Shinning sun and brilliant moon





 「――マジ!!?」

 素っ頓狂な声が、客間に響き渡る。
 優秀だの将来が楽しみだのという言葉で飾られた、神童という扱いがぴったりな子供が、自分の最も近しい人物だとは思いもよらず、悟空は驚きをあらわにした。

「つか、ちやほやされ過ぎてあんだけ偉そうな態度になったんじゃね?」
「フ・・・どうだろうな」

 苦笑しつつも、肯定するのも否定するのも後々厄介と判断し、曖昧に濁しておく。

「ともかく、この世界は幼少期の玄奘殿を核として構成されている。つまりは、玄奘殿自身がこの世界を偽りの物と認識し、崩壊させるよう誘導するのが、我々が為さなければならぬ事だ」
「ん、解った」
「言うは易し・・・いざ実行しようとしても、問題が横たわる」
「問題?」
「此処に存在する人物は、皆魔鏡の手足たり得る。あれこれ難癖を付け、我々が玄奘殿に真実を知らせるのを妨害するのは必至だ」
「え、さっきのおっちゃんも僧正のじーちゃんも、そんな感じはしなかったけど?」
「それはこちらが魔鏡破壊に繋がる行動を何も起こしていないからだ。それから問題はもう一つ――」
「まだあるの?」
「この世界に於いて、『三蔵法師』といえば光明三蔵殿を指す。玄奘殿は飽く迄も『江流』という一少年として扱われており、そんな中でそなたが『三蔵』と呼べば、少なからず物議を醸す惧れがあるだろう」
「あ・・・」
「そも、沙門の最高位たる『三蔵法師』を尊称抜きで呼ぶ事自体、寺の中では御法度。下手をすれば、此処の者に捕えられ、不敬罪で処分されることもあり得ると思え」
「うへぇ・・・んじゃ、『江流』ならいいんだよな?」
「そうだな。光明三蔵殿の養い子というだけで、門外の徒という扱いのようだから、そう呼べば良かろう」
「解った」








 この世界での立ち居振る舞いについて羅昂が悟空に教授していると、にわかに部屋の外がざわつき始めた。

「この寺の『三蔵法師』殿のお帰りだろう」
「ってことは、昔の三蔵も一緒なんよだな?」
「『江流』と呼ぶのだぞ。流石に先代殿の御前で何度もそなたの口を塞ぎたくはない」
「あー、さっきのアレ、すっげぇびっくりした・・・解った、気を付ける」

 江流、江流、と悟空が呼び名の練習をしているうちに、大勢の人の気配が客間へと近付いて来る。

「羅昂三蔵様」

 襖の向こうから掛けられた声は、先程案内役を務めた朱泱という男のものだ。

「光明様がお戻りになりました。ご挨拶を、とのことですが、宜しいでしょうか?」
「是非に」

 羅昂の返答と共に、客間の襖が開かれると、
 にこやかに細められた、温和そうな眦、
 柔和な笑みの形に描かれた、少し薄めの唇、
 元は褐色か亜麻色だったらしい、艶やかな銀髪、
 年の頃40代後半と思われる男性が、穏やかに佇んでいた。
 表情と同様穏やかに凪いだ気配は、成る程悟りを開いた者に相応しいと言うべきか。
 ただ、笑みを投げ掛けるその眼は、僅かだが自分と同様相手を観察する光を宿している。
 ス、と滑らかな所作で歩くと、客間の上座、羅昂達と卓を挟んで向かい合う位置に腰を下ろした。

「お初にお目に掛かります、羅昂殿。私が第三十代唐亜光明三蔵です。
 遠路遥々お越し下さった御客人を待たせてしまい。申し訳ありませんでした」
「いえ、気紛れで立ち寄った上に、厚かましくも待たせていただいたこちらこそ、無礼をお赦し願いたい」

 最高僧同士の舌を噛みそうな言い回しの挨拶に、悟空は辟易しつつそっと相手を窺う。
 あの三蔵の師匠というからどのような人物かと思えば、予想と真逆で正直びっくりである。
 ますます、自分の養い主が、どのようにしてあの性格(と目付き)になったのか、謎が深まった。
 ――閑話休題。

「そちらはお弟子さんですか?可愛い坊やですね」
「・・・浅からぬ縁ある弟分ですが、仏道には帰依しておりません。見聞を広める目的で、私の供をしております」

 先程朱泱にしたのと同じ説明をする羅昂。
 その瞳が、機会を得た事を捉えほんの一瞬煌めく。

「そういえば、光明殿もこの悟空と同じ年頃の養い子がいると耳にしたのですが・・・」
「そぉなんですよぉ♪」

 養い子、と聞いた瞬間がらりと変わった口調と崩れた相好に、悟空も羅昂も目を瞬かせる。

「それはそれはもう、道を歩けば誰もが振り返る美人さんで、その髪は太陽の光を紡いだような綺麗な金色、()は宝石のような美しい紫、まるで西方の宗教画に描かれる天使そのもののような可愛い子なもんですから、町に出る時なんて人攫いに合わないか心配で心配で・・・」
「・・・成る程、神に愛された御子であられると」

 内心の驚きを隠し、そつなく相槌を打つ羅昂とは対照的に、悟空は目が点になっている。
 それもそうだろう、目の前の人物の豹変振りもさることながら、その口から語られる人物像が、自分の良く知る人物と同一のものとは到底思えない。
 辛うじて、髪と()の色についての表現のみ合致する程度だ。

「可愛いだけではないんですよ。5歳で般若心経をそらんじ、6歳で写経を始め、7歳で経に出てくる字は粗方書けるようになり、8歳で経の解釈まで出来るようになった神童で、10歳になる今では寺の書物はほぼ読み尽くしているというもんですから、本当に天才と呼ぶに相応しい賢い子なんです」
「ほぉ・・・それ程に仰るとは、さぞや優秀な御子であられよう。
 して、その御自慢の御子は、今何処(いずこ)に?」
「今時分だと、釜焚きをしている筈ですね。夕方の勤行の後、湯を使えるようにと」
「左様ですか・・・」

 つまり、手を止めて客間に呼び付けることは叶わない。

「さて、そろそろ勤行の時刻ですね。どうでしょう、羅昂殿も御一緒に」
「ふむ・・・」

 ほんの僅か、(くう)を睨み、逡巡する。

「折角の光明殿のお誘い故、御一緒させていただきましょう。
 ――あぁ、悟空」
「へ?」

 声を掛けられるとは思っていなかった悟空が、素っ頓狂な声を上げる。

「我々が夕刻のお勤めに出ている間、江流殿の手伝いをして差し上げるといい。
 同じ年頃の者同士、話も気楽にしやすかろうて」
「あぁ、それはいいですねぇ。普段同年代の子供が周りにいないですから、話し相手になってもらえるとこちらとしても有り難いです」
「あ・・・うん、解った」

 一瞬躊躇したが、そもそも僧侶でない自分は勤行中の本堂には立ち入られないし、この客間で独り待ち続けるのも退屈で嫌だ。
 それならば、羅昂や光明氏の指示を免罪符に堂々と建物内を探索し、江流に近付く方がいい。
 そう考え、立ち上がる。
 勤行に向かう2人の三蔵に続いて客間を出ようとした時、

「――この世界の『江流』殿に接触した時の反応を良く見ておけ。
 但し、飽く迄も会話のみに留め、物理的接触は控えた方が良い。解ったな?」

 ギリギリ自分にだけに届く声で、羅昂が指示を出す。
 それに一つ頷き、その場を離れた。
 通り掛かった僧に釜焚き場の場所を訊ね、そちらへと足を向ける。

「えっと・・・確かここを曲がった先・・・・・・あ、」

 建物の角を曲がったところで、知らず、歩を止める。
 最初に眼に入ったのは、夕日を受けて輝く金糸の髪。
 生成りの着物をまとった小さな背中。
 今の自分と変わらぬ年頃の少年が、竹筒を握りしめ火を熾していた。
 ジャリ、という靴音にか、近付く気配にか、
 不意に振り向き、悟空の存在を認めた紫暗の()が、不審げに細められる。

「あ、あのさ、俺・・・」

 うっわ、何て言おう?何て言えばいい?

 元々嘘や取り繕いが苦手な性格の悟空は、良く知っているが、しかし初対面の人物に、掛ける言葉が見つからずあたふたする。

「・・・知ってる。御客人として来られてる三蔵法師様の下男だろ?
 (ここ)の奴らがえらく浮足立ってたから、嫌でも耳に入る」
「あ・・・うん、そう・・・」

 ――あぁ、三蔵じゃないけど、やっぱ三蔵だ・・・

 飾り気の全くない、素の表情と言動。
 声こそ少年特有の高いものだが、放たれる口調は既に自分の知る人物のそれであり、幾分ホッとする。
 あの三蔵法師の下で育ってどうしてこの言動になるのか、余計に謎は深まったが。

「羅昂に、ここを手伝えって言われたんだ。釜焚きなら俺も何度もしてるから、竹筒貸してよ?」
「・・・三蔵法師様を、名前で呼び捨てすんのかよ」
「あー、うん、本人がそう呼べって言ったし、俺、ソンショウ?とか苦手だし」

 元々は、一行の中に2人の『三蔵法師』が存在することになった事と、既に玄奘三蔵を指して『三蔵』と呼ぶ事が全員の中で定着してしまっている事から羅昂が提案した事だが、この夢の世界に於いてそれを説明することも納得を得ることも出来ない以上、その辺りはぼかすしかなかった。
 こちらの事を語ろうとすると間違いなくぼろを出す、その確信のある悟空は、相手に話を振ることにした。

「江流ってさ、すげー頭イイんだって?5歳で経を覚えたとか、10歳で寺にある本は殆ど読んだとか、光明様が色々褒めてたぜ」
「ったく、あの方は・・・みっともないからやめてくれと何度も言ってるのに・・・」
「いーじゃんか、『子供は褒めて育てるのがいい』って八戒・・・俺に読み書きや算数を教えてくれた人も言ってたし」
「あの方のはそんな生易しいモンじゃない、親馬鹿丸出しだし、威厳も何もあったもんじゃねぇ」

 口の端を歪め苦々しく呟くが、その瞳に宿る光は、何処か優しい。
 愛され慈しまれている事を知っている人間の眼である。

「そんだけ光明様に褒められるぐらいならさ、いつか江流も『三蔵法師』になるのか?」

 三蔵は齢13で『三蔵法師』の地位と経文を受け継いだという話は、本人からではなく周囲からの言葉で悟空も耳にしている。
 だが、その経緯に関しては殆ど知らないと言っていいくらいだ。
 なので、純粋な疑問として投げ掛けたのだが、返ってきたのは思いもよらない言葉だった。

「ハッ、まさか」
「え、何で?」
「俺の望みは、お師匠様に生涯お仕えする事だ。出家して僧として高い地位に就くとか、一つの寺を任されるとか、そんな事には興味ねぇ」
「・・・そう、なんだ?」
「今のところ、お師匠様が護っておられる経文が一応この金山寺の本尊となってるから、お師匠様がこの寺を出ることはないと思う。けど、元々お師匠様は堅苦しい事とかがお嫌いで、身も心も自由な御方だ。
 いつか、俺がこの寺で学ぶことがなくなったら、この寺には無い本や文献を見るため、そして見聞を広めるため、一緒に旅に出ようとお師匠様は仰った。だから俺は、ここで学べるだけの事を学ぶんだ。
 一日も早く、そうなる日が来るために――」
「・・・・・・そっか・・・・・・」

 自分は知ってる。
 現実では、『そうなる日』が永遠に来ない事を。
 だが、ここでそれを口にしても、信じてもらえないどころか、自分達を拒絶するかも知れない。
 飲み込みにくい物を無理矢理嚥下するような何とも複雑な感覚で、未来を語る横顔を見つめる悟空だった――








お待ちかね(?)の江流登場――といっても、流石に三蔵法師である客人との歓談の場にいられる立場ではないので、裏方作業中のところを悟空にコンタクトしてもらいました。外見上はほぼ同年齢に見える2人(笑)。
光明様のタガの外れた親馬鹿っぷりが書いてて楽しかったです(^_^;)。







Back        Floor-west        Next