天経文』と対になる経文が存在しないという点。そこから、現在の形になったわけです。 |
Back Floor-west Next |