意識が急流に飲み込まれるような感覚に身を任せていると、やがて流れから勢い良く放り出され、無重力空間に浮いているかのように、全ての感覚が一時的に失われる。 重力も触覚も全く感じられないという状況は何とも心許ないものだが、それも僅かな時間で、やがて肌が気温を、髪が風を、足底が地面の感触と重力の方向を伝えてきた。 三蔵の夢に、入り込むことに成功したのだ。 魔鏡が妨害するかと思ったが杞憂に終わり、羅昂は少し安堵した。 が、今度は三蔵の深層意識を探し出し、この夢の世界を崩壊させなければならない。 その過程で魔鏡の妨害が入る事は、想像に難くない。 ともすれば、自分や、先にこの世界に入って来ている悟空の意識まで道連れにされかねないのだ。 気を引き締めるように薄布の下で口を引き結んだ羅昂。 と、そこへ、 「あ、羅昂!良かった、来れたんだ!」 「・・・悟空か」 弾んだ声を上げながら走って近付いて来る悟空。 が、羅昂の傍まで来ると、怪訝な顔を浮かべた。 「あれ、羅昂・・・そんなに背ぇでかかったっけ?」 「・・・は?」 言われた言葉の意味が一瞬理解出来ずにいたが、すぐに気付いた。 確かに、悟空の顔の位置と自分のそれとの距離が、いつもより隔てられている。 だがこれは、自分の背が伸びたためではなく、 「・・・悟空、言いにくいのだが、お前の方が・・・」 言葉に出すのが酷に思えたので、手の平を下に向けて垂直に移動させ、背丈が縮んでいる事を示す。 「えっ?ウソ、マジ?何でだよ〜っ!?」 改めて自分の身体を見下ろすと、確かに地面との距離が普段より近い事に気付く悟空。 着ているものも、戦闘服ではなく長安の寺院でよく着ていた服装になっている。 「これどういうことだよ羅昂!?羅昂はフツーじゃん!何で俺だけ!?」 「・・・憶測ではあるが、此処が玄奘殿の夢の中である事を考えると、玄奘殿が考えるお前の精神年齢が、その姿を形作っているのかと・・・」 「ひっで―――っ」 まあ本物の猿にされなかっただけマシかも知れない、という台詞は心の中にしまい込む。 「それより悟空、お前、随分向こうから走ってきたようだが・・・?」 「あっ、そうそう!」 ポン、と手を叩くと、不満げな表情で訴える。 「この道変なんだよ。ずーっと真っ直ぐなのに、あっち向いて進んでもこっち向いて進んでも、いつの間にかまた同じ場所に戻っちまうの、ワケ解んねぇっ!」 「・・・・・・」 つまり、自分が三蔵の夢に合流するまでに、散々この道を歩き回ったらしい。 迷ったら二度と元の身体に戻れないかも知れない、という考えは浮かばなかったのだろうか。 ――というより、三蔵を助ける事以外、実際頭にないのだろう。 苦笑交じりの溜め息をつき、羅昂は釘を刺す。 「悟空。言っておくが、此処は精神の世界だ。此処で身動きの取れない事態になると、玄奘殿を救うことはおろか、お前自身が魔鏡の餌食になりかねない。 それと、武器の召還も出来ないからそのつもりでいろ」 「え〜マジ〜?」 「私とて、白輝は付いていないし、高位の式神を召還することは出来ない。無論、経文の力も使えぬ。 それ以外の術は問題ないだろうが、いつ何処から魔鏡の妨害があるかは判らん。心しておけ」 「う゛ー・・・」 納得いかない、というように唸っていたが、やがてその事については吹っ切ったように、 「そういえば八戒の時も俺達の攻撃効かなかったっけ。んじゃ、しょーがねーよな」 そう言うと、その事に関しては悟空の中で完結したのだろう、ころりと話題を変える。 「でさあ羅昂、この道、どっちに行っても元に戻っちまうから、進めるのってこっちの階段だけっぽいよ?」 言いながら、羅昂の袖を引き、一つの方向を示す。 羅昂が顎を向けた先にあるのは、100段近くありそうな石段。 俗世間と空間を異にする目的から、このように幾つもの長い階段を設けることが多い場所として、代表的なものといえば―― 「寺か・・・」 「羅昂、ここの石碑みたいなのに『金山寺』って書いてる。この上にある建物のことかな?」 「金山寺・・・・・・」 その名には覚えがある。 記憶違いでなければ、それは――その場所は、 「やはり玄奘殿は――・・・」 独り言つと、石段へと足を掛ける。 「恐らくはこの先の寺に、玄奘殿がおられるのだろう。行くぞ」 「おう!」 山門を潜ると、丁度体術の稽古の時間だったようで、稽古着に身を包んだ多くの僧徒達が組み手を行っている最中だった。 師範役の僧がこちらに気付くと、 「全員、止め!」 響き渡る号令に、稽古に打ち込んでいた僧達が、その人物の側を向いて直立する。 「来訪者だ。礼!」 ザッ、と音を立て、数十名の僧が一斉に右向け右の動作でこちらへと身体を向け、合掌礼を送る。 世俗から隔離された山寺に篭り、厳しい戒律を守る僧達は、ある種の軍隊のようだ。 結手し直立不動を守る僧達の横を、先程号令を掛けた人物が走って来る。 近付いて来たその男は、成る程師範役に相応しく立派な体格で、やや長めの髪を後ろで縛っている辺りからしても、随分と豪快そうな人物のようである。 「今日は来客の予定は聞いていないんですが、何方様で?」 「えっと・・・」 「先触れもなく突然訪問する無礼を許されよ。 此処より西、 私の名は羅昂。この寺の『三蔵法師』に目通りを願いたい」 まごつく悟空を仕種で制し、羅昂は淀みなく口上を述べる。 「羅昂殿、ですか・・・」 ふむ、と顎に手をやり、目の前の人物を観察する眼が額のチャクラを認めた瞬間、その表情が変わった。 「ひょっとすると、貴方様も三蔵法師様・・・で、いらっしゃいますか?」 「左様」 「これは失礼しました。私はここの師範代を務めます、朱泱と申します。 うちの光明様は・・・あー、まあ、取り敢えず中へご案内しましょう」 若干歯切れの悪い物言いに、羅昂は心の中で首を傾げるが、この場は流すことにした。 朱泱と名乗った大男の案内に従い、建物へと歩を進めつつ、羅昂は油断なく周囲にも気を配る。 魔鏡が、三蔵の『望み』を映して作り上げた世界。 それは即ち、敵陣に足を踏み入れるのと同義で、 ここからが正念場となるのを感じ、改めて気を引き締める羅昂であった。 朱泱の歯切れの悪い物言いの原因は、程なくして判明した。 「あー・・・何分にもうちの光明様はフットワークの軽い方でして、その場の思い付きで寺を離れる事が日常茶飯事でございましてね」 「つまり御留守である、と」 「ありていに言えばそういう事です。 まあ今回は近くの町に行かれただけのようなので、夕刻の勤行までには戻りなさるでしょうから、お急ぎでなければ此処にしばしお留まり下さればと、うちの僧正が申しております」 「ふむ・・・」 お急ぎも何も、此処以外に自分達が存在出来る場所は無いのだが、それをおくびにも出さず、思案する振りをする。 「ではお言葉に甘えさせていただくとしよう」 「誠心誠意、おもてなしさせていただきます。・・・ちなみにそちらは、お弟子さんで?」 「へ、俺?」 物珍しそうに周囲を見渡していたところに急に話を振られ、目を丸くする悟空。 「いや、浅からぬ 「おぉそうか、ちっこいのに偉いな。うちの江流と同い年くらいか?幾つだ、坊主?」 「え、えっと、じゅうき・・・んむっ!」 19、と言いかけた口が、縫い合わされたかのように動かなくなる。 「幼顔に見えるがこれでも12になったばかりだ。 ところで、江流殿というのは・・・」 今の姿が10歳そこそこの見た目であるため、話がややこしくならないよう咄嗟に術で悟空の口を塞ぎつつその場を繕った羅昂が、話を逸らすために朱泱に訊ねた。 「ワケあって赤ん坊の頃から 「ほう・・・」 「まだ10歳なんですが、知識は大の大人顔負けでして、光明様も将来が楽しみだと仰ってるくらいなんですよ」 「成る程、優秀な御子であられるのだな。して、その御子は、師匠と行動を共に?」 「えぇ。生まれた時からの寺育ちですから、少しでも機会があれば俗世間に触れさせ、世俗の感覚を学ばせているようです。この狭い寺の中しか知らないと、今後出家するにせよ在俗するにせよ、障りがあるだろうとの光明様のご判断でして」 「成る程な」 「では、私は稽古の監督に戻りますんで、ゆっくりとなさって下さい。 じきに僧正が挨拶に参ります」 「気遣い痛み入る」 朱泱と入れ替わりで客間を訪れた僧正は、眼鏡を掛けた温厚そうな人物であった。 挨拶がてら羅昂と一しきり話を交わした後、勤行の準備があるからと席を立ち、再び客間には悟空と羅昂の2人が残された。 襖が閉まるや否や、悟空が背中から倒れ込む。 胡坐とはいえ長時間じっとしているのが苦手な彼だ、よくもった方だろう。 「あ゛〜っ!もう座ってるのムリ!」 「ご苦労だったな。旅の中ではここまで不動を強いられることはなかろう」 「で、さあ・・・此処に三蔵とは別の『三蔵』がいるのは解ったけど、それと三蔵とどう関係あるんだ?」 「・・・あぁ、お前は知らなんだか。 この金山寺に在籍しておられるのは、光明三蔵法師殿――玄奘殿の師であられる御方だ」 「え・・・でも三蔵のお師匠様って、死・・・あっ」 「気付いたか。我々は、玄奘殿の幼少時に過ごした場所へ来ているわけだ。・・・無論、実際に時間を移動したわけではなく、魔鏡が創り出した精神世界だがな」 「そっか・・・え、じゃあさっきのおっちゃんが言ってた江流って子の話は・・・」 「それが、幼少時の玄奘殿の事だ」 「――マジ!!?」 |
三蔵の夢の中に入った羅昂と悟空。ここから先はほぼこの2人しか出て来ません。悟浄&八戒さんファンの方には非常に申し訳なく。 で、魔鏡が創り出した『夢の世界』は、金山寺時代を映したもの――ってベタですね(汗)。 朱泱氏が普通に出て来ていますが、悟空は『朱泱=後の六道』という事に気付いていません。また、羅昂も常の状態とは勝手が異なるので、朱泱の行く末を知りません。そもそも六道とも会ってませんし。 その一方で、羅昂は金山寺が三蔵(江流)の育った場所という事は知っています。 |
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