Shinning sun and brilliant moon





 札の威力は相当なものらしく、近くの町に入るまでには羅昂は意識を取り戻した。
 表面の傷は完全に塞がっていたものの、神経の損傷までは完治しきっていないと見え、身じろぐ度に眉根を寄せる羅昂は、宝杖と白輝の肩を支えに、宛がわれた部屋へと入って行った。
 ヒトガタとなった白輝の、羅昂への甲斐甲斐しさといったら、一人息子を大切にする母親そのものだ――といっても、その母親像とやらを真に知る者は一行にはいないのだが。
 ちなみに、ジープ内ではスペースの問題から流石に非実態でいたのだが、宿に着くや否や素早く実態をとった辺り、実に主思いの精霊であるといえる。
 何となく後味の悪い空気が残ったためだろう、この日は悟空と悟浄も左程騒ぎ立てることなく、銘々個室へと閉じこもった。
 時同じくして、



 ポツリ
 ポツリ
 ポツリ、ポツリ・・・・・・ザアアアァ―――――・・・



 ジープを走らせ始めていた頃から急速に空を覆い始めていた黒雲だったが、一行が宿に飛び込んだのを見計らったように降りだした。
 雨は、一行にとって鬼門だ。
 停滞を余儀なくされるばかりでなく、一行のリーダーと参謀の両方が陰鬱な空気をまとう。
 それでも最近は、普段より若干神経質、という程度で済んでいたのだが、今日は状況が拙い。
 どうやら三蔵に向けて放たれた矢を羅昂がその身で受け止めたらしいその光景は、三蔵が密かに抱え続けている心の傷を抉るもので、
 その証拠に、部屋からは不穏な空気が発せられ、悟空すら近付くのを拒んだ程だ。



 コンコン



「三蔵・・・夕食です」

 夕食の乗った盆を持った八戒が、扉をノックする。
 返事はないが、そこは心得たもので、『入んな』とは言われていないことから、了承の意と捉えて部屋へと入る。
 予想はしていたが、部屋はむせ返りそうなくらいタバコの煙が充満していた。

「悟空が心配していましたよ・・・少しは食べて下さいね」
「フン・・・」

 会話として成立しているのかも怪しいやり取りだが、それ以上の言葉は却って逆効果だ。
 それを理解している八戒は、サイドテーブルに盆を置き、辞去しようとする。

「?・・・・・・ちょっと待て」
「え?」
「何の真似だ」
「え、あの、僕はただ食事を・・・」
「お前じゃねぇ、羅昂に言ってる――気付かなかったのか、背中」
「背中?」

 言われた八戒が肩越しに首を廻らせた時、

「あ、れ?」

 ひょい、と。
 八戒の背から離れ、肩を足場に、ぴょいと三蔵の食事を乗せた盆の上に着地したのは、

「・・・式神?」
「いや、形代という、術者の簡易的な分身のようなものだ」

 頭部・両腕・胴体のみをかたどった、真っ白な紙雛のような人形。
 吹けば飛ぶような作りであるにも拘らず、意思を持っているかのように自立している。
 と思うと、形代はその紙の両腕を胴の前で組み、体の上半分を前方に傾けた。
 丁度、目上の者にお辞儀をする形である。
 簡易的な分身、という三蔵の言葉が示すように、言葉を発する機能はないらしい。

「・・・・・・」

 と、それまでベッドに座っていた三蔵が、やおら腰を上げた。

「三蔵?」
「こんなもんで俺を呼びつけるたぁ、イイ度胸だ」
「・・・・・・」

 八戒の脳裏に、先程人形(ヒトガタ)の状態で羅昂を介助していた白輝の姿が浮かんだ。
 彼女を伝令にすればいいようなものだが、羅昂が矢を受けた状況からして、ひょっとすると三蔵に対し再び牙を剥くかも知れない。
 精霊というのは、人や妖怪など遥かに凌ぐ力を有するし、加減を知らないことが多い。
 だから、彼女を寄越さず形代を使ったのだろう。
 三蔵は隣の部屋へと足音荒く歩を進めると、形ばかりのノックと共に、

「入るぞ」

 返事を待たずに扉を開けようとしたが、

「・・・おい・・・」

 数回ノブを回すも、鍵が掛かっている。
 と、そこへ、部屋に残しておいた筈の形代がちょこちょこと床を歩いて来るや、ドアの下の隙間からするりと内部へ入り込んだと思うと、



 カチリ



「今鍵を開けさせた。入られよ」
「「・・・・・・」」

 最早どう突っ込んだらいいのか。
 何となく先程の憤りの勢いが殺がれてしまい(それすら意図していたかも知れない)、そっとドアを開ける。
 部屋は真っ暗だったが、ドアの隙間から入る僅かな光で、背の傷に障らないよう枕やクッションを積み上げて上半身を凭せ掛けている羅昂の姿が朧気に見て取れた。
 その他には誰もいないところを見ると、どうやら白輝は非実態に戻ったようである。

「怪我人が、一体何の用だ」
「手厳しいな」

 苦笑する気配と共に、さらりと銀の髪が揺れるのが見える。
 僧帽などは取り去っているようだ。

「そうだな――ひとまず、謝罪した方が良かろうかと思ってな」
「何・・・?」

 言われた事の意味が解らず、眉を顰める三蔵。
 自分を庇い矢を受けたのは、羅昂だ。
 逆ならまだしも、深手を負った側の羅昂が自分に対して、何を謝罪するのか。

「古傷を抉ってしまった・・・その痛みは、この矢傷より強かろう?」
「!・・・・・・」
「判るんですか・・・?」
「わざわざ他人の過去を見る趣味はないが、あの瞬間に見えてしまったものでな」
「見える?」
「目の前のものは、見たいものは見せぬくせに、過去や未来、傍にいる者の強い情念が生み出す光景など、要不要の別なく伝える、厄介な目よ」
「「・・・・・・」」

 つまり、羅昂が矢が受けたことで三蔵の中で渦巻いた強い情念・情景を、羅昂の特殊な目は見て取ったらしい。

「それは、もしかして計都も・・・?」
「然り。――そうか、そなたの過去を垣間見たか」
「彼女と貴方が双子だという話を聞いた時に・・・」

 その瞬間、胸の内に湧いた情景を見た計都。
 自身も母親を百眼魔王にかどわかされた過去を持つ彼女は、どれだけ心を痛めただろうか。

「そんなことはどうでもいい。羅昂、なら次はもっと賢く動くことだ」
「・・・あの時はあれが最善だったのだがな」

 独り言つようにぼやくが、三蔵が視線を鋭くしたのを感じだのだろう、肩を竦めつつ苦笑と共に「承知」と返した。
 本来ならば、あの時羅昂が矢面に立たなければ、彼は命を落としていたのだろう(羅昂は背中側から矢を受けたことと身長差で急所直撃を免れた)が、今となってはそれこそどうでもいいことだ。
 と、そこで思い出す。

「――あぁ、来ていただいたついでだ、妹から預かった札が残っておろう」
「・・・・・・」

 言われて三蔵は、懐を探る。
 計都から受け取った札の、残りの2枚を手渡した。

「つまり、今日まで札の事に触れなかったのは、わざとか」
「確信があったわけではなかったが、私が持っていたら、斯程に早く取り出すことは叶わなかったろう?菩薩とて、意識のある者に『出せ』と言う方が手っ取り早いというものだ」
「・・・ちょっと待て、菩薩の来降を知っていたのか?」
「貴公らにあの札は扱えない。他の陰陽師が、あの場に通り掛かる可能性は皆無。とすれば、あの時あの場所にタイミング良く来られる存在は限られてくる。その中で最も可能性の高い御仁とくれば、あの方しかいまい」
「・・・・・・」
「はあ・・・」

 最早言葉も出ない。

「勘違いされるな。菩薩の御来降を予知したから、己が身が助かると計算して身を挺したというわけではない。
 こんなところで、私は死なない。
 貴公も生きて、私も生きる。何も悪いことではあるまい?」

 『誰かの為』に死んだりなんかしない。
 残された『誰か』の痛みが分かるから。

「護るの護られるの、そのような瑣末な事に拘ることはない。手札を最大限有効に使い、難を潜り抜ける――結局は、生き残った者が勝者なのだから」
「・・・確かにな」

 実際、そうやって自分達は、幾多の敵を退けてきた。
 勝ち進む事が、生きて長安に戻る絶対条件。

「・・・雨音が変わったな」
「あ・・・」

 気が付けば、地面を叩き付けるような特有の音は、聞こえなくなっていた。
 雨戸が閉じられているので確認出来ないが、鋭敏な感覚を持つ羅昂には、雨の勢いが弱まり、霧雨になったのが判るようだ。
 つくづく、その人並み外れた体質に驚かざるを得ない。

「・・・これを」

 やおら、サイドテーブルに置いてあった拳程度の紙包みを八戒に差し出す。

「精神安定作用のある生薬だ。3合(約540mL)の水と共に堤の中身を薬缶入れて蓋をせずに弱火で煮出し、沸騰後はとろ火に落として1/3の量になるまで煮詰め、それを2人で分けられるといい」
「有り難うございます」
「よく休まれよ」
「えぇ、羅昂も」
「行くぞ」

 そう言葉を交わし、部屋を出る2人を見送った羅昂は、一息つくと、何もない(クウ)に向かって呟いた。

「・・・状況証拠より何より、今此処に当の御仁がおられるのだから、判らぬ筈もなかろうに」

 その台詞に反応して現れたのは、

「驚いたな、気付いていたのか」

 羅昂を治療した後、天界へ戻った筈の観世音菩薩。
 普段なら一行のプライベートまでは覗かない(・・・建前上は)のだが、今夜は状況が状況のため、羅昂と三蔵の遣り取りを見守っていたのだ。

「普段は判りませんが、今は下界(こちら)側で見ていらしたのでしょう?人ならぬ気配が強かったものですから・・・ぅ・・・」
「あぁ、傷に障るだろう、考えを読んでやるから、心の中で喋れ」
『・・・はい・・・で、何でまた天界(うえ)に戻られずに此処に?』
「そりゃ、お前さんが『あいつ』の化身である以上、俺様にとっちゃ親友の落とし種みたいなモンだ。そいつがキズモノになるのは看過出来ねぇからな」
『・・・・・・』
「ボケたんだからツッコめよ」
『何分にも、冗談を耳にする環境で育たなかったもので』
「つまんねぇ奴だな。まあいい。
 それにしてもお前さん、随分と回りくどい事してんのな」
『まぁ、一種の駆け引きと申しましょうか、手札を全て晒すのは愚か者のすることかと』
「ほぉ・・・ま、それも一つのやり方だろうさ。
 お前さんの前世――じゃねぇな、天界での本体は、下界へ降りる際、『喪う事を憂いて只俯いて過ごした日々を繰り返したくはない』と、そう言っていた。お前さんは・・・繰り返さなかったんだろう?」
『・・・・・・』

 自分がこの世に生を受ける前の存在。
 己が身を構成する経文の、天界での姿。
 それがどのような人物かまでは、知る由もないが、
 その人物が転生の間際まで引きずっていた後悔が、此度の自分の行動に繋がったのか。
 ――喪う事を、繰り返さないために。
 羅昂は肩を竦めた――瑣末な事だ。

『・・・全ては、彼等と共に牛魔王蘇生実験を阻止し、聖天経文奪還を遂げ、長安へ辿り着く、その為の道程に過ぎません。
 来たるべき日を迎えるまで、菩薩様はこの茶番を笑って見ていただければ宜しいかと』
「ふん、ま、せいぜい歯ぁ食いしばるんだな」
『もちろん。逆境に対する強さに於いては、彼等に負けずとも劣らぬ自信があります故』
「上等だ――ただ、精神面はともかく肉体面でハンデがあるのはどうしようもねぇ。
 だから・・・今は、ゆっくり休め」

 そう言うと、観音は身を屈めて羅昂の額に口付けた。
 同時に神力を少しばかり注いだので、羅昂はそのまま気を失うように眠りに就く。
 クッションの位置を直し、上掛けを引き上げるその様も、口元に浮かぶ笑みも、
 彼女(?)の本分である、慈悲と自愛に満ち満ちたものであった――








 あらゆる生き物が寝静まった深夜、雨が止み雲が切れた。
 雨で洗われ澄み切った夜空に、星々が燦然と煌めく。
 下界の彷徨い人に、道筋を示すように――








第三話 ―了―
あとがき

紙でできた形代が人の背にくっ付いたり鍵を開けたり、というと某宮崎アニメを彷彿とさせますかね(笑)。
後半、何だか 羅昂の口調に違和感を覚えますが、三蔵だって三仏神様との謁見の際は(一応)丁寧語使ってますので、右に倣えで。
文中にあるように、観音にとって羅昂は『親友の忘れ形見』に近い状態。なので三蔵と違って扱いが良い(笑)。
ほんの少し、100のお題No.3の内容を取り入れています。



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