Shinning sun and brilliant moon





 僧正の言葉に、八戒の脳裏を一つの光景がフラッシュバックした。
 手のひら位の大きさの鏡を三蔵に手渡す自分。
 受け取った鏡をしばし眺めた後、宙に放り投げて撃ち壊す三蔵。
 粉々に砕け、ジープのライトを反射してキラキラと煌く破片。

「あの鏡――あれが――・・・」

 確か三蔵は『怒りや憎しみ、悲しみや恐怖などの感情に反応し災いをもたらす(悪趣味な)鏡』と言っていた。
 今ここに在る鏡は、それと対になる物なのだ。

「八戒、何か知ってんのか?」
「ったく、だっからテメーは脳ミソ馬鹿ザルだってんの」
「何でだよ!」
「僕達がジープと最初に出逢った時の事を覚えていますか?もう一人の『僕』が現れて、周囲を騒がせていたことがあったでしょう?」

 僧正の手前、その『もう一人の自分』が無差別殺人を行っていた事までは口に出さず、八戒は悟空に記憶を辿らせる。

「ジープと最初に・・・?・・・・・・あっ・・・」

 果たしてどの辺りまで思い出せたのかは定かではないが、『魔鏡』というキーワードは掴んだようである。

「僕の思念を映した鏡、あれとこの鏡は対になる物なんです」
「じゃあ・・・今度は三蔵の偽者が出て来んのか?」

 納得がいかないといった感じで悟空が首を傾げる。
 大体、八戒――というより『悟能』――が具現化された時とは、様々な状況が異なっている。
 第一、あの時八戒自身は意識を失ってなどいなかった。

「悟空、僧正様の話を聞いてみましょう――僧正様、話の腰を折ってすみませんでした。どうか続きを・・・」

 そう、僧正の話の途中で筋道が逸れたのだった。
 再び僧正に3対――当然羅昂は省かれる――の視線が集まる。

「・・・『一対の鏡(これ)在り。人の心を喰らいて此れを糧とす。
 陽の鏡、(くら)き念を映して此れを外に現し、陰の鏡、明き念を映して此れを内に現す。
 映しし者の望みを叶えるも、其を死に至らしめる魔鏡(なり)――』」
「え・・・っと・・・」
「ワリ、俺パス」
「つまり、『陽の鏡』はその面に映した人物の負の思念を具現化させることでその人物の願望を満たし、逆に『陰の鏡』は正の思念を本人の内部で構築することで、鏡に映した人物の願いを叶える、という事だろう――」
「内部、ということは、やはり三蔵の『心』の中ということでしょうか?」
「眠っておられるところを見ると、その可能性は高いな」
「フツー負の思念を具現化させるのを『陰の鏡』って言いそうじゃね?」
「――というより望みを叶える方法による分類らしいな・・・身の内か外かによる」
「・・・僕の思念を映したのは『陽の鏡』だったということですね。ということは・・・」
「こっちのが『陰の鏡』で・・・」
「こいつが、三蔵の『願い』を叶えようとしているってワケね」
「そしてその鏡は玄奘殿の『精神(こころ)』を吸い上げ、最終的には死に至らしめる――」

 羅昂の言葉に居ても立ってもいられなくなったのか、鏡を包んでいる呪符を剥がそうとした悟空の手を、八戒が止めた。

「待つんです、悟空」
「待てねーよっ!だって、こいつが三蔵の願い叶えたら、三蔵が死ぬって事だろ?
 そんなの、ぜってーヤだかんなっ!」
「悟空、闇雲に突っ走ったところで良い結果は得られません。ここは、きちんと対策を立てることが必要だと思いますよ?」
「・・・ぅ・・・」
「――僧正殿、その古文書に何らかの手立ては書かれているのか?」
「・・・『魔鏡に映しし望みを絶たば、其の者、鏡の呪縛より解き放たれん。
 されど陰の鏡に囚われし者共、何人として還り来ること(あた)はじ――』」
「「!・・・・・・」」

 普段から感情を表に出すことの少ない2人の顔が一瞬強張ったのを、悟空は見逃さなかった。

「な、なぁ・・・」
「魔鏡に映った望みを絶つ――すなわち、鏡に囚われた本人が鏡の創った世界を否定すれば、元に戻るという事だ――ただ、『陰の鏡』に魅入られた者で、生還した者はいないらしい・・・」
「そんな・・・!」
「鏡の創った世界を否定するってどういうことよ?」
「要は元を断つということなんですね。『陰の鏡』にしても『陽の鏡』にしても。
 『陽の鏡』が具現化させた僕の思念は、一応、物理的攻撃が通用したんですが・・・」

 それは三蔵から渡された特殊な短刀のみに限定されたが、とにかくも八戒は、己の手で魔鏡が具現化させた自分自身を刺し貫くことで、鏡の術を解いた。
 しかし、逆にその願いを心の中に創られている三蔵は、どうすればよいのだろうか?

「すなわち、この鏡に囚われている玄奘殿御自身が、何らかの方法で夢の世界を壊さなければならない、か・・・厄介だな――」

 自分の願いが叶えられる世界を、自ら壊す者などいる筈もない。
 そもそも当の三蔵は、依然として目覚めぬままである。
 恐らくは鏡の術により強制的に夢を見させられている状態なのだろうが、そのような状態でどうやってその世界を壊すことが出来るのだろうか?
 ひょっとすると、『陰の鏡』の術を解いて還ってきた者がいないというのもこれに起因するのかも知れない。

「――羅昂」

 しばしの沈黙を破ったのは、いつになく真剣な悟空の声。
 気配のみで、羅昂はその先を促す。

「羅昂ってさ、過去とか未来とか、人の考えている事とか読んだりすること出来るじゃんか。だからさ、その・・・」

 悟空自身にも自分の言いたい事がはっきりと判っているわけではないのだろう。あやふやに語尾が薄れるが、それでも羅昂は黙って聞き入った。

「んっと、三蔵がどんな夢見てるか、分かることって出来ねぇのか?」
「ハァ?お前、自分の言ってる事判ってんのか?」
「判ってるよ!でもさ、何もしねーよりいいじゃんかよ!」
「まあまあ悟空、落ち着いて下さい。悟浄も、悟空は真剣なんですから。で、羅昂――」
「――出来ないことは、ない」
「本当!?」
「精神を肉体から切り離し、玄奘殿の夢と同化させる・・・一般的に『夢枕に立つ』といわれる現象の類だ」
「そのようなことが・・・」

 羅昂の説明に、僧正は幾分畏怖の念の混じった声を洩らす。
 当然である。それは仏教徒には扱い得ない陰陽道の術だからだ。
 そんな僧正を一瞥した後、八戒は口を開く。

「・・・危険性は・・・?」
「只の夢枕ならば、最終的に精神が元の肉体に収まりさえすれば、左程の問題ではないが・・・」
「んじゃ、元に戻らなかったら・・・」

 悟浄の問いに、羅昂は敢えて答えなかった。
 精神を切り離した肉体が長時間無事でいられる訳がないのは、明白だからだ。

「あーもーっ、こんな所でウジウジしてたって仕方ねーだろっ!」

 そう叫ぶや、纏わり付く湿った空気を振り払うように立ち上がったのは、悟空。

「やらなきゃなんねーんならやるっきゃないじゃんかよ!このまま三蔵死んじまうよか何とかする方がいいだろ?」
「悟空・・・」

 忘れていた。何より大切なこと。
 邪魔者はブチ殺し、障害物はブチ壊す。
 成功を前提に、戦略を練る。
 そうして自分達は、数々の修羅場を潜り抜けてきたのだから。

「確かに、その通りだな」
「失敗を恐れて行動に出ないなんて、僕達らしくありませんしね」
「ま、ここで三蔵サマが戻って来るの待ってたっていつになるか判んねーしィ?」

 言いながら立ち上がる羅昂、八戒、悟浄。
 全員が同じ事を考えているのを見て取ると、ニッと口の端を上げながら悟浄が言った。

「ここはひとつ、こちらからお迎えモウシアゲますか?」
「おう!」
「そうですね・・・経文が此処にあっても、それを使えるのは三蔵だけですし、それに意識の戻らない人を乗せて延々旅するのも御免ですからね――死体ならうっちゃっておくんですが」
「フン、なまじ息がある分、死体より扱い辛かろうが」
「あぁ、寝返りを打たせないといけませんね。床擦れを起こしてしまいますから」
「いやそーゆー問題ぢゃなくって・・・」

 重苦しい現状とは裏腹にそんな軽いやり取りを一通り交わした4人は、決意の表情で僧正の方を向いた。
 (あお)(みどり)黄金(きん)(あか)
 いずれ劣らぬ稀有な輝きを前に、彼らの歳を合わせた数だけの齢を重ねてきた老僧正は、奇妙な確信を抱いた。

 この者達ならば、あるいはこの魔鏡を――

「何卒、宜しくお頼み申し上げます・・・」









「――これで良かろう」

 部屋の四隅の柱に呪符を貼り付け、更にそこから伸ばした糸で部屋をぐるりと囲む。
 最後の呪符から伸びる糸を手に巻き付けたまま、羅昂は振り返った。
 部屋の中央には、寝具に横たわる、未だ目を開けぬ三蔵。
 その傍らには、真剣な面持ちの悟空。
 開け放った障子の向こうの廊下から悟浄と八戒が様子を伺っており、更に反対側の襖の向こうからは寺の僧侶達が恐る恐るといった態で中を覗き込んでいた。

『他人の夢枕に立つそうだ』
『そのようなことが人為的に出来るのか』
『何でも、あちらの三蔵様は特殊な術を操られるらしいぞ』
『本当か?しかし奇怪な・・・』

 ひそひそ声で交わされる内容は、感度の良い耳を持つ羅昂には筒抜けで、
 それだけではなく、畏怖の念の混じった視線をも、羅昂の肌は敏感に捉えていた。
 仏道と相対する陰陽道、その道に通じるが故の疎外。
 寺で生活する事を決めた時から晒され続けた視線と同じものに、羅昂は薄布の下でこっそり溜め息をついたが、一瞬後には何事もなかったかのように、凛とした声音で周囲の者達に説明を始めた。

「この糸を最初に貼った符と繋げば、この部屋全体に結界が張られる。精神を解き放った肉体を不用意に動かさないようにするためだ。――悟空」

 羅昂が結界を施す間ずっと三蔵の傍に付き添っていた悟空に声を掛けると、初めて悟空は顔を上げる。

「結界内に別の思念が在ると術の妨げになる。お前は外で・・・」
「・・・・・・俺も行く」
「・・・悟空?」
「俺も行く!さっき言っただろ、迎えに行くって。羅昂の事は信用しているけど、俺、自分で三蔵を迎えに行きたい!」
「ぶわぁーか、お前、幽体離脱なんて出来んのかよ」
「幽体離脱ではない」
「やってみなけりゃ分かんねーじゃん!」
「聞いていないみたいです」
「あぁ?んじゃ、やって見せろよ、早くやってみろっての、オラオラ」
「羅昂〜っ(半泣)」

 悟空に泣き付かれ、さすがの羅昂も困惑の表情を隠しきれない。

「・・・要するに、精神が肉体から切り放たれればいいんですよね?」

 しばし考え込む素振りを見せていた八戒が唐突に切り出した。

「何かいい方法あるのか!?」

 黄金(きん)の瞳をキラキラさせながら、悟空が縋り付かんばかりに八戒に詰め寄る。

「ええ。多分この方法なら手っ取り早いかと・・・」
「止めておかれよ」

 真剣な表情の八戒が話す内容も聞かずに即答する羅昂。

「あ、分かります?」
「分かるも何も・・・取り敢えず、その物騒な代物はしまっておかれよ」
「仕方ありませんね♪」

 言葉とは裏腹に語尾に♪マークが付いている八戒が手にしているのは――

「あれで殴るつもりだったのかよ・・・」

 ハイライトを咥えた口元をひくつかせながら悟空に聞こえない程度の小声で呟く悟浄。
 いつの間にどこから見付けてきたのか、高さ30cm程度の仏像。
 明らかに金属製であると判るそれに布を巻き付けた物の使い道など、聞くまでもない。
 ――確かに、殴れば魂が肉体から離れるだろうが。
 薄布の下で溜め息をつきながらも、時間の無駄である事は解っているのだろう、八戒に対してそれ以上の追求はせず、羅昂は悟空へと声を掛けた。

「良かろう。悟空、そこに横になれ。
 まずはお前の意識を玄奘殿の夢の中に送り、その上で私も合流する」
「判った!」
「羅昂、僕達はどうしましょう?」
「先程も言ったように、結界内に別の思念が在ると術の妨げになる。全員この部屋へは入らず、結界の糸にも決して触れぬように。
 それと、私を含め3人が身動きの取れない状態になるから、有事の際はこの寺を守り、何人たりとも結界に近付かぬようにしていただきたい。宜しいか?」
「解りました」
「ま、しゃーねーわな」
「白輝は見えぬ状態で外に待機させておく。そなたらの指示を聞くかどうかは解らぬがな」
「「・・・・・・」」

 つまり、本人・・・もとい、本狐の判断で、羅昂にとっての敵と見なされるもの全てを消滅させるという事だ。
 願わくは、自分達を敵認識しないで欲しいものだが。
 微妙な面持ちの2人を余所に、羅昂は握っていた糸を柱の符に貼り付け、結界を完成させる。

「悟空、目を閉じて、身体の力を抜け」
「ん」

 素直に応じた悟空の額、金鈷のすぐ下に、羅昂は揃えて伸ばした人差し指と中指の先を当てた。



 短く真言(マントラ)を唱えると、数秒の後には悟空の口から寝息が洩れ始めた。
 全身どこにも力が入っている様子はなく、本当に寝入ってしまったようだ。
 外野の坊主達の間にどよめきが走り、悟浄・八戒も僅かに目を瞠った。
 悟空が眠りに付いた事を確認した羅昂は、次に袂から糸の束を取り出した。
 部屋に施した結界も、この糸と同じ物を使用している。
 スイ、と抜き出した一筋が灯りを反射してキラリと光るのを目にした八戒は、思わず尋ねた。

「その糸・・・今光ったようですが、もしかして・・・」
「察しが良いな」

 そう言ったきり、後は黙々と作業を進めている。
 糸の正体は、羅昂の髪だ。
 桃源郷随一ともいえる霊力の持ち主の髪は、最高の術具となり得るのだろう。
 が、それ故に悪用される事も充分考えられるため、敢えて明確な返答を避けたのだ。
 瞬時にそれを悟った八戒も、それ以上の言及は控えた。
 必要な長さに切った銀糸の両端を、横たわる三蔵と悟空のそれぞれ左手首に結ぶと、今度は2人の間に座り、左手で銀糸の真ん中を摘まみ、右手で印を結びながら再び真言(マントラ)を唱えた。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 初めよりやや長い真言(マントラ)を唱え終わると、銀糸から手を離し、羅昂は嘆息した。

「・・・・・・これでいいだろう」
「悟空の意識が、三蔵の夢の中に入ったという事ですか?」

 八戒の言葉に一つ頷いた羅昂は、次に三蔵の頭上の枕元に移動すると、今度は組んだ両足の上で印を結び、先と異なる真言(マントラ)を唱え始めた。
 いよいよ、羅昂自身が三蔵の夢の中へと入って行くのだ。
 誰もが緊張した面持ちの中、悟浄が唯一人悪戯っぽい笑みを浮かべ、ヒソ、と囁く。

「今だったら、あいつ殺れるかもな」

 極限まで潜めた声で告げた内容は、親友だけにしか伝わっていない筈なのだが、

「・・・声の大きさは関係ないようですね」
「すんませんごめんなさいもう言わないから許して〜っ」

 実体化した白輝が、廊下の、僧侶達の死角になる場所に悟浄を引きずり込み、ゲシゲシと前足で押さえ付けるのを見た八戒は、誰にともなく呟いた。
 まあ本気で力を入れていれば肋骨が折れているだろうから、力の加減はしてくれているようだが。
 猫がネズミや虫をいたぶる時ってああいう感じですよね、とは敢えて口にしない八戒だった。
 そして視線を羅昂の方へと戻す。
 真言(マントラ)を唱え終わったと同時に、常に半眼の状態である目が完全に閉じられたということは、悟空同様三蔵の夢へと入って行ったのだろう。

 3人共・・・無事に還って来て下さいよ・・・







『もう一つの魔鏡』の正体は、公式小説第2巻『鏡花水月』に出て来た魔鏡でした。ジープ君が八戒さんの下へ来る話なので、これ大好きなんです(←本筋はそれじゃない)♪
それはさておき、真面目なシーンで白輝vs.悟浄(というか一方的)を持ち出すのは香月の悪い癖。
反省はしますが後悔はしない。







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